9翽▶暮夜騒ぎ














夜の、じんわりと群青や紫苑を帯びた黒が広がる鳥籠の中。

大通りやそれを挟むように広がる南北通りの明かりはほとんど落ちており、昼間は賑わう集いの場も静寂に包まれていた。鉄塔の上、黒い闇に溶けていた金の髪が風に流され現れる。


マルクのアビリティ、“ 夜想曲ノークターン ”。

周囲環境の光量が低いほど活動能力が上昇し、自身や影響を受けた仲間に隠密効果を付与するといったもの。昼間の日向では殆どアビリティナシと言っていいほどに効果が薄れるが、夜や光の差し込まない閉所では非常に強力だった。


夜間偵察に赴いて、丁度帰還途中の頃。

視界の端、遠景の中に光の柱。

ネオンが目に痛いほど眩く輝く孔雀の街に目を細める。一体どこからあんな量の電気製品と、それを動かす電力を得ているのだろうか。

孔雀の街は鳥籠随一の施設充実度を誇るエリアで、形の残ったビルは高く、内装まで整えられて娯楽施設として運営されているものがほとんど。配電、送電設備共に不備はほとんど無し。いくら工場地帯が近いとは言え、滅びの道を往き、廃れの加速した鳥籠の中であそこまで繁栄しているのは異常に思える。

黒い翼を広げて、拠点付近の鉄塔からゆるりと飛び降りた。殆ど真下に近い位置、拠点横の欅を目掛けて降下する。

枝葉を掻き分け樹上の空間へ入り込み、そっと、安定した太い枝に脚先を下ろして拠点内部へと駆け込んだ。普段ならばリベルが寝ているはずの空間は、もう遅い時間だと言うのに無人のまま。

扉を開け、吹き抜けに飛び込みリビングへと舞い戻る。



「おかえりマルク」


「おかえりぃ」


「おかえりマルクサン!」


「ただいますっ、見てきたっすよ、北通り奥の聖堂」


「どうだったのか教えてくれるかい?」



とっくに遅い時間だと言うのに、リビング、ダイニングにはほとんどのメンバーが揃って起きていた。見当たらないのは、ミュカレ、セレン、青玉、クレイル。



「……確かに、そいつの言った通り1階部分から上はほとんど全部崩落してたすっ。警邏隊がウヨウヨいたし」


「だから言ったでしょう?僕、嘘なんて言いませんよ」



聞きなれない声がリビングに響く。皆一斉に、マルクから視線を外すとその声の主へと向け直した。

白い翼、白い衣服、黒いブーツに黒い手袋。天井からさげられた照明に照らされてより一層透明感を増した白の中、にっこりと笑みを浮かべたその男。

顔布を外して、近場のテーブルの上へソレを放り投げる。現れた瞳の色は、ガーディアンのものと瓜二つ。正面向かって左に、深い海のような青。右に精悍な琥珀色。



「ガディ兄さんに恥をかかせるようなみっともない真似、死んでもしませんから」



今日の__既に日付が変わっているこの時間帯では昨日と呼ぶのが正しいが、昼間。昼下がり程の時間のこと。北通り奥の大聖堂が崩壊した。

かなり大規模な崩落事故だったにも関わらず、飛行競技場にドールが集まっていたこともあってか付近にドールの姿はなく、怪我人こそいれど死人はなかったそうだ。

夕方の新聞にも、2面辺りに大きく載ったこの崩落事故。崩落事故と銘打たれど、事故ではなく、犯人知れずの事件だとも載っていた。ちなみに、この夕刊の一面はシアヴィスペムとコラール、ヴォルガとクレイルの喧嘩で大荒れしてしまった大通りの話。

鳥籠の建物は老朽化が進んでいる為、崩壊や崩落はよくあること。革命派拠点の誰もが聖堂の崩壊を知っても、大した動揺をすることはなかった。


しかしそれは、何も知らなかった時の話。

崩壊した聖堂は、ヴォルガ達、永朽派筆頭グループの拠点だったこと。

ミュカレ、檳榔子玉の2人がすっかり寝返ったこと。

聖堂を崩壊させたのは、この男。

シルマーだということ。



「目下一番の敵の足止めをしてきたんですよ。貴方達にとっても、僕にとっても、兄さんにとってもいいことでしょう?それに、“ アレ ”が困るというなら貴方達に疑われたってお釣りが来ます。兎にも角にも、これで信用していただけるかと思いますから、どうぞ仲良くしてくださいね!」



にこやかな笑みでシルマーが告げる。

ルァンがすぅっとアンティークゴールドの目を細めて、ホルホルが小さく息を着く。彼との交戦を経験していたリベル、クラウディオもほんの少しだけ表情を険しくしていた。彼の両脚を分断したラクリマは、特に気になることはないらしい、ほとんどノーリアクションのままソーダをストローで吸い上げている。

シルマーは、自らをガーディアンの弟だと名乗ってこちらへやって来た裏切り者ジョーカーだった。



「……もっと詳しい話が知りたいんだぞ、これじゃオマエが、警邏隊の特殊部隊の聖堂を壊してまで兄弟に会いに来たってことしかわからない」


「裏切りの動機でしたらいくらでもお話します」



ひとつ。前々から裏切り自体は計画していたから。

ふたつ。ある人の手引きによって、ガーディアンと連絡が取れたから。

みっつ。シルマーの裏切りを邪魔するもの、要はシルマーよりも戦闘能力の高い個体が当時聖堂内にいなかったから。



「聖堂を破壊してきたのは、ええと、なんて言うんでしょう?手土産、あとは鬱憤ばらしみたいなものです!」


「鬱憤ばらし……とはなんのことか教えてくれるかな?」


「嫌がらせ、と言うべきでしょうか。僕は“ アレ ”が嫌いで嫌いでたまらなかったので……最後に少し、ふふ、嫌がらせをしたくて。これは僕の主観なので、動機として汲み取って貰えるかはわかりませんが」



シルマーの横、ガーディアンが仏頂面のまま後ろ頭をかく。



「……連絡をとったのは昼間、図書館で、アルクのトランシーバーを使って。それ以前からはやり取りしてない。シルマーの言う通り俺達は正真正銘兄弟だ」


「それはおにいさん達も並んでるの見ればわかるんだけど。いくらこっちに信用される為だからって、建物壊してくるかなぁ?なにか裏でもあるんじゃないの?」


「僕は兄さん達と皆さんのことが一番大切ですから、裏なんてありません!皆さんに信用される為なら、僕は最大限頑張りますよ」



ほとんど表情の動かないガーディアンと、にこにこニコニコと人好きのする微笑みを浮かべるシルマーは酷く対照的だった。ガーディアンの持って生まれるはずだった愛想を全てシルマーが持っていったことこそ兄弟の証明と言われても、まぁ、頷きかける程度には、対になっている。



「あの、さっきから言ってる“ アレ ”ってなんなんッスかね?それが何かわかれば裏切ってきたのに皆納得するかもしれないッスよ」


「リーダーのことです。僕大ッ嫌いなんです、あの人」



にこにこ、朗らかな笑みを浮かべた口元から放たれる完全な私情。

元々裏切りたかったから。兄に会いたかったから。状況がちょうど良かったから。リーダーが嫌いだったから。それだけで、私情だけで、中に人がいるとわかっていた建物の上半分を吹き飛ばしてやってきた男。


どうして信用してくれよう?


シルマーの言葉になるほどと、わかりやすく得心する者は己の直感に素直な生き方をしていたシリルくらいだった。元々自分がそうしたかったのなら仕方ない、嫌いな人がいたなら仕方ない、大切な人がこちらにいたからというのなら仕方ない。

シリルは大きく頷いた。それとはまた違った理由で、ルァンとホルホルが目を合わせて、まぁ、といった具合に頷く。

話を聞くにこういうタイプは、今一度裏切ったりだとかするタイプではない。聡明な2人がシルマーに下した判断は、今のところ無害、低リスク。脅迫だとか、取引だとかでこちらに来たというのならばスパイ行為をされる恐れも考えられたのだが。



「……皆揃ったら、ガーディアンとシルマーとで話すといいんだぞ」


「何?ホルホル、どう考えても怪しーこの人の事認めるって訳?ただでさえ永朽派に恋人がいるってワケで、内通とか密通も可能性あるのに、恋人伝ってあっちから弟が来ましたなんて怪しすぎるでしょ」


「まぁまぁ」



リベルがトゲのある言葉を。ガーディアンが威圧的に視線で返しを。その場の空気が剣呑なものになる前に、ルァンの柔らかな声音がその場のやり取りを収めた。

よろしくお願いします、とにっこり笑ったシルマーに、皆が皆、戸惑ったような顔をした。シアヴィスペムなんかは非常に複雑そうで、シルマーから一番離れた所でその姿を眺めている。

ホルホルとルァンはストップしていた資料の読み込みを再開すべく、ダイニングテーブルに積まれた分厚いファイルの中身を消化しにかかった。シアヴィスペム、ラクリマもそれを手伝わんとダイニングテーブルへ寄っていき、それぞれ向かい合うようにホルホルとルァンの隣へ腰を落ち着けて。


膨大な量のファイルの中、誰かの手によって厳選されていたソレは予想通り有益だった。

構造、コア、アビリティ、製造方法、相互作用、対ニンゲン、戦争用ドール、後天加工。ドール達の暮らす、今の鳥籠に残っている話の証拠となるものや、それを覆すもの、誰も知らなかったもの。

構造については、今も残る話とほとんど相違がなかった。コアと黄金でできたつくりもの。分解したならどうなる?別個体のものとくっつけてしまったならばどうなる?コアを入れ替えたならばどうなる?

気がかりなことと言えば、別個体のパーツをつけたとしても異常性や拒否反応はなかったと書いてあったこと。昔のドールと今のドールで、黄金に違いがあったのだろうか?

ルァンの向かい側、相互作用のファイルを読み進めていたホルホルが大きく溜め息をついた。



「どうかしたのかな?」


「……これ、確かにすごい、けど……読んでて気分悪くなるんだぞ、こんな」


「どうして?」


「完全にドールのことを道具扱いしてる。やってる事が相当惨いし、文体が、もうモロそんな感じなんだぞ」



確かに、この資料を読んでいて最も目立つのはドールの扱いの粗雑さだ。おおよそ、心をもつものに対しての接し方では無い。記録の部分にはドールの表情の変化などの記載がないせいで、苦しげな雰囲気や抵抗の手がかりが一切掴めないが故に惨さが減ってこそいるものの、読めば読むほどにドールに対する仕打ちは激化している。



「あ」


「どうしたんだぞ」


「これ、女の子?」



シアヴィスペムが開いていた、製造方法のファイル。皆が顔を寄せ覗き込めば、色褪せた写真の中で金髪の少女がきょとんとした表情を浮かべていた。素っ裸で、何も身にまとっていない、翼を持った小さな少女の写真が2枚、そこから先数ページは服を着せられた少女達の写真が並んだそのファイル。

一枚の写真の中に3人、全く同じ顔の作り、同じ翼、同じ身長の少女ドール。それぞれ違う表情。



「……女性体ドールは、どれも失敗、情動系神経回路のアンチシステムが適応されず、女性体ドールは皆“ 心 ”を持ってしまった」


「ンー…………つまりどういうこと?」


「情動系神経回路って言うのは……まぁ、感情、だとか、心とかのことだと思えばいいよ」



文面に今一度視線を落とす。まるで“ 心 ”を持っているドールの方がおかしいとでも言うようなこの文体。ニンゲンにとってドールとはなんだったのか。情動系神経回路のアンチシステム、とは。

ルァンが自分の手元にあった、戦争用ドールのファイルに手をかけて、ファイルを開こうとしたその時、玄関から話し声。

シルマーの一件ですっかり目が冴えてしまっている、普段なら寝ているはずのドール達も物音に気が付いたらしい。猫達が揃ってじゃらしを追うみたく、決して広くはない玄関方面へほとんど全員が視線をやる。



「ただいま……うお、なんつー時間まで起きてんだよ、ヘプタまで起きてんのレアだなー」



ほとんど全身に、直りかけのヒビが入ったクレイルが軽い調子で帰宅を告げた。左耳のピアスがない。ソファの背もたれの上に腰掛けていたマルクが、ほんの少しだけ上擦った声のまま喜び勇んで飛び出して。



「リーダーどこ行ってたんすっか!」


「待てマルク今タックルはまずら゙ッッ!!」



勢いよく飛び付いた。当然受け身を取れなかったクレイルは、バランスを崩して真後ろへ倒れ込む。


なんて、こともなく。




「随分熱烈だね」



テノールに近い、柔らかな語調の言葉が拠点の空気を震わせた。

腰にマルクが引っ付いて、勢いに負けるよう斜めったクレイルの背中に回される腕の主。包帯の巻かれた左の手が、くすんだ赤のシャツに覆われた肩をそうっと撫でる。黒の漢服に金のツタ模様、身体に走る大きなヒビ、照明の光を受けて淡く光を返すくすんだ桃色。

ぐっと、橙の髪持つドールの、バランスを崩したままの身体を起こしてやるみたく前に出て、活革命派一派の前に姿を晒したその男。赤に白を孕んだ翼で手中の鳥を包み、左手と同じく包帯が巻かれた右手で黒い袋を提げた、知った顔も多いドール。


アルファルド。



「見ての通り紹介したい人がいるから、ちょっと離れてくれるか?」



マルクの頭を、指ぬきグローブの嵌っていない暖かな手のひらが撫でる。子供をあやすような優しい声色のまま、そっとマルクに距離を取らせた。空いた手で玄関を閉め、軋んだスチール製の鍵をまわす。背後のアルファルドからも一歩、二歩と離れると、仲間達の前に立って、薄くヒビの走った顔をいつもの笑顔に。



「新しい仲間の……」



言葉を遮るように、ドンと、何かを強く打ち付ける音。ホルホルがテーブルを叩いて立ち上がった。



「反対なんだぞ」


「早いってのホルホル!」


「茶化すな、クレイル、オレが何を言いたいのか全部わかっててソイツを連れてきたんだろうな」



ハッキリ、よく通る声で告げられた、革命派のブレインからの反対意見。

ホルホルの黒曜石のような瞳とアルファルドの月のない夜のような瞳が空中でかち合い、後者がゆるりと細められる。

ホルホルに集められていた視線がゆっくりと外れて、その、掴み所のない微笑を浮かべるドールへ。どこからも怪訝な色だったり、知った仲からは驚嘆の色だったり。

包帯で手のひら部分が包まれた手が黒いメガネのテンプルをするりとなぞって、そのまま流した指先で長くも短くもない横髪を耳にかけた。ふぅ、と余裕げに息を着くアルファルドへとルァンがほんのり冷たい視線をやって、ほんの数拍、居心地の悪い間。それから、問う。



「どうしてか教えてくれるかい?」


「このドール、警邏隊の……シリルとクレイルを機能停止に追い込んだ張本人なんだぞ」



見ていた。小さくそう付け足して、表情を険しいものに変えたホルホルの言葉に、周囲の仲間は皆、同じように眉をひそめた。怪訝な顔をしていないのはシリルだけ。自分の名前が出たことに驚いているのかぱちくりと瞬きをして、それからクレイルの方を向く。

シリルはなぜ自分が大怪我したのかもよくわかっていなかったし、なぜクレイルがジャンク寸前になったのかもわかっていなかった。ホルホルからも、クレイルからも聞かされていなかったのである。

何故。何故己をジャンク寸前まで追いやった元凶を引き連れて帰ってきたのか。何故、自分で手を下したも同然のクレイルの後をついてきたのか。

ふふ、と、吐息混じりの声が小さく響く。アルファルドがその身に視線を集めたまま、緩く弧を描いた唇を開いて。



「そんなに警戒する?俺、案外平和主義なんだけどねぇ……君達が外を見るのを手伝ってあげるって言ってるんだから、そう身構えなくていいのに」



シルマーだけがニコニコと笑みを浮かべる異様な空間の中、そっと左手を伸ばして、翼の付け根から伸びる長いクレイルの飾り羽を持ち上げた。手のひらが包帯によって隠されたことによって指先が強調されたその手が、意思持たぬ錦を撫でて、指の腹が白い模様を摩る。



「クレイルはきっかけをくれただけだよ、俺だって外が見てみたかったしね。でもさぁ、少数で、追われながら、楽園かどうかもわからない場所で死ぬのと、大人数で、生まれ育った故郷の……楽園の中でぬくぬくと死ぬの、どっちが怖い?」



前者でしょうと付け足して、それから自嘲気味に、俺は臆病者だからと囁く。



「これは取引だよ、俺は君たちが外に出るのを手伝う。外が安全だったら俺もそのまま外に出るし」


「……オレ達は外が安全だって確証を持ってない、それでもこうして、腹括って、外に出るために動いてるんだぞ。オマエ、外が安全じゃなかったらどうするつもりだ」


「その時はクレイルを殺す」



右手に提げていた黒い布の袋を、拠点の、ダイニングテーブルの前に放り出す。ゴン!と重い音を立てて落ちたソレの口を解いて、塗装が所々禿げたせいか薄茶色の部分が広がる、金属の塊を衆目に晒した。



「当たり前でしょ、楽園を見せるって手を引いたのに、行き先が楽園じゃなかったらとんでもない詐欺師だしねぇ。責任取って、死んでもらわないと困る。そういう約束でここにいるの。弟子の命分は働くから、どうぞよろしくね。これは手土産」



身長の高いリベルは覗きこまなくたって全貌を把握できる。ほとんど正方形の、古びた金庫。

興味があるらしいアンドが前に出てきて、金庫のダイヤルをカチカチと回して遊び始めた。ラクリマとクラウディオも近寄って、クラウディオならば開けられるのではないか、などと好き勝手なことを言う。

険しい表情のままでいたらば、アルファルドの背後、クレイルがちょいちょいとホルホルだけを手招いていた。溜息を零しそうになるも、グッと抑えてそちらへ。アルファルドの隣を通り過ぎたらば、粉砂糖の甘い匂いと、黄金の、微かな鉄臭さが鼻腔をくすぐる。

ダイニングを離れ、修繕室に向かう階段を降りて、軋む木板の上を往き風呂場の前辺りで2人同時に立ち止まった。



「クレイル」


「ご、ごめん……」


「……あっちにつけた条件を教えるんだぞ」


「ヴォルガ達の情報を寄越すこと、俺達に協力すること」


「こっちにはなんて出してきたんだ?」


「外が楽園じゃなかったら俺を殺す」


「…………どうやって飲み込ませたんだ?」



はぁ、と深い溜息が、とうとう零される。心底呆れたとでも言うようなホルホルの仕草と言葉に焦ったのか、クレイルはいたたまれなさそうな顔のままに、ぽつぽつと話し始めた。ぐるり、ぐるり、翼の向こう側で長い尾羽が円を描くように振るわれる。

これしかなかったのだと、バツが悪そうに、されど真っ直ぐホルホルの目を見据えて。

クレイルは活革命派として旗を揚げることを決めていた以上、警邏隊関連のドールには近付かずに生きていかざるを得なかった。故に、彼の手中に警邏隊側の情報はほとんどなし、接点もなし、集めようにも相当選択肢が絞られる。

イレギュラーな事態が多かった。こちらからは攻撃していないのに攻撃してきたり、やたらと総合的な能力の高い個体ばかりが集められた部隊に目をつけられていたり。異常事態に気が逸っていたのだと。

一刻も早く相手側の情報が欲しかったが、二進も三進も行かなかった。そこで、警邏隊かつ既知の仲で親交もそこそこ深かったアルファルドから情報を聞き出せないかと謀って。聞き出すだけには留まらず、引き込んできたのだという。



「説得できなかったら、壊して、コアは取っておいて、全部終わってから身体に戻すつもりだった」


「……傷まみれなのが気になってたんだぞ、説得って言うのはもしかして肉体言語か?」


「あ、うん、右ほっぺと身体のはヴォル……警邏隊ので、左ほっぺはアルファルドせんせー」


「アルファルドの方、そこそこ広いヒビだったんだぞ、あんなに広く傷付けたのにあっちからは殴られておしまいだったのか?」


「や、俺が不意打ちしたからあんなでかい傷なだけで、普通にやり合ってたらもっともらってたと思う。だからこう、店ん中にあったベンチ振り回してぶっ飛ばして、馬乗りになって、ナイフでこう、手を……」


「もういいんだぞ、この脳筋」



ほっぺは馬乗りになった時に、だのとのたまういらぬ補足を聞き流す。左のピアスが無かったのは、殴られたかなにかの衝撃でなくしてしまっただけらしい。

ホルホルが眉間のシワを解すように額に手をあてて、今一度深いため息をついた。溜息の原因が自分だとわかっている張本人は、ごめんと小さく呟きながら後頭部に手をあてる。

それにしても、と、ホルホルが聡い頭を働かせながらほんの僅かに首を傾げた。こちらからの条件と、あちらからの条件が少々つり合わない。

いくら命を賭けるといっても、全てが終わって外界の状況に判断がつくまでは本当に約束を果たしてもらえるのかもわからない代物であるし、恐らくだがあちらもほとんど脅迫まがいの状況で取引を持ちかけられたに違いないのだ、命を軽んじる訳では無いが、それはそれ、これはこれと割り切って考えることのできるホルホルにとっては大きな疑問点。

たった一体のドールの生殺与奪を得る。それだけで、自分のいたグループ__それも、警邏隊だ。警邏隊を裏切るというリスクを背負い、かつこちらが外へ出る為への協力を惜しまないことを誓うだろうか?



「お前らと外見るのには、警邏隊なんとかしながら黒い卵を見つけなきゃいけねー。警邏隊なんとかするのに、あっちとのパイプが欲しかったけど、アルファルド先生ぐらいしか頼れなかったし……引き込んだら先生と戦わなくても済む、俺の命ひとつでこっちに引き込めるんだったら儲けもんだよ」


「オマエ……」


「俺はさぁ、お前らのためにうまれたんだ。最初から俺の命、お前らのみたいなもんだし。あ、お前らってのは、アルファルド先生も含めてな?」



ドールは必ず、誰かに望まれてうまれてきた。

望まれてうまれてきたのは、わかった。

では、ドールとは。

何のためにうまれた?

ああ、また違和感。腹の奥底から伝って、ぐずぐずと這い上がってくる強烈な違和感たるや。近頃ホルホルの、かしこいあたまを悩ませて悩ませて仕方がない。

本日何度目かの溜息をつこうとしたら、ドカンと、上から大きく破壊音。曇っていた思考が急激に横へ流されて、するりと、緊迫感に晴れていく。殆ど同時に駆け出し、羽ばたきのままに飛び上がり、階段をすっ飛ばして廊下へ。そのまま、ダイニングに。



「ちょっと、危ないですって!」


「おい、シルマー!」


「この人やっぱりやばいッスよ!!」


「だからおにいさん反対したのにー」


「すみません!わ、わざとではなくて……ごめん兄さん……」


「……謝るのは俺じゃないだろ」



シルマーが、天板部分の削ぎ落とされた金庫の前で謝罪する。どうやら、どんなに頑張っても開かない金庫を解錠するのにアビリティちからわざを採用したらしい、もっとも破壊力に長けているシルマーが金庫を破壊して、力加減を謝ったのかいざ知らぬが、ついでと言わんばかりにダイニングテーブルの脚もへし折っていた。手前側の二本の柱が、伏せをする犬のように折れて畳まれ、机の上のファイル達がノンストップで滑り台を楽しめるほどには急な傾斜を生み出している。

危ないです、と初っ端に叫んでいたヘプタが困ったように無惨なダイニングテーブルを眺めて、言わんこっちゃないとでも言うかのごとくリベルがその場から距離をとった。

そういえばアレ誰?と呑気な声が右隣から。ガーディアンの弟で、元警邏隊のシルマーだと答えてやれば、弟いたんだとまた呑気な声。ホルホルは先程つき損ねた溜息を、これでもかとついてやる。



「あぁ、でもご覧。中身は私達お目当ての物みたいだ」



ルァンが一歩前へ躍り出て、天井部分の抜けた金庫の中に腕を差し込む。出てきたのは、写真付きの紙の束。



「アビリティまで全部書いてあるねっ!!」


「これあれば永朽派に痛い目見せられるんじゃ……」


「スペム、過激すっね〜」


「あは、どうせセレンがあっちにいるなら顔も格好もバレるでしょぉ?こっちも知っておこうよ」



紙束を持ったルァンがリビングのローテーブルにソレを広げる。活発的なドール達がリビングのローテーブルに押しかけて、思い思いに書類を手に取りはしゃいでいた。

ガーディアンサンの恋人サンだ!ラクリマによって高々と掲げられた紙を、背の高さを活かしてガーディアンが奪い取る。



「アルファルドさんこんばんは、この金庫はどこから?」


「拠点。なんでか崩壊してたけど、手近な場所にこれが転がってたから持ってきたんだよねぇ」


「そうだったんですね。ちなみに聖堂壊したの僕です。あとそれ、落ちそうですよ」



なんでお前がここにいるのだといった空気感もまるでなかったかのように、先程ダイニングテーブルの脚を折ったことなんて忘れたように、ニコニコ笑顔のシルマーが、アルファルドへと声をかけた。

声をかけてきたにも関わらず、アルファルド自身へそこまでの興味関心はないのだろうことが伺える。アルファルド自身の境遇だとか心境だとかには一切合切口を出さずに、ただ、韓服の懐から覗いたシャルトルーズイエローを指さして“ やさしく ”注意を促すその仕草。

対するアルファルドもシルマー自身にはそこまで興味が無いらしい、ほんのちょっぴり眉根をあげてもう一度どうもと返しながら、顔を出したソレを懐に押し込むでもなく、眼前に引っ張り出して楽しむように眺め出した。

白の模様が入った黄蘗きはだ色、根元の方には暗紅の羽毛の、大きな__といっても、ドールの翼の中で最も大きな羽のサイズを考えたならば中くらいと呼ぶのが正しいだろうが__風切羽。くるくる回して、残った温度を味わうように口元に添えて薄ら笑うその姿。


背後から見ていたホルホルが、胡乱気な色をまとった黒を隣のクレイルへ。



「ん?何?」


「…………なんでもない」


「もしかして怒ってる?」


「怒ってない、ただ、オマエ……多分チョイス最悪なんだぞ」



ガーディアンに関しては何も言うまい。シルマーのあの振る舞いはうまれながらだと言うのなら、ガーディアンにチョイスもクソもあったもんではないのだ。まぁ、少々おかしかろうと害意があるようには見えないので不問とする。

どういう意味、と言いかけたのだろう言葉を無視してダイニングテーブルへ。床に落ちた黒いファイルを集めてから、自分も永朽派のドール達の情報を頭に入れるべくリビングのローテーブルへと歩を進めた。






カチリ、カチリ、時計の音。

深夜だと言うのに、誰も眠らぬだなんて滅多にない。シルマーやアルファルドがいる為に落ち着けないと言うにしたって、あまりにも皆寝る気が無さすぎた。

昼間の騒動が余韻を残しているのか、まだ眠ってはならないという第六感が元なのかはわからない。まるで今夜が、志を共にする仲間が全員揃って夜を越す、最後の晩だと思い込んでいるような妙な一体感が彼らの眠気を殺していた。


ひとしきり書類を回し読みした後に、クレイルがたんと軽く手を叩く。しれっと隣に並んでいたアルファルドは、衆目を集める仕草がヴォルガそっくりだななんて頭の端で思ったが、逆だろうと思い直した。クレイルにヴォルガが似たのか、2人ともが同じ誰かに似たのか、定かではなかったが。



「言うの遅れて悪い!お前ら今すぐ荷物まとめろ!夜明けにはここ出るぞ」



急で悪いな!と満面の笑みで告げられた引越し宣言、否、ほとんど夜逃げ宣告に近い。ミュカレ達の一件を知る仲間達は急な移動にも納得が言ったのだろう、わぁわぁ言いながら、遠足でも行くようなノリで自室に荷物をまとめに行く。


これから巣を離れると言うのに、あまりに抵抗のない流れ。



「はいっルァン!」


「どうしたのかな?」


「標識はどうやって運べばいいかな?」


「残念だけど、置いていきなさい」


「あとガードレールと三角コーン、サインポールもダメなんだぞ」


「サインポール?」


「青と赤と白のねじねじの柱みたいなやつなんだぞ」


「あれサインポールって言うんだ、持ってっ……ちゃダメ!?なんでそんなこと言うんだい!?」


「また集めたらいいよ」


「普通に考えて嵩張るからダメなんだぞ」



複数箇所に寝床を持って、それをローテーションで活用するといった移動ならばともかく、ねぐらを作り生活を営むような生き物たちの中において“ 巣の移動 ”に抵抗のない生き物などいない。それが、ヒトほどのサイズの大型のいきものであるならば尚更。

だと言うのに、今こうして慌ただしく動き始めたドール達はなんの抵抗もなく荷物をまとめ始めた。難色を示していたり、あまり乗り気で無さそうな者はかさばる大切な荷物が多い者だとか、セトモノのような装飾を集めていた者だとかだ。


クレイルが革命派の人員を集めるにあたって、決めていたこと、そして明言できることはふたつ。

ひとつ、じぶんよりさきにつくられた、じぶんのなかまであること。

ふたつ、鳥籠内に作っていた巣を捨てさせること。

前者はとにかくとして、後者はほとんど強要させるに近かった。悪い事をしたとは思っている。

一度巣を捨てさせて身軽な状態にし、かつ巣を捨てることを最低限一度経験させることで、巣捨てへの抵抗感を薄れさせたのだ。こうでもしなければ、こうなった時、身動きが取れなくなってしまうから。


まず真っ先に見られたくないものを纏めるよう指示を出す。自分の荷物は着替え以外にほとんどない為、後回しにしたって構わない。2階へ上がり、別れてから一度も姿を見ていない青玉の部屋へ。



「……?、どうしたシア」



2階に自室のあるドールが慌ただしく動く廊下。青玉の扉の前には、空っぽの、普段ならば食料を入れるための麻袋。一体なんだと思いこそしたが、それも直ぐに消え失せる。最も奥の扉の前で、シアヴィスペムが目を見開いたまま固まっていた。



「こ、これ……」



扉が開いている。


年中鍵のかかった部屋の扉が、開きっぱなしで大口を開けている。中から漏れているのだろう青い光を浴びたシアヴィスペムの白い髪が、白く光る月のようにきらきら揺れてちらついた。

2階に自室を持つルァンも異変に気が付いたらしい、シアヴィスペムのことが心配なのか、長い尾羽を引き摺って、すり足のような小さな動きでこちらへ。

初めて望む部屋の中。


ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。


規則的に、小さく小さく音を立てる機械音。

狭くはないが広くもない、至って普通の、窓がひとつだけの部屋。カーテンの開かれた窓の向こう、星一つないせいですっかり鉄の格子も溶け込んだ、真っ暗闇の夜空が広がる。

無機質な光が“ ひみつ ”を覗いたドールの頬を青白く照らした。

ディスプレイの中央右にはいくつかの橙色の丸と、それに紛れるようにひとつの青い丸が群集している。目線をほんの少し上にやれば、今度は青い丸がいくつか、それからその中に交わるように橙色がぽつりとひとつ。

橙色の丸の群れの下あたりには、蛍光ブルーで太く、横一文字に光の表示。


ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。



「なになに?どうしたんすっか」


「これは、何かなリーダー」



壁一面にディスプレイと機械が広がるその部屋は、異質だった。

この拠点には機械と呼べるような機械がほとんど置かれていない。せいぜい家電だ、南通りでは食品を缶詰に加工するための小さな機械だったりが売っていたりするのだが、そういった物はひとつも置かれていなかった。

今こうして目の前に広がる、重苦しいモニターだとか、キーボードのような、それこそ専門知識があった方が有利な器具は尚のこと。

原因は、リーダーの致命的な機械音痴なはずなのだが。



「俺もわかんねーよ、この部屋、俺がここに来た時からずっと閉まってたし」



はっきりした語調で、ルァンの問い掛けを言い伏せる。

吸い寄せられるように部屋の中へ。デスクの上には赤いインクがこびりついていたが、埃は殆ど積もっていなかった。


橙色の丸が群れる画面に手を伸ばす。


ディスプレイに指先が触れると同時に、敷居の向こうでマルクがぎゃあと悲鳴をあげた。それにつられるようにシアヴィスペムとルァンの視線がクレイルから外れて、クレイルも驚いたように扉の方へ視線をやる。



「ぎゃーッッ!!!誰!!」



機械を相手にしている時は気を逸らしてはいけないが、仲間の悲鳴が聞こえたのなら“ 仕方がない ”。悲鳴から一秒と置かずにガシャンと何かが爆ぜる音。今度はその音にシアヴィスペムが悲鳴をあげた。

ポカンとするクレイルの右手の先、爆発四散したディスプレイが火花を散らしてノイズによく似た断末魔をあげる。ヂリヂリ、空気の焦げる匂いがやけに辺りの雰囲気を懐柔していく。



「クレイル!!」



誰、誰、誰とほとんどパニックになるシアヴィスペムとマルク、ルァンの前を抜けて部屋へやってきたのは見知らぬ青年。急いで出てきたのか扉の枠を掴んだまま肩を上下させていたのだが、部屋の真ん中で呆然と立つ人を見留めると、長らく雪の下で眠っていた花が開くかの如くその顏を綻ばせた。

きらきら、ステンドグラスのような大きな翼がやけに目に付くその姿。清廉な水でできたかのような羽を揺らして、ゆっくりとやってくる見知らぬひと。



「……青玉?」



散乱したディスプレイの破片を避けて、緩い和服の裾をたなびかせながらやってくる青年の名を呼んだ。


ドールとは、良くも悪くも“ 心 ”に強く影響されるつくりもの。

例えば、虐げられて。

例えば、何かを奪われて。

例えば、片割れを失って。

からだとこころの調和が崩れると、上手く成長することが出来ない脆いつくりもの。

時の止まっていた歳月を、たった数時間で越えようとする無茶なつくりもの。


けれど、揺らがぬ“ 心 ”さえ得たならば、そんな無茶も超えてしまう。



「……同じ時間を歩む覚悟を決めるのが、遅くなってしまった。ごめんね」



つくりものと称されど、成長する、“ 心 ”をもったいきもの。

10何年と姿を変えない鳥の前に、一晩でその年月を飛び越えて見せたかつての小鳥が跪いた。













​───────​───────















「無事でよかったです、ええもう、ほんとに。逃げもしませんでしたからね。よかった。本当に……」



怒っているような声が無機質な部屋に溶けて消える。真っ白な天井、照明と最低限の装飾以外は何も無い、真っ白な壁に真っ白なシーツ。清潔感を混じさせる匂いは、ニンゲンが嗅いだならば皆が口を揃えて「病院、保健室の匂い」と答えるケミカルなソレそのもの。知らない部屋の知らないベッドの上で、崩壊の瓦礫を浴びてヒビの入った両脚の傷が完全にふさがるのを待っていた。折れこそしなかったものの、十分大きな傷である、心配性の恋人と親友のためにも、大人しくしているが吉だろう。

昼間、最後に会った時よりもやつれたように見える親友の姿に、檳榔子玉が不安そうな顔をする。

もう全てが気に入らないのかなんなのかはわからないが、不安そうに首を傾げた檳榔子玉に対してすらも大きな溜息をついたヴォルガが苛立たしげに話を進めた。



「あなたの事ですから、逃げると思っていました」


「……最初はね」



檳榔子玉の足首に、足枷は見当たらない。



『貴方、私みたいになりたいって言ってましたよね』



建物を破壊する前に、檳榔子玉の目の前で檻を粉々に粉砕した白いドールの姿を思い描く。幼い頃に一度出会っていた懐かしいドールは、目の前の親友に対して反旗を翻してみせた。

アビリティで檻を、足枷を、鉄くず同然に変貌させて、平然と、来るか来ないかを迫ったシルマーの声が耳にこびりついて離れない。穏やかな声、声に反して荒々しい素行、気持ちはそんなものかと嘲って見せたあの男。


檳榔子玉は、逃げ出すチャンスを棒に振ったのだった。



「白の翼の人、大好きな人のところに行くんだって」


「そうですか」


「派閥に遮られるくらいなら裏切るって」


「そうですか」


「だから俺もそうした」



幼さの残る顔が笑みを形作って、きらきらひかる青い瞳がやんわりと細められた。ヴォルガは、不思議と青い目のドールに弱いことを自覚している。嬉しそうなその表情へ小言のひとつでも言ってやりたかったというのに、なんにも言わず、ただただ乾いた笑いを零した。



シルマーの手によって崩壊した拠点は、現在警邏隊のヒラ人員と、特殊部隊の面々によって着々と解体が続けられている。

自分の部屋のあった辺りを捜索して、大切なものが壊れていないかだとかをチェックするのに皆忙しいのだそうだ。幸いなことに、揃えられていた家具がほとんど新品で、さらに質がよかったこともあり、飾り棚だとか机の引き出しだとかの中身はほとんど無傷だったのだそう。

残念なことに、ロウやカーラの集めていたキラキラの、綺麗な割れ物や硝子細工達は全滅してしまったが。

綺麗なものを集めることが大好きな二体のドールの心持ちを心配していたが、意外なことに二体ともあまりショックを受けていない様子だった。

カーラなんかは、美しいものはまだ沢山あるだろうといった様子で悲観していないし、本部でストリートドールを一通り遊んでから帰ってきたハズのロウに至っては壊れた破片を見てニコニコしている程だった。



「……事情はわかりました、必要なものを申し付けてくれれば用意します」


「本当?こう、銃に剣がくっついてるのが欲しいんだけど……こう、こう」


「かっこいいのは伝わりましたが何もわからないので、絵で説明してください、後で取りに来ますからね」


「はい」


「あぁ、それと、聞きたいことがあるのですが……貴方達、トランシーバーに爆薬とか入れてました?」


「知らない……何それ怖……」


「ですよねぇ、“ お師匠様 ”が子供にそんな、爆発するような危ないもの持たせるとは思えません」



昼間、青玉から取り上げたトランシーバーを爆弾のように扱ってきた“ お師匠様 ”の話。



「……一緒に絵かいてた頃から、妙に詳しいなって気になってたんだけど、クレイルと瑠璃って知り合いなの?」


「えぇ、それはもう。“ お師匠様 ”のことなら大体なんでも知っていますよ。好きな物も嫌いな物も、昔は永朽派だったことも」



ばっと、手元を見ていた顔を上げる。キョトンとしたヴォルガの緑の目が、ああ、と得心したのか声色を変えて話を続けた。



「お師匠様は昔はどちらかと言うと永朽派でしたよ。そして私がどちらかと言えば革命派寄りでしたね」



黒いグローブに覆われた手が、考え事でもするみたいに顎に添えられた。

曰く、12年前までは共に暮らしていたということ。12年前までは、クレイルが永朽派であったこと。12年前までは、ヴォルガが革命派であったこと。



「……3人で暮らしていたんです。お師匠様と、私と、マネージャーさんとで。永朽派を謳っていたはずのお師匠様がおかしくなったのは……鳥籠を出たがるようになったのは、マネージャーさんが亡くなってからです」


「……瑠璃が永朽派になったのは?」


「それはマネージャーさんが亡くなる半年くらい前からでしたかね。まぁ、昔の話です。今更ひと殺しの過去の派閥なんてどうということありません。お気になさらず。それで言うならトランシーバーに爆薬も有り得るのでしょうか……」


「いや、多分トランシーバーはただの機械音痴のせいだと思うけど」


「……機械音痴?お師匠様が?」



昔の話はしたくない、とでもいうような振る舞いの後、続けられた檳榔子玉の言葉にヴォルガが素っ頓狂な声を上げる。



「ご冗談を、お師匠様は機械を扱うのが大変お上手でしたよ」



何を馬鹿なとでも言うように笑みを零したヴォルガの表情は、昔を思い出して笑うみたいな、子供のような、はにかみ混じりのものだった。

紙とペンを呆然とする檳榔子玉に渡して、それからつぅっと視線を滑らせる。隣のベッドではラフィネがお人形を抱き締めたままぼうっとしていた。

地下牢で見張りをしていたラフィネは情報通達役として配置していたのだが、制圧役として配置していたシルマーが反旗を翻した為に逃げる余地は与えられず。右脚を潰されてこそいたが、地下牢や地下室が無事だったのが幸いした。お気に入りの人形は、不安そうなラフィネのためにヴォルガが回収してきたもの。

メーヴェさんも貴方のことを心配していますよ、と差し出された人形に、ラフィネの全身の強ばりが解けるのはすぐの事だった。


ここは地下3層、警邏隊本部修繕室。


窓ひとつない空間、落ち着いた白のタイルが冷ややかな空気の色をより一層冷たいものに変えていた。檳榔子玉に別れを告げ、ラフィネに休んでいるよう言いつける。

後ろ手に閉めた修繕室の扉の向こうには、無機質で温かみのない、ホワイトグレーの廊下が広がっていた。

地下街なんて、来たことがなかった。昇降こそこの建物のエレベーターのみで行っているから、未だ地下街そのものを見たことは無いのだが。確実に言えることはひとつ。明らかに文明の発達度が違うこと。

近未来的なシンプルなデザインをした内装は、地上の街にある、生活感の名残があった廃墟達とは明らかな温度差があった。明らかに生活の為の空間ではない、知り得る知識から最も当てはまりそうなものを選ぶとすれば、研究所だとか、保健所だとか、そんな具合だろうことが伺える。

地上に住むドール達の間では都市伝説のような扱いを受けてこそいるが、事実鳥籠は地下四層まである縦長の籠だ。

ヴォルガも大して詳しい訳でもないが、地下街に拠点が移されるということで最低限の情報を雄彦から渡されたばかり。荷物の搬入は大型エレベーターを使うこと、大型エレベーターの操作方法などがまとめられた紙を渡されて、ヴォルガはほんの少しだけ目眩がしたのをよく覚えている。

技術レベルの格が違うのだ。

既に視界に広がる景色にも、繋ぎ目ひとつ、ヒビひとつない、地上では有り得なかった建築物の中で、妙な息苦しさに苛まれるかの如く不安定な呼吸しかできない。

こんな高度な、新しい建築ができるというのならば地上の建物を立て替えるでもなんでもして、長らえさせることが出来るはず。エレベーターだなんて、こんな大型の機械を作って動かせるほどの技術と電力があるなら、地上の死にかけた電気システムを復旧させることだってできるはず。

技術を、能力を持っているのに、何故。


『うまく飛べなくても、ヴォルガにはまだできることがあるよ』


優しい、限りなくソプラノに近い高い声が思い起こされる。小さな手に握らされたプラスドライバー。空を諦めても、外を諦めることはしなかった幼い頃の心の話。

あの時受け継いだ技術も、能力も、誰かの為に振るってきた。鳥籠を、永朽派だった“ お師匠様 ”が愛した鳥籠を守る為に使ってきた。家族の愛した鳥籠を守ろうとしていたら、当の家族がソレを壊そうとするなんて思ってもみなかったけれど。

薄気味悪い施設の廊下の奥、見覚えのある後ろ姿が扉の前に突っ立っているのを目に止める。



「ニアン、梦猫」


「あ、りぃだぁ……」


「どうかしましたか?」



困ったように視線を彷徨わせるニアンの隣、おくるみを抱えた梦猫が、ほんの少しだけ震えた声音で言葉をこぼす。



「……ねぇリーダー、これ何かわかる?」


「これ、とは」



そうっと捲られたおくるみの中には、青い葉っぱに身体を蝕まれた猫がいた。痩せた姿に三毛の毛色、体を突き破るみたく広がる青い草葉。

目が痛くなるような青に、ヴォルガもついつい顔を顰めた。どうすればいいのかわからないのだろうニアンがソワソワとしているものだから、なだめすかすように深呼吸を促す。



「猫に、ご飯あげに行ったら、みんなこんな感じになってて」


「場所は」


「啄木鳥の森から少し行ったところの、廃ビルが沢山ある場所」


「それはヘプタの葉っぱじゃないかい?」



背後、朗らかな好々爺の声にその場のドールの肩が跳ねた。ニアンはビックリしてしまって、自分より大柄なヴォルガの背後に隠れてしまったし、梦猫も操作可能な髪の毛がぴょこんと一瞬跳ねてしまう。

真っ白な翼に、ちかちか光るひかりのたねを忍ばせた、最年長のドールの姿。



「この葉っぱは、ある子のアビリティのものに凄く似ていると思うんだけど」



猫の身体からぷちりと、青い葉を取り上げる。触っても平気なのかと言わんばかりに、ほんの少し身を引いた梦猫とヴォルガの目の前、ゆるり、ゆるり、シワの刻まれた口角がそうっと持ち上がる。

ヘプタというドールの話。ニアンも友人だと小さな声で付け加える。

自らのアビリティを“ 青 ”と呼称する少年のドールで、配達屋を名乗り、鳥籠内を駆け回るドール。



「どうして猫が、こんなふうになってるんだろうねぇ……」



青い葉っぱを照明に透かして、うっそりと微笑むその姿。

白い光がアースアイに差し込んで、ゆったりと色を変えて見せた。どうしてだろう、と囁くその声は、ゾッとするほど粘性を帯びている。どろりどろり、音も立てずに落ちていく。粘度の高い油のように、煌めきながら、尽きることなく落ちていくような。

不思議で不思議でたまらないといった声色の後に、ぱっと、いきなり照明が着いて暗闇が晴らされたみたいに、纏う雰囲気が切り替わる。先程まで薄暗かったというのに、唐突に明るくなってしまった視界に対応するのは難しい。猫ちゃんを埋めてあげなくていいのかな、と微笑むそのドールに、梦猫がほとんど反射で縦に首を振った。

踵を返す。夜も遅いですから気を付けて、と半ば叫ぶみたく背後で上げられたヴォルガの声に、返事も返さず駆け出した。長い、無機質な廊下を往く。猫が歩き回ったならばきっと腰を痛めてしまうような白さの上を駆け抜けて、昇降機に向かって一直線。



「うあッ!」


「痛……っ!」



白い脚がタイルの上を踏み締めていたらば、廊下の脇、唐突に開かれた白い扉をくぐってやってきた別のドールと衝突する。猫だったものを手放すことはなく、抱き締めたままにフロアの上に尻餅をついた。



「あ、」



顔を上げる。ばちり、梦猫の真っ赤な、真っ赤な真っ赤な瞳と、ぶつかったドール__カーラの、アンティークゴールドの瞳がかち合った。

梦猫は常に目元を隠している。長い前髪をカーテンのようにして、部屋の窓を塞ぐように、外界との交流源を断つように、光が入ってこないようにするように。



「すまない……立てるか?」



普段ならば、駆け回るな、立てと、手を差し伸べるはずがないようなカーラが梦猫に向かって手を伸ばした。見られた。目を。忌々しい目を。

ほんの少し震える手で、巨躯をもつカーラの、爪紅で黒く彩られた指先が妖しい大きな手を掴んだ。

ぐぐっと身体の起き上がる感覚とは相反して、心は深く沈んでいく。手に抱いた猫の亡骸に、とうに潰えた熱を求めるみたく手のひらに力が篭もる。

梦猫の中の苦くて不味い思い出が、たった一瞬で脳裏を埋めつくし足元をおぼつかなくさせる。“ お願い ”を聞いてくれなくなるかもしれない。歌を聞かせてくれなくなるかもしれない。


ドールは、“ 心 ”が不安定な幼い時期に受けた影響を、良くも悪くも長らく引き摺っていきていくものだ。

例えそれがどんなに些細なことだとしても、一度ひっかかってしまったものは決して流れやしない。トラウマと呼ぶのが正しいだろうソレは、生きるニンゲンと大差がなかった。

梦猫が目を隠す理由。

生来人付き合いが不得意で、誰かと話すのが得意ではなかった。梦猫にとってはドールとの交流よりも猫や動物達との交流が色濃いもの。

あの日から、愛しかった小さな温もり達を恐れさせてしまった赤い瞳が忌々しくて仕方がない。ドールは自分の成長や老化に自分の意思で緩急の制御をつけることこそ可能だが、面影を残さぬ完全な変貌は思いのままという訳にも行かなかった。

生まれながら持った真っ赤な瞳。怯えた子猫の眼差しが、未だに梦猫の瞼に焼き付いて離れない。



「どうかしたか?マンマオ」


「……目、見た?」



前髪の隙間から見上げるように、自分よりも遥かに高い位置に在るカーラの顔を静かに見遣る。長い睫毛に、この間割られたはずが傷一つなく直った美しい顏。色味の落ち着いたタイガーアイのようなその瞳は、お世辞にも目付きがいいとは言えないかもしれない。けれど、梦猫からすれば羨ましくて堪らない、優しい色の瞳で。



「あぁ、悪い。綺麗な赤で、つい」



レッドスピネルに似ているな、と続けたカーラの言葉。



「……綺麗?怖くない?」


「アンタ、自分より小さいドールの目が綺麗だっただけで怖がるのか?」



言外に、1ミリも恐ろしくなど思っていないと諭される。もう一度見てもいいかと尋ねられて、恐る恐る、本当におっかなびっくりに、ゆっくり前髪を持ち上げた。



「……あぁ、綺麗だと思う。どうしてそんなに“ 綺麗 ”な目を持ってるのに隠してるんだ」



カーラの審美眼は、仲間内でも一際ずば抜けたものだ。彼の集めてくる装飾品は誰しもの心を安らげるし、彼の好いた煌びやかな品はどれもこれも、俗的にいいものと称される品ばかり。

誰から見ても美しいカーラは、真に美しいものを見つけるのが得意なのだ。

そんなカーラの言葉に、梦猫の身体から強張った、冷たい、凍てつく氷の芯が抜けていく。



「昔」


「あぁ」


「仲良しだった子猫に、怖がられて」


「……」


「…………マオ、友達少なかったから、その子を怖がらせちゃってから、マオの目は隠しておかないとって、思って」


「……僕が目を見たくらいで怖がったりするほどヤワなドールだって言いたいのか?」


「それは違うけど……」


「僕が綺麗だって言ってやってるんだ、隠さず歩けとは言わないから胸を張れ。ちょっとぶつかったくらいでナヨナヨするな、オマエ、やるべきことがあるんだろ」



ぽん、と大きな手が梦猫の手を撫でた。

逆の手が、おくるみに包まれた猫の亡骸を指で指す。

ゆるく持ち上げられた梦猫の赤い瞳には、ほんのり、ほんのうっすら、塩の味がするのだろう透明な空が張っていた。



「マオのお願い、聞いてくれる?」


「僕にできないことがあると思ってるのか?」


「……にゃんこ、埋めるの手伝って」



人と話すのが不得意な梦猫が手に入れた、彼なりの小さな交流術。話しかけるには、会話をするのには、お願いごとをするのだ。梦猫の言う“ お願い ”が、ささやかなSOSであったことなど誰にもわかるはずがない。されど、カーラの高飛車な態度と振る舞いと、美しい、綺麗なものを愛するうらやむ心が、誰も知らないSOSを拾ってみせたことだけは確かだった。

拾いこそしたが、救われたのかどうかはわからない。


昇降機の中で、細い呼吸が紡がれる。おくるみの中には熱が消えた獣の姿があって、対を成すように、鳥籠の中にはにせもののつくりもの達が、あやしくくすぶる苦い熱を抱えたままに蔓延っていた。










​───────

Parasite Of Paradise

9翽─暮夜騒ぎ

(2022/01/22_______14:00)


修正更新

(2022/09/22_______22:00)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る