12翽▶よかった














行けど行けども廃れた景色。左手側には傷ひとつない白い壁。腐って根落ちた灰色の建造物を蝕む青の波を掻き分けて、一行は陸路を往く。

ホルホル達は、やや中央の辺りを経由しながら東に向かって進軍していた。北の連絡通路は長年放置されて進んだ劣化により崩れてしまった建物の瓦礫がすっかりソコを封鎖してしまっていたのだ。瓦礫の山を退かして道を作れるような状況でもなかった。東の連絡通路も塞がっていたとすると手も足も出なくなるのだが、そうしたら今度は反対側の西でもなんでも向かえばいい。



「“ 巣箱 ”を中心にぐるっと、大きい円みたいな形の壁が張られてるすっね。なんか行っても行っても白くて感覚狂うすっよ」


「この辺は多分丁度母の平原の真下あたりなんだぞ。まぁ“ 巣箱 ”にはマザーも、孵化する前のドールの卵もあるし、厳重なのかもな」


「卵……皆卵の時とか、孵化した時のこと覚えてる?」



白い壁を指先でなぞりながら、気だるげにラクリマが問いかける。

この白い壁は恐らく、“ 巣箱 ”を守る為のもの。


“ 巣箱 ”。

この鳥籠の中のすべてのドール達がうまれる、始まりの白い園。長方形の窓ひとつない真っ白な建造物は、鳥籠最東端の壁面に癒着するように聳えている。ドール達は皆例外なく巣箱の中でうまれて、うまれた直後にマザーの姿を見るのだ。

卵から孵った雛鳥が、初めて見る動くものを至極当然親だと思うように、誰もその白いひとをマザーだ、母だなんて教わっていないというのに、マザーとはドールの母であるという概念だけが漠然とドール達の中にあった。

マザーの容姿のことを覚えているかいないかは、個体によって差異がある。生まれて初めに見て、その後すぐに巣箱を出てからは一度も会うことがないのだ、完全に覚えていられるはずもない。

ホルホルなんかは巣箱を出てとうに30年経っているし、いくら物覚えのいい頭をしていても限界はある。例え革命派の宝とも言えるような叡智の詰まったその黄金の頭脳だろうと、そこまでハッキリ、マザーについて仔細に語ることは出来ない。マザーとは、すべてのドールの母であるくせして、どのドールにも今一度の再会を許さない孤立した存在なのだ。

それに、ドールは卵から孵った直後は自我がハッキリしていない。そうくっきりと母の輪郭を覚えている個体はとても珍しいものだった。

マザーとはどんな容姿で雰囲気だったのかと道行くドールに尋ねれば、きっと皆が皆口を揃えて、白く眩いひとだったと答える。

金の髪にイバラの冠、ベールを被った、白いドレスに白い肌の女性。女性だ。

鳥籠には女性が存在しない。ドールはみな総じて、心の性別はともかく身体は揃って男であるし、男女の番で繁殖するニンゲン亡き今、“ 女性 ”とは一概にマザーのことを指す言葉となっていた。



「孵化した直後のことはあまり覚えてないんだぞ。すごく白かったことしか……」


「僕もすっね、白くて、キラキラしてたなーみたいな……」



アンドもクラウディオも、その言葉に頷いた。やはり鮮明に頭のうちに残るのは、この壁のような白さらしい。“ 巣箱 ”も、マザーも、ドールのコアもまるで真珠のように白いが、何か関係があるのだろうか。白とは、ドールにとって何を示す色なのか。

満足のいく答えとまではいかなかったようだが、反応が返ってきたことでこのやり取り自体には満足したらしいラクリマが、ふーんと相槌を打った。

会話が途切れて妙な静寂が辺りを支配する。陰気な雰囲気の地下空間において、静寂とは毒のようなものだ。気分がどんどんと沈んでいくような錯覚を引き起こす薄気味悪さに、じんわり、言いようのない泥臭さが胸の内に蔓延って。

ふと、マルクが顔を上げた。落ち着きなさげに、しきりにキョロキョロしては首を傾げて、ほんのり挙動不審になっている。



「どうしたんだぞ?」


「今リーダーの声がした気がして……」


「嘘〜空耳でしょ」


「マルクサン……」


「嘘じゃないすっよ!!リーダーの声したもん!!」



マルクは自身のアビリティの影響で、暗闇の中ではかなり五感が強化された状態になる。故に、遠くの音がよく聞こえた、だとかならばまだ納得がいくのだが、ピンポイントに、地上にいるはずのその人の声だけを拾い上げるなんて。そんな異次元じみた芸当ができるとは思えない。



「絶対こっちから……!」


「あっ、待つんだぞ!」



タッと駆け出したマルクの移動速度も、アビリティの影響でかなり強化されたものだ。追いつくのは容易ではないが、非常に危険な単独行動を初めかけている仲間を放っておくなんてこと出来やしない。残された一行も、遥か先へ駆け出してしまった金髪のドールの後を追う。


マルクが少し先に行くと、建物の影の向こう、ぼんやりと灯る明かりが周囲を橙色に照らしているのがよく見えた。丁度影の伸びない位置にいるのかはわからないが、その灯りの中に人の影は見当たらない。しかし、物陰の向こうから穏やかなアルトボイスが聞こえてくるのだけは確かだ。

どうしてこんな所に?リーダーは地上にいるはずだ。何か上で異常事態でもあったのだろうか。



「リーダー?」


「……あぁほら、」



かかった。


ひょいと顔を出したマルクの頭目掛けて、巨大なブレードが振り下ろされる。かつては路地裏だったのだろう微妙な広さの、建物の残骸と建物の瓦礫の間にできた空間に、3mはタッパがあると伺えるドールが仁王立ちしていた。そのドールが、縦一文字に巨大なつるぎを振り抜いて。

暗闇の中で動体視力が強化されたマルクでなかったら、間違いなく頭をかち割られて死んでいただろう重く苦しい重撃が、マルクの右肩から先を切り落として奪っていく。咄嗟に畳んだ翼は守ったものの、身体に走った痛みに意識を削がれて、自己状態の把握が遅れる。

マルクの腕を奪ったその大剣は、凄まじい破壊音と共に足元の安寧をこそぎ落とした。



「ッあ゙、ぅ!!?」



バックステップで飛び退く。続けて襲ってくることは無かったが、いくら追撃がなかったからといっても片腕をもっていかれたダメージは随分と大きい。

機械技師の腕は貴重な財宝なのだ、



「だから言っただろ、突っ込むよりも誘い出した方が楽だって」



マルクが聞いた、リーダーの声が、目の前の高躯のドールの唇から紡がれる。ほんの少し、声に揺らぎが出た後に、そのドール本来の声だろう存在感のある声音に変貌を遂げて。


カーラのアビリティ、嘘声きょせい

自由自在の声帯模写に加え、破壊力を生み出すまでは行かないものの、相当な音声量までその声を増幅することの出来る強化型のアビリティ。

使い手のポテンシャルによっては罠にも薬にも変化する、シンプルながらも柔軟性の高いそのアビリティ。利用価値は無限大だ、現に今こうして、声を囮に目当ての鳥を引き寄せた。


我こそ誰より優美であると自信に満ちた鳥の声は、虹を織り込んだビロードのように色を変えては煌めくのだ、カーラの声には逆らえない。

薄暗がりの中、かなりの距離から革命派一行を見つけ出した梦猫の頭を軽く撫でれば、ご機嫌な猫のようにクゥと小さく、前髪の壁の向こう側で目を細めた。マルクの腕を断ち切ったアイアンが、大剣を振るってその刀身に付いた黄金を払う。

一切合切容赦の無い太刀筋は間違いなくその命を狙っていた。一歩間違えれば即死。金剛像のような巨体の頭部にはまる、真っ赤な瞳を睨みあげて。



「あれぇ?マルクサン困ってるー?」



呑気な声がその場に伸びる。駆けてくる足音に視線が集まって、遅れてやってきたラクリマ達がその場の空気の手綱を握った。

カーラの瞳が剣呑さを帯びて、その雰囲気に背を押されるようにアイアン達の気迫も増す。ゆらゆら、ぴょこぴょこ揺れるくちなし色のアホ毛が、薄暗がりの中でも強烈な存在感を放ってこちらに向かってやってくる。



「マルク!腕持って来るんだぞ!」



かなり遠くからかけられる声に、マルクが素早く反応を。叩き切られた自身の腕を拾い上げると、翼を広げて前傾姿勢のままにホルホルの元へ。梦猫の三つ編みが白い蛇のようにその姿を追ったが、アンドの右手がそれを掴んで引き止める。

止められたと知るや否や引き戻そうとしたのだろうその勢いに負けぬうちに、逆の手に構えたカッターナイフで自分の右手を切りつけて、引き戻される梦猫の白い髪をベッタリと黄金で染め上げた。



「君とは以前会ったな」


「ンー、また会ったねー冠の人!」



マルクとホルホルは戦場から身を引いて、当初の予定通り浄化扇へ繋がる連絡通路へと向かった。追おうと、翼を広げて飛び出した梦猫の視界が、空中、それから今一度地表へ。ラクリマがアビリティでアンドの位置と入れ替えたらしい、がら空きになった胴体に、電撃を纏うクラウディオの正拳突きがモロに入った。

小さく軽い身体が、痺れを帯びたままに吹き飛び、薄汚れたアスファルトの床を転がる。転がされて、転がされたままではたまらない、猫が身軽に飛び上がるように、反動を利用して跳ねるみたく体制を整えると、か細く息をついて、呼吸も整えて。

チカリ、足元がゆるく黄金色に輝いて、アイアンとクラウディオの座標が入れ替わる。アンドの隣に現れた巨体の、鎧の隙間を縫うように、傷まみれの右腕を降るって滴る黄金を付着させた。アンドのアビリティの発動必須条件は、アンド自身の黄金が敵対ドールに付着していることだ。最も攻略が難しそうなアイアンを先に掌中に収めておくべきと判断したのだろう。ラクリマの采配で立ち回りやすくなったことに若干の余裕を持てたが、振り抜かれた剛腕が、前髪の先を掠ったその威力にはっと息が止まる。当たれば即死。どんな一撃だろうと致命傷。冷や汗が、落ちる。


入れ替えられたクラウディオは電気を帯びたその足先で、アイアンの背後にいたニアンから先手を奪い取っていた。一瞬で切り替わった盤面の座標情報に対応するのが遅れたとはいえ、十分余裕があったろうに、咄嗟にガードすることも無くその一蹴りを甘んじて受ける。

体格的にはニアンの方が重く、有利だ、倒れることこそなかったが、受けた痺れがじりじりと身体に拡がって俊敏性が落ちていく。アンドが超近距離でアイアンの相手をするのは良くないと判断したのか、ラクリマが今一度、クラウディオとアイアンの座標を入れ替えた。

厄介。極めて厄介な、そのペンギンの翼持つドールに永朽派一行の纏う雰囲気が鋭利なものに変わり出す。単純明快、故に難攻不落。

先の暴れるような動きでふわりと舞い上がった黒い羽が、アイアンの背後にいるニアンの足元へやってくる。クラウディオのソレを拾い上げたらば、軽く埃を払うような仕草の後に薄い唇を開いて、その口腔の中に放り込んだ。

ろくに噛むこともせず、そのままふたつの黒を飲み下す。嚥下して、喉元をパサついた感覚が過ぎていくのを何ともなしに享受して。ニアンがソレを飲み下すとほとんど同時に、クラウディオが自身の身体に僅かな痺れを知覚する。

翼の辺りの動きが、総じてぎこちないものに変化した。


ニアンのアビリティ、“ 蠱毒 ”。

ニアン本人と、ニアンに触れたドールの羽が、麻痺毒を含んだものに変質するといったもの。変換系のアビリティの一種であるが、特定条件を満たすことでほとんど上限無しに毒の強さは増していく。毒が強くなればなるほど敵対ドールの動きが鈍り自陣が有利になっていくが、同時にニアンの体内の毒素も増していく。アビリティの臨戦状態を解除した時の反動が増すのだ、使い所は考えなければならない。



「えっと、あの大きいドールが防御アビリティで、次に大きいドールが……」


「白いの以外全部大きくてわからないッスよ!冠がでっかい音!猫背の方が毒ッス!」


「白くて綺麗な子は髪が武器?あは、俺と相性いいね」



艶美な笑みを浮かべたアンドが、ヘラりと笑ってヒールを鳴らした。

4対3。利はどちらに。













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「お待たせしました、これ」


「ありがとう」



丁寧に、布でくるまれていた重い銃器をその手に取る。檳榔子玉の武器であるガンブレードはその辺で簡単に手に入るような代物ではなかったが、今こうして手元に出されたものは以前から愛用していたものに近く、装飾から何から何まで元のものと遜色ない品だった。



「お、お金とかは……?」


「ボスが貴方にそんなもの要求する人だと思いますか?」


「思わない」



元々使っていた武器や服の絵を深夜に描いて渡したら、次の日の昼下がりには完成品が出てくるなんて誰が想像つくだろう。

秋が、檳榔子玉の隣に立っていたミュカレへトランシーバーを渡す。檳榔子玉には警邏隊のバッジも渡された。特に機能性はない上、必ず見える位置につけろと言う指示があるわけでもないが、持っていて損は無いと語られたそれを、懐に、外からは見えない位置にとめておいた。ラインが入った金の正方形に、真っ赤な雫型の、石のようなキラキラした何かがはめ込まれた警邏隊のバッジ。

大体は皆、配られて持たされた手帳にくっつけているのだそう。檳榔子玉とミュカレはまだ手帳を持っていないから、それぞれ失くさないように適当な場所につけていた。



「マイディアと一緒にいられるの、凄く嬉しいよ」


「俺もだよ。初めての仕事、一緒に頑張ろう」


「……イチャイチャするのは他所でやってくれない?」



尊大な態度で腕を組み、ミュカレを見上げ、それから檳榔子玉を見下ろし、お前も何とか言いなよ、と言った雰囲気のままに秋を睨むコラールの姿がそこにはあった。睨まれた秋は聞き取れないほどの早口でご褒美だなんだ言っているものだから、その強烈な睥睨にあまりダメージを受けていない様子である。

もう動いてもいいと言われたラフィネと檳榔子玉の内、ラフィネは非番を言い渡されて、ちょっと困ったようにした後、フラフラと廊下へ出ていった。きっと本人の気になるものでも見に行ったのだろう、それから姿を見ていない。

別室で頭のヒビを修理し終わったらしいコラールもようやっと活動再開を許可されたらしく、少々苛立たしげな振る舞いのままこの場にいた。ヴォルガにここまで運ばれたことを聞いてからずっとこの調子だ、尊敬するリーダーの手を煩わせたことに負い目でも感じているのだろうか。

怪我したコラールを連れてきたという張本人は、想い人や親友達が重症でないとわかるや否やすぐに調子を取り戻し、お姫様抱っこしてしまいましたとかのたまいながらルンルンで仕事をしに行ってしまったが。瑠璃さんなら気にしてないと思うよ、と声をかけようか迷ったが、お前にリーダーの何がわかるのと理不尽にキレられて終いだろう。黙るが吉。



「地上の方で崩落事故があったので、避難誘導と現場検証に行くようボスから連絡がありました。御三方は木菟の森と工業地帯の境界線辺りに行っていただきたくて」



場所はわかりますか?と地図を取り出しかけた秋に、コラールが断りを入れる。大丈夫だとぶっきらぼうに言い渡されたソレに表情ひとつ歪めることなく、ハイと、やや嬉しそうに秋が返した。

秋は片翼のドールだ。当然空は飛べない。

ドールとは黄金でできたニンゲンの雄の身体に、同じく中身は黄金でできている鳥の翼や羽が付いた、にせもののいきもの。その個体のアイデンティティとも呼べるアビリティは、以前話した通り多種多様。アビリティと同じか、いや、それ以上に個性が現れる特徴と言えば、翼。

飛べるものと、飛べないもの。一対二翼だったり、二対四翼だったり。頭から翼が生えていたり、足先や二の腕に生えていたりで空を飛ぶのに向いていない翼だったり、左右非対称だったり。尾羽があったりなかったり。上下さかさまになった状態でニンゲンパーツにくっついているドールだっていたほどで、その多様性はニンゲンのソレを、常軌を逸するものだった。

ふたつとしてまったく同じもののないドールの翼は、壊れた際に要する修理の時間がニンゲンパーツのソレよりも遥かに長い。ニンゲンパーツと翼パーツの境目あたりでちぎれてしまった、等なら比較的早く修理できるが、翼パーツが真ん中からまっぷたつになったり、焼け焦げてしまったりするとそう簡単には直せない。難しい、デリケートなパーツなのだ。

自分は飛べないという事実に“ 心 ”を病んでしまう個体だっているほどに、ドールにとって大切なパーツ。



「なるべく暗くなる前に戻ってきてください」


「……それいつも言うよね」


「えっ、あの、しつこかったですか?」


「そうは言ってないけど」



永朽派、警邏隊に属していて、秋に見送りをされた事のあるドールならばいつも耳にするそのフレーズ。暗くなる前に帰るよう、誰が相手だろうと必ず伝えるのだ。



「……オレ、親父さん……親鳥なんですけど、親鳥と、そのまた親鳥を13年前に、ほとんど同時期に亡くして」



ほんの少しの間の後に、秋が足元をぼんやり見下ろしながらぽつぽつと昔の話を。

14年ほど前から鳥籠の治安は右肩上がりに__この場合、右肩下がりというのが正しいだろうか。兎にも角にも、鳥籠の治安は悪化する一方だった。丁度、“ 母の寝息 ”が止まった頃。その頃から建物の老朽化が激しくなり、崩落も、陥没も、頻度がこれまでとは比べ物にならないほどに増した。

ドール達も外界の影響、つまりはストレスの影響を受ける。鳥籠の治安が悪くなればニンゲンと同じように精神が荒み、軽度の発狂状態に陥ることだってあるのだ。

発狂状態に陥ったドールは、まずシグナルの識別機能を放棄する。周囲のドールを個々に認識することを諦めるのだ。そのドールにとってよっぽど大切だった個体以外の区別がつかなくなってしまう。そして次点で、自身のケアを放棄する。そのうちアビリティの制御を放棄して、全ての処理を放棄して、朽病にかかって消えてしまう。

親鳥とその親鳥と言うなれば、かなり親しい個体

だったことが伺えた。そんなに大切であった個体を喪って、発狂状態に陥らなかったのだろうか。



「その頃はコアをとって、コアのなくなったからっぽのボディだけをその辺りに放置する同族殺しが頻繁に起こっていたんです」



夜にひとりで外を出歩くと、赤い亡霊に連れていかれてしまうんだとか。コアをとられずに済んだ個体もいたことにはいたが、総合的な被害者数から考えるなればほとんどゼロに近しいもの。

秋の親鳥も、そのまた親鳥も、都市伝説じみたその赤い亡霊にコアを取られてしまったのだと。



「……その、檳榔子玉さんはボスのご親友ですよね。ご存知ですか?」


「…………何を?」


「ボスの双子のお兄さんのこと」



秋は語る。赤い亡霊がもっていってしまうのは、コアだけではないのだと。秋の親鳥のアビリティは、高度な記憶操作を可能にするアビリティだったそうだ。

頭に手をかざして、消したい記憶を消したり、存在しないはずの記憶を植え付けたり。秋の親鳥はそのアビリティを使って、辛く苦しい思いをしていた幼いドール達の、まだ柔い“ 心 ”を守ろうとしていた善良なドールだったらしいが、赤い亡霊にソレがとられたあの日から、優しい手のひらはひと殺しの手のひらに取って代わられた。

1人で出歩いていたドールばかりを狙っていたその都市伝説は、秋の親鳥のアビリティを奪った時から、複数人で行動していても襲うようになったそう。1人だけからコアを抜いて、後々の面倒の種を潰す為に、他の数人の中からそのドール自体の存在を、秋の親鳥のアビリティで抹消してしまうのだと。



「忘れちゃうんです。全部。ボスのお兄さんもボスも、多分……お互いのことを完全に忘れてるんです、その、事故……に巻き込まれてから、ずっと」



檳榔子玉の脳裏に、同郷だった青い宝石の名を冠する小さなドールが思い浮かぶ。双子ドールは、片方が欠けたら目も当てられない状態に、それこそ発狂状態に陥ってしまうのではないかと。



「檳榔子玉さんもミュカレさんも、お互いのことを忘れたくはないでしょう?コラールさんも、ボスのこと忘れたくないでしょう」



だから、どうかお気を付けて。



「忘れててよかったなんて思う人もいますが、きっと御三方は嫌だと思いますから」



ヴォルガとユムグが混ざってしまわなくてよかった。オータムイエローの瞳が弧を描いて、優しくゆるぅく手を振った。














​───────​───────












閑古鳥の森。

青を孕んだ白の切っ先が、踊り子の艶舞のように、くるくる踊るかのように軌跡を残しながら木々の間をすり抜けて、静寂を裂きながら宙を往く。

ヘプタだった。春の訪れを心から喜ぶ鳥が飛ぶようでいて、冬の申し子が別れを惜しむようなその空気感を、鈍い銀が追って飛んだ。

木にぶつからぬように丁寧に、それでいて、速度を落とせば殺されてしまうからと速度を落とさぬよう、迅速に。後を追って飛んでくる剣を叩き伏せんと、ぐるり、宙で身を翻した。ヘプタの飛行能力は圧倒的直線型だ、小回りはほとんどと言っていいほど効かない。故に若干緩い円を描くような形ではあったが、義足の振り抜ける領域にその剣を誘い込む程度造作はなかった。

しゅるり、金属と金属がその身を慰め合うような、滑らかで、その癖つんざくような鋭利さを孕んだ微かな音がその場に響く。ヘプタの義足の先を掠めた刀身が、みるみる内に青、青、青くなる。

目が覚めるような青に侵された鋼の剣が、空中で途端に速度と勢いを失って落下した。

今、こうしてヘプタが森の中、命懸けの鬼ごっこをしている理由は、おおよそ15分程前に遡る。


木菟の森で指定されたものを確認してくるだけの、比較的簡単な任務を任されたリベル、シアヴィスペム、ヘプタの3人は、そのお使い自体はテキパキと終わらせることができたのだ。黒のバッテンが書かれた石が根元に置かれた木の枝上に、画質は悪いが録画機能のあるカメラを置いておいたというから、それを確認してくるだけの簡単な仕事。



「……これ、動物狩りの犯人も並行して探してたってこと?面倒なことするね」


「でもっ、これで犯人が誰だかわかるよ!」


「わかったら……どうするんですか?止めるんでしょうか?」


「もう手ぇいっぱいいっぱいなのに?お兄さんには荷が重いなぁ、てかそこまで言われてないでしょ」



以前、ミュカレやルァン、アンドの3人が偵察しに来た時、この閑古鳥にいた動物達はごっそりと根こそぎ殺されていた。毛皮目的でも生肉目的でも、角目的でもないただの鏖殺。純粋に、殺すことだけが目的の来訪者。

本来ならばその3人、というよりは役割交代をする前、その場を任されていたラクリマ、リベル、クラウディオに偵察をさせて、機械に聡いクラウディオにそのままカメラまで確認させるはずだったのだが、報連相に抜かりがあったらしい。

確認したいことは無論、時折現れる閑古鳥の森の、目的なき狩人の正体。赤い亡霊__真紅の亡霊と並んで鳥籠の中に残る都市伝説じみた存在だ。その正体を突き止めることができる、かもしれない手がかり。

動くものに反応して録画を開始するのだろうカメラの操作ボタンを弄くり回すが、この中に機械に聡い者はいない。かなり手間取ってしまって結局数分ほど格闘した後、小さな、手のひらサイズの液晶部分にようやっと目的のものが映し出された。

鹿、兎、鹿、リス、リス、ネズミ、タヌキ、鹿、ドール、兎__



「あ」


「ドールだ」


「ただの散歩の人?」


「わから、な」



画面端。剣が空中に現れて、ふわりと、重力を無視するように柔らかな動作で顕現する。ずらりと並んだ剣がフレームアウトしていって、辺りの雰囲気が変わったのが画面越しでも見て取れた。

ヘプタが声を上げる。顔は写っていないが、きっとこれは知った顔だと。風に揺られる尾羽が、よく自分の速達便を利用する面倒臭がりなドールのものに似ていた。ガサガサの画質でもよく目立つ、全体的に攻撃的なシルエット。

ルフトだ。アルファルドの手土産にあった資料の中には、一度に出せる刃物に制限あり、長時間のクールタイムありとあったが、手元に出されたアビリティ行使中の様子を見るにそんなものは存在しないことが伺える。

裏切り者の手土産である資料がどこまで役に立つのか、全くわからなくなってしまった。虚偽まみれの情報を頼りに、この猟奇的な狩人を相手取るのは些か厳しいものがある。この情報を持ち帰ったとして、自分達に何ができるのだろうか。



『泣いてる、また来るよ』


『痛かったね、すぐ来るよ』



先程からずうっと木々の声がシアヴィスペムの頭に響いていたから、大体の声音はノイズのような扱いになっていた。しかし明らかに、この声はシアヴィスペムとリベルに向けてのものだった。



「また来るって、何が?」


「えっ、ちょっと、サルベージしてたの?いつの間に?」


つるぎの鳥だよ』


『マツバギクのドールだ』


『ゆめをみてるの』



剣?松葉菊?夢?シアヴィスペムが首を傾げる。

植物の声は聞こえないヘプタが、何か出来ることはないだろうかと考えたのだろう。青を出そうかと問いかける。訝しげに思案に没頭していたリベルが、その言葉にはっとしたような表情を浮かべた。

ほんの少しだけ揺らぎを纏った紫が、ヘプタの足元に視線をやる。



「……ねぇ、ヘプタ、これさ。前から聞こうと思ってたんだけど」


「はい、なんでしょうか?」



ヘプタの“ 青 ”。

真っ青な植物が根を張って、宿主の生命力を吸い上げるその色彩。まるで寄生虫のような性質を持つその、激烈的な青い色。



「青、植物じゃないでしょ」



だって、声が聞こえない。

ヘプタの“ 青 ”は、植物の声を聞き、ドールの声を届けることができるリベルにとってはいたく恐ろしい、というよりかは理解の及ばぬ存在だった。隣人の姿をした、無。

おしゃべりが大好きな隣人達の姿をしておきながら、その実、その青は虚空のようだった。植物ではない。初めて青を見た時、自分の知らぬ隣人が現れたことにほんの少しの驚嘆を感じたことをよく覚えている。

今まで見てきたどんな植物よりも青かった。茎も葉も蔦も、全てが青いその姿。声を聞こうと思った。聞いてみようと思った。ドールのアビリティでうまれたソレの、心の内に興味が湧いた。

青は喋らない。リベルは、ドールと植物以外の声を聞き取れない。これは、何。

アビリティを発現してからこの方本物の無音とは無縁のリベルにとって、もっとも静かで賑やかな、見知った姿を象った、無音の虚無は理解及ばぬ異界の品のようだった。



「……俺にはわかりません」



薄い灰色に青を帯びた、グレイブルーの瞳がぱちりと瞬く。自分のアビリティのことは、自分が最もよくわかっているはずだ。何故。それは嘘か?



『マツバギク』


『ゆめをみてる』



ヘプタを糾弾すべきか、しないべきかの一瞬の惑いを遮るように、植物達が一斉にざわめき始めた。あっという間に溢れ出した声量に驚いたのか、シアヴィスペムが耳を塞ぐ。耳を塞いでもあまり意味は無いのだが、心持ちの問題だろう。



『危ないよ』



ぱちん。乾いたフィンガースナップの音。

リベルの反射の方が、遅かった。

飛んできたナイフが一息にリベルの外套を切り裂いて、脇腹にコンバットナイフが突き刺さる。深々と刺さったそれは一本ではない、横殴りの雨のように息をする間もなく降りしきる、鋼の雨が痛みを与えて止みやしない。

シアヴィスペムの左腕に三本、リベルの喉に一本と来たところで、鎖骨部分に一本受けた状態のヘプタが前へと躍り出た。ぐるり、義足の先で目の前の地面を撫でるように半円を描けば、ナイフの飛んでくる方角に向かって、壁になるようにぶわりと青が咲き誇る。

恐ろしいほど静かなソレに、ナイフがザクザクと刺さる音がする。しかし青は嘆かない。妙にリアルな、植物の肉感が裂かれるような音だけがリベルの鼓膜を苦しめた。



「弓で援護をお願いします!」


「言われなくてもする!」



リベルがその場を一時的に離脱する。狙撃手の場所がバレれば戦況は一瞬で不利になるのだ、リベルの移動先がバレないよう眼前の青の成長速度を上げて視界を閉じた。あまり使いすぎると眠気でダウンしてしまう。

調整が重要だ、なんて思った頃には、真っ青だったはずの視界があっという間に開けてしまった。

大きな剣が、太古の逸話に残る草薙の剣のように、青を薙いでその場の権利を奪取する。



「小賢しい真似してんじゃねーよ」



真っ赤な瞳。普段の緩やかな空気は何処へやら、大きなけものが高く高く吠えて見せた。春の、まだ肌寒さの残る空気がビリビリ震えて、風に吹かれた森の声がぶわりと広がり伝染していく。



「あははァ、革命派じゃんね?ちょーどいいよ、いいよ、殺していいよってことだろォ!!!!」



軽度の発狂状態に陥ったドールの発作は、凄まじい。アビリティの制限突破だったり、どちらが表か分からぬような人格の切り替えだったり。どちらが表かなんて、最初からどちらも表で、スポットライトの当たらなかった部分にようやっと光が当たっただけなのかもしれないが。

品定めをするような、舐るような赤い瞳がヘプタとシアヴィスペムをじっとりと見下ろす。自身の命が獲物としてカウントされる感覚に、背筋がどろりと溶けるような嫌悪と恐怖が溢れ出した。



「ねぇ!」



シアヴィスペムは永朽派が憎い。

大嫌いだ、胸が締め付けられて苦しくなるくらいに、涙を出すための器官も枯れるくらいに大嫌いだ。呼びかけるようにあげた声。睨むような淡いエメラルドカラーと、戦闘的なブラッドムーンが視線を合わせる。逸らせはしない。



「何睨んでんだよ……」



ターゲットになることくらいなんてことはない、それで仲間が守れるならば、勝てるならば。憎い相手の能力を使うことだって、どんなに痛い思いをしたって構わない。

目の前のこのドールのような、理不尽から。鉄のつくりものから解放されたくてこの翼を広げたのだから。



「何睨んでんだって聞いてんだよ!!!」



答えさせるつもりもなかっただろうことは明白だ、パチンと乾いた指鳴らしの音と共に現れた、宙に浮く鋼が春を裂いてやってくる。

ヘプタが身構えたが、ヘプタは小回りの効く飛行特性ではない。避けきれるはずがないのだ、迫る剣を祓うための力は、シアヴィスペムにある。


“ 守護 ”


サルベージ守護



目には目を。歯には歯を。剣には剣を。

シアヴィスペムの身体に痛みが走るが、そんなものは気にならない。連投されるナイフを狙いひとつひとつ打ち出して、落として、まるで鳥を撃ち殺すように的確に。ルフトが苛立たしげに今一度指を鳴らすと、宙に浮いていたナイフの残った弾数が消えて大きなブロードソードに切り替わった。

形態変化までできたのかとその場の雰囲気が一層ピリついて、一息にこちらに飛んできた剣への反応が僅かに鈍る。しかし、前衛の不備をカバーしてこその狙撃手だ。

ヒュルリと、風の中をつんぎる竜のように鏃が飛んで、剣の腹にぶち当たった。軌道が逸れて、シアヴィスペムの真横の地面に深々とソレが突き刺さる。森の中を満たしていた木漏れ日の明度が強まって、その場の速度感を一気に煽って止まない。

ひとつ、ふたつ、向かってくる最中にリベルがひとつずつ撃ち落としてその場の進路を作り出したのを把握した瞬間、ヘプタが飛び出し、ぐんと、身体が引っ張られるような感覚が残る程に加速した。

ルフトの剣をシアヴィスペムのナイフとリベルの矢が阻害して、ヘプタが鉄の雨の間を縫うように真っ直ぐ飛んでいく。白い残像が飛行機雲のようだった。

急接近してきたヘプタがぐるりと身を回す。義足の先端を、切っ先を、罪人を咎めるように突きつけて振り抜いたが、ルフトの反射の方が早かった。

研ぎ澄まされた野性的感覚に煽られて増す残虐性が、その尋常ではない反応速度を可能にする。黄金の熱が上がって、幻の脳髄を溶かして回るみたいな高揚感!

眼前に躍り出た青と白の軌跡を、夢を断たせるように、右手を振り抜いてはじき飛ばした。

休む間もなくバランスを崩したヘプタの身体に翼を打ち込み振り払う。近くによる、鬱陶しいハエを払った熊の動きによく似た粗暴な攻撃に、ヘプタの横腹がみしりと大きく軋む感覚。弾き出されるかのように吹っ飛んだ身体で受身を取ろうにも、義足の身体では存分に痛みを和らげることができない。

即座にその隙を狙って打ち出されたナイフをシアヴィスペムが庇うように迎撃する。かなりの速度でサルベージしたアビリティを連続使用しているものだから段々とラグが激しく鳴りだした、その上距離がある。ソレを全て打ち返すには至らず、二、三本のコンバットナイフがヘプタの身体に牙を向いて突き刺さった。



「とっとと死ねよザァコ!!!!」



アビリティを発動してばかりで、本人が動くことは無かったはずのルフトが前へと突っ込む。重厚な翼が、頑強なニンゲンパーツが凄まじい速度で振り抜く拳に、ヘプタが、そしてそのまま吹き飛んだヘプタに巻き込まれるようにシアヴィスペムが吹っ飛んで、背後の茂みに投げ捨てられる。

そのままトドメを刺さんと前進を始めたそのドールの脹脛をリベルの弓矢が貫いて、注意を、それから殺気を狙撃手に向けさせた。鬱陶しいと感じたのだろう、飢えた虎のような、すぅっと細まる瞳が鏃の軌道をなぞって探すみたいに中空を彷徨い出す。


炙り出そう。邪魔なものは炙り出して、殺してしまおう。自分以上に有能なドールなんていないのだから、他のドールが、他の生き物がどれだけ減ったって構わない。本気を出さずともできるのだから、本気なんて出さなくたっていい。ただ、自分の心の思うままに本気を、その真の力を振るいたい。


シアヴィスペムの脳裏に、じりじりと、それこそ炙り出しのように広がりだしたルフトの記憶が、イメージが、視界を明瞭に変えていく。

ルフトの強い信号シグナルの影響を受けて、一時的に呼応するようになってしまっているのだろうことが伺えた。どうでもいいだと?ふざけるな。今一度指を鳴らしてナイフを呼び出し、体を内側から裂かれるような痛みもまるで存在しないかのような勢いでその力を振るった。

リベルの位置を補足される前に意識を逸らさねば。吹っ飛ばされたが故に随分と距離が空いてしまったが、射程範囲だとそのまま貫き通してみせる。



「針が何本集まったって剣に穴が開けられる訳ねーだろうがよォ!!!!」



シアヴィスペムのナイフに気が付いたルフトが、宙の剣の柄部分をおもむろに握って、横一文字に振り抜いた。近場の木を切り倒したのだ、力任せに一刀両断されたソレは倒れてきたが、大木を片腕だけで受け止めると、それを小脇に挟んで振り回す。無論、ナイフは全て茂みの中だ、一本もルフトに届かぬままに森の息吹を裂くだけ裂いて潰えてしまった。

盾となったソレを、狙撃手がいるだろう方向へ放り出す。遠心力でついた勢いのままに飛び出したその大木を、潜んでいた箇所から地表に飛び出す形で回避した。凄まじい衝突と衝撃で上がった土煙に紛れて、次の狙撃位置を定めだす。

その影を追わんと踏み出したルフトの視界を遮るように、青。

広がった青に忌々しげな顔をして、それからもう一度、握った剣を振るうと眼前から青を消し去った。くるり、払った青の向こう側から、死角から、白い針。

ヘプタの右足の先がルフトの左目を捉えた。あっという間に先程払った青で視界の半分が殺されて、見る間も術もないままに真っ暗な闇を生み出した。



「……ッあ゙ぁぁあア゙アァァ!!!!!」



ルフトが吠えた。これは、痛みに対する慟哭ではない。

バツンと何かが弾けるような凄まじい音の後、ヘプタの左の義足が本体と離れ離れになる。タックルしてきたその巨体に勝てるはずもなく、元より欠けていた身体が更に欠けて吹き飛んだ。先程から走っていたヒビから黄金が、それから“ 青 ”の正体が、その衝撃で溢れ出す。


ヘプタの青は、植物ではない。

ヘプタのアビリティは、厳密に言うなれば、変換系のアビリティだ。コアが体内の黄金を、真っ青な特殊な液体に変えるもの。条件に従って体内の黄金を変換し、毒素を生成していくニアンのアビリティ、“ 蠱毒 ”に近いものだった。

青い血をどれだけ生成するかの制御さえできればなんら支障がないのだが、ヘプタはアビリティの操作修練が不十分だったが故に、自分のモノであったはずのアビリティに振り回されて生きてきた。まだ彼が歳若いからというのもあったろう。

青い血はヘプタの身体から微小に滲みだし、植物のような形の結晶として外界に顕現する。



「ぅ、っい゙、……!!」



ヒビから溢れた青が自分のコートを蝕んでいる。まずい。これは。

3対1だと言うのに、こちらが一方的に押されるだけ。長引けば長引くほど、シアヴィスペムと自分は副作用で遅かれ早かれ倒れるし、シアヴィスペムと自分が倒れてしまうとリベルが狙われるに違いない。今この三体の中で、純粋な接近戦でルフトに勝てるドールはいないのだ、リベルは単騎で狙われてしまえば負けも同然。

勝てない。目の前の脅威を退けることができない!



「ぃ、シアくん、リベルさんを連れて逃げてください」


「な、なんで!?」


「このままだと全滅しますよ?」


「ふざけたこと言わないで!!」


「お願いします」



左目の青を取り去りたいのだろうルフトが暴れている。意識がこちらに向いていないうちに、なるべく早く。



「今傷を負わせた俺に一番ヘイトが向いてますから、俺だけ残ります。お願いです」



過ぎた献身は、相手を呪う猛毒だ。

けど、ヘプタは知らない。



「あの人に伝えてください、夢、絶対叶えてって、あの人の夢が叶うことが俺の夢で幸せなんです、どうか、どうか、それから……」



人の役に立つことこそが紛れもない彼の幸福だと言うのなら、誰かの為に死ぬことこそが一番正しい死なのだろう。そうは、思わないが。彼にとってはそうだった。



「……それから?」


「…………いえ、なんでも。どうか、それだけ。あの人に」





今節、冒頭に戻る。

勿論シアヴィスペムが抵抗したが、ヘプタはそれを振り切ってルフトを連れたまま森の奥を飛んでいた。速度がそこまででるボディの作りでは無いらしいルフトの飛行速度ではヘプタに追いつけない。本人が飛ぶよりもアビリティで剣を放った方が楽なのだ、回りくどい真似はしないルフトは先程からずっとアビリティを発動している。

欠けた左足は鋭利な武器としての役目を放棄している。右足だけでなんとかできるだろうか?


ヘプタに、帰る意思はほとんど無かった。



「鬱陶しいからとっととくたばれ!!!」



ナイフが耳を裂いた。身を反転して、枝を足場に蜻蛉返りを。そのまま突っ込んで、右脚を蹴りあげて、迎撃されるようならば必死に回避に努めて。相打ち覚悟の特攻を繰り返す。最悪、頭上で砕ける形だろうと構わない。青さえルフトを蝕んでくれれば、本体である自分はあとは成長しろと、自分を食い殺すその青が別の鳥を食い殺す様を臨むだけだ。

一度、二度と繰り返す事にルフトの動きから繊細さが欠けていく。

振るわれた腕を避けて、避けきれなかった翼の撃鉄を受け止めるなり衝撃緩和の為に体制を整えた。



鋭く光を返す銀と、淡く光を放つ白が互いに隙を探り合う様は、恐ろしくて、それでいて綺麗だった。

ラフィネにはよくわからなかったけれど、きっとこれが、世間一般で言う“ 綺麗な光景 ”なのだろうことは伺える。


ラフィネにとってルフトは特別なドールだ。オッドアイをお揃いだと言って、笑って頭を撫でてくれたルフトが好きだった。今目の前で真っ白なドールを追い詰めている、修羅のようなドールなんてラフィネは見た事がない。けれど、それでも、ルフトはラフィネにとって大切なドールだった。



「る、ふとおにいさ」



ついつい零れた震える声。赤い目がこちらを見やる。


躊躇いの色はなかった。


ヘプタは原因を知らなかったが、一瞬削げたルフトの注意を見逃すことは無かった。加速して、右脚を振り上げる。踊り子が客を取り込むような美しい曲線がルフトに向かって繰り出されたが、それがルフトを蝕むことはない。

ラフィネが飛び出したから。

どちらにも躊躇いがなかった。

ラフィネが飛び出したままに、好いた人の本性やもわからぬ状態のルフトを庇うことにも。ヘプタがルフトと相打ちになることも。

ルフトが、明らかに庇いに入っただろうラフィネごと、ヘプタを剣で貫くことにも。



「はははははは、あはははは!!!!」



身体が落ちる。翼の辺りに乾いた土の感触がした。コアは無事かもしれないが、ここまで損傷を負ってしまっては動けない。

ルフトが剣を横に振り抜いて、2人の身体が半ばからずるりと分かたれる。黄金の、独特な鉄臭さに青の無機質な香りが混じって、森の香しさなんかとっくのとうに死んでいた。

発狂状態に陥ったドールは、ドールの区別なんてできない。そして自分がおかしくなっていた間のことなんて覚えていない。



「何、何?庇ったのォ?俺の事」



どさりと落ちたラフィネが、震える右腕で身体を起こす。起ききれるわけなんてなくて、結局、倒れ込むような形に、けれど本人が望んだように仰向けになることができた。こちらを見下ろすルフトに、にこり、笑う。



「偉いねぇ、いい子だねェ」



ルフトも笑った。

ああ、おにいさん。ルフトおにいさん。

俺が悪い子でも褒めてくれる、おそろいのわるいこ。



「る、ふと、おにいさん」


「何?」


「………………なん、でもない」



るふとおにいさんが、おれとおなじで。

わるいひとでよかった。



「あはは、何それ……?何?今、何?あれぇ…………まだ生きてたの、お前。しぶといなァ!!!」



顔は見えない。ヘプタは横を向いているから。頭上で笑っていたのだろう鬼の顔なんてもう見れない。首も回せなかった。

ヘプタが最後に見たのは、ラフィネの幸せそうな横顔。

自分の幸せなんて、自分の考えなんてない、からっぽな幸せを心底嬉しそうに享受するその姿。


まるで自分を見ているよう。

ああ、いいなぁ。めのまえでなまえくらい、ちょっとくらい、呼べばよかった。なまえ、よべなかった、さいごまで、最期まで、照れくさくて。なんだか。

けっきょくなにもいえなかったや。

もう少し、しあわせになっていてもよかったのかな。



ぐしゃり。



ルフトは自分の犯した罪の数なんて、ちっとも覚えていない。











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Parasite Of Paradise

12翽─よかった

(2022/02/20_______14:10)


修正更新

(2022/09/22_______22:00)

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