転─暗転

13翽▶雷鳴














手強いアビリティの使い手がいる時は、そこから潰すのが定石だ。アイアンの振り抜いた大剣がラクリマを仕留めんと速度を上げたが、一度ひとたびその目が煌めいた瞬間標的が味方に入れ替わる。

アイアンの高い攻撃力が仇となっていた。味方にいれば強い盾であり、強い矛でもあるアイアンだったがラクリマのようなアビリティ持ちとは非常に相性がよろしくない。味方を破壊してしまう確率が高すぎるのだ。

アンドとニアンが接触してからはアンドも“ 蠱毒 ”の餌食だ、梦猫が戦場に散った羽を、“ 龍の髭 ”で伸ばされた髪でもって回収し、ニアンがそれを食べる。このニアンのアビリティに対しても、ペンギンの翼を持つラクリマは超がつくほどの天敵だった。羽がないのだ、散ったら取り込むも何もあったものではない。



「厄介極まりないな」



カーラが軽く舌を打つ音。

こちらのアビリティが少々力を振るいきれていない上に、革命派ドール3体のアビリティの連携の仕方が何より強みを発揮しているのが痛かった。ラクリマの“ 交換 ”で現れたアンドが黄金を振り撒き、その黄金を浴びてしまうと必ずどこかのタイミングで一瞬自由を奪われる。身体の自由が効かなくなった瞬間に、今度はクラウディオが電撃を浴びせ、引き、また浴びせを繰り返されて。

ニアンの毒が多少なりとも回っているのだから、クラウディオとアンドの身体には少しずつ痺れが蓄積し始めているはず。持久戦になるだろうが、負け戦なのはそちらだとアイアンの動きが一層キレを増した。この場でアンドの黄金をくらっていないのはカーラのみであるし、クラウディオの電撃を受けていないのはアイアンのみだ。



「背後に回れるか梦猫、あの厄介なアビリティの発動条件を確かめたい」


「わかった」



カーラの指示に従って、梦猫が戦場と化している通りの道を外れた。1本向こうの通りから路地を伝って背後に出るつもりらしいその動きを見届けて、カーラはアンドの足止めに専念し始める。

両腕からキラキラと黄金が滴るそれは、一滴でも浴びてしまうと身体の動きが止められてしまうのだ、アンドが“ 傀儡 ”を発動し、アイアンや梦猫の操作を開始するのに合わせて嘘声を叩き込み、怯ませて阻止を。



「やだぁもう耳キンキンする、聞いてらんない」



音波にも似たその声量にビリビリと震える身体をぶるりと揺すって奮い起こし、じりり、ヒールのあるブーツに包まれた足で、古ぼけ腐ったアスファルトを踏みにじるように踏ん張った。

おえ~、とでも言うように眉をひそめて、心底不機嫌そうにカーラを流し見るアンドの瞳と、その言葉に見開かれたカーラの鈍い金の瞳がかち合う。そのまま一方的に、火花が散った。



「聞いてられないだと?」


「うん」


「僕の声がか」


「うん」



前髪のかかった、ハッキリと捉えられない暗い灰紫の瞳がやんわり歪む。にこやかな笑みを浮かべたその表情は穏やかだが、カーラの神経を逆撫で__逆撫でどころの話ではない、美しく、強かなカーラの高いプライドをすりおろし機にかけて、あまつさえそれから床にぶちまけるようなものだった。

カーラにとって最も確たるアイデンティティであり、自己を証明する為の鍵となりうるのはその長身美麗なボディでも、柳眉佳人たる顏でも、灰銀に金の埋もれる上等な細工品のような翼でもない。

声。

形無く、不可視。しかし確かな輪郭をもち、なぞる者の感性によっても表情を変える。聴覚から相手をかどわかすその変幻自在の万華鏡のような声。



「俺はね、俺のことが好きなの」



くすくす、嘲る小悪魔のような笑みのまま、胸元に手を当ててアンドがそう語る。



「だからね、俺を傷つけようとする君の声、好きじゃない。そんなのより、俺が相手を好きで、相手も俺のこと好きな人達の声の方がよっぽど聞き心地がいいと思うなぁ」



ねぇ、君もそう思わない?

そう問いかけでもするかのように、ふんわりと髪を揺らして目の前の、紫苑を孕む黒い鳥が首を傾げた。

俺は、俺のことが好き。

アンドの言葉がカーラの中でリフレインし、ゴウンゴウンと脳裏を叩く。あまりにもハッキリと脳内でそのフレーズが繰り返されるものだから、まるで鏡と鏡が向かいあわせで話し合っている間に挟まれているかのよう。気が、違ってしまいそうだ。



「その言葉」



まぁ、気なんてとっくの昔に違ってしまっているのだが。



「後悔させてやる」



鈍い金が、当たりを支配する薄闇の中に僅かに残った光を独り占めしてしまったみたく輝いた。翼を広げる。瀟洒な衣装がその動きの余波に揺らされ、カーラをオペラか何かの歌劇の主役のように見せていた。

息を吸う。

草臥れて湿った地下街の空気は喉に悪そうだったから、あまり吸いたくはないものだ。しかし、今のカーラにとってはどうでもいい。この場の全員物にしてみせろ、声を張れ。“ カーラ ”にはそれができる。


ラクリマの背後をとるべく通りを抜けて、回り込む形で今一度その場に近しいポイントをとった梦猫は正面から見るような状態でカーラの歌を耳にすることとなった。

つい昨夜、少々語気の強いその優しさに救われたばかり。きっとカーラにとってそれは些細なことなのだろうが、梦猫にとっては正しく青天の霹靂だった。昨夜のこと。猫を埋めながら、ぽつぽつと話しあった等身大の影を思い起こす。




『鏡が嫌いなんだ』


煌びやかで瀟洒な雰囲気を纏うカーラが、ほんの少しだけ思い詰めたような声色でそう零したものだから。不思議に思うような心地でその顔を見上げたことをよく覚えている。カーラの表情はいつも通りの気の強そうなものだったが、声だけは少し揺れていた。

震えてはいない、揺れていたのだ。筆舌に尽くし難いそのわずかな差異をなんと呼べばいいのか、梦猫にはわからなかった。自分の持つ意識の定規を必死に当て嵌めてみて、これ、とはならずとも近しいと思える言葉で表すならば。劣等感だろうか。

こんなにも強かで美しいカーラが鏡を嫌っているなんて意外だった。鏡に映るカーラはきっと美しいだろうなと梦猫は思う。ドール以外の生き物で例えるならば、アルビノのような色合いをしている梦猫が陽を浴びてきらきら輝く姿は綺麗だとカーラは言ったが、陽の光を浴びて輝く光景が似合うのはカーラの方だとも。

陽の光よりも月光が似合うかもしれないが、何にせよスポットライトを浴びるに相応しいのはカーラだろうと、そんなニュアンスの言葉を返した。そこから黙りこくったカーラが、暫くのの後に零した言葉。

鏡が嫌い。

どうして。

梦猫にはわからなかった。

今目の前で七色に揺らめく旋律を奏でているドールは、見目も、能力も、全てを兼ね備えているように見えるのに。それでも足りないものがあるというのだろうか。

薄暗い地下、スポットライトなんてない。カーラの独唱が始まる。嘘声によって巧みに色音を変えるその御業の真髄たるや、ただの声帯模写などではなかった。


カーラのアビリティ、“ 声連 ”。

カーラは第5期ドールだ。

その唇から紡がれる特殊な歌声でもって自身のシグナルを一時的に強化し、他個体に対して強力な干渉能力を得るといったもの。

嘘声と同じ要領で操作された、複雑な音域を完璧に調律した特殊な音波をただの声に乗せれば、聞いた敵対ドールの処理能力を混乱させ、1分前後の深刻な麻痺を。

更に複雑な制御が要されるものの、歌に乗せれば3分間程度は歌を聴いたものを自身の傀儡にできる。催眠に近いソレはカーラ自身に全く害がない。しかし要される制御能力のレベルは、他のアビリティよりも遥かに高かった。


頭の中をグチャグチャにしてくるような、複雑怪奇な感覚とは相反しその歌声は実に麗しい。正にセイレーンの如し、聞くものを惑わす魔性の讃歌。ぐるり、身体がグチャグチャに、かき混ぜられて虚空に放り出されるかのようなそこはかとない不安感があるというのに、それもどうでも良くなるほどに心地いい。



「う、うぁ」



余りの倒錯感に、ついついニアンの声が零れた。ぐわん、ぐわん、頭が揺れるよう。ラクリマの視界がぼんやり霞んで、クラウディオの足元がふわふわとしだした。ニアンも、梦猫も、アイアンも、カーラの歌声の元では傀儡に過ぎない。



「……やっぱ、耳障り」



耳を塞いでいた手を離して、それからぼんやりとした紫の瞳が持ち上がる。アンドの手が見えない糸を手繰るように引かれて、妙な動きを始めたラクリマ、クラウディオを操作する。



「っんん……驚いたな、僕の歌を聞いてまだそんな事を言ってられる奴がいるなんて知らなかったよ」


「あは♡しょーじきヒヤヒヤしたよ?」




ぎち、ぎち、糸で雁字搦めになった人形が糸と糸の合力に耐え兼ねるように、その2体以外のドールは微かに震えていた。



「でも俺、絶対“ 死にたくない ”から」


「物騒なこと言うんだな。僕の歌で死んだりはしない……僕が手を汚すことはないのだから」


「うわ、ずるぅ~い……」



方や、黄金を媒介に不可視の糸を操るドール。方や、歌声を媒介に不可視の糸を操るドール。もはやこうなっては、他者操作系のアビリティ同士がぶつかり合ってしまった以上、シンプルな主導権の奪い合いだった。


何故、アンドにカーラのアビリティが効かないのか?

第5期ドールのアビリティは強力である。望みを受けて自身のコアを媒介に、周囲のドール、機械、果ては物理法則にまで干渉して、何もかもを捻じ曲げるようなその規模の大きさは尋常ではない。くらえば一溜りもないようなそのアビリティが効かないだなんて、そんなこと、かける側のアビリティの主からすれば厄介極まりないのだが。

これは、黒いファイルの内、ホルホルが読んでいた“ 製造方法 ”の中身に触れるもの。

かつてのドールは“ 心 ”を持たなかった。正確には、持っていたが、無かったことにされた。心を持っていたら、ニンゲンの指示に従わない可能性が高くなる。シンギュラリティを起こしかねないのだ。

技術的特異点シンギュラリティ。機械反乱。ドールを道具として扱っていた当時のニンゲンからすれば、絶対に避けたいリスクのひとつ。コレを退ける為に、ニンゲンは情動系神経回路のアンチシステムをドールへと付与した。マザーは何故これを是としたのかわかりかねるが、これによって、かつての、ニンゲンと共にあった頃のドール達から、“ 心 ”は永遠に失われた。

しかしそれはかつての話で、今を生きるドール達には“ 心 ”がある。当然、各々のドールに個々の意思が存在し、性質、性格、気性、相性の善し悪しが大きく出るのだが。第5期ドールのアビリティの効果範囲は、それによって、“ 心 ”によって大きく左右される。

相性が良ければ効果は強く出るし、相性が悪ければすぐに変質が解除される。被アビリティドールとそのアビリティを発動したドールの性質が、根本が、近ければ近いほど、効果が働きにくくなる。

アンドとカーラは互いに相性が悪く、その上根本的な“ 心 ”の性質が酷く似通ったドールなのだ。カーラはアンドの黄金を浴びていないが為に、今はアンドから操作をしようとすらしていない。しかしきっと、アンドがカーラを操作しようとすれば失敗に終わる。逆が上手くいかなかったように。


閑話休題、カーラの“ 声連 ”による傀儡操作は3分がタイムリミット、対してアンドは無制限。されど腕から溢れる黄金は中々止まらず、失血によるエネルギー不足で倒れるのがいつだかわかったものでは無いから、悠長になんてしてられない。

アビリティを使用して、エネルギーを使えば使うほど、ドールの黄金はサラサラとした、水っぽいものに変わって止血が困難になっていく。傷の開いたままにアビリティを使ったら?当然、その内体内の黄金が枯渇して、エネルギー不足で機能停止。時々刻々と迫るタイムリミットに冷や汗を浮かべながらも、アンドが意識の無いラクリマのボディをバックステップで退避させて見せた。

ラクリマはカーラの催眠とアンドの操作を同時に受けているのだ、身体を操作するのは安易ではない。アンドが少しでもクラウディオとラクリマから意識を逸らしてしまえば、すぐさま主導権を奪われて、自死のような動きを始めてしまうだろう。

絶対に殺させない。

無理に応戦するよりも、一旦ここで退いた方がいいだろう。誰にも壊れて欲しくなんかないし、誰にも“ 死 ”を迎えて欲しくない。アンドの死生観と、それに基づく信念は強固だった。

カーラの操作するドール達の中でもっぱら危険視すべきは、巨躯と、それにものを言わせた破壊力を保持するアイアン。ニアンはほとんど前線向きではないし、カーラ本人は催眠操作に集中力を割いている。

ああ、白い髪に赤目の小さなドールはどこだ?


ひゅる。


絶え間なく張り巡らされた緊迫感という名の死線を掻い潜ってきた針のように、小さく風を切って、細いみずちがその耳元を切り裂いた。

僅かに身体をよじって、どんな傷でも致命傷になりかねない頭を守ったアンドの右耳に大きな切れ込み。飛び道具を扱う暗殺者のような動きの梦猫にも注意を払わなければならない。

梦猫についた自身の黄金を媒介に、その三つ編みの軌道をズラしてカーラの方へと向けさせた。負けじとカーラも梦猫の動きを制御し、主導権の奪い合いが拮抗して動きの鈍ったボディを退避させる。



「きっつぅ……!!」



冷や汗。ぼたりと、薄汚れたアスファルトに落ちたそれを気にしている暇なんてない。振るわれるアイアンの大剣を“ 傀儡 ”で押しとどめ、距離を開けるべく翼を使って後退を。

ジリ貧。しかし、ここで踏ん張らなければ。

薄暗がりでぎらぎら光る、相対する鳥をまっすぐと見据えて。今一度深く空気を吸い込むと、ぎゅっと拳を握り込んだ。















​───────​───────
















「おおー!明かりでござるよ!!助かったでござる、助かったでござる!!感謝ッ……!!圧倒的感謝ッ……!!」



ぽっぽを連れたガーディアン達一行は、地下3層へと続く階段の前へとやって来ていた。地下2層が薄暗く陰鬱、その上青でまみれているのに対して、長く広い階段の向こうに広がる世界は白く、穢れひとつなく美しい。美しいが、酷く無機質だった。



「奥に人も見えるでござるよ!」


「目がいいんですね」


「フヒヒ、これ伊達メガネですからな!拙者はとてつもなく視力がいいんですぞぉ~、てぇてぇやり取りを見逃す訳にはいきませんからな!」


「伊達、流行ってるのかねぇ、俺も伊達メガネなんだよ」


「へぇ、それ伊達だったんですね、知らなかったです」



ガーディアンはすっかり会話に参戦するのを諦めているらしい、コミュニケーションの全てを完全に弟とアルファルドに任せて、少々急ぎ足のままに仰々しく長ったらしい階段を降り始める。3段ほど降りて、飛んだ方が圧倒的に早いと判断したらしい。その大きな二対四翼の翼を広げ、強めの風圧を起こしながら羽ばたき下降する。

ガーディアンの起こした風でふわりと髪がなびいたことで、兄が下に降りたことを察したシルマーも後を追った。順繰りに降りてくるドール達を出迎える、無機質で雪のように無垢な白。



「結構人がいますね、兄さん」


「あぁ」


「上はあんなに人がいなくて真っ暗だったのに不思議でござるね。鳥籠は未だに拙者達の知らない謎で満ちてて、こう、ロマンをくすぐられますなぁ」



一番謎なのはぽっぽのアビリティだろうが、そちらはこの際黙っておくに越したことがない。

確かに鳥籠は謎で満ちている。ドールという種族は何年、何十、何百年とそのくらいの規模の年数を鳥籠と共にしているというのに、理屈や構造については謎の部分が多かった。地下街だって、こうして実際に目にする今日この時までは都市伝説だという話の方が信憑性が高かったのだ。



「けどこれでハッキリしたねぇ、下水道とかの処理はどこでやってるのか……インフラの処理なんてもっとずっと発展した地下でやればいいんだから。地上のどこにもそういう施設がない理由がわかったよ」


「電気とガスはどうしてるんでしょうか?」


「……それもここじゃないのか」



高い、白い、明らかにニンゲンが暮らしを送る為の施設ではないだろう建物が並ぶ空間をざっと見渡す。

確かに奥には半径300メートルはありそうなほどの何に使うのかもよくわからない太いパイプが聳え立っていたり、一体どこの塔が何の役割を果たしているのか全く分からないほどに同じ見た目の施設ばかりが立ち並んでいる。この中のどこかに、発電設備やガスの供給設備があるのかもしれない。



「知れてワクワク!なところもありますが、ちょっと残念なのもあるでござるなー、“ 賢者の石 ”伝説みたいなロマン溢れるものを期待していた節がオタク達にはあったというのに……ヤベ、また主語デカくなったでござるよ」


「“ 賢者の石 ”伝説?」


「お、興味あるでござるか!」



単語をオウム返ししたシルマーに、ぽっぽがちょっと表情を晴れやかにして語り出す。


“ 賢者の石 ”伝説。

文献によって話の中にズレは生じるものの、大体ははるか昔、ニンゲンの残した錬金術の逸話におけるキーストーンのことを指す。

卑金属__毒された金属を貴金属に変える力をもつと考えられた架空の物質。金属からも毒を抜けると言うのだから、したがって人体に対しても病気治療や、不老不死の効果があると考えられて、太古の昔、錬金術師を名乗るニンゲン達が熱心に探究を重ねていたという。



「遺された本の内容によっては変わってきてしまうんでござるが、万物を黄金に変えたり、なんでも……そう、例えば土を水に変えたりとか、そういう力もある!らしい!」



万物を黄金に。

土を水に。

物理法則を無視していて馬鹿馬鹿しいなんて考えが、少々石頭気質のアルファルドの脳裏を過ぎった。しかしそれを言ってしまえば、ドールそのものが物理法則を無視している。

共通点。超次元的な話だが、些か共通点が多すぎるような気がしてならなかった。ドールの身体を作る黄金は、ほとんど無限のようなものだ。地上での取引価格は、少なくとも自分たちが生まれてから一度も変動したことがない。安定しているからこそ通貨としても使われているのだろうが、だとしたら、減ることも溢れることも無いその無限の黄金は何処から?

それからカコウジョ。倉庫にしては大きすぎるが、工場と呼ぶには小さすぎる奇妙な灰色の直方体。機械を少し操作しただけで、それこそ無尽蔵に湧いて出てくる食料や飲料水。あれは、何処から。

“ 巣箱 ”は?巨大な白い直方体の、外から見ただけでは出入口がどこかも分からないような建物の中から何十年、何百年と、欠かされることなく送り出されてくる雛鳥達は?

かつてニンゲンが求めたという永久機関に近しいその構造、環境が、鳥籠の中にはあった。



「ねぇ、ドールの製造方法について書いてあったファイルって今どこにあるかな」


「ひみつきちの、全員がいた部屋だ」


「そう。それ全部読んだ?」


「ホルホルが読んでたから俺は読んでない」



ガーディアンが読んでいたのは構造に関するファイルだ。製造時期やそのプロトタイプに関する情報ばかりで、作り方に関してはこれと言って記述があるわけでもなかった。



「それじゃ!拙者はもう明るい場所まで送ってもらいましたがゆえ、あとは他の、道行くドールに話を聞いて自力で解決するでござるよ!」



かたじけない、この御恩必ず!と、弾けるような高く太い声がかけられる。高いヒールで、器用にぴょんとリノリウムのような質感の地面を跳ねて、ビシッと3人へ敬礼を。あはは、面白い人ですねぇガディ兄さん、とニコニコ笑うシルマーだけがぽっぽに対して手を振った。

嵐が去ったな、なんて似たようなことを考えているガーディアンとアルファルドも、そのゴスロリワンピが視界のはるか彼方へ消えたのを皮切りに、先程までの嵐について深く考えることを取りやめる。ぽっぽはヒールだと言うのにワケがわからないほど足が早い。ほんの数十秒で豆粒のような後ろ姿になってしまった。というか翼があるだろう、飛ばないのか。スカートのせいなのか。

“ 賢者の石 ”伝説。万物を黄金に、元素すらも思いのままに。枯渇しない黄金、無限に湧きでる食料、全身黄金でできたつくりもの。無関係、だろうか。思わぬヒントになるかもしれないなんて思いながら、黒縁メガネのブリッジを、中指の腹で押し上げた。



「にしても本当に真っ白ですね」



階段をおりる前、明かり代わりにしていた襲槍をノールックで廃ビルにぶん投げたシルマーの衣服はかなり白い。金縁の装飾が施されている分輪郭はわかりやすかったが、かなり白飛びしていて、薄目だとどこにいるかがはっきりしないほどだった。この地下3層、少々明るすぎる気がしなくもない。

硬い質感の足の下は、地面と言うよりも床という方が合っている気がした。全面床張りの、超巨大な施設。そこはかとなく人為的な雰囲気を纏った空間。探索目的に駆り出されたとはいえ、いくら何でもここを調べきるのは無理がある。少し歩いて出口になりそうな箇所がなければ引き返そうと、その場で指針がサッと纏まる。

シルマーはガーディアンの言うことをうんうん頷いて素直に聞いていたし、アルファルドも面倒なのかなんなのか、抗議してまで反発するようなことは無い。シリルやクラウディオ、手のかかる部類の小さな__シリルは20歳であるが、まぁ、手のかかるドールを任されてきたことの方が多かったガーディアンにとっては少々有難かった。



「あ、ガディ兄さん!」



ぱっと振り返ったシルマーが、正面先を指差した。



「ほら、正面!アルクですよ」



ガーディアンからは真っ白で何も見えない。アルクも白飛びしていた。シルマーは相当遠くにいるらしいアルクをどうやって見つけたというのだろう。

仮面の奥で眉間にシワがよって、ようやっとその輪郭を捉える。白い衣服に白い髪、加えて白い翼を持ったドールは、本当にこの風景に消えるように溶け込んでしまって見つからないのだ。アルファルドが軽く声をかけて、一本向こうの通りへ外れる。

まだ裏切ったことを悟られていないかもしれないのだ、行動を共にするよりも、隠れて様子を見ていた方がいいに違いないだろう踏んでのこと。



「アルクー」



手を振ったシルマーと、小さく手を振ったガーディアンに気が付いたのか、ほんの少しその人影との距離が縮まる速度が早まった。よくよく見ると足元に、小さな、白い妖精のようなドールを連れていた。

淑やかで、それでいて軽い足取りのままこちらへやって来た2体のドール。アルクとその足元で、神父服の裾に縋るような姿を見せるロウだった。



「ガディ、シルマー。よかった。その後変わりはないかな?」


「特に変わりはない」


「私も変わりありません。その、ガディ兄さんとのこと、なんとお礼を言ったらいいか……本当にありがとうございます」



深深と頭を下げたシルマーに続いて、少々浅めではあるがガーディアンも頭を下げた。よしておくれよ、とほのぼの笑って手を横に仰いだアルクが、シルマーを見やってくすくす笑う。



「ハメをはずしても構わないとは言ったけど……まさか、聖堂を吹き飛ばしてしまうとは思わなかったよ」


「すみません」


「大丈夫、きっとそういうのもいい経験になるよ。それに、面白いだろう?ちょっとビックリしてしまったけれどね」



アルクの足元にいたロウが、ガーディアンと距離を置くようにそっと離れていってしまって、それからタタタッと、建物の陰に消えてしまった。

ごめんよ、さっきそこで合流したんだけれど、あの子は黒くて大きいものが苦手で、と困ったように笑うアルクに、ガーディアンが小さく頷く。ロウは確かに怯えきったような表情をしていた。

どうしてあそこまで黒く大きなものを怖がるのかはわからなかったが、あからさま怯えられていて、相手がそれに自発的に対処したというのだからそれを咎める理由はない。


アルク、シルマー、ガーディアンの3人は、往来にほとんど人が居ないのをいいことに、ほんのちょっぴり談笑に興じた。緩やかな時間を過ごすのは嫌いではないし、せっかく会えたのだ、粋な計らいをしてくれたアルクに、もう少し感謝の気持ちを伝えたっていいだろう。

通りに顔を出せば3人のドールが良く見える位置の、建物の陰に寄りかかる。こと戦闘能力に秀でたシルマーと防御系統のアビリティをもったガーディアンの2人であるし、相手がアルクだったというのも相まって、アルファルドは少し肩の力を抜いていた。



「それで、これからもきっと……争いは激しくなると思うんだ」


「そうだろうな」



遠くから響く、たまに途切れる声を聞く。

持ち上げた左手を明かりに透かしてみたが、当然、グローブが嵌っているのだから内側のたからものを見透かすことは出来やしない。真っ白な、一面光のような世界に目を痛めないよう目を細めた。



「私は心配で……君達二人が、また離れてしまったり、ガディを失うようなことがもしあったらと思うと……」


「アルクは心配性ですね」


「この歳になると経験してないことの方が少ないからねぇ、考えうる可能性が増えてしまって……」



困ったような声。穏やかな声。



「私は考えたんだ」



どうしたら2人“ が ”ずっと一緒でいられて、2人“ と ”ずっと一緒にいられるか。

白い白い世界が、ちかり、強く強く閃いたような気がした。



無音。



静かだった。最期を贈るにしては異様な程で、あっけなく。無音の雷鳴が白いいかづちを落として、罪なきものにも裁きを落とす。



「あ、るく」



名前を呼ぶ声。自分の頭よりも低い位置に座したガーディアンのそれを、そっと両手で包み込む。



「大丈夫、もう君達を引き離したりはしないし、私とガディは文字通りの一心同体だよ」



アルクのアビリティ、“ 白虹 ”。

非活性状態である白光を活性状態にし、全てを圧縮して作り出した、熱持つ光の裁き。文字通り、正真正銘の切り札。

高エネルギー体となった白虹の熱は凄まじく、突き刺さった物の傷口や表面を焼き焦がす。小さな傷を負わせて少しずつ削るにしても相対するドールの失血死を防ぐことができ、一撃で相手を仕留めるにしても申し分ない破壊力。同時に出現させることのできる白虹は6本まで。シルマーの完全上位互換アビリティだった。


きらきら、じゅくじゅく、白い世界のせいで可視化も難しい眩い白が、ガーディアンの腹を貫いている。シルマーはすっかり首を落とされてしまったらしい、黄金ひとつ散らさぬままに白のリノリウムに伏せていた。

“ 白虹 ”の熱のせいで傷口が酷く焼けていて、くっつけて直すこともままならないだろうことが伺える。焼けて塞がったものだから、黄金が滴ることもなかった。

白虹貫日。愛しいドールの、日をも貫く白い虹がなんの前触れもなく自身の腹を貫いたのだ。

アルクは、面白いことが大好きだった。センセイとして雛鳥達を優しく導いて、その雛鳥達が不条理の中で愉快なまでに藻掻く姿を楽しむ程には“ 面白い ”ことが大好きだった。センセイになったのは。センセイになった理由は。その方が都合が良かったから。

気付いた頃には物事を俯瞰して見ていて、ルールも人徳も無視して動き回るチェスの駒にはしゃぐようにしながら、鳥籠の世界という無茶苦茶な盤面を楽しんできたのだと思う。自分は客席に座っていると信じて疑わないその愚直なまでの高慢さに、誰も彼もが騙された。



「観客席に1人きりは寂しいだろう?私とずっと一緒にいておくれ」



俗的にヤンデレと呼ばれるような性質でもなんでもない。ただ、自分の望む方向へ、もっと面白い方向へ舞台が進むというのなら、ステージから気に入りの役者を引きずり下ろすのも厭わない。ただ、それだけ。



「愛しているよガディ」



つらつらと並び立てられるアルクの、自己満足地味たソレへ言葉を返す者はいなかった。白虹がふわふわと小さな粒子に変わって散っていく。

ガーディアンと付き合ったのも、面白そうだったから。愛していたのは本当だ。きっかけがこんな物だっただけで、心の底から愛していた。アルクはこの兄弟から、充分面白いものを見せて貰った。引き裂かれていた仲を取り持った。それではそろそろ舞台から降りてもらおうかと、自分の手元に来てもらったまで。

レヴォとの談義で得た情報。鳥籠は間もなく、“ マザーの加護 ”を失って次々崩れていくだろうこと。激化した革命派と永朽派の抗争によって大通りや聖堂は滅茶苦茶になってしまったし、青い草はあちらこちらを蝕んで、アスファルトの大地は東西問わず地下に落ちている。不条理の権化のような鳥籠の中、知らぬところで愛する者が死んでしまうよりも、隣で、面白いと思える最高の瞬間を望んだ方がいいと思った。

それだけ。


長い年月を重ねたドールほど頭がおかしくなっていく。元より生命体として心を持つニンゲンですら、周囲の環境によって、あるいは自身を苛む劣等感や負の感情に押し負けるソレを持て余しているというのに、一体どうしてつくりもののドールがそれを完璧に制御してくれよう?

理不尽な環境で生きる中に現れた歪みは年月を重ねる毎により歪になって、やがてその大きなヒビや歪みすらも自身として容認し、一個体として生きていく。

そうしていく内に、自分がおかしいことにも気付かなくなっていく。ドールとはつくりものであったが、その本質はニンゲンと大差なかった。


キラキラ光る白い光が辺りに満ちて、限界を迎えたボディからコアがこぼれ落ちるのを、痩せこけたドールの手のひらが掬う。服の内側から穴の方へ落ちてきたそれは、白く、眩く輝いていて、アルクのために誂られた上等の真珠のようだった。

シルマーの方は首しか飛ばされていなかったものだから、身体の方は無傷だ。白虹でするりとその胸元を縦に一直線、傷口が焼けてしまってはコアが取り出しにくくなってしまうからと、細く細く入れた切れ目を優しく解くように開いて、ぱかりと開いた金の棺の中から、もうひとつコアを取り出した。

短く切り揃えられた爪を彩るように黄金が滴る。



「……飲み込むんだったっけかな」



その場の雰囲気に似合わない、穏やかな声を聞いていた。

嫋やかで、永朽派一派の中でも尊敬と信頼をかなり集めていたはずの、神父然としたドールが、愛しいと謳った相手を食っている。

ドールは見かけによらない、恐ろしいいきものだということをアルファルドだって知っていた。だからといってここまで極端なものを想定できる程ではなかったが。年下だと思っていたドールが年上だったり、年上だと思っていたドールが年下だったり、人と離れられないと思っていたドールが自分の元から離れていったり。つくりものだからこそ、偽り放題のいきものなのだ。

どうすべきか。持たされたトランシーバーを使うにしてもここで使えばバレるだろう。ガーディアンとシルマーは手遅れだ、自分だけでも離れるのが正解だろうと、踵を返す。

とん、と足元に軽い衝撃。



「どこに行くの?」



にっこり微笑んだその顔。背後に立っていたロウにぶつかったのだ、ドッと、無いはずの心臓が跳ね上がる。



「ぼくね、シエルさんと見回りしてたの!いっしょにくる?」



黒くて大きなものが苦手だったはずのロウがこうして話しかけてくるのは珍しい。黒く大きなものを忌避している彼が比較的柔和に話しかけてきたのは、恐らく、肩にかけた白灰色の外套で緩和されていたからだろう。



「シエルさ__、ぁ゙?」



“ 加重 ”。ぐしゃり、膝から崩れ落ちるように、小さな白いドールが地に伏せて咳き込む。

ほとんど反射だった。あんな力を隠し持っていたアルクを呼ばれてはたまったものじゃない。身長の低いロウからではうまく見えなかったのだろうが、身に付けていたクレイルの羽をアルクに見られてしまえば寝返ったこともすぐバレる。アルクはヴォルガにとってのセンセイでもあったから、この羽が誰のものかなんて、きっとすぐにわかってしまうだろう。

10倍の重力に潰されて、呼吸も、悲鳴もままならないまま悶えるロウを、脚で跨いで通り越し、翼を広げてその場を後にした。もう何も構うことは無いのだ。



「ぅ、あ゙!?なんで、ぇッ……!!」



ぎち、ぎち、大きな獣がのしかかっているかのような重圧感に、ロウの愛らしい身体が悲鳴をあげる。

ロウにとって、キラキラした綺麗なものが壊れる瞬間というのは至福のひとときであったが、今回ばかりはまた違う。被害をこうむっているのは他の誰でもない自分自身なのだ、悠長になんてしてられない。



「痛い゙っ、い、」



ぽろ、ぽろ、涙が溢れて、視界に唯一入る手のひらに段々と広がっていくヒビを見ていた。

ロウはこどもだ、痛ければ泣く。傷つけられれば悲しむ。しかしロウは、“ ロウ ”というドールは、その悲痛な心よりも何よりも、怒りに似た何かが溢れる方が早かった。



「ロウ?ああ、いた、こんな所に……」


「しえ゙るさ、く、るしい!!なん゙、とかして!なんとがしてよぉ!!」



呼吸するのも精一杯だろうに怒鳴り声を上げたロウの姿に、困ったような表情を。アルクではロウのこの状態をなんとかしてやることは出来なかった。なんとかしてと言われても。

誰にやられたのかな?と極めて冷静に問うてみたらば、あるふぁるど、と憎々しげなこどもの声が返ってくる。

アルファルド。何故?警邏隊のドールの中でも命令に忠実で、何かに強い執着を見せたりなんかはしなかったハズのドールだ。こどもに手を上げるようには見えない。どうして?どうして君がそんなことをしたのかな。アルクのそこはかとない、留まることを知らない好奇心が顔を出す。

笑みが止まらない。愛しいドールの望みを叶えて、叶えてやった望みも丸ごと手中に収めて、これからは3人で、面白いものを見ていられると思うと、楽しくて楽しくて仕方がなかった。



「ふふふ」


「なに、わらってるんだよぉ、ぅ゙、っぐ、ぼくのことばかにしてるの!?」


「ああ、違うよロウ、どうか気を悪くしないでおくれ……」



アルクはセンセイだ。

自分は最後まで、最期まで、教え子と称して誘導しみちびいてきたドール達の人生舞台を特等席で観劇できる免罪符を持っている。そう信じて疑わない、自分の声こそ神の声としてみせた、巫覡がうっそり微笑んだ。

















​───────​───────
















「コーンポタージュ」


「じゅ?じゅ……じゅ?なぁ、その、ちっちゃいやとかちっちゃいゆが入る言葉で終わりにすんのやめね?ジュース」


「スパンコール」


「またルかよ、ルもやめようぜ、出すぎだろル」


「シリル、クレイル、ホルホル、人名が出る度にルも出ているからねぇ」


「あ!ルァン!」


「んがついたね」


「はぁ………………俺は苦手なんだよこの言語が!」


「今出てきていた単語は殆どが元々ニホン語ではなくエイ語と呼ばれていた言語からできた単語だったはずなんだけど」


「クソ、もうむり、らんせんせい、頭いい、もうやめだ」


「なぜカタコトになってしまうかな」



地上待機組は暇を持て余していた。マルク達が浄化扇に辿り着くまで何もすることがないのだ。ルァンだけは持ってきていたらしい黒いファイルの一部を黙々と読み進めていたが、集中力の続かないシリルと日本語の読み書きがほとんど出来ないクレイルは早々に根を上げてしまった。

隣のリーダーは最早ぎっしり文字の詰まったそれに、ファイルに触るのも嫌なのか手をつけようなんてしないし、シリルは何が面白いのか分からないが、目の前の川から拾ってきた石を片っ端から縦に積んで、賽の河原の石積み地獄をセルフで延々とやっている。



「話を変えようか?」


「……そうする」



ぐったりと、大通りの端っこにあったベンチの上で背もたれにぐんと首を伸ばしバテてしまったドールに、話題の転換を持ちかけた。朝早くから活動しているドール同士、早朝は互いに言葉を交わしたり、文字の読み書きを教え合ったりなんかしていたが、雑談のような話をしたことはほとんどない。

辺りに人は見当たらない。シリルの立てた河石の塔だけが風を受けて揺らいでいる。鳥籠の中の平和のように、グラグラしていて、妙で、不安定な石の塔。



「…………12年前……」



ルァンの、薄い紅で彩られた唇がそっと過去を紡ぐ。隣からちゃり、と軽い金属音がした。クレイルの、右耳にしか下がっていない真っ赤なピアスが揺れる音。



「シリルのアビリティが発現した時のことだけれど」



ゆっくり首を回して視線をやったら、陽の射さぬ晴天がじっとルァンを見据えていた。暗緑色の中に浮かぶ月のような瞳とソレがじっと交わる。

ルァンはシリルのセンセイだった。シリルが保育所を巣立つまではセンセイとして面倒を見ていたし、脱走癖の凄まじかったシリルを回収しにいったりなんかもしていたほど。

シリルはよく、というかもう暇さえあれば、ほとんど毎日と言って過言では無いほど頻繁に保育所を脱走していた。脱走して、向かう先はいつも決まって飛行競技場。アクロバットフライトのレースがある日は、もう必ず、毎日。

クレイルにも覚えがあった。観客席、一番手前の一番奥、一番最初の急コーナー前。ストレートフライトのレースにおいてはほとんどハズレの席だと言うのに、アクロバットフライトのレースの時は最高の特等席に変貌を遂げるその座席。2年間、ずーっとシリルの席だったそこをよく覚えている。



「覚えてるかい?」


「そりゃもちろん」



12年前。レース終わりに、クレイルは一度死んだ。正しく言うなれば、シリルがいなかったならば死んだも同然の大怪我を負うような事故にあった。倒壊したビルに巻き込まれたのだ。



「アイツがいなかったら俺はここにいなかっただろうな」



石の塔に自分の翼をひっかけて、ドミノ倒しよろしく、努力も時間も水の泡になってしまった惨状を作り上げているシリルを眺めたクレイルの視線は、横顔は、まるで親。

うっとりしているようにも見えるが、どちらかというと眩しさに目を細めるような、そんなしあわせそうな、愛しげな眼。

起動してから8年。8歳になるまでアビリティを発現していなかったシリルは、倒壊したビルからクレイルを守る形でアビリティを発現させた。鉄骨で滅茶苦茶にひしゃげてしまった翼も、ぐちゃぐちゃに潰れてしまった手足も、小さなシリルが引き受けて。左半身が大破したシリルを直したのは、守られたクレイルだったと言う。

シリルの翼は元々かなり重厚で空を飛ぶのには向いていなかったが、この大怪我をきっかけに、とうとう空を飛ぶことは出来なくなった。いくら元々飛べないようなものだったからと言われても、こどもから空を奪ったという罪悪感はあったのだ。ぐっと、ほんの少しだけ悔いるような表情。



「俺はさ、シリルが……シリルだけじゃなくて、ドールがドールらしく、ソイツにとって最高の幸せを掴める世界が見たい」


「……それと、鳥籠解放に動きだしたのとは何か関係があるのかな」


「ははは」



背後の惨状に気が付いたシリルが、あーっと声を上げて、それから顔を覆ってごろんと地に寝そべってしまった。馬鹿みたいに高い真っ赤なヒールで覆われた長い脚をじたばたさせて、あーあーあーあーとサイレンのような声を上げて悶えている。

チラッとこちらに抗議じみた目を向けてきたので、ルァンとクレイルは軽く手を振るだけでそれを諌めた。



「ドールのこれからに……アイツのこれからに、アイツらの未来にさ、こんな檻いるか?いらねぇだろ」


「あれが、私達を守っているものだとしても?」


「いらない」



即答されて、ルァンの瞳がすうっと細まる。ルァンだって革命を謳うドールだ、あの巨大な格子を取り払うことを、手段か目的はわからないが、兎にも角にも目指していることは確か。

守っているものだとしても取り払いたいと願っていることには変わらなかったが、クレイルのソレは熱量が違うような気がしてならない。



「俺はさー先生、導きたいんじゃなくて、支えてやりたいんだよ」



ルァンと、クレイル。

どちらも、聖人の前に現れて、成功と幸福をもたらすという架空の瑞鳥に酷似した2体のドールだ。されどその間に漂う空気は、剣呑でも、穏やかでもなく、ただ未来永劫歯車が噛み合わないかのような、妙で異質なもの。



「俺は“ 誘導 ”みたいな真似はしたくないんだ。全部ソイツが選べばいいと思う。上手く言えねーけど」



紅玉だったものを使って青玉を直したことだって、後悔していない。もっと早く駆けつけていたならばという後悔こそあるが、青玉を生かしたこと自体は後悔していなかった。

紅玉がそう望んだのだ。自分を慕うドールの望みを、跳ね除けるなんて出来やしない。例えそれで青玉から恨まれても構わなかった。

シリルも、ヴォルガも、クレイルは雛鳥と交わした約束と言葉の全てを愛している。後悔はしていない。本人が望んだというのならそれを拒んだりはしたくない。



「……それで12年間面倒を見てるのかい?もう20歳なのに。子離れは?」


「いや……ガキにとってさ、新しい……なんつーの?光が現れたらさ、みんなきっとそれの為に動くんだよ。人生そのものをこう、照らしてくれるみたいな……あ、なんか言ってて恥ずいな。俺はそういうのを見つけるまでの間支えてやりたいだけなんだけど……」


「けど?」


「シリルは一向にその気配がないというか……」



シリルが新しい光を見つけて巣立つまでの間は支えるつもりだったが、中々新しい光を見出す気配がなく、不安らしい。

これは、アレである。息子が中々結婚しないまま30後半に差し掛かったのを心配している母親のアレである。

青玉は紅玉との別れを、そして新しい在り方を見出した。と言うより何より、青玉に関しては育ての親だという武士然としたドールとやらが素晴らしいドールだったというのもあってか、これからも、今までも、きっともう何も気にする事はない。紅玉の望みを叶えて、青玉の人生におけるクレイルの役目は終わったのだ。

きっとシリルの人生においても、クレイルが必要なくなる時が来る。ドールにとって、シリルにとって最良の選択肢が現れる日が来る。シリルが幸せになるその瞬間、クレイルはそれが待ち遠しい。だと言うのに。



「確かに、シリルはこう……かなり特殊だね」


「だろ。比べるのはいいことじゃねえけど、ちょっと、今まで見てきたやつらとはなんか違うっつーか」


「ずっと君のそばにいるんじゃないかな」


「それは困るな……すごく。すっごく困るな」



ルァンがくすくす笑う。それからクレイルのため息なんて聞いていないかのように続けた。



「私はね、君のことがたまに羨ましくなるよ」


「えぇ?なんで」



センセイという生き物は嘘つきだ。

目を合わせたルァンの心の奥底に、何があるのかわからない。

君がたまに羨ましくなる。

どうして。

どうしてって、勿論。


雛鳥を____ああ、ほら。ねぇ?











​───────

Parasite Of Paradise

13翽─雷鳴

(2022/02/26_______14:30)


修正更新

(2022/09/25_______22:00)

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