5翽▶ふたつの影











がやがやと、たくさんのドールで賑わうカコウジョ前の広場。右を見てもドール、左を見てもドール、上を見れば重そうな、商品が入っているのだろう荷物を軽々抱えて空を飛んでいくドール。

大通りから香ってきたのだろう露天の焼き菓子の香りが、ふわりと鼻腔を満たした。

前を往く、迎えだというヴォルガの上司と離れぬように足を速めてカコウジョ前の広場を横断していく。

ここ数ヶ月で、カコウジョ前の広場の混雑具合は凄まじいものに変わってしまった。正しく表すならば、戻ったというべきだろうか。不思議なことに10年ほど前からカコウジョ前の混雑は解消され、快適な物資の調達ができるようになっていたのだが、数ヶ月前からその快適性は失われ、10年以上前の光景と似たような景色が広がるばかり。

ロウとはぐれないように手を繋いでいたが、如何せんロウはかなり小さい。デライアもかなり小柄な方であるから、煩雑とした人の波に飲まれてすぐにでもはぐれてしまいそうだった。

溢れかえる人の群れに辟易してしまったのだろう、涙目になっているロウを抱き上げ、駆け足でヴォルガの上司を追う。

少し速度を出したあたりで、がつんと誰かの脚に引っかかってしまったらしく思い切り体勢が崩れて顔から地面に沈みかけた。伸ばした腕が、傷跡の残る大きな左手に掴まれる。



「怪我は」


「ご、ごめ、んなさいっ!ありがとうございます……」


「デライアさん、へいき?」


「うん、大丈夫だよ。ごめんね……あの、」


「礼は不要。いくら腕に抱くものが大切だろうと、前を見るよう心がけよ」


「は、はいっ」



独特な、古風な喋り方をするこのドールは自らのことを雄彦かつひこと名乗った。左目に大きな傷跡のある年配のドールで、鞘にしまわれた薙刀を背に携える、ヴォルガの上司。挨拶をされて初めて名前を知ったが、姿だけは幾度か見かけたことがあった。何故かよくヴォルガと喧嘩をしていて、時折ヴォルガの腕やら首やらを吹っ飛ばしていたり、ある時は逆に首を吹っ飛ばされていたり腕を飛ばされていたり。

そんな風に喧嘩している時ばかり遭遇していたのもあって、鬼気迫る表情しか見たことがなく、どことなく恐ろしさを感じていたがこうして前にしてみればなんてことはなかった。少々堅物しいだが、何も理不尽な訳では無い。

移動を再開してみると、先程よりも歩く速度が少々落とされているのがよくわかった。


遠くに鉄塔が見える。蔦に侵された、錆びて傾いた赤い鉄塔。反対側に視線をやれば、無機質な壁を背景に巨大な灰色がそびえ立っていた。

“ カコウジョ ”。

望めば望んだものが手に入る、ニンゲンの遺した遺構のひとつ。なんとも不思議なことに、カコウジョの壁面に設置されている液晶で、何をどれくらい欲しいのか打ち込めば大体のものがすぐに手に入るのだ。ここで手に入らないのは命だけ。

大通りで肉を売っている店ならば、朝や昼にカコウジョで肉を発注して店頭に並べているし、北通りで服屋を営んでいる店ならば、布を発注し服に加工して売り物にしている。

原理はまったくわからないが、カコウジョがなくなれば鳥籠は一溜りもないことが明白だ。ただでさえ、近年はカコウジョに頼らず土壌で栽培している作物が不作続きで、思うように花は咲かず、実は実らずといった年を重ねてきているのだ、誰もそのありがたい灰色の箱の真相を、存在を疑ったことは無かった。

カコウジョ前の広場を横断し、三本の大通りを間に挟む形でデライア達の拠点である大聖堂と向かい合う、巨大なビルの前へ。

鳥籠に残る殆どのビルはヒビが入っていたり、窓ガラスがひとつも残っていなかったりとかなり荒れているのだが、このビルは長らく、大切に手入れされてきたらしい。窓ガラスは表面に傷こそあれど、目立つ汚れや亀裂は見当たらず、ビルそのものの壁も、ツタに覆われてこそいるが幾度かヒビを修理したのだろう、大きな損傷は見当たらなかった。



「中で待機するように」


「はいっ、ありがとうございます」


「ありがとーカツヒコさん」



無邪気に手を振るロウに、雄彦が小さく手を振り返した。仏頂面のまま小さく左手を振るその姿に、ほんの少しだけぎょっとする。寡黙なものだから偏見があったが、彼は案外子供の相手をするのが好きなのかもしれない。

ビルの扉を開けて、中へ足を踏み入れる。整然と手入れされたそこでは、たくさんのドールが書類を纏めたり、トランシーバーの調子を合わせていたり、仕事片手に談笑していたり。皆一様に警邏隊の制服を纏っていて、自分の属しているものは立派な組織なのだという実感がようやっとデライアの中に芽生えた。それと同時に、ほんの少しの場違い感に苛まれる。

ロウはともかく、自分の格好はやや浮いているような気がしてならないのだ。同調圧力に屈するか屈さないかは別問題として、臆病なデライアは同調圧力を感じてしまうような場がどうにも苦手だった。動けずに竦んでいたらば、ちょいちょいと横からつつかれた。



「特殊部隊のドールさん?」


「そ、うだよ」


「あぁ、よかった!こっちこっち」



歳若い、警邏隊の制服が似合うドールがデライア達を引き連れて階段を上がっていく。階段の壁に張り付いた案内板のようなものには、15階までのフロアが紹介されていた。鳥籠の、施設としての役割を残しているビルの中では最大級で間違いないだろう。



「よ、かった、迷子になってたらどうしよって、心配だったんだよ、はぁっ、は……」


「……えっと、大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫!」



踊り場は勿論、階段の段差一段一段にも埃は見当たらない。非常に几帳面なドールが掃除でもしているのかはわからないが、あまりにも丁寧に整えられた警邏隊の本部は鳥籠の中の建物としては少々異質だった。

案内をしていたドールが、10階あたりでゼーハー言い出してしまい歩みが止まる。昔から地上を歩いて生きてきたデライアは足腰がしっかりしているのでなんともなく、そんなデライアへおんぶにだっこの甘えたをしているロウも、当然のようになんともなかった。

オレンジ色の髪に隠された額の汗を拭って、ふぅと深く一息つく。階段を上るのを再開すると同時に、案内をしていたドールがやや疲れた表情で声をかけてきて。



「僕、レヴォ。案内役の見習いだよ、よろしくね、デライア、ロウ」


「よろしくねー!」


「レヴォくんかぁ、よろしくね……!」



ようやっと15階にたどり着いた頃、すっかり足がガクガクしているレヴォが爽やかな笑みを見せるのに対して、ロウもデライアも何も見ぬ振りで爽やかな笑みを返した。階段を上りきって、ほんの少し歩いた先。重たげな扉が開かれる。



「中でゆっくりしようか」



デライアとロウがその部屋へ足を踏み入れたのは、太陽が南中を終えて段々と西に傾いていた時分だった。












​───────​───────













「これで全部?」


「全部だよっ!さっき確認とってきたからねー!!」


「結構少ないすっね」


「これで何ができるの?」


「まぁまぁ見ててよー!」



檳榔子玉が、結線を終えたケーブルをゆっくり元の位置へ戻す。マルクとシアヴィスペムが工具を整えて、一行はケイサツショ跡地前にやってきた。

夕暮れ時の鳥籠は美しい。巨大な壁が作り上げる滅紫けしむらさき色の影は視界に奥行きを持たせ、艶やかな柿色の自然光が澄んだ川を照らし出す。滅んだビル群の、コンクリートが含む僅かな石英がきらりきらりと光を返して、見れば見るほどに美しい景色が出来上がって。

ケイサツショ跡地前はかなり荒れ果てていた。地べたのあちこちに巨大なクレーターがある上に、向かい合う建物の壁をいくつかの矢が貫いていて、見るも無惨、実に酷い有様だ。雛鳥達の愛する街の名にそぐわない、争いの跡にシアヴィスペムが眉を顰める。



「あ、あれ」



檳榔子玉が指先を持ち上げて、ほんの少し距離の離れた電話ボックスを指し示した。ラクリマの脚が刻んでいた軽いリズムが早まって、一直線に電話ボックスへ駆けていく。

噂の公衆電話である。良くも悪くもゴシップ好きなマルクはすぐにその後をついて行ってしまったし、シアヴィスペムもおっかなびっくりに、されど好奇心を隠しきれない様子で、おずおずとその電話ボックスに寄っていった。

周囲の確認もせずに、何があるかも分からない、きな臭い噂のたつ電話ボックスへ向かっていく仲間達の姿にほんのり焦りが浮かぶ。慌てて追いかけた檳榔子玉が追いついた頃には、躊躇なくラクリマが受話器を取っていたのだが。右下の白いボタンを押し込んで、受話器を耳の横に当てながら身体を揺らして返答を待った。呼出音が、跡地前のアスファルトに染みていく。



「だ、誰か出るの?大丈夫?おばけじゃないよね」


「こんな……電話なんて誰も持ってないすっよ?トランシーバーに繋がるんすっか?」


「ンー?繋がらない、寝てるのかな?困ってるのかも!」



ガチャン!ガチャンガチャン!白いボタンを連打するラクリマの姿に皆が皆冷や汗をかいた。あんまりにも容赦がなく見えるものだから、壊しそうでヒヤヒヤしてたまらないのだ。機能している電話ボックスなんてここ1台しかないというのに。

優に30回はボタンを押し込んだ頃だろうか、受話器がジリっ!と短く音を立てて、それを合図にぱったり、ラクリマがボタンを押し込むことを止めた。電話機本体から最も距離があるはずの檳榔子玉ですら聞き取れるほどの声量で、受話器の向こうから怒鳴り声。



「レヴォサン!おはよう!」


『おはようじゃない!こっちはお前の為に寝ないで調べ物を……』


「カメラ、鶉の街と鵞鳥の街のやつ直してきたよーっ!次は?次は何をすればいーいー?」


『……もう直したのか?』


「ねぇラクくん、お話してるのだぁれ?」


「ンー、レヴォサン!俺が助けてる……困ってる人!!物知りなんだよ!」


「レヴォサンって人、電話が使えるのか?」


「レヴォサンはどこから電話かけてるんすっか?」


『さっきからうるさいんだけど、周りに他のドールがいるのか?』


「うぇー!?一気に質問しないでよー!順番!順番だよっ!!」



ラクリマとレヴォの問答に割って入るのはどうにも難しいらしい、強引な節があるマルクは果敢にも口を挟んでいるが、ちょっぴり引っ込み思案なシアヴィスペムは早々に手を引いてしまった。檳榔子玉が麦茶を差し出すと、大人しく受け取ってちびちびと口に運ぶ。

初めて明らかになったラクリマの友人__やり取りを鑑みるに友人と呼んでいいものかどうかも怪しいが、兎にも角にも電話の向こうのドール__の存在。警戒心の強い檳榔子玉の胸の内を占めているのは、鳥籠の中で唯一まともに機能している公衆電話へ電話をかけてくる、顔の見えない不可思議なそのドールへの不信感だった。

この公衆電話は動いているが、他所の公衆電話が死んでいる上、誰も携帯電話とやらは所持していない。故に、あったとしても意味がなかったのだ。だというのに一体どこから、どういう手段でこの意味の無い電話機へ電話をかけてきているのか?

一般には出回っておらず、故に誰も知らないだけであって携帯電話はまだ残っているのだろうか。だとしても、電波を制御する基地のような施設がない。鳥籠内で普及しているトランシーバーとその電波については、完全にニンゲンが滅んだ後にドール達が発展させた独自のものなのだ。携帯電話が残っていたとして、トランシーバーが主役であるこの鳥籠の中では通信をとることなどほとんど不可能。



『鵞鳥の街の図書館、今カメラで調べて見たけど……ラクリマの言った通り、図書館は物凄く警戒されてるな』


「ねー。なんで?本しかおいてないのにー!」


『寧ろ本しかおいてないからだよ。多分、そこいらのドールには知られたくないようなことが書かれた本が保管してあるんだ』


「なんすっかそのそこらのドールに知られたくないようなことって!」


『知られたくないって言うなら、そりゃ自分達にとって不利益な……露骨な被害が及ぶ情報か、または自分達以外に知られたら自分達が困る情報……独占したい情報とかだろうね、それも図書館に置くほどの量』



図書館は鵞鳥の街の南、燕の街との堺付近に位置する巨大な施設で、ニンゲン亡き今も有志のドール達が集まって運営が続けられている施設だった。読書家だったり、知識に貪欲なドール達が集まる、ニンゲンの叡智の宝庫。

禁帯出資料でさえなければ貸し出しも行っている、列記とした資料の保管施設。



『前ラクリマに言った、昔の資料とか、ドールの構造についての本も図書館にあると思う。どんな本が持ち出せなくて、見れないのか僕にはわからないけど……』


「そういう本があれば、俺らの人助けはぐーんと楽になる……ってこと!盗ってくればいいわけ?」


『盗ったら確実に警備に見つかるだろ!警邏隊が何のために警備を置いてるのかハッキリしてない、持ち出し禁止の本を持ち出してたら多分すぐ問い詰められる。目当ての本が持ち出し可能ならなんてことはないんだけど……』



シアヴィスペムが麦茶を飲み終えて、ほぅと小さく息を着く。街を橙色に染めている太陽がゆっくりと沈んでいき、格子の影が東へ東へと伸びていく。夜明けがやってくるはずの東から、確実に、着実に夜がやって来ていた。

本が、ドールに関する本は、警邏隊がとやんややんや騒ぐ声を聞き取って、ぽつり、独り言のように檳榔子玉へ話しかける。



「ドールに関する本は図書館にはない、はず……」


「知ってるの?」


「うん、せんせいとホルホルさんとね、よく一緒に行くから……あ、でも修理に関する本はある。新しいやつだけど」


「古いのは……ドールそのものに関する本は置いてないってことか」


「でもあの図書館、外から見るとものすーっごく広いのに、中に入るとすーっごく広い程度だから、多分ほかにもあると思う」


「……教えてくれてありがとう、シア」



快活だが引っ込み思案なシアヴィスペムは、他のドールに遠慮しがちな部分がある。一歩引いた位置にいれば、そちらへ寄ってきてくれることもあるのだ。こうして、静かで落ち着いた場面であれば有益な情報を話してくれることだってある。

仲間それぞれに得意不得意こそあれど、皆一様に、誰かの支えでありたいと思っているものなのだ。檳榔子玉の心からの感謝が込められた短い一言に、シアヴィスペムが破顔する。



「ううん、どういたしまして!」



電話ボックスの方から聞こえる喧騒はヒートアップするばかり。ラクリマは滅多に人と喧嘩をしない為、恐らくマルクとレヴォが口喧嘩に発展しているのだろう、ああでもないこうでもないと受話器の向こうと喧嘩をするマルクの翼の羽は逆立っていた。



「マルク、ちょっと代わって」


「ちょっと待つすっよレン、この石頭が……」


「代わって」



諭すように、渡してくれと手のひらを出せばマルクの顔色から剣呑さが抜けていく。実に不満そうな表情をしながら、いつの間にかラクリマから奪い取っていたのだろう受話器を檳榔子玉に受け渡した。口論が始まってから蚊帳の外になっていたのだろうラクリマは、電話ボックスの横にできたアリの行列をしゃがみこんで熱心に観察していて、時折その特徴的なアホ毛が風に揺られてぴょんぴょん跳ねている。



「えっと、電話代わったんだけど」


『お前は話通じるんだろうな』


「ごめん、マルクも悪い人じゃないんだ。ちょっと一直線なところがあるだけで」


『…………お前が謝ることじゃないだろ。個体名は?』


「檳榔子玉。セレンディーブでも」



開口一番、怒気を孕んだ少年の声が檳榔子玉に向けられる。数度のやり取りで柔らかな声色に変わったことに、檳榔子玉は安堵した。

電話の向こうのレヴォへの警戒は拭いきれないが、ラクリマが言うには今最も黒い卵の、真たる情報に近しいドールだとも言う。信用していいものかまだ判断しかねるが、仲間は多い方がいい。情報だって豊富な方が有利なのだ、聞き出せるものは聞き出しておくべきだろう。

ドールの構造について記した本が図書館にはないこと。

図書館の構造的に、普段は立ち入れないだろうエリアがあり、そこに必要な本があるかもしれないということ。



「そもそもなんでドールの構造についての本を持ってくるように指示したの?」


『大怪我したドールがいるんでしょ、治療を早めるコツと……あと、黒い卵を探すにあたって群れで動くなら、ドール同士の相互作用について理解しておくべきだ』


「それ、君が口頭で説明するだけじゃダメ?」


『僕だって万能じゃないんだ。それに、僕のところにあった資料こそが図書館にある……と、思われる資料そのものだしね、取り返してきて欲しいっていうのもある』


「なるほど」



聞けば、何らかの理由で1箇所から動けないレヴォに変わって、ラクリマが動いているらしい。監視カメラの復旧、資料の奪還、確かに1箇所から動けないのならばどれもこれも難しいものばかり。

だが何故、1箇所から動けないのか?



「あとひとつ聞いてもいいかな」


『内容による』


「君はどこにいるの?」


『檳榔子玉とかラクリマとかは絶対に来れない場所だよ、そんでもって、僕もここから出られない』



明確な答えにはなっていないが、現段階で確認しに行けるような場所ではないことだけはわかった。そう、と小さく返す。

辺りはすっかり暗くなっていた。キリのいいところで受話器の向こうのレヴォが、もう暗いから子供は全員帰れ!と言い放って電話をガチャ切りしてしまったらしい、無情にも無機質な電子音だけが、ツーツーとその場に響いていた。

少しでも感情が乗ると大声になってしまうレヴォの声は、受話器を握っていなかった仲間たちの耳にもしっかりと届いている。



「俺、そんなに子供って感じするかなー!?」


「ウチも大分子供扱いされてたすっよ!」


「いや、電話越しの声からの偏見だけど、レヴォの方が年下っぽいような……」


「ねぇ、もう暗いよ、早く帰ろうよ!」



ほとんど真っ暗になってしまった夜の道、街頭なんて贅沢なものはどこにも無い。マルクが持ってきていた懐中電灯の微かな灯りを頼りに、見目幼いドール達は一塊になって帰路を辿った。











​───────​───────










「遅かったですね」


「ひゃっ!?リーダー!?」


「リーダーただいまー!」


「はい、おかえりなさいロウ、ライ」



夜も更けた頃、雄彦の送迎で拠点へと帰ってきたデライア達を待ち受けていたのは、にこやかな笑顔を浮かべたヴォルガだった。扉を開けた瞬間に、体長2メートルのドールが眼前に立ち塞がるのは恐ろしい。例えそれがいくら慣れ親しんだ、年下の上司だとしてもだ。

黒くて大きなものを怖がるロウに合わせたのだろう、白い長袖のニットを着たヴォルガが駆け寄ってきたロウを抱き上げる。怪我はありませんか?ないよ!短い応答の後、すぐさま眠いと、白い妖精が駄々をこねた。

この永朽派拠点において、ロウの駄々とデライアの涙に勝てる者はいない。ヴォルガも例に漏れず、お部屋まで歩けますか?の問いかけにロウが首を横に振るなり、仕方がないですねと甘やかして。



「本部で何をしてきたんです?」


「え、えっと……」


「……箝口令でも出されました?」


「いや、15階?のなんか、すごい部屋でゲーム……してきて」


「ゲーム?」


「格闘ゲーム……」


「本部の最上階で格ゲー?マジですか」


「ま、マジだよ、結局偉い人が来なくて……案内してくれた、見習いの人とずっとストリートドールしてた……なんか凄くなかよくなっちゃって」


「ちゃんとぶちのめしました?」


「ええっ!?え!?引き分け……」


「そうですか、次は頑張りましょうね」


「えぇ〜……」



デライアが乗ってもなんとも言わなかった床の木板が、ヴォルガを乗せてギシリと声を上げる。遊び疲れてしまったのか、すぅすぅ寝息を立てて目を瞑ってしまったロウを揺らさぬように注意して。



「デライアもロウも、会えなかったんですね」


「……偉い人に?」


「そうです。雄彦さんとはお会いしましたね?」


「うん、リーダーの上司って」


「あの人、正しくは上司ではなくて監視役でして」



ヴォルガの、黒手袋に包まれた手が、ロウの柔らかな白い髪を撫でた。弟でも慈しむみたいに小さな鳥を腕に抱いて、普段は伏せっぱなしのグリーンアイが呼び覚まされる。

曰く、ヴォルガはデライア達のような特殊部隊のドールの上司でこそあるが、それと同時に彼等を監視する役割を持っているということ。そして更に、監視役の監視役、という形で、一歩引いた位置に雄彦が配属されているということ。



「私と雄彦さんは、総監……貴方達が呼び出された一番偉い人のことですが、その人の直属扱いなんです」


「……それってもしかしなくても、凄いこと……なんじゃ?」


「まぁ、そうですね。ですが私は一度も彼の人のお姿を拝見したことがなく……下について年単位の時間が経つというのにですよ?とんでもなく避けられています」



はぁ、とわざとらしい溜め息が聖堂に吐き出される。ほんのちょっぴりギャグテイストな、大袈裟だった仕草のなりをすぅっと潜めて、ヴォルガが一旦足を止めた。



「…………私は、仕える方の顔すら、見るに値しないのでしょうか」



親に置いていかれた子供のような表情は、デライアにそこはかとない既視感を与えた。知っている。こんな、どうしようもないやるせなさに襲われる子供の表情を見たことがある。どこで?一番近くでだ。

まっすぐ見ている気にはなれなくて、そっと、返事に困っているような素振りで視線を逸らした。逸らしてしまった。その表情が、あまりにも__かつて鏡で見たドールの表情に、そっくりだったから。



「あぁ、これ、本当はあまり話しちゃいけないんですけど」


「えっ!?」


「ふふ、内緒ですよ。私反抗期なので、愚痴だって言いたくなるんです。バレたら首飛びますが」


「ぐ、愚痴で!?」


「いや?私は悪い子なので、首如きでは済まされないだろう反抗もしています。ですが、まぁ……」



やんわり、前を向いていた緑色が、ゆるりとこちらを向いて孤を描いた。



「上司と部下を天秤にかけるんでしたら、部下の方を守りますから。妥当です、リーダー権限ですよ」



まるで、嘘をついてこそ君達を守れるのだとでも言うようなその口ぶり。にしてもリーダーのとんでもない秘密を聞かされてしまったと、デライアは暫く百面相もかくやというほどに面白い顔色の変え方をしていた。

リビングに戻ると、コラールがソファの上で足を組み、トランプの山を切っていた所だった。

少し夜更かしして遊んでいたんです、なんてクスクス笑ったヴォルガが、断りを入れてロウを2階へ連れていく。



「夕飯のパエリア、キッチンにあるから火にかけて食べなよ」


「あ、ありがとう」


「トランプやる?別にお前とやりたい訳じゃないからやんなくてもいいんだけど」


「うーん、今日はもうゲームはいいかな……」



デライアはバカみたいにカードゲームが弱かった。全部顔だとか翼だとかに出るのだ、わかりやすいことこの上ない。アルクやルフトは気を使って負けてくれるのだが、コラールやカーラ相手だとそうもいかなかった。ちなみに、本人は気を使われていることに気が付いていない。



3階のバルコニー。

星のきらきらと瞬く美しい夜空。巨大な格子という雑音ノイズさえなければ、純度の高い満点の星空が楽しめたのだろう寒空の下、ニアンは毛布に包まりながらぼんやりと空を眺めていた。隣には、甲冑を脱いだ薄着のアイアンが座っている。2人の持つマグカップの中で湯気を立てる柚子湯は、魔法瓶に入れられてキッチンに作り置きされていたものだ。

ふわり、白い帯が視界を横切って、跡形もなく消えていく。先程まで一緒にいた、3人組のうちの1人であるルフトはマグカップの中身を飲み干すなりさっさと眠りにいってしまった。ルフトとアイアンはよく小競り合いにも似たじゃれあい__というにはどちらも少々殺傷能力に長けすぎているのだが__をしているが、ニアンとアイアンではあまり目立つやり取りをしなかった。

大した会話もないが2人とも居心地がいいらしい、やんわりやんわり、時間が過ぎるのを肌で感じていく。アイアンもニアンも、不思議なことに、互いが似たもの同士のような気がしてならなかった。ぽっかり、からっぽの何かは、二人の間に流れる静かな空気にそっくりで。

ふと、アイアンの脳裏をあの青い宝石の名を冠するドールの姿が過ぎった。あまりその日のことを振り返るような性質たちではないアイアンにとっては珍しい事で、自分自身不可思議なこともあるものだ、と心内で僅かに首を傾げる。

拠点に帰り、鎧を脱いでから初めてわかったが、あの手合せでアイアンは傷を負っていた。膝裏にヒビ。それもかなり広範囲に。浅い傷だったからよかったものの、もう少し深ければ歩くこともままならなかっただろうと思い返す。

すぐに直せる程度の傷、しかしアレが剥き身の真剣だったならば?

私もまだまだということだろう。

ふぅぅ__と、知らず知らずのうちに深くなってしまった息が、白く変わって虚空に溶けた。この猛将、どうにも行く宛てがないのだ。二進も三進も行きやしない。その巨大な剣をどう振るえばいいかなんて、とうの昔に忘れてしまった。忘れてしまったからこそ、更に上へ、更に上へ、下を見なくて済むように。

下ばかり見ていた鋼玉を諭した、あの幻の金剛は、どこにもありやしなかった。



「ねぇ、あいあんくん……」


「なんだ」


「流れ星」


「何?どれだ、私にはさっぱり見えん」


「ほ、ら……あっち……」


「北東と言うんだぞ!」


「うぇ、ごめん……わ、かんなくて……」


「構わん。が……デライアを呼んだ方がいいんじゃないか?」


「お、思った。夜だから、あるくさんも呼ぼう……」



するり、音も立てずにニアンが立ち上がる。パタパタと足音軽く駆けていって、目当てのドール達を呼びに行った。流れ星の消える前に、願いを叶えるという、望みを叶えるという一閃の光が消える前に。

ニアンは案外フットワークが軽い。というよりも、指示されたことや目下やるべきことに対しての順応速度が恐ろしく早いと言うべきか。ニアンが戻ってくるよりも早く、アルクがバルコニーに顔を出した。片手には紺色の魔法瓶。ココアはいかがかな?なんて嫋やかに笑う最年長に、いただこうなんて返事した。

マグカップの中、透ける黄金がアルクの放つ白い光を拾って月のように輝いて。残っていた柚子湯に気がつくや否や、マグカップをぐいと煽って90度。一口にそれを飲み干して、空のマグカップに暖かなココアが注がれる。



「2人で空を見ていたのかい?」


「普段はこの時間ならば特訓をしているのだが、今日は特訓を無しにして……何をすればいいかよくわからなくてな、本も読み切ったしで、暇を潰していた」


「特訓をお休み……?珍しいねえ」


「怪我をしたからな」


「もっと珍しいねえ」



年老いた真っ白のドールは、この拠点の中で誰より楽しそうに笑うのだ。心底面白いとでも言うように笑う若いドール達とは異なって、愉快で愉快で仕方ない、とでも笑うような、上品で、されど深みを感じる笑い。まともな者が隣に並んで聞いていれば、そこまで愉快だろうかと気にしてしまうだろうと言える程には、異質な笑みだった。

まぁ、流れ星に何を望むでもないアイアンからは、違和感だとか異質な物は__自分とは別のベクトルの奇っ怪さは、感じとれやしなかった。


しばらくして、ヴォルガやロウ、コラール、デライア、果ては珍しく、騒音が気になって起きてきてしまったのだろう梦猫やカーラまでもを巻き込んで、そこそこの大人数で天体観測に臨む警邏隊のドール達がバルコニーに見られたんだとか。














​───────​───────















深夜、革命派拠点リビング。


暖炉の炎がすっかり弱まった頃。ダイニングで1人書き物に勤しむガーディアンの鼓膜を、カタンという小さな物音が揺らした。背後に熱源、誰かがダイニングへ降りてきたらしい。

夜の革命派の拠点は真っ暗だ。夜目の効く何体かは全く問題なくうろつくことができるのだが、如何せん全員がそうという訳でもない。薪がパキリと、残された熱に崩される音。すり、と僅かに衣擦れの音。

明かりは暖炉の残り火と、机の上に乗せられた粗末なテーブルライトだけ。手元ばかりが明るいそれを、ぐいっと、半ば強引に音のした方へ向ける。



「うわっ」


「……!クレイル、お前……」


「眩しっ、ちょっと、ガーディーそれ降ろせ、眩しいって」


「起きたのか」


「今さっきな」



強い光に青い目を細めたそのドール。ガーディアンの身体から、ゆっくり強ばりが抜けていく。皆があれだけ心配したというのに長らく目を覚まさなかったクレイルは、いつの間にかピアスを外しているし、額の紋様も落としているしでピンピンした状態でそこにいた。

キッチンの戸棚を開けて、マグカップを出して、平然とコーヒーをいれはじめるリーダーの翼はどこかぐったりとしたままだ。



「ブランクは」


「ねーだろ、多分」



他人事のように言ってのけて、ポットの中身のお湯を注ぐ。いつもならばマドラーでかき混ぜるというのに、今日はそれすら億劫なのか、左手で軽くカップを揺らして、かなりおざなりな作り方のそれを飲み下した。

ダイニングにきついコーヒーの香りが立ち込める。古ぼけた木板に染みていく、カフェインを含んだその匂い。



「俺、上の奴等見てから寝っからお前も早く寝ろよ」


「……起こすなよ、騒がしくなる」



お前が起きたと知ったらどれだけ騒ぐことか。言外にそう告げるガーディアンのオッドアイを、キラキラ輝く青い瞳が捉えて笑った。



「わかってるっての 」



ぐい、先程よりも強めにカップが煽られる。喉仏が一度波打って、傍目から見ても嚥下したのだという一瞬がよくわかった。ごとり、グローブの嵌められた左手が、マグカップの取っ手を手放して離れていく。二、三度羽ばたいてしまえばいいものを、寝ているドールたちに気を使ったのかなんなのか、律儀に梯子を登って2階へ向かう親友の後ろ姿を見送った。いつもはゆらゆら揺れているはずの尾羽も、動きに流されるだけの単純な動きのみを残し、ぐったり下がったままで、なんだか異質な感じがしてたまらなかった。

キッチンのカウンターに置かれたマグカップを見やる。


アイツ、飲み残しやがった。


マグカップを手に取って、半分近く残ったまんまのコーヒーをシンクに流した。注いだ飲み物は、よそった食べ物は残さないはずだと言うのに、やはり本調子では無いのだろうか。別に、心配しているだとかそういう訳ではなかったが、あの変なところがしっかりした、けれどもどこかが抜けている男が、食べ物を残すその様があんまり珍しかったものだから。

クレイルはいつもバカの量の砂糖とミルクをコーヒーに溶かす。とんでもない量の甘味が入ったコーヒーを残すなんて、勿体ないことこの上ないなんて考えながら、シンクに流れる液体を見やってふと気が付いて。

マグカップの中に残されていたコーヒーは、砂糖もミルクも溶かされてなんていなかった。































「ねぇ、セレン、マイディア、起きて」


「ん、まだ早いよ……?」


「散歩に行こう」


「……珍しいね…………いい、けど、顔洗ってからね……」


「ふふ、勿論」



夜明け時。ふたつの影が拠点を発つ。

地下の修繕室にて、か細く息をする幼い鳥に、誰も気が付かない。夜中に黒鳥を寝だなめた深緋色が、未だに息を吹き返してなんかいないことにだって、誰も気が付かない。










​───────

Parasite Of Paradise

5翽─ふたつの影

(2021/12/24_______22:00)


修正更新

(2022/09/18_______22:00)

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