14翽▶焼身、愛しの森よ!












ザザ、ザザザ。軽くノイズの走る音。ノイズが彩った主旋律は途切れ途切れの呼出音で、森の木の葉が擦れ合うような自然の声を払わんとするかのように、強く強く自己の存在を主張していた。

ミュカレ、檳榔子玉、コラールの3体がやって来たのは、鳥かご内部でも南__やや南西に位置する工場地帯と、その南側奥に広がる木菟の森の境目ほどの場所。

地盤沈下があちらこちらで起きており、命を落とすドールも少なくない。避難誘導や交通規制を行うよう指示された3体は、そういったドールを危険から守る為に派遣された。の、だが。



「この辺りはまだ何も起きてないね」


「でも大通りは陥没してたし、ビルとか屋台もめちゃくちゃだったから気は抜けないよ」


「それはボクがやった」


「天使ちゃん……」



果たして、こんな所に3体も派遣する必要があるだろうか?森が午後の陽射しを和らげつつ工場の地熱で温められた土地に光を届け、爽やかな春風が工場地帯特有の油と鉄の匂いを連れ去っていく。

ここへ来るまでの間、めちゃくちゃになった鳥籠を見てきた。大半はコラールとヴォルガが各々やったものだったが、正しい情報を得ているのは一部のみだ、知る由もない。まぁそれを差し置いたとしても、今まで見てきた、というより感じてきた雰囲気は以前よりもかなり荒んでいた。近頃、鳥籠の“ 滅び ”が急速に早まったような気がしてならなかった。

工場地帯に常に響く、低い機械の駆動音に揉まれたトランシーバーの呼出音にようやっと気が付いたコラールがソレを取り上げる。



「リーダーだ」


「えっ」


「しー、マイディア」


「うん」


「もしもし」



しー、と人差し指で唇を塞がれた檳榔子玉とミュカレが、二歩ほど離れた位置でその電話を見守る。視線がうざったいと言わんばかりの顔でこちらをきつく睨んだ直後、すぐに笑みを浮かべ直したコラールがトランシーバー向こうの声に応答してみせた。



『もしもしコラール、急に申し訳ありません。お怪我の具合はどうです?』


「怪我は平気。なんならもうリーダーに出された指示もちゃんとやってるよ」


『はい?…………なんのことです?私は指示なんて出していませんが』



数拍の間の後、淡々としたヴォルガの声。ぱちり、桃色を帯びた白の長いまつ毛がしばたいて、ほんの少しだけ片眉をあげる。

相次ぐ陥没事故や倒壊から、工場地帯付近のドール達を守る為の避難誘導や交通規制に赴くよう指示したのはヴォルガのはずだ。つらつら、ヴォルガからの指示だと信じて引き受けたソレの中身を伝えれば、やはり自分はそんな指示を出していないと言う。不思議だ、と言ったような表情であったハズのコラールの顔が薄らと不機嫌を表すかたちに歪む。

リーダーの指示だと言うからやって来たのに、本当は全く違うのだとしたら甚だしい。この指示を、ヴォルガからの指示だと謳って渡してきたのは秋だ。秋がミスをするなんて珍しいなとも訝しむ。



『……わかりました。では現場の状況を確認するだけに留めて帰還してください』



真意のわからない、出した覚えのない指示を続行させるのは気が引ける上、嫌な予感がしてならない。かと言って、地上がめちゃくちゃになっている今、避難誘導や交通規制の必要が無いと言いきれる訳でもない。ならば折衷案。引き返させて、引き上げの途中に助力が必要そうな場所があればそこの処理をしながら帰還させることとした。

くれぐれも無茶はしないようにと再三言いつけ、鳥籠随一の心配性と束縛癖の片鱗を見せた後に咳払い。

コラール1人か否かを確認する声に、檳榔子玉とミュカレが、と返せばヴォルガの声音がほんの少しだけ明るくなる。



『仲良くするんですよ?』


「…………うん」



片方はヴォルガに忠誠を示すような言動と仕草であるから永朽派と判断できるが、檳榔子玉のことはどう扱うべきかまだわかりかねていた。しかし、ヴォルガがそういうのならそうするべきなのだろう。



「そうだ、リーダー。あのさ。運ばせちゃってごめんね」


『なんのことです?あれくらい運ぶの内に入りません、羽のように軽かったですから』



くすくす、トランシーバーの向こうで笑う声。そんなことを気にしているのかと言わんばかりの返答に、コラールの強ばっていた肩から力が抜ける。彼からしたらなんでもないことなのだ。自分は彼にとってたくさんの部下の中の一人であって、部下を大事にする彼は、革命派に遅れをとった自分を捨てるなんてことはしない。そんなドールではない。



「次は負けないから」


『コラール、重要なのは負けないことではありませんよ。生きて帰ってくることです。私は貴方が負けたって咎めません、帰ってきてくださるだけでいいんです』


「……ボクが帰ったらヴォルガさん嬉しい?」


『それはもうとても。証明しましょうか。帰ったら私の部屋の、机の右の引き出しの中身を読んでくださって構いませんよ。左は絶対開けないでください』



いいですか?右ですよ。左は絶対開けないでくださいともう一度言った。大事なことなので二度言ったのだ。わかった、と、ほんのり平坦なコラールの声。



『それでは切りますね。私は今から、哀れなめくらの鳥を目覚めさせなければならないので』



柔らかな声の後、トランシーバーがジィィィと無機質な駆動音を立てる。2秒程で黙りこくったソレを握り締めたコラールが、ふぅと軽く息をついてからトランシーバーをしまい込んだ。

さらさらと吹き流れる春の風に一対の黒髪と薄紅が揺れる。眼前に広がる木菟の森は柔らかな緑をたたえて春の訪れに歓喜し、背後にそびえる工場地帯は頑健さの中の鉄の香りを辺りにそうっと潜ませていた。強い風が吹き荒んでも仕方の無い時期なのだが、今年はまだ、そこまで酷い風が吹いた試しはない。ただひたすらに柔らかで、穏やかで、優しい風がドール達の頬を撫ぜては空高く舞って彼方へ消えるばかり。

焦っていたのだ。認めたくはないが、大嫌いな革命派に負けてリーダーの手を煩わせたことで気が逸っていた。ついさっきくだんのひとの声を聞いたことによって本当に気にしていないのだろうことが伺えて、そしてそれはコラールの焦燥を和らげるのに十分な材料にもなった。挽回のチャンスはあるのだから、そう焦らずともいい。

電話の様子を見守っていた檳榔子玉と、その背後で辺りの様子を伺っていたミュカレとがそっと一歩前へ出る。工場地帯は、産業技術に通ずるドール以外が出入りすることは滅多にない。ここにいる3体のドールは皆、重工業に縁のない個体ばかりだ。工場地帯が物珍しいのか、ほんの少しだけ視線の彷徨う範囲が広いような気がした。

この工場地帯が、鳥籠の中の文明利器の設計、制作、販売全てを担っている。もし鳥籠の中からこの地区が消えてしまうと、電気を灯す電球も、どんなにちんけな内容だとしたって生活を彩ってくれるラジオもテレビも何もかもが消えてしまう。鳥籠の中で二番目ほどには重要視されているエリアだった。

無論、一番はカコウジョである。



「ねぇ、ミュカ__」



最後の一音が途切れた。一際鋭い音で空間を裂いた一本のナイフが、檳榔子玉の横スレスレを抜けて建物の配管をぶち破ったから。ぎちり、その場の空気が強ばって、ナイフの飛んできた方向__木菟の森、東方面寄りの奥を見据える。

凄まじい勢いでこちらに何かがやってきているのだ。ひとつではない、最低でもふたつ。

最も音源に近かったミュカレがその場にアビリティを展開し退いて、檳榔子玉は携えていたガンブレードを、コラールは喉元に手をやって、来たる脅威に対して構えて見せた。



『あしもと、あぶないよ』



がさがさ、薮を突っ切って開けた場所へ身を放る。そのまま突進して大通りへ出るつもりだったが、森奥からの来訪者は、リベルとシアヴィスペムは、言の葉の導きを拾ってその進軍速度を急激に落とした。ミュカレのトラップスレスレで急ブレーキをかけ、サイドステップにも似た動きで横へ。抱き抱えたシアヴィスペムを庇うように受け身をとったリベルが、身体の節々に走る痛みも無視して声を張り上げる。



「避けて!!」



鉄の弾雨。今一度鋭く風の裂かれる音。

コンバットナイフの群れが五月雨よりも早く、滝が落ちるよりも強くその場のドールを切り伏せた。対応の遅れた警邏隊の3体では返しきれない、先手を取られたドールは重かれ軽かれ傷を負う。バツン、ばきり、袖が着られて装飾が割れて、致命傷を免れどもその場に金が迸る。

鉄鋼の群れが一波去った後に続いて、守られる鳥が姿を現した。



「殺す、殺す、ちょうどいいからぶっ殺す!!!」



ルフトが吠える。フィンガースナップのすぐ後に空間が歪むような音がして、ズラリと、まるで罪人の処刑の時を待ちわびる群衆が首を伸ばすように長い剣がすらりと光る。艶めかしくも狂おしく、その場に威圧と恐怖を植え付けた。



「なんで……」



誰が言ったかわからないが、その場の総意がふと落ちる。

それもそのはずだった。ルフトは警邏隊のドールであり、ミュカレや檳榔子玉、コラールとは既に面識があるはずなのだ。こうして剣を向けてくる意図がわからず、身体が軋む。

ふわり、ひゅるり、軽やかで、いっそスローモーションのようにも映った剣の舞が一息に攻撃性をあらわにし、その場の主導権を確固たるものにしようと牙を剥く。飛びかかってきた剣戟をコラールの衝撃波が打ち返し、推進力を失ったブロードソードが乾いた音と共に地に落ちて、剣が消えて、指鳴らしの後にやってくる追撃を食い止めんとリベルの弓矢が一撃一閃。

前髪の下から伸びる青が揺れた左目に、傷口に塩を塗るような激痛。頭部パーツをほとんど貫通するような形で撃ち込まれたソレに激昂した狩人が、怒りのままに反撃に入る。

つるぎ、剣、剣、視界いっぱいに剣の群れと、身体にかかる鉄の影。リベルだけを狙ってうち飛ばされたそれに、リベルのマントの向こう側にいた白い雛鳥が応戦する。サルベージした“ 守護 ”によって生み出されて剣はシアヴィスペムにも激痛を与えるが、こんなものは痛みのうちに入らない。



「全部跳ね返すのは無理でしょ!」


「やらないよりはマシ!!」



シアヴィスペムが、リベルの制止にも似た咎めの言葉を無視してアビリティの施行を強行した。

鋼鉄同士が撃ち合う耳障りな金属音が辺りに響いて、妙な焦げ臭さと火花を散らす。じり、じりり、ほんの一瞬の隙に頭が弾け飛ぶかもしれない緊張感。シアヴィスペムは極度の緊張状態であり、副作用の激痛というデバフを受けている、この有様でアビリティを完璧に操作することは不可能だ。迎撃しきれない剣を返せる近距離アタッカーはリベルでもシアヴィスペムのどちらでもない。

檳榔子玉のガンブレードが高らかに銃声を轟かせる。宙を駆ける剣を撃ち落とした跳弾が別の剣を撃ち落とし、連鎖させるような形でシアヴィスペムとリベルを守った。


檳榔子玉のアビリティ、ガンカタ。

手にしたガンブレードを己の腕のように扱い、跳弾や高速弾幕で相手を翻弄する、どちらかと言うとアビリティと言うよりも本人の持ちうる技術に近いシンプルな拡張強化系のアビリティ。

二丁のガンブレードが熱を帯びた銃弾を撃ち出して、硬いブレードが空を裂いて生み出す戦場は、他個体の被弾回避率をぐんと下げる、トリッキーなアビリティを持つ彼の舞台。


なぜルフトがなりふり構わず、派閥も関係なしに攻撃してくるのかはわからない。けれどもわかることが一つだけ。

躊躇えば死ぬ。

今一度剣が閃いたと思えば、今度は小さなナイフが群れを成す魚のようにその場を占める。ぐるり、鉄の旋風が巻き起こるように思いっきり、遠慮もなしにその場を容赦なく切り伏せた。身をかがめて、回避し切れるものは回避に務め、時折武器やアビリティでナイフ達を撃ち落とす。

リベルは剣をほとんど扱えなかったが、弓矢を番える時間すら与えられないこの瞬間になりふり構っていられない。シアヴィスペムが顕現させた剣を片手に、不慣れながらも一本一本迎撃する。弓矢を無意味にマントの外へ出しておく訳にも行かなかった、弦を切られて仕舞えば使い物にならなくなってしまう。はらり、ひらり、髪の先が時折剣に撫でられて、新緑の欠片が宙を舞う。



「全員目障りなんだよ!!喚くな、殺してやっから逆らうな!!」


「ルフト、お前……目障りなのはそっちでしょ!」



コラールの賛美歌が、剣に、工場地帯の高い鉄管に反響して、舞台で奏でられるゴスペルのような音圧を持って剣を地に縫い落としていた。キリがない、喉が潰れぬよう調整しながら、時折肌を切り裂く痛みに旋律を乱されぬよう努めるほかないのだ。

完全サポート特化のミュカレではルフトのような極端なアタッカー相手に何か有効な手を打つなんてことが出来ない、檳榔子玉の隣、円を描くように振るわれるガンブレードの軌跡の向こう、タイミングを伺いながら全員の行動に注意を払う。

ルフトが一歩踏み出すなり、ぎしり、糸の絡まった操り人形のように身体をガクンと軋ませる。ミュカレの蜘蛛の巣だ、けものが、狩人が止まった今叩かねばこちらの命が危うい、シアヴィスペムがサルベージした“ 守護 ”を、コラールが喉元に手をやって衝撃波を。

たった数十秒の応戦だったが、鳥籠を無茶苦茶にするのには、十分すぎた。



覚醒。

それはドールが、自己本来の能力を開花させることを言う。

今を生きるドール達は皆、本来の用途と力を押さえつけられた状態なのだ。強すぎるアビリティに反して脆い“ 心 ”を持っていたのでは制御が危うくなってしまう。

ルフトは、半覚醒状態のドールだった。



「俺に手ぇ出してんじゃねぇよ、この、ガラクタ共がァ!!!!!」



無制御。自身への反動も恐れぬ、脅威と呼ぶしかないその力の振るい方。

ドールとは。ドールとはニンゲンにとって、道具であり、武器であり、盾であり、牙を向かれれば確実に敗北を喫する、人の手に負えない、人が作った厄災。

ルフトを守るように展開された剣達の数は、先程の数倍の数。彼が制御できる数を優に超えていた。予備動作もなしに一瞬でそこに現れた凶器を前にして、全員の思考が一瞬、白くジャックされてしまう。アビリティの暴発。


爆弾が爆ぜるような音だった。


ぎちり、密集したブロードソードの柄と柄が強い圧力で音を立てて、ぎゅうっと詰まるように溜めた後。穏やかな太陽の光を、物騒な凶器達が跳ね返してギラギラと光ってやまない。反射、ちかり。視界がホワイトアウトする。

思いっきり鉄の豪弓が牙を向いて、放射状に、辺りを無遠慮に傷付けてまわった。



「あ゙ッ、ぐ!!」


「っあぁ!?!」



先程とは速度が比にならない。ぐじゅり、耳障りな音ともに思い切り檳榔子玉の肩が抉られ、ミュカレの右脚が一息に絶たれる。リベルやシアヴィスペムはそれぞれ、脇腹、喉、左腕を負傷しているというのにそこへ追い討ちがかかる形で傷が増した、元々一度大破したものを、ほとんど一晩で直した左腕なんかはちぎれ飛んで背後に転がる。コラールも長い髪の左側がばつりばつりと絶たれて広がり、白桃色の欠片が当たりを彩ってやまなかった。

ガジュ、とでも表すべきか、液体質の音が混じった破壊音、ヂヂヂと火花が散るような小さな音。ここまで広範囲に向かってアビリティを行使したのだ、工場地帯の建物が無傷で済むはずも無い。加えて、この剣の嵐。直線上に放射されるだけならば良かった。あろうことか大量の剣が、回遊魚の群れのごとく大きな渦を描く形で辺りを襲撃し続けるのだ、身を隠そうにも、付近には無機質で陰のない工場施設か柔らかな木が立ち並ぶだけの若い森。

逃げ場のない、息を着く暇もない一方的な暴力と殺戮がまかり通る膠着こうちゃく状態。檳榔子玉は右脚を奪われたミュカレを庇いながら弾を撃ち出すが、如何せん剣の数が多すぎる。回旋して回る剣を避けて、弾いて、己と番を守ることで精一杯。



「あ゙、くそ、声……!」



コラールなんかは絶え間なく歌を歌い続けなければ身を守れないのだから、喉のパーツの酷使がすぎる、潰れて使い物にならなくなるのも時間の問題だった。乾いた舌根したのねに鞭打ち必死に強い音を紡ぐ。

シアヴィスペムも剣を出して応戦してみせるが、吹き飛んだ左腕がもたらす体力の消耗は著しい。操作精度が落ち、激痛で今にも意識を手放しそうだった。

終わる予感のしない剣戟。弓矢は通らない。こんな状況では隣人の声も役に立たない。そも、自身のアビリティは戦うことに向いていない!



『リベル』



自分は何も出来ない。


『信じるよ』


何も、できないのに。


『リベルおにいさん、ありがとう』




ぎちり、グローブの革と握った剣の柄が擦れて鈍い音を出す。この大きな身体はなんの為にあるのだ、小さな雛鳥だった自分にできなかったことは、もう取り返しがつかない。リベルが愛してきた隣人は手を伸ばさない。だったら、手を伸ばしてくれたドールくらい、愛して、目の前のものくらい、守って。それくらいできなくてどうするのだ。

無我夢中で駆け出す。

ミリタリーブーツの底が削れると思う程に脚に力を込めて、乾ききっていなかったのだろう春の朝露でほんの少しだけ湿った土を抉りながら前進する。マントの留め具が弾け飛んで、後方に広がり飛んでいく。その場の空気に似合わずふわりと広がったそれは、ついさっきまでリベルの背後で目を見開いていたシアヴィスペムの傷口を覆った。

歯が軋むほどに強く食いしばって、飛び交う剣の群れの中をひたすら駆ける。髪留めが、髪が断たれてばらりと視界に緑が入り込むのも気にならなかった。

使い慣れてなんかいない剣を握った、人に向けて振るったことの無い腕に、全力で戦う為に走ったことなんてない脚に、森の色だとほんの少しだけ自慢に思っていた翼が黄金に染まろうと構わなかった、全てを込めて前へ、前へ。

抜き身の剣を持ちながら走るのは相当な膂力と慣れがなければ難しい事だったが、火事場の馬鹿力とでも言うのだろう、リベルの頭の中には腕の痛みなんてカウントされていなかった。

今この場で最も警戒されていなかったのは自分だ。今この場で、最も心が揺れていたのは、森ばかり愛して人を愛することを恐れていた自分だ。


剣の群れのど真ん中、青に蝕まれた鋼の鳥が、夢から醒めて現実を、リベルをようやっと見やった。長年森を苛んでやまなかった、愛知らぬ血溜まりの主を、長年怯えて生きてきた、誰より愛を知る森の寵児が討ち取って。


しゃきん。


軽やかに、金属が黄金を撫でる音。

横一線に振るわれた鉄が、その首を取った。誰も死なせたくなかったけれど。“ リベル ”は酷く優しかったから、本当は戦うことだって嫌だったけれど。

今この瞬間、何も出来ない訳じゃないのだ。守れるのだ、かつてとは違って、自分が動けば救えるのだ。できることは、なんでも。自分で守れるものくらいは。


どしゃり、重いものが落ちる音とともに、左半分がすっかり青に吸われて脆くなったルフトの頭がひしゃげて液体のような音を立てる。もうルフト自身も限界だったのだろう。時折動物を殺して回ることで元々限界に近かった“ 心 ”の、ひずみによってうまれた破壊衝動を、無理矢理収めていたところ。

そこをヘプタやリベル達との応戦で先伸ばされ、挙句の果てに命を吸って広がる青に、真っ赤な瞳を潰されて。ルフトが機能停止に陥ったことで、辺りを荒らしていた剣の群れ達も消え失せる。

きっとルフトも苦しかったのだろうと。足元で崩れたその頭を見下ろすリベルの表情は、今にも泣きそうな程に悲壮感で満ちていた。

続けて今一度、重い何かが落ちる音。身体の方が倒れたのだ。ほとんど傷のない身体。何をすべきか。拠点での話に参加していたのだ、自分がするべきことはわかっている。

ゆっくり、ゆっくり、黄金がちらばった地面を踏み締めながらそちらへ。ミュカレの蜘蛛の巣で動けなくなることを案じて、ぴょんと、なるべく奥に。思った通りに脚が重くなって、ルフトのジャンクボディの横、にっちもさっちも行かなくなる。行き場のない、リベルの心の様だった。

うつ伏せに倒れたボディをひっくり返して、ブロードソードを突き立てる。胸元を割いたらば、早く、早くこの重苦しい苦悶の世から解放してくれと言わんばかりに白いコア。ふたつ。

さあっと体温が下がるような感覚がした。一体誰の?すぐに脳裏に浮かぶのはヘプタの顔。そも、ヘプタが森の奥へ連れていったはずのルフトが自分達を追いかけてきていた時点でわかっていたハズなのだ、ヘプタが負けたことくらい。

晒された、白く眩く光るコアを持ち上げる。グローブが黄金でべちゃべちゃになってしまったけれど、リベルは全く気にならなかった。

ごめん。誰にでもなく心のうちでそう零す。

それでも助けられる可能性があるのならばこうすべきだ。野晒しになってしまったコアがどれほどもつか保証されているのは一週間程度。誰かの体内にあれば、もっと長く延命できる。

ひとつ、ふたつ、飲み下した。ゴルフボール程のサイズの球体を飲み込むのは容易ではない。けれど、少しでも。ルフトの苦悶が和らぐのなら。ヘプタの想いを持ち帰ることができるなら。


ふたつめを嚥下しきって、気が付く。これは。胸の内にやって来たこの温もりは、冬の申し子のものでは無い。軽い、軽い、己の意思なんて無さそうなシグナルを無意識下で拾って、愕然とする。君は、誰。ヘプタはどこ。



「リベルお兄さ__」



リベルを呼んだシアヴィスペムの向こう側が爆ぜた。瞬く間に辺りの空気を焦げ臭い香りが支配して、森の中に潜んでいたのだろう鳥達が、動物達が、一斉に故郷を捨てて逃げていく。愛しい森が燃えだした。

ルフトのアビリティで傷付いた配管から溢れ出したガスか油に、同じく先程の争いでうまれてしまったのだろう火花が散って引火したようだった。まだ冬が終わったばかりの乾いた空気はその炎を手助けし、普段ならば穏やかで愛しいだけの風も、今ではただ、その豪炎を煽る材料となるだけ。ぱちり、ぱち、燃焼時独特の小さな小さなラップ音。赤く、赤く空間が染められる。



『熱いよ』


『燃えてる、死にたくないよ』


『あつい!あついよ、たすけて』


『消して、火を消して、消して消して助けて助けて!!』



『たすけてよリベル!!』



20年も前のこと。

リベルはアビリティを発現するのとほぼ同時期、6歳頃に保育所を出て、森で穏やかに暮らしていた。木菟の森は、よく火事になる。愛した森が目の前で焼き失せたあの日から、幼い無垢な雛鳥は、無力な“ リベル ”になったのだ。



『リベル、たすけて』



植物は、熱を感じることが出来る。死にたくないという心がある。誰も知らないが、リベルだけが知っていた。隣人達が助けを求めていたことを知っていた。知っていた、知っていたのに何も出来なかったのだ!

さっきまでの勢いが嘘だったかのように、途端に脚に力が入らなくなる。ついさっきまでは馬鹿みたいに力が籠っていたというのにすっかり覇気が抜けてしまって、ガクンとリベルの視界が落ちた。膝をついてしまったから。唇が震える。胃の奥からせり上がってくるすっぱい模擬体液が喉を焼く。遥かな熱はあっという間に広がって、春の緑を殺し始めた。



『たすけて、たすけてよ、あついよ』


『熱い!!熱い、死ぬ、死にたくない、死にたくない!!』



森中の声が頭の中でぐわんぐわんと響いて回って、リベルの思考を押し殺す。ミュカレのアビリティで足を取られたままで、目の前にルフトのジャンクボディがあるままで、呆然としたまま。動けない、何も出来ない、ドールからドールを守れても、火から隣人を守れない!

ひとりにしないで、“ リベル ”を置いて失せていく隣人達に、そんな自分勝手な思いを抱く。ひとりになってしまったのは、自分のせいだと言うのに。



『リベル!リベル、たすけて』


『あついよ、にげてよ、にげたいよ』


「______いさん」


『たすけて』


「____おにいさん」


『しにたく、な』


「リベルおにいさん!!!」



肩に鈍い痛み。シアヴィスペムがリベルの元へ突っ込んできたのだ、ミュカレのアビリティの影響を受けているのだろう、中途半端な場所で膝を着いたままのシアヴィスペムが、目の前で失せていく春の緑と全く同じ色が、真っ直ぐリベルを見ていた。



「リベルおにいさん」



リベルは知っていた。隣人達が助けを求めていることを。

シアヴィスペムだって知っていた。隣人達が助けを求めていることを。リベルが助けを求めていることを。



「ひとりじゃないよ」



ボロボロこぼれる偽物の塩水が、熱を受けて火照った頬の上を滑り落ちる。“ 花鴉 ”をサルベージしていたシアヴィスペムの頭の中にも、今、植物達の悲鳴が響いて止まないはず。それでも真っ直ぐ前を見ているのは、同じものを聞いているリベルが目の前にいるからだ。同じものを聞いて、心を痛めて、苦しむドールがいるから。

いつの間にか止めていた呼吸がハッと息を吹き返す。最後に吸い込んだ空気よりも温度のあがったソレを吸い込んでむせ返った。シアヴィスペムが、切れてバラバラな断面のままに広がるリベルの髪を撫でて梳く。シアヴィスペムだって、何も出来ないままは嫌だった。

かつて自分がそうしてもらったように、自分もそう出来たらと思っていた。上手く出来ているかはわからない。ただ、リベルが、かつての自分のように生きる希望を失ってしまわなければいいと、どうしようもない悲鳴の群れの中で漠然とそう思う。

火の手が広がるのは本当にあっという間だ。シアヴィスペム達も森を出たすぐの所で応戦ばかりしていたものだからこの位置だって危ういし、工場地帯にさらに火が伸びれば大爆発だって起こりうる。逃げよう、リベルの手を握った。ほんの少しだけ迷うように、紫の瞳が彷徨って。それからしっかりと手を握り返してきた。



「シア!」


「リベル」



伸ばされた手は、檳榔子玉の肩を借りたミュカレのもの。裏切り者の手だ。裏切り者の手だけれど。



「リベルおにいさん、行こう」



まだできる事がある。

シアヴィスペムがリベルの手を取ったまま、逆の手でミュカレの手を取ろうとして、左腕が無くなっていることを思い出す。ほんの一瞬戸惑ったけれども、リベルが握った手を引っ張って、シアヴィスペムを抱えたままにミュカレの方へぐっと手を伸ばしたものだから、その戸惑いも杞憂に終わった。

2人がしっかりとこちらに手を預けたのを確認して、それから引っ張り出そうとしたけれど、ドール三人分の重みを前に完全なバランス感覚を保つのは難しい。よろけて一歩前に足が出てしまった檳榔子玉も蜘蛛の巣に絡まって動きが止まる。あ、とちょっぴり、気の抜けた悲鳴。

ミュカレは片足が無い。いくらアビリティの主で影響を受けないとはいえ、三体のドールを全員引っ張り出すなんて無理だ。



「グズグズしないで早くして!」



がしり、檳榔子玉の着物の、首裏を思いっきり、コラールが掴んで引っ張り出した。利き手で檳榔子玉を。逆の手に吹き飛んでいたシアヴィスペムの左腕とミュカレの右足を。ずるずると芋づる式に引き上げられたドール達が、覚束無いままに脚に鞭打ち歩き出す。

いくら革命派が嫌いでも、いくら目の前のドールが元々革命派でも。リーダーに任された、警邏隊としての役割を、人を守るという役割を放り出せるほど落ちぶれてなんていないのだ。困ったように、驚いたようにこちらを見ているシアヴィスペムを思いっきり睨み付けて舌を出してやれば、シアヴィスペムもぱちくりと瞬いて驚いた後に、同じような仕草で挑発を返してみせる。

マザーの前ではどんなドールもただのドールであるように、自然の前では、火の手の前では派閥なんて関係ない。鳥籠があろうとなかろうと、それが、自然がドールに味方するなんてことは無いのだ。共通の敵がいたから、それから逃げるのに最もいい手を打っただけ。

ひとりじゃないと諭されたリベルが握った手は、確かにいきものの熱を宿していた。


黄金が焼ける匂いが、鳥籠の中に立ち込める。



















​───────​───────















「はい、これでもう大丈夫だよ」



にっこりと笑うドールの青い瞳がキラキラと光る。人好きのする柔らかい笑顔と、ほんのちょっぴり高めのアルトボイスが白い街の中に溶けて消えた。

ヒビまみれだったロウの身体は丁寧に繋ぎ止められて、金継ぎのあとこそまだ消えていないとはいえ十分動ける程には修理が進められていた。

アルクに抱き抱えられる形で自分の腕の修理をじいっと見ていたロウが、満足そうにふんすと腕を上げて笑みを浮かべる。



「レヴォさん、ありがとー!」


「えへへ、どういたしまして!」



レヴォの背後には雄彦の姿があった。ロウが黒いものを怖がるからと半ば無理矢理の形で白いシーツを羽織らされた雄彦は、いつもと変わらぬ凛とした様相のままに眼前の治療を見守っている。橙色の髪で片目の隠れたレヴォも、警邏隊の制服であるコートを脱いで、全体的に温かみのある服装のままにロウに向かってほほ笑みかける。

レヴォの隣、ロウの怪我が心配で仕方ないのだろうデライアの姿も伺えた。オロオロするデライアに、金平糖を差し出して落ち着かせる。デライアには金平糖を出しておけばいいとでも思っているのだろうか。まぁ、きっとそうなのだろう。



「ふふ、ひとまず落ち着いてご覧デライア」


「う、うぅ、だって……ロウがこんな怪我して……」


「デライア、金平糖いる?」


「いる……」


「ぼくもたべる!!」



自分が怪我をしたわけではないと言うのに瞳を潤ませるデライアを、アルクが諭して落ち着かせる。手のひらの上に広がる金平糖を啄んでいく小さなドール達の姿に、ついつい口角が持ち上がった。

数十秒の膠着状態。アルファルドによってけしかけられた重力の枷から開放されたあと、酷く気分を害して口調の荒くなってしまったロウの元へデライア達三体がやってきて、ロウに治療を施した。

誰も気が付きなんてしないが、治療を受けるロウの瞳がすぅっと僅かに細まる。このキズも見かけだけの偽物だと知っている。

ヒビが綺麗に埋められて、ゆっくりゆっくり肌に馴染んでいく黄金を光にかざしたら、ちかちか、きらきら、ロウの大好きな煌びやかな光が辺りに散らばって視界を彩る。

満足そうなロウの姿を腕に抱いたまま微笑むアルクは、服の裾が黄金でべちゃべちゃになっている。ガーディアンとシルマーのものだった。

デライア達がやってきてまず目にした物は、道のど真ん中に倒れ伏せるガーディアンとシルマーのからっぽのボディ。見回りと称した散歩の果てに見たものがこんなものだったのだから、それはもう酷くいたく驚いた。デライアが、である。

レヴォと雄彦の呼んだ、見るからに下っ端というていの警邏隊員に回収されてしまった2体のジャンクは、抜け落ちてしまった大きな風切羽2枚とコアだけがアルクの手元に残っている。

回収されたジャンクドールは、カコウジョ付近にある“ 黄金の滝 ”というところで溶かされてしまうのだそうだ、不思議そうに、悲しそうに問いかけたデライアへレヴォが返す。

ジャンク2体のコアがないことに気が付いたらしいレヴォは少し困ったようにアルクを見上げていたが、彼は私の恋人でね、とガーディアンのジャンクを愛おしそうに見下ろすアルクの手前、気になった疑問を言い出す気にはなれなかった。雄彦は薙刀片手に、そんな、どこか穏やかですらある声音のままに語ったアルクを見据えるだけ。



「ふたりは何をしてたの?」


「見回りをしていたんだけれど……さっきの2人を見つけて、私がそれを確認している間にロウがアビリティをくらってしまったようなんだ」


「それは誰から?」


「アルファルドさん」



むっとした表情のロウに、痛かったねと涙ぐむデライアとレヴォ。金平糖の袋がそっとロウに渡された。嬉しそうに八重歯を覗かせて、逆さハートの柄目を歪ませ笑う雛鳥が落ちないように抱え直す。

レヴォが雄彦に耳打ちをすれば、こくりと一度だけ雄彦が頷き話が切り上がる。短いやり取りを何度も繰り返す様子から、仕事仲間としてはかなり高い作業効率を維持しつつ円滑な情報交換が行える最高の環境らしいことが窺えた。



「これから何をするかは決まってる?」


「ううん、なにも」



首を横に振ってキョトンとするロウに、にっこりともう一度笑みを返した。なら一緒に行こっか、と緩い声。

デライアとレヴォはつい数刻前まで、警邏隊本部の最上階でゲームをして遊んでいた。今日は非番でもないのに、こんなことをしていていいのだろうかと不安がるデライアを宥めるのはそこそこの労力がいったはず。

アルクの腕の中から、立ち上がったデライアの腕の中へ移動したロウがもくもくと金平糖を頬張るのを、デライアがにこにこと見守りながら歩き出した。前方をレヴォ、デライア、ロウが往き、その後ろをアルクと雄彦がついていく。真っ白な革靴と重厚な黒のブーツが、時折リズムが被るような形に前へ、前へ躍り出て、前へ足が出る度に響く足音が無機質で冷たい白い街の中に溶けだした。



「……番を喪って辛くは無いのか」



右隣、まるで清廉な水の流れのような、芯のあるしっかりした聞き取りやすい声音が問いかけの形を象って、それからアルクに向かって放たれる。アルクと雄彦は幾度か面識があるが、会話らしい会話は初めてだった。元々どうにも性質が近しくないことをアルクは理解していたし、雄彦が会話を好まないのかと疑るほどに寡黙だったのも相まって、互いに会釈程度の挨拶をするのみだった。

そんな雄彦が、雄彦の方から声をかけてくるなんて珍しい。面白い話が聞けるような気がして、すぅっとその頬が痩けたかんばせに悲哀の表情を乗せてみる。



「悲しいけれどね、私はセンセイでもある……いつまでも引きずる訳にはいかないだろう?」



嘘は言っていない。ガーディアンと引き離されたい訳では無いし、シルマーとガーディアンを引き離したい訳でもない。そも、番が身体を動かせなくなるという意味での不自由な状態に陥ったのはアルクのせいであるし、コアも自分の中にある。

なにか大きな心配事があるわけでもないのだ。

悲しげな表情のままに俯くと、興味を失ったかのように雄彦が無表情のまま視線を外す。この無表情の中から何を考えているのか、どんな心境であるのか勘繰るのは難しい。



「13年前……」


「うん」


「某の番もコアのない状態で見つかった」



13年前と言えば、コアのないジャンクドールがあちらこちらに転がっていた、通り魔事件の黎明期である。夜中に一人で出歩くことはすなわち死を意味していたし、帰ってこないドールを待つドールが増えたことは、鳥籠の中の絶望の色をベンタブラックよりも濃くするのに十分な材料だった。

鳥籠の中は治安があまりよくない。鶉の街や鵞鳥の街でおとなしく、昼間に限って外を出歩くように暮らしてさえいればなんら支障のない平和な暮らしを送れるだろうが、その他のエリアでは十分な安全なんてものは保証されない。



「……それは、痛ましいね」



13年前、雄彦の番もコアのない状態で見つかった。それだけ言って、雄彦はすっかり黙ってしまった。どうやらこれで話は終いらしい。番を喪ったばかりで心を痛めているだろうアルクへの寄り添いなのだろうか。随分不器用なやり方だなぁなんて若干俯瞰するような心持ちのままに、右隣を歩く雄彦をちらりと見やった。

灰茶色のヤギ目が特徴的で、左目を縦に裂くような大きな傷跡もまた一層目を引く老年のドール。老いを拒まぬドールは、この鳥籠の中だと珍しい。所作のひとつひとつが洗練されてこそいるが、アルクのような優雅さ、嫋やかさを持っているという美しさよりも、礼節を重んじてひとつひとつの仕草に真心が籠っているような美しさを備えている。

少々頭が固そうに見えなくもないが、子供への接し方を見るにそこまでの堅物ではないことだけは確かだった。



「ねぇデライア、ロウ。女の子って何でできてるか知ってる?」


「えぇ?女の子、見た事ないよ……?」


「ぼくも見たことないよ、見たことないのにわかるわけないよ」


「ふふ、これはねー、ニンゲンが遺した変なやり取りのひとつなんだよ」



デライアとレヴォは、見た目だけならどちらも15歳かそこらに見える。随分仲が良く打ち解けているのは、きっと双方飛べないドールだからというのが大きいのだろう。ロウもパッと見、飛行能力を備えていそうな翼が見当たらない。

ドールとはたとえどんな形であろうと、どんな具合でニンゲンパーツにくっついていようと、鳥の翼を持っているのだ。



「女の子って何でできてるか知ってる?砂糖とスパイス、それから素敵な何かでできてるの……っていう詩だよ」



3人で遊んだゲームのセリフから派生したらしい話は、随分とかわいらしい内容だった。デライアやロウが把握しているかどうかはいざ知らないが、レヴォはアルクよりも年上で、ニンゲンに関する知識にいたく秀でている。勉強熱心な所は立派だが、時折病的なまでの学習意欲を見せるところが少々おぞましい。

知識欲とは。好奇心とは。学習意欲とは、知恵持ついきものにとって最良の薬で、最悪の猛毒だ。



「ニンゲンの女の子って……な、なかみどうなって……!?」


「えへへっ、比喩だよ、比喩!デライアったら怖がりだなぁ」


「じゃあ男の子はー?」


「カタツムリとカエルと、それから子犬のしっぽ」


「同じニンゲンなのに全然ちがうじゃん!」


「か、カタツムリ……カエル……??ニンゲンの男の子……え、え?」



首を傾げてうなり出したデライアに、またまた笑みが返される。ニンゲンとは血肉でできたいきものだ。カタツムリやカエルや、仔犬のしっぽなんかでニンゲンが出来るはずもない。ニンゲンの極端な詩的感覚は、ドール達からは一部わかりかねる。

白い街をまっすぐ、まっすぐ。西へ。日の沈む方へ。



「じゃあドールは何でできてるか知ってる?」


「んー、黄金とー、翼とー……?」


「あとキラキラした何か!!」


「それはロウが入ってて欲しいものでしょ」



温度の変化もない、天気の変化もない、景色の変化だってほとんどない地下街。全てが悪い方向へ転がるように変化していく地上の鳥籠とは相反して、地下街だけは不変の2文字を具現化したような様だった。

地下街とは、そもそもの話なんなのか。

地上にはない、ロストテクノロジーとばかり思われていた技術がふんだんに使われた高科学力都市であることは明白だが、なぜその技術を地上の修復に利用しないのか。

それはさらにそもそもの話、鳥籠という建造物がなんの為にあるのかということがわからなければ語れない。



「ドールはね、嘘とニンゲンでできてるんだよ」



クスクス、何かを嘲笑ったレヴォが、楽しそうに、穏やかに。

ついてきて。こっちこっち。がんばったこにはごほうびを。
















​───────​───────
















「それでは切りますね。私は今から、哀れなめくらの鳥を目覚めさせなければならないので」



ブツン。トランシーバーの切れる音。

ヴォルガのブーツは炎を吹いたあと、暫く酷い熱を孕んだままだ、熱した鉄の塊を足にはめているようなもの。そして、そんな熱を持った鉄に腕を踏みつけられた鳥が一羽、首を掴まれた鳥も一羽。



「……すみません、私、心配性なもので……こうして時折大好きな部下の声を聞かないと落ち着けないんです」



右手の人差し指がするりと唇をなぞる。淑やかで上品な振る舞いをする指先に反して、その足元は酷く暴力的だった。グググと力が込められる。足元の金色の翼は、ホルホルの翼は青い鎖に彩られて、薄い体は蹴られでもしたのかヒビまみれ。



「離せ、触んなすっよ……!!」


「随分と達者なお口でいらっしゃる……お師匠様のせいでしょうか」



ぎちり、マルクのソレよりも遥かに大きな手のひらが思い切り首を締め上げる。苦しそうな声、焦点の合わない目。ヴォルガのすぐ横に控えたスティアのアビリティで完全に視界を奪われたホルホルとマルクには、為す術が無かった。

地に伏せていたスティアが囮と知らず、怪我人とばかり思って近付いたのが失敗だった。こんなにも足場の悪い地下街二層にいるというのに、足元が一切汚れていないのはおかしいとさっさと気付けていたならば。

今更何を言ったって、たらればの話だ。どうにもこうにもできやしない。自分の判断ミスで仲間を危険に晒してしまったことを悔やむばかり。

ずしん、と重苦しい破壊音が聞こえてきた後方に目線をやる。ホルホル達の応援が来たのかと緑の瞳を細めたが、どうやら杞憂のようらしい。

やって来た影が、自分よりもはるかに大きかったから。



「おや、アイアン。お仕事お疲れ様です」


「ヴォルガ隊長」


「それは?もしかしておみやげですか?」



アイアンがヴォルガの目の前に放ったのは、意識のないクラウディオとニアンのボディ。



「ペンギンのドールともう一体には逃げられた」


「おや、カーラ、梦猫。お疲れ様です」




十数分前のこと。

アンドとカーラによる主導権の奪い合いは最終的に決着がつかなかった。どちらにせよカーラのアビリティでは3分程度が限度なのだ、それまでに決着がつけられないならば主導権を奪われて終いなだけ。

しかしアンドとカーラの能力差に、ひとつ決定的なものがある。アビリティを発動させることが出来るか出来ないかというものだ、カーラのソレは洗脳に近く、彼のアビリティによって変質を起こしたドールのアビリティ発動までもを自由に操作することが出来る。

操作していた梦猫にアビリティを使わせていたことからそれを察されてしまったのは非常に痛手で、アンドは終始ラクリマの瞼を閉ざして操り続けたが為に、ラクリマのアビリティを暴発させることはできなかった。

しかしクラウディオは違う。洗脳が解除される寸前に、クラウディオのアビリティだけは暴発させて機能停止に追いやってみせた。カーラのアビリティは機能停止したドールに作用しないが、同じくアンドのアビリティも機能停止したドールに作用しない。動かなくなったクラウディオのみを回収して、ラクリマとアンドには逃げ仰せられてしまったことをアイアンが憎々しげに報告を。

ニアンはクラウディオやアンドの動きを鈍らせるのに一役買ってこそいたが、あまりに毒素を溜め込みすぎた反動が来てしまっているらしい。しばらくは動けないだろうというカーラの言葉がヴォルガの鼓膜を静かに揺らす。

アイアンが2人を放る仕草は粗雑だった。



「逃がした2体はこの際もういいです。この3体をなんとか使ってやらなくては」


「お前らなんかに使われてたまるかすっよ!!」


「ホントに元気がよろしいんですね」



マルクが口を開く度、踏みつけられているホルホルへの圧が増す。ギシギシ音を立てる黄金でできた体の悲鳴が頭の中に響いてやまないが、ホルホル本人が悲鳴をあげることは無かった。歯を食いしばって、自分の持ち得ることがなかった重みと熱に耐えるばかり。



「こちらの方を見習ってはどうです?ああそうだ、今から何をしようとしていたのか教えてくだされば私は全員殺さず放っておいて差し上げます」



信用するわけがなかった。ホルホルもマルクも真っ暗な視界の中でそう思ったし、ヴォルガの部下であるはずのカーラと梦猫なんかも嘘だなと思うほどには信用がなかった。

マルクは決して口を割らない。革命派にやってくる前は情報屋として動いていたのだ、敵に、ライバルのような存在に情報を渡すことが何を意味しているのか知っている。自分は革命派だ、味方を売るような真似はしない。



「……言ったら本当に殺さないんだな?」



そんな、真似は。



「ホ、ル?」


「…………ええ、お約束しましょう。これ以上の危害は加えないとマザーにでも誓いましょうか?なんならアイアン達にも手を出さないよう指示致します」


「……解放したあと3秒だけ攻撃しない、とかじゃないんだな?」


「ええ、勿論。そうですね、貴方達が地下街を抜けるまでは手を出さないとお約束しましょう。そちらのピンクの髪のドールもです」


「わかったんだぞ」


「ホル!!何言ってるんすっか!!」



ホルホルは医師ではない。軍帥だ。

革命派のブレインとしてその能力を振るってきたのは事実だが、何故ブレインとされるかは。切り捨てが、損得勘定ができるから。情を伴わない、最良の選択が。誰か死ぬことで誰かが生き延びる。ならば、少しでも多く守れるほうを。

連絡通路を伝って浄化扇内部にいけること。そこの金網を外してリーダーを呼び、合流する予定だったこと。合流した後に、レーダーの母機を破壊し、できることならその母機の主を特定することが目的であったこと。ホルホルは何一つ嘘を交えなかった。



「カーラ、そこのトランシーバーを拾って……んん、お師匠様の……貴方達のリーダーの番号は?」


「登録番号の一番上だ」


「ホル!!ホル、なんで、なんですっか!!なんで、っぐうぅう!!んん!!ん゙んん!!!」


「うるさいですよ。カーラ、その番号にこの金髪のドールの声と口振りで上に来るように連絡を入れてください」


「あぁ」



未だに反抗の姿勢を崩さないマルクの口を、ヴォルガの大きな手が塞ぐ。足元のホルホルを押さえ付けていた脚の力が和らいで、呼吸がぐっと楽になる。

これで、これでマルクとクラウディオは助かるのだ。ヴォルガが嘘をついていたならそこまでだが、今この状況で3人とも帰還する方法があると言うならその手を取る他ないだろう。マルクがホルホルを恨めしげに見ているような気がしてならなかった。オッドアイから零れる涙を見ることは出来なかったが、きっと、どうしてと、やるせなさと憤りに満ちた心情のままに声を上げているのだろう。

ホルホルは、1人でも多く助かるほうを選ぶ。クレイルがホルホルを信じたのは、そういう部分を信じていたからだとホルホル本人が知っている。

ぐしゃり、拳を握りこんだらば、青を孕んだ薄汚い土がホルホルの拳の中で形を崩した。















「……わかった、そっちに向かうように言おう。それじゃあまた後で……」



ブツン。トランシーバーの電源が落とされる。

先程マルクから入った連絡に、ルァンが応えた所であった。



「クレイル」


「お、今行く」



気が付いていたか、いなかったかはわからない。ただ、ルァンがそれをクレイルに教えたところでメリットなんかひとつも無いことだけは明白だった。シリルにいい子で待っているよう言いつけて、翼を広げて地を離れる。

センセイといういきものは、嘘つきだ。

遠風に乗って、三本の錦を揺らして、遥か上へ上へと、大きく旋回しながら空へ昇っていく鳥を、ルァンは引き止めなんかしなかった。

日の傾き始めた、橙色の錦が映える青空は、眼に痛いほど晴れ渡って。








​───────

Parasite Of Paradise

14翽─焼身、愛しの森よ!

(2022/03/05_______14:00)


修正更新

(2022/09/25_______22:00)

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