承─継承

7翽▶遠慮なく














さらり、さらり、春の初め頃特有の、土の香りを含んだ風が森の中を撫でて回る。木漏れ日が窓の外からチカリと瞬いたものだから、長い前髪の下から覗く、真っ赤な瞳をついつい細めた。


啄木鳥の森、アルファルドの製菓店。


店に設置されたベンチに寝そべる猫のような同僚を横目に眺めて、門前雀羅もんぜんじゃくらていである店先にするりと視線を流す。

日曜日だと言うのに、全くと言っていいほど客が来ない。やって来たのはサボり目的の同僚だけ。梦猫とアルファルドは、仲良しという程でもなかったが、全く反りが合わないというわけでもなかった。時折、ほんのたまぁに、サボる彼のことを見かけたとしても黙っておくくらいの仲。

ぱちり、静かな店に何かの駆動音。アルファルドよりも先に梦猫が反応したらしく、ゆるりと緩慢な所作で顔を上げて。



「……ラジオついてるよ」


「ラジオ?つけてないはずだけど」


「さっきパチッて音したし、まだなんか喋ってる」


「…………ホントだ、寝床の方のラジオがついてる。勝手につくわけないんだけどねぇ」



梦猫の言葉に対してアルファルドがそっと耳を澄ませれば、店の奥、そのまた奥に仕舞いっぱなしだったはずのラジオが、いつの間にか声を上げていたらしいことがわかった。

アルファルドは世俗に興味が無い。梦猫もまた、大して世俗に興味はない。2人ともラジオをつけるなんて滅多なことではしない。勝手に電源が着いたのだろう、店の奥まで戻り、ワァワァとあがるノイズ混じりの歓声を黙らせた。

そんなに古いラジオという訳でもないのに、もうダメになってしまったのだろうか。ダメになってしまったかもしれない機械を前に、ここ暫くは電子機器の入れ替わりがなかったから油断でもしていたかと息をついた。勝手にオーブンがついたり、やけにコンロの火力があがったり。越冬前はよく爆発もしていた電子機器たちに視線を流す。

よく故障こそしていたが、決してアルファルドの管理がずさんな訳では無い。むしろ彼は几帳面な上に職人気質なドールで、自分の使用する道具の手入れは欠かさない方だ。



「アルくん、ねぇ、ちょっと」


「……今度は何?」



どことなくいつもよりも焦り気味な梦猫の声が、店の営業スペースの方から投げかけられた。緩い動きで上がり框の向こうに足を下ろして靴を履く。アルファルドが靴を履いている間に、梦猫はさっさと店の軒下に出ていた。店主がこちらへ来るのを見留めると、早歩きで、乾いた林道を横切るように先へ往く。

大した風もないというのに、不思議と森がざわめいていた。遠く、遠く、僅かに垣間見えた揺蕩う水面の向こう側、鉄塔が円形に立ち並ぶエリアから激しく花火の音が鳴っている。まぁ、ここまで離れてしまえば大した騒音でもなんでもないのだが。

啄木鳥の森は他の土地よりも高い位置にあった。故に、鳥籠をほんの少しだけ俯瞰することが出来る。異様なまでに雨が多かったがそれを鑑みたとしても、この景色が望めると思えばプラスもマイナスもゼロと言ったところ。

梦猫は道から外れて、ほんの少し奥に進んだ位置にある楓の木の下にしゃがみこんでいた。アルファルドの近寄る足音に気が付いてか、前髪で目を遮った白い顏がこちらを見やる。



「……猫」



先が5つに別れて手のような形をした葉が連なる、誰かを手招くように揺れる楓の木の下に横たわっていたのは、虎柄の猫だった。誰かに可愛がられていたのだろう、首には黒い首輪が嵌められて、虎柄の毛並みは丹念に手入れをされていたのか乱れがひとつも見当たらない。猫だけを見るのならば、眠っているようにも見えるその身体には、青い植物が根を張っていた。

格子の向こうの晴天を切り抜いて植物の形に貼っつけたような、目に痛いほどの青が、虎柄の猫を蝕んでいる。

手を伸ばして、猫の身体から青い植物を払おうとした梦猫をアルファルドの一声が制する。得体の知れない物に、易々と触るものではない。



「誰かがやったのかな」


「どうだろうね……こんなのは初めて見たから、なんとも」


「猫はなにも悪いことしてないのに」



梦猫の平坦なはずの声のトーンが、いつもよりほんの少しだけ下降する。ざわりと喚く森は、慰めているのか囃し立てているのか。

猫の死体に今一度視線をやる。ほとんどと言わず、もはや完全に無傷の状態だった。毛皮の下から青い蔦が伸びていること以外は、身体のどこにも傷なんて見当たらない。

ふと、楓の木の根元に目をやれば、土と木の根の合間からちらりと青い葉が伸びている。隣の木、その隣、林道を突っ切って自分の店。

コンクリートの下地と土の合間。



「……何、これ」



青い、小さな葉が並んで顔を出している。

梦猫が後ろからついてきたらしい、並んでしゃがみこみ、隙間から顔を出す真っ青なソレを眺め初めた。



「地下から?」


「だろうねぇ」


「……あ、屋根にも」



梦猫の言葉に、アルファルドの眉間へ僅かに皺がよった。ばさり、ばさり、翼をはためかせて舞い上がり、シンプルな造りの屋根へ降り立って。梦猫も、上一対の翼を使って屋根の上までついてきた。

彼の言うとおり、屋根の建材の隙間からも青い葉が。



「営業に支障が出たらどうするかな」


「……店舗移動?」


「それはしないかもねぇ」


「なんで?」



遠くからまた花火の音。昼間に上がる花火は、光よりも音と煙を目当てにあげられるものだ。水曜と日曜はレースの日であるから、飛行競技場から毎度毎度花火の音が聞こえてくる。しかしまぁ、今日はなんだかやたらと回数が多い。



「俺はねぇ……変化が、」


「……変化が?」


「…………変化が嫌いだからねぇ」


「ふぅん……わからなくはない、かも」



梦猫が興味なさげに相槌を。踵を返して軽やかに、それこそ猫みたいに屋根から飛び降りて行った同僚の背中を目で追った。サボりはもう十分なのかどうなのか、梦猫は店の中に戻らずに、まっすぐ啄木鳥の森を足早に出ていく。廃ビル街の方向へと消えていった同僚の姿をぼんやり見送って、深い溜息をひとつ。



「アルくんとマオが変化が嫌いでも、マオ達のことなんてほったらかしでどんどん変わっていくものってあるよね」


「……そうだねぇ」



何が理由で芽吹いたのかさっぱりわからない、青い植物がゆらゆらと。風に揺られて眠っていた。















粗方、同刻の頃。

図書館前は酷く閑散としていた。あれほど沢山いたはずの警備員は片手に収まる程度__二体のドールしかおらず、これならなんとかなるな、なんてアンド、クラウディオ、ラクリマの3人が目を合わせて頷きあった。

アンドがポケットから小さなナイフを取り出し、左手の平に少し大きく傷をつけて、そのままふらりと警備員たちの前へ出る。



「ねーねーお兄さん達、俺ぇ、怪我しちゃったんだけど直すもの持ってない?」



アンドのアビリティ、“ 傀儡 ”。

自身の血液__体液である黄金を相手ドールに付着させることによって操作すると言ったもの。付着させた黄金量によって操作可能な領域、難易度は変化し、ごく少量ならば視線誘導や発言、あまり大振りでないアクションの制限程度、多量ならば完全な制御を可能にする。

発動条件故にどうしても負傷必須となること、それに加え黄金を相手に付着させる必要があるのがネックだが、それを差し置いても非常に強力、かつ汎用性の高いアビリティだった。


修理道具は無いと返されたのか、傷のあるまま警備員の周りをウロウロし始めたアンドがいつものアプローチを始めている。アンドは賞賛されることと好かれることに異様な執着を見せており、執拗に「俺のこと好き?」「俺って綺麗?」とついてまわるのがクセのようなものと化していた。

革命派拠点で共に過ごしていた仲間達は慣れていたし、あしらい方も板につき初めていたものだから対して気にする事はなかったが、初対面でアレをされるとタジタジになってしまうのも無理はない。

警備員ふたりにベタベタ接触して、分かりにくい箇所にばかり黄金を付着させたアンドがパッと離れて手を振るう。ばいばーい、とあやしく笑うアンドに困ったような表情をしたまま、図書館を離れていく警備員ふたり。あからさまな違和感を覚えるまでは操作されていることにすら気付けないというのも利点だろう。



「いっちょあがり~」


「でかした親友!」


「アンドサンさっすがー!傷、痛いでしょ、困ってるでしょー、今直してあげるね」



クラウディオがハイタッチを持ちかければ、怪我をしていない方の手で元気よく応える。続けて駆け寄ったラクリマがアンドの手のひらの修理にあたった。俺凄い?凄い!めっちゃ凄い!なんてやり取りをする三人組の後を追うように、ガーディアンが大股でこちらへ。ルァンは優雅な仕草を崩さぬままにこちらへ。

あんまりはしゃぐな、と賑やかになる三人をガーディアンが制すると、ルァンがそっと前へ出る。図書館の中を確認するのに最も適した人材はルァンで間違いがないだろう、このメンツの中で最も多く図書館にやって来ているドールだ。

かたん、微かな音を立てて閉じた扉の向こうに消えたルァンが、戻ってくるのをそっと待つ。アンドの手の修理を終えたらしいラクリマが、包帯を可愛らしくリボン結びにしてみせた。ありがとうなんて言葉を交わす2人を見下ろせば、縦結びになっているのにガーディアンが気が付く。けれども口を挟むようなことでもないか、といつもの仏頂面を逸らして。

可愛らしい縦結びの蝶々が、アンドの仕草に合わせて揺れた。

やがてルァンが出てくるかと思われた扉の向こうからは、真っ白な、神父服を纏った痩躯のドールが現れる。その姿に思わず、ガーディアンが目を見開いて。



「アル」


「ガディ!会いに来てくれたんだってね」



ちらり、出入口の方へ目線をやれば、ルァンが頷いている。話を合わせろということだろう。警邏隊だとは聞いていたが、図書館の警備もしていたのかと心の内で驚嘆する。アルクに会うためにやってきた訳では無いが、会いたいと思っていたことに変わりはない。ラッキーだ、そう思うことにして、歩み寄ってきたアルクの手を取り図書館の正面ロータリーをはずれた。



「お前らはルァンの所にいけ」


「ウッス!」


「はぁい」


「わかった!」



元気のいい返事。アルクが嫋やかに笑って手を振れば、駆けていく3人組も思い思いに手を振った。

元気な子達だね、と笑う白いドールに、黒いドールが頷き返す。

ルァンが開けたままにしておいたのだろう図書館の正面玄関をくぐり、中へ。


ほんの少し埃の匂い、古びた紙の乾いた香りにインクの残穢。深い緑色のカーペットに、落ち着いた唐茶色の、美しい木目が彩る背高の本棚。立ち並ぶ本は皆丁寧に管理されていて、貸し出されている本があったのだろう場所には黒い箱。背の部分に白いインクで誰かの名前が書かれていて、誰が今、この場所の本を持っているのかがわかるようにできていた。

殆どのドールは空を飛ぶことができる上、身体の構造からか高所を怖がるような個体が滅多に現れないのも手伝って、図書館に並ぶ本棚達はどれも酷く背が高い。

鳥籠に住むドールならばきっと一度は訪れたことがあるだろうこの図書館は、鳥籠内に残る蔵書のほとんどを完璧に保管していた。ニンゲンの時代の本も、ドール達が自ずから作り上げた新たな本も、ここへ来れば粗方お目にかかることの出来る知識の宝物庫。叡智の結晶が厳かに、静かに眠る、本の宮。



「こんにちは」



カウンターの向こう、紅茶色の髪を揺らした閉じ目のドールが会釈をする。



「ティア……?」


「その声……クラウですか?」


「そ、そうッス、ティア!久しぶりッスね、手紙は読んでくれたッスか!?会いたかったッスよ!」


「……図書館ではお静かに」



カウンターに向かって飛びつくみたいに身を乗り出したクラウディオが、ティアと呼ばれたドールの両手をぎゅっと握って名前を呼ぶ。

どうにも旧知の仲だったらしい。ルァンが、彼はスティアと言うんだ、と。それだけ言って、ラクリマとアンドを図書館の奥へ引き連れた。

意図せぬ形で警備員、監視の意識が完全にこちらから逸れた事に安堵しつつも、シアヴィスペムが来ない限りは“ 妙なスペース ”を見つけにくいなと思案する。

荘厳な図書館は荒れ具合もそこまで酷くなく、パッと見て妙な部分は見当たらない。外から見た時と内側から見た時の違和感があるとシアヴィスペムは語っていたが、ルァンは図書館の周りをぐるぐると飛行したことなんて無かった。ルァンはいつだって淑やかな仕草を崩さない。空を飛ぶ時だって、ゆっくり、風に乗るように、漂うみたいに空を飛ぶのだ。旋回飛行なんてしたことが無い。

バサバサ、嵩張る何かが落ちる音。視線をやると、重なっていた本にアンドが服の裾を引っ掛けてしまったようだった。



「やばぁ」


「大丈夫かい?……なんでこんな所に積読なんかしてるんだろうね」


「俺順番とか覚えてないけど、適当に積んでいいかな」


「大丈夫だと思うよ」



転がった本を、アンドが回収して元の山に積み上げていく。ルァンの足元に転がった本を、白く長い、爪紅で彩られた指先がすくい上げた。酷く開きグセのついた本のようで、手のひらに本背を乗せると勝手にクセづいたページが顔を見せる様だった。

ボロ臭い紙が一枚、本の間に挟まっている。クシャクシャの紙に黒いペンで、ぐちゃぐちゃの丸と梯子のようなものと、その下にオレンジ色のぐちゃぐちゃの丸が黒い線に囲まれた、妙な絵が描かれた汚いメモ。得体の知れないものに触れるのは気が引けたが、意を決して、先の方を摘んでそっと裏返す。

21xx年、4.1、01。



「……アンド、そこに積んである本を片っ端から開けてみようか。手伝ってくれるかい?」


「えー?なんでぇ?別にいいけど……」


「ふふ、ありがとう。アンドは優しい子だね」



積み直した本を、嫌な顔ひとつせず上から崩してパラパラと捲っていくアンドの姿に、ルァンがにっこりと微笑んだ。ルァンは、見ているだけで何もしない。



「あ、なんか挟まってる」



ぺらり、顔を出した古臭いメモ。黒いぐちゃぐちゃの丸に梯子のようなもの。その下に、囲まれた黄土色のぐちゃぐちゃの丸。

これ目当て?と渡されたメモをひっくり返して後ろを確認すれば、21xx年、3.13、23。受け取ったメモは先程見つけたメモの上に重ねて置いて。

アンドが次々、上から順繰りに本を開けてはメモをひっぺがして集めていく。

どれもこれも似たような絵ばっかりだったが、下のぐちゃぐちゃの丸は決まって色が違っていた。似たような色でも、並べてみれば全く違う色だと言うのがよくわかる。裏面には揃って、ズレが1年程度しか無い年数と、日付と番号。最後の物はオレンジ色の4月1日だった。



「なぁにーこれ」


「わからないけれど……全部で24枚だね」


「まだあるっぽくない?抜け番探そうよ」


「私達はこのメモを揃えに来たわけじゃ……」


「あ!ルアンサンアンドサン!コレ見てよ」



背後から少々元気の有り余ったラクリマの声が飛んでくる。振り返っても誰もいない。ここここ!と今一度降ってきた声に顔をあげれば、本棚の上に見慣れたペンギンのドールの姿。

この図書館は、空が飛べるドールが常にそばにいるいる前提で設計されているのかいないのかいざ知らないが、ニンゲンだって使うだろうに本棚ひとつひとつが相当な高さで設計されていた。図書館自体がかなり上へと空間の伸びた建物となっているのだが、その高い天井に合わせて作ったにしても些か高すぎる。



「あは♡何それ面白そ〜」


「どうやってそんな所に……怪我はしないようにね」


「この本棚だけ壁にくっついてないよ」



困ったように笑ったルァンを尻目に、ラクリマがゆるりと視線を壁際ヘやる。首を傾げたアンドが羽ばたいて上まで行き、一緒になって確認した。確かに他の本棚は壁と棚の隙間まで埃が詰まっているというのに、ラクリマの乗っかっている本棚だけが、僅かな隙間に埃がなく、あまつさえ2ミリ程度の隙間を作っていた。

動かせる。視線を合わせて頷くと、アンドがラクリマを抱えて飛び降りた。アンド自身は細身だが、彼の翼は厚みに長けており、重量タイプの翼を持っている。故に、長時間でなければ他個体を抱えて飛ぶくらい難無く実行できた。

降りてきたラクリマが、本棚の縁に手をかけた。



「ちょっと待っておくれ」


「ンー?」


「多分、力尽くでは本棚がめちゃくちゃになると思うよ」


「えぇ、じゃあどうするの?」


「こういうのはね、仕掛けがあるのが定石なんじゃないかな」



ラクリマが無理矢理引っ張って開くと言うならそれに超したことはないが、如何せん、そんな乱暴なやり方をすれば本が飛び散らかるのは目に見えている。自分の背丈の2倍以上あるような本棚の中身をひっくり返して、それをちまちま拾って戻すなんてことをするのは御免だ。それに件の本棚をじっくり見てみれば、相当な厚さの埃が中身の本に乗っかったままになっている。

バサバサと、中身を落としかねないようなアクションは必要ないということだ。ルァンが首を傾げる。仕掛けがあるやもしれぬと言ったはいいが、それを探し出すのにあまり時間を割いてはいられない。



「あ、そういえば本棚の上にね、俺のとは違う足跡があったんだよねー」


「本当かい?それはどこかな」


「ンー、こっちだっけ。梯子の側だよ」



ラクリマが奥へ奥へと歩いていく。一体どうやってあんな高さの本棚の上に乗っかったのかと不思議に思っていたが、所々に設置されている高い梯子を使ったようだった。

ニンゲンも使うだろう図書館だと言うのに何故ここまで本棚を高くしたのか、常に空を飛べる何かに手伝わせてでもいたのかと思っていたが、きちんとニンゲンひとりでも高所の本をとれるよう策は講じてあったらしい。ぎしり、軋む梯子を登るラクリマの背を見上げる。



「はしごのぼって、すぐのー、コレだねっ」



アンドがその後を追って足跡を確認すれば、確かに、ラクリマが先程の本棚へ向かって歩いたのだろう足跡とはまた別の、右足側だけの足跡。背伸びでもしたのか、踵側の方がほんの少しだけブレていた。

ルァンが梯子の延長線上にある、図書館の壁を彩るスコンスを指差す。アンドがそれを受けて身を伸ばし、スコンスにそっと手をかける。昼間だからかはわからないが、灯りのついていないスコンスは簡単にその首を縦に振った。ビンゴである。ラクリマが嬉しそうに、梯子を1段飛ばしで降りてきた。随分器用なものだ。背後、何かが擦れる音。


巨大な本棚が上に持ち上がり、ぽっかりと黒い大口をあけていた。革靴の足跡が点々と中に向かって、またこちらに向かって往復する形に伸びている。どちらも同じ人物の足跡のようだった。



「誰か使ってるんだね」


「中に何があんの〜?」


「……中を一通り見てみて、ドールに関する本がなかったら帰ろうか」


「てかこれどうやって閉じるわけ?中にいる最中に閉まったらすっごい困るくない?」


「ンー、じゃあそうだ、俺ここで待ってるよー!もし途中で閉じちゃったりしたら、俺が開けてあげるね!」



びっ。勢いよく伸ばされた右腕に、アンドとルァンがほんの僅かに微笑んだ。頼りにしてるよ、とだけ言って、薄暗がりの方へ向かっていく。アンドが懐中電灯を取り出す。ルァンは埃まみれの道に抵抗があるのか、尾羽をしっかり片腕に抱いて先を急いだ。











「……それにしても、まさか会いにきてくれるなんてね」


「悪かった。それに……アイツのことも」


「全く構わないよ、君の、君たちの幸せが私の幸せだからね」



トランシーバーのプレストークボタンを離すと、ストールを避けてポケットのような箇所へ収納する。アルクはつい先程、ガーディアンきっての頼みを任されて、全ての準備を終えたばかりだった。



「裏切りとかになるんじゃないのか」


「ならないよ。恋人の探し物を渡してあげるだけなんだからね、革命行動でもなんでもないだろう?」


「まぁ、それはそうかもしれないが」


「ふふ……近いうちにそちらに行くそうだよ」



相変わらずの仏頂面に収まる、異色の双眸が俯いた。それをみとめたアルクがにこやかに、ガーディアンの前へ光を差し出す。


アルクのアビリティ、白光。

光量と熱量を持つ特殊な胞子を操作して、空間の光に操作を加えるアビリティ。一時的に密集させて閃光弾のように扱ったり、仲間に付着させて懐中電灯の代わりをさせたりと言ったささやかな、されど汎用力の高いサポートタイプのアビリティ。

しかし光の胞子のひとつひとつは微弱である為、羽ばたきや衝撃で簡単に霧散してしまう。その上、距離が離れれば緻密な操作が効かなくなるのも相まって、あまり耐久性が高いアビリティであるとは称しがたかった。



「心配してくれてありがとうガディ、私は大丈夫」



白く淡い光が、ふわふわとガーディアンの周りを漂う。蛍のように光を強めたり弱めたり、真昼の光に負けそうなほど弱々しいはずの胞子が、強く煌めいて、静まって、また煌めいて。

早くあの子達の所へ行ってあげなさいなんて、導き手である白いドールが笑った。手を振るアルクの右手を手に取って、仮面を外して口付けを。無愛想な、黒の翼のドールは、それきり振り返らずに図書館へと戻っていく。

外であるから、頬にはしてくれないのだなとか呑気に考えながら、アルクもゆっくり歩を進めた。警備を任されているはずの図書館とは逆方向、拠点に向かって、ゆっくりゆっくり、緩慢に。

ああ、もっと、もっと面白くなる!

ステップでも踏みたくなる気分だったが、鼻歌だけに留めた。白い巫覡がにこやかに、1人寂れた道を往く。

















​───────​───────


















どっ、と思い切り地が震えた。

底から何かが這い出てくるような地響きが、龍でもなんでもなく、たった一体のドールによって引き起こされるものだとは俄に信じ難い。

あまりの騒音に、いつもならば頭の中に響くはずの植物の声すら届いてこないその様たるや、リベルが思い切り顔を顰める。足元の青玉はすっかり驚いてしまったのか、リベルのマントを掴んで両の眼をぱちくりと瞬かせてしまっていた。

ヘプタは飛行競技場正面入口の上部で待機している。戦闘にも備えて先の鋭い義足を嵌めてきたものだから、流石に競技場の内部通路をうろつく訳にも行かない、そんなことをすれば辺り一面真っ青になってしまう。



「なんやもー、えらい大騒ぎんなっとんなぁ」


「ゆむにーに、この、どわーってなるのなぁに?」


「コレ多分先輩がゴールテープ切った時の歓声でがんすな、さっきもどわーってなっちょったんから、これは二走目の分ですわね!」


「う?なっちょ……?」


「リーダーが二回目のゴールしたってことでしょ」



水色の、柔く翠を孕んだくせっ毛の髪を右側でサイドテールに括った、長駆のドールが青玉を肩車してみせる。

名をユムグと名乗るそのドールは、越冬前から青玉達革命派一派の手伝いをしてくれる外部のドールだった。今もこうして、レースまでの待ち時間の間に2人の用事をサポートしてくれている。

ユムグのその顔は、青玉の知る警邏隊のドール__ヴォルガに酷似しているが、リベルはヴォルガと面識が無い為知り得ない。追求することだってできたのだろうが、青玉はなんとなく、肩車をしてくれているそのドールの正体に口を突っ込む気が起きなかった。



「一レース三走で三レース構成やさかい、第一レースの二走が今終わったってこったらば……あと一走終わったら先輩が迎えに来ると思うよ」



ユムグの喋り方は滅茶苦茶だ。方言も文法もかなり支離滅裂で、革命派一派で面識のあるドール達も慣れるのに随分時間がかかった。どうにも他のドールの影響を受けやすいらしく、越冬前最後に会った時に、ホルホルと話した直後はずぅっとだぞだぞ言っていたのを、リベルもよく覚えている。マルクやクラウディオと話した後はなんとかッスなんたらッスすっすっすっ、とにかく3人揃ってすぅすぅやかましかった。

図書館に向かった一向は、無事に図書館で目当ての本を見付けられただろうか。争いに発展することなく、目当ての本を回収することが出来るだろうか。



「わっ!ごめんなさっ、リーダー!?」


「ご、ごめ……りぃだぁ……?」



ドン、と、2メーター近い身長のユムグの腹辺りに衝撃。肩の上の青玉がふらついたのを、リベルが手を伸ばして背後から支えた。依頼人の大切にしている子供に、目の前で怪我なんぞされてたまるか。

ユムグの前に立っている、金髪の、ふわふわの髪に、白いふわふわの翼を持ったドールについつい声を上げる。それは相手も同じだったようで、小さな天使のような見た目をしたドール__デライアがあっと声を上げた。



「う!にあにーにー!でーちゃん!」


「せいぎょくくん」


「お、おっきい翼のドールさん……」


「お兄さんのこと?お兄さんちゃんとリベルって名前があるんだよねー」


「リベルさん……あっ、今日は非番だから!戦わないよ!?」


「別に報復しに来たわけじゃないんだけど。お兄さん達革命行動ばっかりしてるわけじゃないしー、見てわかるように今子守りで忙しいの」


「れーす、見にきたの?」


「うん!くれいるがねー、びゅんびゅんしてるの!」


「いやちょいまち!アンタら何でここおるん?ここ関係者以外立ち入り禁止じゃきぃ弁明すんならさっさとしなさんな、できひんのでしたら追い出しますわよ〜っ!」



おろおろ、にこにこ、へらへらと会話する4体の間を遮るように、ユムグがぴっと人差し指を突きつける。トンチンカンな喋り方と、ゆるゆるの語感でデライアとニアンを責め立てるそのドールは、2人の上司に瓜二つで。



「あ!ユムグまた迷子にキツく当たってる!ストップストップ!」



リベル達の背後から、ほんの少し重たげな足音が駆け寄ってくる。蛍光灯の光に照らされたドールが、ユムグとニアン達の間に割って入った。



「なんじゃあスズモの知り合い……あ、もしかして“ 一番のファンくん ”かいな」


「そうそう!俺のレースいつも見に来てくれてるんだぜ。つーか会うの二回目だろ」


「マ?覚えとらん……ほんならさっさと外か客のところに案内したれや、オイラ達はレプリカルーム行くねん」



茶色の髪に真っ赤な瞳、フクロウのソレによく似た一対の翼__スズモと呼ばれたそのドール。ユムグと並ぶとかなり小柄だが、明るい表情と物怖じしない姿勢が、ユムグの圧を打ち消していた。

はいはいじゃあまた、と手を振り、ニアンとデライアを連れて真っ直ぐ外に向かう道へ。デライアが酷く戸惑ったような、されどどこか嬉しそうな顔色のまま、ニアンと手を繋いでスズモの後を追う。ちらり、星の浮かぶ青い瞳が、リベルのアヤメ色の瞳とかち合った。

リベルは眉をほんの僅かに上げて、大したリアクションも返さぬまま。そうして彼等は狭い通路をすれ違う。


飛行競技場の内部は妙に入り組んでいた。かなり頑強に作ってあるし、客達が出入りする部分は快適かつ過ごしやすいようある程度設計されているが、主に選手達やマネージャー達の使うスペースはそもそもの造りが雑になっている。

狭い通路、狭い控え室、道具が乱雑に積み重なったマネージャールーム。昔のマネージャールームは手入れの行き届いた、整然とした場所だったと聞くが、いまや見る影もないのだろうとユムグが頭の隅で思案する。

開きっぱなしの扉を覗き込んだ青玉をたしなめる声。選手控え室は汗臭いからやめとけ、シャワールームはたまに全裸の選手が飛び出てくるから見るな、マネージャールームは乱雑極まって地獄のようだから教育に悪いだの、なんだかんだで肩の上にいる青玉の視界をあっという間に塞いでしまった。

ソフトレザーの手袋が、青玉の顔半分を覆い隠す。手袋越しでもわかるほど、ユムグの手は酷く冷たかった。



「ここがレプリカルームっちゃ。ホントに先輩こんなとこで探しもんして来い言うたん?」


「言ったから来てるんでしょ?じゃなきゃこんなむさくるしー場所、お兄さんなるべく近寄らないから」


「なにもみえないー!」


「おん、ごめんあそばせ」



飛行競技場地下、レプリカルーム。

ガラスケースの中に並べられた衣装やトロフィーがキラキラと光を返す、ドール達の辿った空の軌跡の保管庫。わぁー!と嬉しそうに声を上げる青玉はユムグに任せて、リベルが室内に足を踏み入れた。きらきら、金やら銀やらのさかずきに、ぴょんこっこ__アホ毛を揺らしたリベルの横顔が映る。

ずらりと並んだ衣装達は、左側がストレートフライトのもの、右側がアクロバットフライトとパルクールレースの歴代チャンピオン達の衣装なのだろう。右の一番奥側に、見覚えのある赤い衣装がかかっていた。

リベルが依頼人から任されたおつかいと、そのメニューは主によっつ。ひとつは青玉とヘプタを守ること。ふたつはリベル自身を守ること。みっつはなるべく戦闘はしないこと。

よっつ。レプリカルーム、右の中段、一番手前のトロフィーの台座の下から、一本の鍵を取ってくること。きっと必要になるから。



「あった」



指先に触れた金属の感触、グッと握りこんで持ち上げる。シンプルなデザインの鍵は古臭かったが、サビひとつなく栄光の下に埋もれていた。



「お使い終了。青玉ー、ヘプタと合流するよ」


「はーい!ゆむにーに、りべにーにに僕のことぱすして」


「おん、あらよっと」



肩の上の青玉を、リベルの肩の上へぽんと乗せる。ぴょんこっこ!とアホ毛に食いついた青玉を落とさぬように、リベルがユムグに軽く手を振った。

ほなおおきに!後にレースを控えたユムグを、あまりずるずる引きずり回す訳にも行かない。出口くらいは口頭の説明で覚えたからと、青玉を乗っけたままに、飛行競技場の地下を後にする。



「う?いますごい音……」


「えー、すごい音し過ぎてお兄さんにはどれがどれだかわかんないんだけど……」


「大通りの方!おっきいお歌みたいな……あと、ドドドドーって音!」


「ちょっとお兄さんにはわかんな、」



どんっ、地の底から炎が湧き上がるような大歓声がまた上がる。ビックリしてしまった青玉が、ぎゅっとぴょんこっこを握ったまま気の抜けた声を零した。

リーダーともそろそろ合流できそうだな、なんて、騒音のやまぬ地下を後にする。異様な熱気は地下にまで、震えとなって届いていた。











​───────​───────












幼い青玉が聞いたおっきいお歌、ドドドドーなんて地鳴りの音。

それらは全て、二体の白いドールが生み出した崩壊の音だった。


賛美歌が響き渡る大通り、目も当てられぬ有様のアスファルトには決して足をつけずに宙を舞う。シアヴィスペムを狙って発動されるアビリティが、大気を震わせ巨大な衝撃波に変わり、大通りのビル群にぶち当たっては崩壊を手招いていた。

飛行競技場から鳴る、異様な熱声が招いたソレとはまた別ベクトルの地鳴りがあちらこちらで鳴り止まない。シアヴィスペムが落ちてきたビルの一角を回避すれば、真下にあった屋台が崩れて四散する。


コラールのアビリティ、“ 衝撃波 ”。

コラール自身の歌う賛美歌、音波を増幅し、衝撃波として打ち出すといったもの。一度大きく息を吸い、喉元に手を当てるという予備動作こそ必要だったが、非接触型のアビリティの中ではトップクラスの破壊力を誇っている。

喉、口を発動パーツにしている以上後方攻撃は不可能だが、それを抜きにしても非常に強力なアビリティだった。


アビリティの特性上、常に前方に対象を捉えている必要がある。コラールは今一度息を吸って、軽やかに空を往くシアヴィスペムを真正面に見据えた。

ドール同士の喧嘩は基本的に全力勝負だ、身体、道具、アビリティ、周囲の環境全てを用いた全力勝負。始まった喧嘩の邪魔はご法度だ、巻き込まれてジャンクになる可能性が高いから。

片方が機能停止すると同時に決着が決まるが、機能停止したドールへ追い討ちをかけるのもまたご法度。男のみのドールの社会では、弱者を見逃すことこそ美徳で、情けをかけられることこそ屈辱だった。

大通りには人っ子一人見当たらない。キャットファイトを期待して集まっていた人集りもあっという間に散り散りになってしまったし、麦茶屋のおっちゃんもどこかに行ってしまっていた。

シアヴィスペムの手の平がかざされて、そこからぶわりと花びらが吹き出し猛烈な花吹雪となってコラールを襲う。花びらが頬を割いていく感覚、負けじと歌われ出したアメイジング・グレイスの旋律が増して衝撃に変わり、立ち塞がるもの全てを壊しながら辺りに響き渡って地を鳴らした。

距離をとったシアヴィスペムの身体が、衝撃波の余波にビリビリ震えて空中でバランスを崩しかける。体勢の崩れをカバーするように、右手のひらから花吹雪。

大通りには土煙と花弁が立ち上り、来るものを拒む小さな嵐の独擅場になっていた。


シアヴィスペムのアビリティ、“ サルベージ ”。

2秒間目を合わせたドールのアビリティをコピーして、シアヴィスペム本人が眠りにつくまでの間自分のものとして扱うもの。コピーしたアビリティは長時間の使用に向いておらず、連続で発動したとしても精々1分程度。

コピーすると同時に、コピーしたアビリティの元の持ち主の記憶も僅かに取り込む。他者のアビリティを無理矢理我が物として扱うために副作用も大きく、身体に合わないアビリティを使う度に身体の内側から破裂するような痛みに襲われる。


先程までいた人集りの中からいくつかコピーして、即興で組み合わせて立ち回り続けるシアヴィスペム。麦茶屋のおっちゃんのアビリティは花吹雪だったらしく、手のひらから多彩な花の花弁を噴出する可愛らしいアビリティ。このサルベージは、他個体さえいればいくらでも活用できるアビリティだったが、見知らぬドール達を利用して戦うとなると運も重視されることになる。

その場にいたドールのアビリティこそシアヴィスペムの武器だ。いざ喧嘩をするとなって向き合った、コラールのアビリティもしっかりとコピーしている。

元は道端飲食店でも営んでいたのだろう店先に並ぶグラスが、衝撃波の余波に耐えきれず砕け散った。ちょこまかと空を飛びまわり、巧みにアビリティを回避して回るシアヴィスペムの姿に苛立ちの気持ちが膨れ上がる。

互いに互いの派閥を酷く憎んでいる2人が、真正面で対立するその姿に酷い既視感を覚えて。

あれは自分だ。鏡写しみたいに謳う世論こそ違えど、熱量も、命の賭け方も、きっとよく似ている。

鳥籠の中は窮屈だ。鉄格子の嵌められら円形の空間に窮屈さを覚えない方が危ういかもしれないが、空には限りがあり、至る所に滅びの跡が色濃く残っている。

この短命な箱庭を開け放ちたいのか、短命ながらも美しい箱庭を守り抜きたいのか。ただそれだけに差異の出た、そっくりそのままの自分みたいなドールが今目の前に。



「ちょこまかうざったいな」


「そっちこそガンガンうるさいんだけど」



ふわり、コピーしていたふたつめのアビリティで辺り一面の瓦礫を宙に浮かす。念動力のようなアビリティは野次馬のドールからコピーしたものだ。ずきり、鳩尾の辺りから身体が裂けるような痛み。体質に合わなければ合わないほど、強力なアビリティなら強力なほど、シアヴィスペムに走る痛みは強くなる。



「僕だって、役に立つんだから!!」



宙に浮いた瓦礫がぐんと残像だけを残し、一息に流れて一直線にコラールの方へ。

上体を引いて、開いた翼を思い切り羽ばたかせるとバックステップで退き避けた。そのまま、勢いのままに重心を左に逸らして駆け出し飛び上がる。容赦なくアビリティを発動したり、屋台の屋根をひっぺがして盾にしたりしていたものだから足場は滅茶苦茶だ。

あまり高度をあげれば、喉パーツにかかる負担が大きくなる。一定の高度を保って、シアヴィスペムとの距離を保って。赤いドレスコートが土混じりの煙にはためき、長い髪が翻る。飛んできた瓦礫の流星を、弧を描くような旋回で躱し体制を整えて。



「お前が役に立ってるかどうかなんてどうでもいいよ、ボクらの邪魔なことに変わりはないんだから」



喉元には手を。楽園にヒビを入れる無法者には裁きを。ごうと辺りの大気が、痺れるみたく震えてシアヴィスペムの肌を刺す。右へ、上へ、少しずつ追われる形で大通りの中を右往左往、縦横無尽に飛び回って回避に務める。

シアヴィスペムもコラールも、体格の逞しいドールでは無い。体長はシアヴィスペムの方が10センチほど高いが、体格差はほとんど無く、アビリティ無しでの殴り合いなら正直、決着がつきそうにないくらい僅かな差しかない。故に、だからこそ、アビリティありでの全力の喧嘩は負けられない。コラールも喉を酷使し続ければガタがくるし、シアヴィスペムも激痛に耐えていられるのは序盤だけ。

ぶわりと吹き上げた花吹雪に気流を乱される。真下についたシアヴィスペムが、打ち上げる見たく花の突風を生み出した。

花弁の舞い散る景色は、歌の残響が溶ける空気は美しかったが、吹き荒れる風ばかりは決して鳥の味方をしてくれない。シアヴィスペムも自身の起こした風に持っていかれないよう、空中で姿勢をキープするので精一杯。

コピーしたアビリティを扱う上で最も気を使わなければならないのは、そのアビリティの制御だ。そも、アビリティと言うのは一朝一夕でコントロールできるようになるものでは無い。各々、自分のアビリティと折り合いをつけて生きていくためには長らくの訓練が必要だった。

発動条件が簡単なものほど制御するのは難しい。シアヴィスペムのように目を合わせただけで発動するものもその筆頭だ。彼は素のアビリティを発動しても、コピーしたアビリティを自分の意思である程度操作できる為そこまでの不便は無かったが、これがもし、目を合わせた相手に危害を加えるようなものだったなら?

攻撃性が高く、発動条件が簡単すぎて持ち主の意思が反映しにくいアビリティほど、操作するのに、制御するのに神経を使う。



「邪魔はね、こっちのセリフ」



喉へ手を。見覚えのある予備動作に、コラールが一瞬動きを弛めた。

弾けるみたく、途端に辺りに轟いた爆音がコラールの身体を震わせて、ぴしりと防御に回した両腕へヒビが走る。距離があったからこの程度で済んだが、あの容赦もコントロールもない一撃を至近距離で喰らえばまずかっただろう。

シアヴィスペムはこのアビリティを使ったことがない、自分の喉パーツの限界を知らぬドールとの撃ち合いならばこちらに利がある。ヒビの入った両腕を振るって、僅かに滴る黄金を払った。大通りのアスファルトに降った金の雨を、誰かが省みることはなく。

反撃と言わんばかりに飛ばされた激昂の歌がシアヴィスペムの左腕に大きく亀裂を入れた。

回避しきれなかったのだ!

されど、まだ右腕が、利き腕が生きている。一瞬苦悶に歪んだ愛らしい造形の顔がすぐに怜悧なものに変わって、真っ直ぐ、シアヴィスペムの翡翠がコラールのアクアマリンを真っ直ぐ射抜いた。


シアヴィスペムは、アビリティをコピーすると同時に、コピーしたアビリティの主の記憶を一部取り込むことができる。

完全にシアヴィスペムの意志に反した副作用だったが、その副作用はメリットでもあった。

記憶を取り込めば、その人物のもつアビリティと、アビリティの制御方法の引き出しが一手に成せる。理にかなった副作用だったが、アビリティとは無縁の、対象ドールの“ 過去 ”も取り込んでしまうのはデメリットでもあった。

荒んだ鳥籠の中だ、辛い過去を持つドールも少なくはない。慣れている。

アビリティを仲間達のために使うということは、激痛に耐える覚悟ができているということで、そういう、他人の苦しんだ部分を見る覚悟ができているということ。

そう、覚悟ができているからこそ。


コラールから取り込んだ記憶の平穏さが、許せなかった。


平和だ、ただただ平和な記憶。シアヴィスペムの焦がれた平穏な日々を、コラールは何一つ崩されることなく甘受して生きてきたらしい。何故永朽派で、警邏隊でここまで刺々しい振る舞いをしているのかわからないほどに。革命派のドールに親鳥を殺された訳でもなく、何か大切なものを奪われたわけでもなんでもない。

平穏極まりない、笑顔と歌声に満ち満ちたコラールの過去を覗いてしまった。

彼がここまで革命派を恨む理由が、シアヴィスペムからはわからなかった。どうして。どうしてこんなに平和な暮らしをしてきたというのに、自分達を害するのか。お前は何からも害されていないというのに!



「なんでっ、なんで僕ら革命派も鳥籠の中に閉じ込めて道連れにしようとするの!!」


「じゃあ聞くけど、なんでボクら永朽派も巻き込んで外に出ようとするわけ?鳥籠を、故郷を崩されたくないって思うのは悪いことじゃないでしょ」


「籠の中で心中なんて、美徳でもなんでもない!僕達は外が見たいだけだよ、息苦しいまま死んでいくなんて嫌だ!」


「何があるかわからない場所に、生まれたばっかりのドールも何もかもを巻き込んで向かおうだとか気が違ってるとしか思えないね!」



どちらも、何も間違ってはいない。



「お前らのせいでおにいさんが、おにいさんは」


「はは、誰?それ。ボクらからしてみればね、それはこっちのセリフなの」



今一度、遠吠えにもにた衝撃波がコラールを襲った。聞いたことのない歌だったが、衝撃波としての威力は十分だ、みしり、大きく腕が軋む音。けれど。


ばきん。


シアヴィスペムの喉に限界が来る方が早かった。

コラールのアビリティの真骨頂は、一撃に全ての力を、声を乗せた聖歌の重撃。音量から周波まで、何から何まで完全に破壊に特化したその衝撃。アビリティの主であるコラールも、どんなに振り絞ったとて二度が限界のその大技を、喉パーツが発達もしていないシアヴィスペムが二連で放つなど到底無理な話。

割れた喉からボタボタと垂れる黄金を塞ごうと手を伸ばすが、念動力も花吹雪も手を振る動作が起点だ、そんなことをすれば攻撃手段がなくなる。しかしこのまま、黄金の喉からの流出を放ったらかしにする訳にもいかない。喉は大切なパーツだ、傷付けば傷つくほどに頭の中身が重力に従って落ちていく。咄嗟に喉元を右手で抑えた。酷くひび割れて使い物にならない左腕が、力なく下がったまま揺れる。

予断は許されない。

コラールが今一度賛美歌を。轟音にシアヴィスペムの身体が振るわされて、避けることもままならぬままに地へ落ちた。大した高度では無かったのが幸いしたが、背に地が着く感覚はおぞましい。咄嗟に起き上がってもう一度空を飛ぼうと翼を広げたが、みしりと、背中のパーツが悲鳴をあげる音に躊躇する。

コラールが地に降り立って、勢いのまま突っ込んでくるのを回避して。薙ぎ払われた翼に当たれば、間違いなく再起が難しい。避けて、避けた方向に衝撃波。この距離で衝撃波をくらうのも避けたかった。回避、回避、避けて、避けて。

避けて、でも、逃げてばかりでは話が進まない。


喉を塞いでいた手を離し、黄金まみれの手をコラールにかざす。ごぽり、喉から溢れる黄金が服に染みる感触。迎撃に回ろうとしたコラールが口を開けたその瞬間、シアヴィスペムは避けなかった。


ぶわり、舞い上がった花吹雪が、コラールの口を塞ぐ。予備動作で息を吸い込んでいたタイミングだった、花弁が唇を、口蓋を奪う感覚に噎せかえりそうになって、アビリティの発動が阻止される。

ノウゼンカズラの花々が咲き誇って、天使の歌を殺した。

右足を突っ張って、花吹雪の突風に倒れることだけは耐え凌いだが、顔を上げたその眼前、シアヴィスペムが大きく振りかぶっていた。

シアヴィスペムがコラールを殴った所で、大したダメージにはならない。その上シアヴィスペムには右腕にもヒビが入っている。防御に回ることもできない。受け止められるか。


シアヴィスペムは、仲間達からお小遣いを貰っている。コラールのようにお給料を貰っているわけではない。

一人前かそうでないかと言ったら、子供扱いされている部分が強いと感じるからそうではないのかもしれない。でも、それでも。

ポシェットから引き抜いた、仲間から貰ったそれを右手に握りしめて。


コラールの左前頭部を、鈍い痛みが襲った。思い切りヒビの入る音が、文字通り頭の中に響き渡る。ごきゅり、潰れた硬い部分と中身の柔い部分が混ざる感覚が妙にハッキリ伝わって。

殴られた。拳でここまでの破壊力は出ない!何故?どうして。踏ん張って、目線をやる。


シアヴィスペムの右手には、丁寧な文字で“ シア ”と書かれたお小遣い袋が握られていた。



「ばっ、かじゃ、ない……の………」



殴られた勢いのままにこそ倒れなかったが、くらり、頭を砕かれて限界がやってきた。どさり、薄桃色の綺麗なつくりものが地に落ちる。



「ボク、はね、みんなとくぁべたら、子供かもしれない。おまえみたいに、ひらひらしたお金も渡されてない、けど」



それは、仲間たちがシアヴィスペムのことを思ってのことだから。いつも空を飛んでいるシアヴィスペムは、ひらひらのお金をとばしてしまうかもしれないからと、崩してくるのも面倒だろうに、わざわざ小銭でくれる皆の心遣いだった。



「僕だってね、みんなのなかまなんだよ」



ぼたぼた、垂れる喉の黄金を抑える。その顔には、怯えも不安も残ってなんかいなかった。









​───────

Parasite Of Paradise

7翽─遠慮なく

(2022/01/08_______12:40)


修正更新

(2022/09/22_______22:00)

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