4翽▶傷心、愛しの街よ







「いやぁヒヤヒヤしたね!!死ぬかと思ったよ!!生きてるけど!」


「もうちょっと寝てた方がよかったんじゃないすっか?」


「まぁ……うん、俺もそう思う」


「しりにーにだいじょうぶ?首痛くない?」


「大丈夫さ!!そんな顔しないで、僕は頑丈だからね!!」



革命派拠点、リビング。ふわりと漂ったコーヒーの香りは、机の上に置かれたヘプタのマグカップからやってきたものだ。指揮を取っていたドールが動けない今、黒い卵の探索は控えるべきだと言うホルホルとルァンの指示通り、皆が皆一時的に黒い卵に関して調べることをストップしていた。

出鼻をくじかれたような感覚が、しないでもない。

ホルホルのアビリティですっかり元通りになった首を元気にぶん回しているシリルを遠目から見やるマルクに、鍛錬から戻ってきたのだろう檳榔子玉と青玉が並んだ。後遺症も残っていないのだろうシリルは異常な程に元気だ。元より異常ではあったが。


ホルホルのアビリティのメリットにもう一つ、修理直後に発生する、黄金を馴染ませるための時間をカットできるというものがある。

一度自分から切り離された黄金の塊__要はパーツであるが、それをくっつけて直すとなると、切断されてから20分以内であれば馴染ませるためのダウンタイムは発生せず、切断される前と全く同じように扱える。

なんらかの、自他問わずアビリティの影響を受けているならばこの限りではない。しかし基本的にドールにとって、切り離された「自分の腕」が「腕の形をした金塊」に変わるまでのタイムリミットは20分である。

ホルホルのアビリティは欠損した断面から半ば強制的にパーツの再生をさせることができるのだ。対象のドールのコアへ、信号シグナルを介して超再生を誘発させる、非常に稀有なアビリティ。

切り落とされたシリルの首を置いてきたのは、顔面部分がぐちゃぐちゃなあの首をくっつけて直すよりも新しく再生させた方がいいと判断したからだった。

次にいつ戦闘に入るかわからない以上、翼の次程に複雑でデリケートなパーツである頭が馴染んでいない状態が続くのは望ましくない。頭はシリルのアビリティ発動に必須となるパーツ。目が無事ならば身体が限界を迎えるまで発動できるアビリティだが、レンズだけあっても写真は撮れない。

そういった采配の上で完璧に修理を終えたシリルは、病み上がりだというのに視界のかすみや可動域の収縮も特にないらしく、元気がありあまっているようで。



「ところでリーダーはどこだい?朝から姿を見てないけれど……直ったことを伝えないとね!」


「クレイルなら、……」



ホルホルの言葉が詰まる。

シリルは修理が終わってすぐに自分の部屋へ移され、そのままそこで目が覚めたのだ。自分が庇われたことなど知らぬままであるし、果ては庇った張本人が真っ二つになったなど知る由がない。

このまま誤魔化すことも出来る。シリルが件のドールに異様な執着を持っていることは先の戦闘で知っていた。伝えていいものか。



「リーダーなら重症だからね。今はダメだよ」



言葉に詰まって、らしくもなくコンマ数秒固まったホルホルの背後、よく通るルァンの声がそう告げた。

嘘は言っていない。事実である、ただし重要な箇所は伏せたまま。

なんでだい!?と騒ぐシリルの相手はアンドが受け持ってくれたらしい、シリルの駄々は少しずつ逸れて言って脱線し、全く関係のない話に変わってしまった。ルァンが小さく、それでも重苦しく、ホルホルと名を呼ぶ。



「わかってただろう?」


「おう」


「どうして言い淀んだんだい?君らしくない、この間までの君ならハッキリ言っていた。なにか理由があるんだろう?」



ルァンの言う通りだった。

軽く頷いて返しこそしたが、言っていいものか、また測りかねてしまう。

変なのだ。そこはかとない違和感。合理的な結果を弾き出すようできてしまった幻の脳髄が、根拠もないのに警鐘をならしている。

妙だとしか言えないが、何が妙かと聞かれればわからぬと答えるしかない宙ぶらりんのこの心境。どうやって具現化してくれようか。

以前から燻っていたことは間違いなかったが、それだってほんの僅かなものだった違和感の種火。先日のシリルの様子を見て一息に燃え上がったソレを、どう形容していいものか。聡いホルホルにもわからなかった。

この革命派は、群れは、何かが変なのだ。


ルァンは黙りこくってしまったホルホルをしばらく見下ろしていたが、ふむと何やら頷いたのちに踵を返す。今は議論の時間ではない。



「探検隊!準備……できた!?」


「よーし!」


「よーし!」


「よし!」


「よーし」



ラクリマがポシェットを携えて号令をかけた。青玉、シアヴィスペム、マルク、檳榔子玉が声を返して拳をあげる。黒い卵の探索はストップをかけられているが、外にみんなで遊びに行くのは止められていない。前回の探索をお留守番していた檳榔子玉を引率に、小さな探検隊が玄関へ行進していく。

皆一様に可愛らしいポシェットかトートバッグを肩にかけていて、中には道具やらお菓子が詰められていた。お財布は持ったか否か、キッチンでスープを作っていたミュカレの問いかけに、探検隊のメンバーが首を傾げてポシェットの中を確認する。忘れ物がないことを確認した探検隊一向の笑顔に、ついついつられるように__笑みを浮かべたような表情がデフォルトでこそあるのだが、アンドの頬も緩んだ。



「夕飯までには帰ってきてねぇ?」


「変な人についてっちゃダメっすからね!」


「ン!わかってるよー!!」



いってきまーす!

元気な声が玄関の向こうへ、吸い込まれるようにして消えた。拠点の外は驚く程に晴れ渡っていて、しばらく雨は降りそうにない。春の陽射しが鳥籠の格子の影をアスファルトに落としながら空間を満たし、さわさわと揺れる、芽吹き始めたばかりの、木々の若葉達がひっきりなしに内緒話をしている。


陽の光が入らぬ修繕室からは、そんな外の様子なぞ1ミリも伺うことはできなかったが。



「………………リーダー」



離れ離れだった胴体はくっつき、身体に残るヒビの痕も段々と薄くなってきたクレイルの、冷たい手を握る。普段は温める側で、いつだって暖かなはずの体温はどこにもなかった。ヘプタの低めの体温を遥かに下回る、無機質な黄金の温度だけがじんわりと伝わってきて、幾分か心のうちに虚しさを残すばかり。

握った手には、普段の力強さがない。ヘプタがここでぱっと手を離せば、鈍い音を立てながら寝かされている簡素な寝台に落ちるだけ。そろそろ起きてもいいはずなのに、黄金が馴染むのに時間がかかっているらしく未だに目覚める気配がない。よっぽどコアの方が落ち着いていないのだろうか。機能停止する直前に、何か受け入れ難いトラブルでもあったのだろうか。



「お寝坊さんは……俺だけでいいんですよ……」



うと、うと、高めの新台の横に置かれた椅子の上、ゆったり船を漕ぐ。やや過眠症気味のヘプタのことだ、また眠くなってしまったのだろう。手を握ったまま上体をベッドに伏せる。

ヘプタは寝坊助だなぁだとか、笑って言ったこの人が冷たい。なんだかゾッとするその事実にそこはかとない既視感を感じてしまって、ヘプタは目を逸らすみたく瞼を閉じた。


青空に太陽があるのは、当たり前のことでしょう?











​───────​───────















「あールフトさんまた報告書文字間違えてる」


「え?どこ?」


「……こ、ここ、も」


「マジじゃん……2人とも教えてくれてありがとねぇ、ヴォルちゃんに言われる前でよかった」


「じゃ、これも書いて」


「ラフィちゃん見習って自分で書きなねぇマオちゃん」


「えー……もうめんどくさい、サボりいこうよ」



大聖堂。緩やかな午後の陽射しは、サボり癖のある梦猫とルフトのやる気を半減させていた。お目付け役をやるように頼まれたのだろうラフィネが、ホットミルクをちびちび飲みながら2人の仕事を眺めている。逃げようにも逃げられない。

ルフトが活革命派ドール__シリルとクレイルの首を落としたあの日。熱炎をくゆらせながら戻ってきたヴォルガが言うには、あの2体はまだいきているのだそうだ。どこにもボディが見当たらなかった上、他にも仲間と思われるドールが閑古鳥の森付近にいたことを鑑みるに、他の仲間がやって来てボディを回収して行ったに違いないと、苛立つヴォルガが半ば怒鳴るように言い放っていたのを思い出す。

規律を重んじた結果、仕留め損ねたということ。

仕留め損ねたと思い直せば生来野鳥気質のルフトのテンションは下がったが、警邏隊の規律をそうポンポン破っていいものではないし仕方がない、再戦できると思えばいいのだと、利き手でペンをくるりと回した。

ルフトは既にイエローカードが出ているようなもの。リーダーであるヴォルガはニコニコ笑って誤魔化してこそいるが、アレは完全にルフトへリーチをかけている。



「フィくん、今日の見回り誰が行ってたっけ」


「えっと……アイアンさん」


「ダメだ」


「ダメだね」



見回りに行っている人員によっては、サボりを見つけても見逃してくれることがある。もし見回りがシルマーやデライアだったならばすぐにでもサボりに行ったのだろう2人が額に手を当て俯いた。



「コラールくん」


「ダメだなぁ」


「ダメだなぁ」



アイアンは見つかれば地獄の鬼ごっこ訓練必須であるし、コラールは一度突っかかられてしまうと思わぬ方向から言葉の一撃を食らう可能性が高い。心身を休めたいが故にサボるというのに、余計なダメージをくらっては溜まったもんではない。



「あと……カーラさん」


「……っ、うーん?んん、マオちゃんジャッジ」


「ダメだと思う」


「だよねぇ」



大人しく机に向かって報告書を書いていた方がいいと判断したらしい2人の大きな溜め息が、作業再開のファンファーレとなった。

報告書一枚書けば済むだけなのに、とほんのりラフィネは首を傾げたが、ラフィネとこの2人では大きく感性にズレがある。少しでも楽をしたいという感覚は、ラフィネの中に存在しないのだ。

ダイニングテーブルの上には2人の報告書、ドリンクの入ったグラス、ラフィネの裁縫セット、それから袋詰めされた少しのお菓子。

二階から降りてきたロウが、デライアの手を引いてお菓子の方に吸い寄せられるかの如くやって来る。椅子の上にぴょんこと飛び乗って、小さな手を伸ばすとお目当てのお菓子を握りこんだ。



「あったー!こんぺいとう……はいデライアさん!」


「わ、ありがとうロウ……白い金平糖、いる?」



袋詰めされた金平糖。格子の向こうに輝く星屑のようなその甘味は、鳥籠の中でかなりの人気を誇る王道のお菓子であった。ただし、少々値は張る。黄色のものが多い袋はデライアの手元へ。いるー!と元気に返したロウへは白い金平糖が多い袋。色によって味が変わることは無いが、気分の問題だ。こんな寂れた鳥籠の中に暮らす以上、たかが気分の問題とはいえ、日々の暮らしを少しでも彩り豊かなものにするには重要なこと。

早速袋を開けて、ふたつみっつとつまんでは中身を頬張るロウ。それを穏やかに見守っていたデライアも、遠慮がちに袋を開けて甘美な星屑を口に運んだ。



「ロウちゃんデラちゃん、見回り?」


「あ、ううん。なんか……本部の方から呼び出されてるみたいで。お迎えの方が来るまで待機です」


「本部から呼び出されるとか……あるんだ……」



ラフィネの言葉に、気だるげな梦猫の呻き声が返ってくる。発足され、このメンバー全員が揃ってから僅かの期間とはいえ、これまで本部から呼び出されていたのはヴォルガだけ。ヴォルガの部下である面々に直々に声がかかったことはなかった。

警邏隊のバッジがついた手帳をポケットから出す。無造作に開いたページは丁度お目当ての情報を書き留めたページであったものだから、そのまま視線を滑らせて。ヴォルガから、やや不安そうな顔色で言い付けられた指定の時刻は2時間後。まだまだ時間があるな、と、半ば安堵したような息を零して手帳を閉じた。

真新しい、されど洗練されているが故に妙な新品感は纏っていない時計の小さな振り子がユラユラ揺れて、窓から差し込む春の自然光を悪戯にあちこちへ跳ね返す。

クビの言い渡しだったらどうしよう。デライアの表情が曇っていく。昔から臆病で、人と関わることが得意ではない上に、そこそこ重度のネガティブ思考。前向きな誰かが一緒ならば、ソレにつられて前向きになれるのだが。


ダイニングで談笑する5人の声が僅かに聞こえてくる。キッチンにおいてある大きなテーブルは秋が料理を始めると作業台になるのだが、誰も料理をしていない時間帯はもうひとつのリビングのように扱われていた。そんなテーブルのそばに置いてある椅子には、アルファルドが資料を片手に腰掛けている。

かたん、と小さな音。俯いていたせいか微かにズレていた眼鏡の位置を指先で整え、顔をあげる。



「ニアンくん」


「あ、あるふぁるどくん。えっと……」


「ルフトさんならリビングだよ」


「ん、んーん……えと、飲み物、のみたくて。あいあんくんは?」


「見回りだよ」


「そっか……」


「鵞鳥の街の方って言ってたかな」


「!……あ、りがとぅ、飲み物、飲んでから行っても……合流できる、かな」



オドオドした話し方、立ち居振る舞い。190cm以上の体躯とは裏腹に幼い話し方。左右で含む色が違うニアンの視線が床をなぞり、所在なさげにさまよっていく。フラフラしていた視線はゆっくりあがり、アルファルドの手元でピタリと止まった。



「ほうこくしょ?」


「いや、この間俺が仕留めたドール……とその仲間の、追加情報。多分、夕食頃には皆にも通知が行くと思うけどね」


「追加情報……」



遠慮がちに資料を覗き込む。2体分のドールの容姿の説明に加えて、簡単な情報がただ簡潔にまとめられたその白い紙。


個体名、クレイル。革命行動を発見次第、ジャンク拘置。

個体名、ラクリマ。革命行動を発見次第、ジャンク拘置。


シンプルな文体、アルファルドはただそれだけが連なった紙をぼんやり眺めていたのだ。ふぅんと、ニアンの、ほんのり興味なさげな声がキッチンに溶けて消える。

この子達、わるいことをしたんだ。資料を覗かせて貰ったことに対してぽつりと礼を。アルファルドからは穏やかな、謎めいた不思議な微笑みが返されるだけ。

おぼつかない手つきで自分のマグカップに、シルマーから教わったはちみつミルクを注ぐとさっさとキッチンを後にした。ニアンは神出鬼没気味だ。大体アイアンかルフト、ヴォルガ辺りの後ろにくっついて歩いているためか、いつどこに単体で現れるのか想像しがたい部分がある。

外の光が埃を照らして、宙に光の屑を散らす。地下から聞こえる風呂用のボイラーの微かな駆動音が、静寂の中にひっそりと息をしていた。















所は変わる。

警邏隊の日々の業務のひとつには、街の見回りという重要な仕事があった。



「シルマーとかカーラとかが遭遇した活革命派で間違いないじゃん、あれ革命行動でしょ。なんでぶっ潰しちゃいけないワケ?」


「ンー、革命行動とは違うよー、人助けだよ!!ほら!直してるだけ!」



見回りの最中、変な行動をしているドール達をたしなめるのも警邏隊の仕事だ。コラールは革命行動を見つけては片っ端から黙らせる天才である、今日も見回りの最中に見かけた奇怪な行動をするドール達を嗜めだまらせようとしたのだが、どうにもこのドール達、やっているのは人助けだと主張してやまない。

確かに、革命行動の定義を「黒い卵の探索」「革命派抑止力である警邏隊への威嚇・攻撃」だとするならば、このドール達は当てはまっていない。しかし問題なのは、電信柱に乗っかっていたり、張り付いていたりするそのメンツだ。

一体は象牙色の髪に梔色の2本のアホ毛をもった、ペンギンの翼のドール。コラールの属する部隊の中でも屈指の攻撃力を誇る、シルマーを行動不能にした張本人。アビリティや趣味繋がりでコラールが一目置いていたカーラも、顔の右半分をコイツに持っていかれたのだ。

明らかに活革命派の一派である。



「こう言っている上、黒い卵を探しているわけでもない。私達が裁けるものじゃないだろう!ヴォルガ隊長からは電線の修理をしているドールを止めろとは指示されていない!」


「そーだよ、電信柱からケーブルがだらーんてしてたら危ないでしょ?危ないからぼくらが直してるだけだもん、警邏隊のくせに人助けするドールの邪魔する気?」



ばさり、ばさり、白い翼をはためかせて電信柱の近くに浮いているシアヴィスペムが、ほんのり嫌悪を滲ませた表情と声色のままに挑発する。シアヴィスペムはコラールとアイアンのことを一方的に知っていた。無論、最悪の形であったが。



「うっざ……そこの白い変な髪型のやつ降りてきなよ、今の警邏隊侮辱行為だから」


「やだ。降りない。ぼくらには翼があって、空を飛んでられるのに、なんでわざわざ地面にいかなきゃいけないの?それにそんなこと言うなら赤色のうっさいのがさっき言ったのも革命派差別行為だから」


「お前それもう一回言ったら何がなんでも叩き落とす」


「久しぶり天使ちゃん、ここ往来。喧嘩しない」


「久しぶりセレンお前に興味無い。片言やめてくれる?バカにしてるの?」


「喧嘩めーっ!!ししょー、こーにーにとしあちゃんの喧嘩とめてっ!」


「確かにこのまま口喧嘩が進めば、本物の喧嘩に発展しかねない!コラール!!口を慎め!」


「はぁ?嫌だけど。っていうか革命派となかよしこよししてるお前の指示、聞きたくないから」


「ふーん、赤いの、お口チャックもできないの?」


「今すぐ降りてきなよ変な髪型」


「ちょっと!喧嘩するなって!!」



2体の宝石の名を冠するドールにアイアンが加わり必死に喧嘩を止めようとするが、愛らしいドール達の互いを挑発し合う声はなかなか止まない。

シアヴィスペムもコラールも、その容姿たるやまるで天使のように愛らしかった。黙っていれば花も恥じらうほどに可憐なその姿は、見るものの心を癒すが彼等が口を開けば心を裂かれるような攻撃を食らうはめになる。シアヴィスペムに関しては、革命派を謳っていればほぼ無条件で懐くと言っても過言では無いので、攻撃を食らうか否かは派閥によって変わってしまうのだが。

シアヴィスペムもコラールも、互いに互いの派閥を心底嫌っていた。水と油、氷炭相容れず、薫蕕くんゆう器を同じゅうせず。

春に芽吹いては未来を彩るような鮮やかな翠色の瞳が剣呑さを帯びたままコラールを見下ろし、冬に澄み渡っては全てを見透かすような麗しい水色の瞳が心底憎たらしげにシアヴィスペムを見上げている。

コラールとは越冬前から知己の仲__ライバル関係と言っても過言ではない__であった檳榔子玉が深いため息をついた。諦めの様相である。

青玉はほんの少し表情を曇らせて、ししょー、とアイアンの方へ寄っていってしまった。肩車されて3m地点に君臨した幼い鳥が、キョロキョロと街並みを見渡して、ゆっくりながらも機嫌を直していく。



「青玉、そのぬいぐるみ、持ち歩いているのか」


「うんっ、ししょーに作ってもらったくれいるね、いつも一緒一緒なの」


「すまない、少し借りても?」


「うん!」



大きな掌の上に、ちょこんと小さなぬいぐるみ__編みぐるみが乗っかる様子はやや珍妙だ。アイアンの手のひらに収まると、ゴマ粒もかくやと言わんばかりのサイズに見えてしまう編みぐるみ。これはアイアンが青玉に作って贈ったものだった。

オレンジ色の髪。紅が夕焼けのように色を変えていくグラデーションがかけられて、白い刺繍糸が模様を織り成すひらひらした3枚の布。

アイアンはこのぬいぐるみの正体を知っていた。と言っても、青玉のいう“ くれいる ”と、活革命派筆頭のドールと、越冬前に訓練場でよく会っていた若いドールが同一人物だと気が付いたのは編みぐるみを見直したついさっきだったが。



「このドールは貴様……青玉の大切なドールなのか?」



アイアンの赤い目が、肩の上に乗っかる青玉を見据える。光の射さない青い瞳には、アイアンの瞳の色である赤い色が僅かに映り込んでいて。その編みぐるみのドールと、なんだか、どこかがよく似ていた。



「うん」


「そうか」



編みぐるみを返す。青玉の小さな手が、大切そうにそれを受け取って優しく強く抱き締める。

知った。知ってしまった。

先日ルフトが首をとったというドールと、この小さな子供が大切にする編みぐるみの正体が、一緒だということを。

所在不明になってしまった首のないはずのそのドールは今、青玉の近くにあるのだということも。青玉の後をつければ、このラクリマとかいうドールも、クレイルとかいうドールも、現在どこを根城にしているのかわかるのだろう。わかったところで、革命行動をしていないならば何もできやしないのだが。

アイアンは規律を重んじるドールだ、ヴォルガの指示に、警邏隊のしきたりに従い剣を振るう。それ以上も以下もない。



「ししょー」


「どうした」


「お手合わせねがいます」



前を向き直していた首を、ゆっくりもう一度持ち上げる。ほんのり苦しげな表情をした青玉が、アイアンを真っ直ぐに見つめていた。



「久々の特訓か。越冬中に腕が鈍っていたりはしないだろうな?そんな体たらくがあれば、私が許すと思うな」



こくり、青玉が頷く。

容赦はしない。殺しても壊してもならない。

そんなやり取りはきっとこれが最後だ。

どこか焦りにも似た感情が、青玉の小さな胸の内をぐるぐる回っている。僕が、僕が守るのだと、自分は皆を守るのに相応しい刀であるのだと、証明しなければならない気がして止まなかった。



「コラール!休憩だ!!」


「は?今?……ボクまだ休憩しないから。鵞鳥の街の見回り終わったらする。勝手にしたら?」



桃色を帯びた白い髪がフワリとたなびいて、鵞鳥の街を往く怜悧な後ろ姿が遠ざかる。背後だと言うのにシアヴィスペムがあっかんべーをしていることに気がついたのか、一度だけぐるりと勢いよく振り返り、すらりとした中指で思いっきり天を指す。それから前を向き直し、二度とコラールが振り返ることは無かった。

肩から降りて、歩幅の全く違うアイアンのあとを駆け足で着いていく。檳榔子玉に声をかければ、アジトで合流しようとだけ短く返された。檳榔子玉と青玉は互いに互いが戦士であることを解し、慈しんだり思いやったりするそれ以前に、強い敬意を払いあっているのだ。

互いに守りたいものがある。それが誰か、互いに尋ねたことは無い。それが何かも尋ねたことは無い。されど2人は、紛れもなく、誰かのために己の意思で爪を振るえる勇猛な戦士であった。



「こっちのカメラ確認しおわったすっよ〜、あとはそこを結線すれば動くはず…………鵞鳥の街の分はこんなもんすっかね?」


「スウェインサン、ありがとっ!こっちもカンペキだねー!!やりきったー!」


「凄いっ、いっぱい直したね!これで助かる人がいるの?」


「そうだよー、すっっごく困ってる子がね、助かるんだよ!」


「リーダーにも褒めてもらえるすっかね?」


「麦茶持ってきてるから、みんな一旦降りてきなよ」



はーい、と元気のいい声。檳榔子玉の元に、マルク、シアヴィスペムがふわりと降りてくる。電信柱にはっついていたラクリマも、ずるずるーっと滑るように落ちてきてなんら問題なく合流して。



「青玉くんは?」


「金剛石の翼の……んん、さっきの凄く大きいドールと特訓しに行った」


「あの鉄壁のっぽ?……大丈夫なの?」


「特訓って言ってたから、大丈夫だと思う。」



特訓に行った青玉がボロボロになって帰ってきたことは無い。せいぜい膝か肘だとか、そういうぶつけやすいどこかにヒビが入っていたりする程度だ。青玉の特訓相手は皆、“ 特訓 ”の言葉が通ずるドールらしいことが分かっている。檳榔子玉はその辺りについて心配していない。

そっか、と未だに不安そうな声色のままであったが、シアヴィスペムが麦茶を煽って、次はどこ?とラクリマへ尋ねて。鶉の街!ラクリマが答えた。


廃れて寂れて朽ちていく、立ち並んだニンゲンの城に根を張り枝を広げた大きなクヌギの木。生い茂る葉を掻い潜って降り注いだ木漏れ日がアスファルトを照らして、ようやっと実感できるようになった春の温かさに背伸びする花々を讃えていた。

道中にカメラとケーブルを見つけたならば直しつつ、河原へ向かって真っ直ぐに。

穏やかだった。

滅びの道を往く景色だと言うのに、柔らかくて、優しくて、格子の向こうからは曇りひとつないお天道様がこちらをのぞいている。遥か彼方、格子と不可視の暗幕の向こうを夢見るシアヴィスペム達だったが、別に鳥籠の内側が憎い訳では無いのだ。

マルクがご機嫌そうに、頭にひっかけたゴーグルのベルトからさがる風切羽のお守りを撫でて鼻歌を歌う。



「あ、それ……リーダーの子守唄?」


「そうすっよ。ウチはあれ聞くためにリビングに夜中まで残ってるんすっからね、覚えたすっよ!」


「あれ、なんて言ってるのかまったくわかんない……けどっ、凄くいいと思うよー!!」


「あぁ、そっか。青玉とかシアとか、マルクは子守唄聞いたらすぐ寝ちゃうから解説聞いたことないんだっけ」



解説なんてしてくれてるんすっか、と心底驚いたのだろうマルクが勢いよく檳榔子玉を見やったものだから、手の内にあったボトルから思いっきり麦茶が跳ねる。身長の関係上、しっかり目に被弾してしまったのだろうラクリマがポァッッと声を上げて目を覆った。

夜遅くになってもリビングで寝ない寝ないと駄々をこねるドールには、クレイルの子守唄か、ルァンの読み聞かせか、ホルホルの知識講談会が待っている。ガーディアンは駄々っ子達を相手するのが面倒なのか、暖かなココアを与えて黙らせて、身体をあっためてやって流れるままに寝かせることが多い。


曰く。

月の光が綺麗な晩に、光がないからかしておくれ、お願いだから扉を開けておくれと歌う歌なのだとか。

青玉なんかは1番が終わった頃にすぐに寝てしまうから、初っ端の部分しか歌えない。



「おぅくれーるでーらーりゅーぬー……」


「俺もミュカレも最初のそこしかわからない」


「発音も相当難しいすっからね。ルアは1番の最初の方ならけっこーうまく歌ってたすっよ」


「あの人……とっても勉強熱心だからね!!」


「その内2人だけで俺達に分からない言語で会話してそう」


「せんせいならすぐ覚えちゃうだろうし、ありえる。ぼくも教わろっかな、秘密の暗号みたいでかっこいいし」



話しながら歩くうち、話題はあっちこっちですり変わる。

ミュカレのスープの隠し味は何か。ガーディアンのグラタンの秘訣は何か。リベルが1番仲良しな植物は一体何か。ホルホルが目を開けたまま寝るのは何故なのか。

話題は尽きない、あのアジトは楽しさと不思議と夢で満ち溢れた場所なのだ。檳榔子玉とシアヴィスペムがラクリマを両脇から抱えて川を渡る。マルクは皆のポシェットを預かって、先に反対岸で待っていた。


鶉の街。


遠くから、まだ幼い雛鳥のものだろう楽しげな声が響いてくる。背の低い建物が多く、高低差の少ない穏やかな街並みは雛鳥達が暮らすのに絶好の場所だった。大人のドール達が様子を見に来たり、警邏隊のドール達が巡回したりと、たくさんの親鳥の目によって守られた街。近くにある保育所からは子供達のはしゃぐ声があがって、それをたしなめるセンセイの声が止まない。

ここは、北からの暴風を全て隼の谷が請け負うから。吹いてくる北風は、冷たくたって痛くはない。いつだって暖かな、雛鳥達の街。

シアヴィスペムの、特徴的な癖をした白い髪が風に煽られて、流麗に流れ出す。

鶉の街。雛鳥の街。シアヴィスペムのくらした街。



「どうしたのー?困ってるー??」


「ラクくん」



困ってないよ。眉尻を下げて笑った。困ってない。困っていない、けれど。



「……おにいさんがいたの」



爽やかな風。ふわり薫る春。



「兄弟機じゃ、なかったんだけど……ぼくの親鳥だったの。革命派の、すっごく優しくて、丁寧で、ぼくのことを育ててくれた、ぼくのおにいさん」



ラクリマのアホ毛が、心做しかしゅんと低くなったような。

嫋々じょうじょうたる神の息吹に吹かれる、翼を持ったドール達。一陣の風からそのエメラルドを守るべく細められた目元。つられて長いまつげが震えたけれど、シアヴィスペムの声色は、震えてなんかいなかった。



「外を、見ようねって……」



鳥籠の中は美しい。されど、けものの混じる、知性と持論を持ついきものが、何体も何体も同じ檻に放り込まれて争いが起きないはずもなく。

身体の中身は人智を超えた黄金の癖して、心の中身はニンゲンと大してかわらないのだ。誰かが死ぬ、誰かが殺される。いくらでもパーツの替えがきこうと、“ いのち ”だけは替えられない。割れた卵から雛が孵ることはないように、愛した唯一は、死んでしまったらかえらない。


心の支えを失ったドールは、程度に差があれど総じて弱かった。


心を持っているのが不可思議なようないきものなのだ。頑強なはずもなく、その落ち込みようと気の違えようは凄まじい。

あるドールは番を喪って、あるドールは双子機を喪って、あるドールは兄弟機を喪って、あるドールは親鳥を、雛鳥を喪って。

心の支えを失ったドールは、皆どこかがおかしくなってしまう。ドールは、一体だけでは生きられない。失ったところを埋めてくれる、新たな、そして確かな支えを得なければ、一度心が壊れたドールは立ち直れないのだ。愛の力だなんて寒々しいが、そうとしか言いようがないほどの強烈な相互作用。うまれながらにして皆が皆、依存体質のような、特異な性質と心を持ったいきもの。こんな心、世界で一番不便な心だ。そしてそれでいて、そんな不便な心を持ったいきものが、狭い箱庭の中で織り成す数多の物語は。きっと世界で一番美しい。

親鳥を失ったというシアヴィスペムの新たな心の支えは、鳥籠の外を望むという、親鳥の、そして自分の夢だった。

あの日、永朽派のドールと、大切な家族の背中とが、建物の陰の向こうに並んでいたのを思い出す。



「……行こう」



澄み切った新緑色の双眸が、一層輝きを増してこちらを見やる。シアヴィスペムの翼は、外を、遥かな大空を望むためにあるのだ。こんな所で泣いて、涙を染み込ませるためにある訳では無い。

シアヴィスペムは地面を歩きたがらないから、やはりここでも翼を広げて空を飛ぶ。地上30センチ程度をキープして、翼を動かしホバリングを続けるのは至難の業だ。けれども、シアヴィスペムの大空を愛する気持ちが、大空を愛した親鳥を愛する気持ちが、それを可能にしていた。

この翼は、夢を叶える為にある。地に蹲って泣く暇なんてない。


鶉の街は、シアヴィスペムが愛していたあの頃のまま。どこまでも暖かなままだった。
















​───────​───────



















鵞鳥の街と燕の街の狭間、かつては公園だったのだろう空間にて、青玉とアイアンは相対していた。

遊具なんて子供のための品はない。格子の影落ちる乾いた砂、古ぼけて腐り、裂けてしまった割れ目が野晒のざらしになっている埋め込まれた黒いタイヤ。

半ばから折れた街灯に、青々と茂る蔦が巻きついて踊っている。


青玉の特訓は、師範の元を巣立ってからはもっぱらここで行われていた。雛鳥達の姿はなく、大通りからもそれなりに距離があり、大きな音を立てても問題がないこの場所は絶好のポイントだ。

古びて、誰も手入れをしていないのだろう花壇には、春になりたてで今だ寒さも残るというのに、オダマキの花が連なるように咲いていた。

さらさらと風に揺られるオダマキの、微かな香りが流れていく。


脇差程度の長さの刀に手をかけて、構えて。軸足は右だ、前を見据えて弾丸よりも早く出ればいい、左脚を引いて顎を引いた。

相手方も剣を抜いた。青玉の背丈よりも遥かに大きい黒鉄の大剣が、普段ならば日差しを照り返して黒曜石の如く煌めいているのだが。これは特訓だ、アイアンの大剣も、青玉の刀も、どちらも鞘から抜かれることは無い。青玉は既に鞘を腰帯に固定していた金具を取り外しているし、鞘と刀は組紐でガッチリと固定してある。アイアンの大剣にも堅牢な鞘が嵌められており、剥き身の刃はどこにも見当たらない。

利き手でグリップを、逆の手でボンメルをきつく握ったアイアンが、大剣を持ち上げ体勢を整えた。ふわり、軽やかに、されど緊迫した空気が場を満たす。今この場、互い以外は何も無い。



「来い」


「まいります」



構えて。






思い切り踏み出した。

小さな身体から生み出される爆発的な瞬発力たるや、常軌を逸する、他に類を見ないとんでもないほどの加速力。


青玉に膂力は無いけれど、類稀な反射能力、瞬間的爆発能力があった。

ほんの一瞬の間に距離を詰めてきた青玉をいざ迎え撃たんと、アイアンが僅かな動きで進路を阻害して。

体重の軸をずらし、大剣を微かな傾きだけで盾に変え、手早く先制攻撃を封じる。初撃、抜刀動作の打ち込みは失敗に終わった、甲高い音を立てて鞘と鞘がぶつかり合う。


青玉のアビリティ、“ 居合刀 ”。

間合いに入ったものを完全反射フルオートで切り伏せる、シンプルなアクション系のアビリティ。磨かれた手腕が繰り出す一陣の刃は疾風よりも速く、いかづちよりも鋭い。亜音速に限りなく近い一太刀は刹那を裂いて、彼の目の前に道を作る。

しかしこのアビリティ、青玉のボディで扱うには少々向いていなかった。間合いに入ったものを反射で。間合いが狭ければ、それだけ攻撃のできる範囲が狭くなる。青玉の幼く小さなそのボディは、このアビリティの真価を発揮するのに不向きで。


即座に、空中で体重移動を。左脚が先に地面に着いた、右手背後に一回転するように、体をひねり反動を殺して、右足を回して踏み込んだ。もう一撃。

鞘に施された細工に光が返って、銀閃がチカりと視界を焼いていく。光の向こうに赤い瞳。


焼けた視界に追うものは無い、青玉はまだそちらを見てはならなかった。


アイアンが身体を前へ倒して前傾姿勢を取り、引いた右腕を思いっきり真横に振るう。水平に走る鎌鼬が、飛び跳ねて回避に努めた青玉の足元すれすれを斬り裂いた。

ヂリッと微かに嫌な音。

青玉の和服の袖が焦げた音だった。上にはね飛んで避けたものの、それから先は考えていない。もう一度アイアンが、今度は左腕を振り抜いて。行っては逆手で帰ってくる、巨大な横ギロチンを避けて避けて避けてまわり、己が軸を手に入れた瞬間反撃へ。

迎撃なぞできない。するのは攻撃か反撃のみ。体格差が大きすぎるから。

アイアンは個性豊かなドール達の中でも滅多に見ない程の超大柄な体躯。小柄な青玉は、彼が軸足を切り替えるほんの僅かな動きにも警戒しなければすぐに弾き飛ばされてしまうだろう。

気が抜けない、気を抜くな。

刀を手放していいのは、君主に置けと命ぜられた時のみだ。

薄くて儚い唇の隙間からすぅぅと息を吸う。そして思いっきり吐き出す。息を吐き出すその瞬間こそ、ニンゲンもドールも最も力を発揮するのだ。

深い呼吸とともに繰り出される一閃が、僅かにアイアンの振るった大剣の道筋を塗り替えた。



「甘い!!」



アイアンが今一度、ブレた大剣のグリップを今一度強く握り込む。全長180cmもある大剣を自由自在に振り回すドールだ、ほんの少し軌道がズレただけで何になると言うのだろう?青玉が身を引く。スレスレの箇所を思い切り振り抜かれた鉄の塊が通り過ぎて、僅かに青玉の額へ冷や汗が滲みだした。

ドゴォオオン!!と、鈍く激しい音を立てながら、アイアンの一撃が容赦なんて何一つなく叩き込まれて地形を変える。吹き飛んで宙に浮いた土埃が厄介だ、地に着いた足でぴょんと飛び下がり、視界を明瞭にするべく目の前の砂を弾き飛ばす。

一閃、二閃、電光石火の如く退いては飛び出し刀を打ち込み、ヒットアンドアウェイの要領で場を駆けて。


身体の小さな青玉にとって、アイアンは天敵だ。しかしそれと同じほどに、アイアンにとって青玉もまた難敵であった。


小さく素早い青玉を巨大な大剣で的確に捉えるのは至難の業、バックステップで体勢を整える青玉を仕留めるならば突きの一撃必殺が最も有効打。されど小さなその身体、たった一点へ的を絞るのだけでも厄介。

ぶわりと宙を舞った砂埃を破って、微かな黄土の幕の向こう側からアイアンが仕掛けた。


辺りに轟くような重撃。


ぢりり、空気が焼ける音がする。


強烈な破壊音と共に、青玉がほんの一瞬前まで立っていたはずの地べたが消え失せて、一瞬で場の空気が“ もっていかれた ”。

連撃、重苦しいはずの大剣が軽々と空を切って眼前へ迫るその速度!

青玉が仕掛けるまでは加速していくその剣戟、回避、回避、回避して、避けて。アイアンが右脚で踏み込む。

目を離すな、刀の柄を今一度握れ。

アイアンから向かって左斜め下に振り下ろされた剣を持つ腕と右脚の僅かな隙間へ身を投じた。するり、藍染の紐が僅かな隙間を塗って勝機と勝利を結ぶよう、潜り込んだそこで回転をかけながら刀を振るって。



「一本ッ!!」



真一文字に膝裏を叩き切った。

あまりの衝撃に鞘がみしりと音を立てる。

アイアンは堅牢な鎧に身を包んでおり、要塞のような頑強さを誇っていた。しかし、人体の構造上、鎧では覆えない箇所がある。

主に脇の下、股、膝裏、肘窩ちゅうか

ただでさえ巨大な体躯をしていて力任せでは無い繊細な可動が困難だというのに、膝裏や肘窩まで鎧で覆ってしまって、自ら可動域を狭めるような真似はしないだろう。

青玉の読み通り、膝裏に鋼鉄の装甲は無く、確かに鞘におおわれた刀身越しに弾力のある黄金の感触が青玉へ届いた。

されど、流れの手綱はアイアンが有したままで。



「ならこちらからも一本」



体勢を崩したはずのアイアンが、崩れた体勢のままに大剣を振るった。赤い目がギラついた色を纏って向けられる。

ぐるり、引き摺られるように長い髪の座標移動だけが遅れて残光を残し、切ると言うよりは叩くと言ったていで青玉の身体を確かに捉えて。

グリップを握っていた手の角度を変え、ヒルトに込める力を極々僅かに調整する。

ブレイド部分をバットのように扱って、小さなその鳥を天高く打ち上げた。



「ぅくあ゛ァッ!?!」



みしり、身体の右半分にヒビが入った音がする。身体が崩れておらずバラバラになっていないということは、先の一撃、しっかり手加減がされていたようで。

空中で翼を広げてなんとか静止し、眼下に構えるアイアンを見据えた。構えた。しかしアイアンは首を横に振って、決して応えなかった。






ぱらり、何かが崩れる感覚。



「……」



青玉の刀が剥き出しになっていたから。打ち合いありの特訓で、剥き身の真剣を振り回すのはご法度だ。下唇を噛んだら、緊張と激しい動きで乾いていたソレはぷちりと簡単に、小さく裂けて。

己の繰り出した攻撃とアイアンの大剣を退しりぞいた時の衝撃に加え、膝裏を打った時の力。鞘が耐えられなかったのだ。

加えて青玉の右半身はかなり細かくヒビが入っている。動けないまでではないが、これ以上無茶な動きをすれば幼子の形は崩れてしまうだろう。

ばさり、ニンゲン部分のパーツとは少々釣り合わない大きな翼をはためかせ、ゆっくり地上へ降りていく。足裏に乾いた砂地の感覚。



「ありがとうございました」



深い礼。普段の姿からは想像もできないような“ 武士もののふ ”の振る舞いにも慣れたものだ、アイアンが深く頷きその礼に応えて。



「私は業務に戻る。貴様……青玉は巣に戻って修理だ」


「はい」



深い礼をしていた青玉が顔を上げた。幼い顔立ちに泣きの色は伺えなかったが、明らかに、自分に満足していないと言ったような色が垣間見えて。

数度の瞬きの後、アイアンがふむと頷いた。



「私はヴォルガ隊長の指示に、警邏隊の掟に逆らうことはない」



青玉が、アイアンを見上げていた瞳を僅かに細める。

仕えるドールに、仕えるドールのめいに絶対的な忠義を示すその姿勢こそ、青玉がアイアンを尊敬する何よりの理由であった。こくり、頷いて。

見下ろしていたアイアンがゆっくりと屈み、穏やかな、されど芯の通った力強い声で青玉へ。



「私はヴォルガ隊長の……あの警邏隊の、永朽派の剣だ。アビリティこそ盾そのものだが、私が永朽派の盾になることはない。何故かわかるか」


「……わかりません」


「守りたい訳ではないからだ」



赤い目が、僅かに歪む。



「仲間のことは守る、そして重んじる。だが守りたい訳ではない……なんと言うべきだろうか。共にありたいと言うべきか……アイツらを、仲間だからという理由で、私情で庇うというのは、アイツらの覚悟を踏みにじる行為のような気がしてならないのだ」



言いあぐねているのだろうアイアンが、顎に手を当て首を捻る。むむむ、だとか言いながら披露される、困ったような表情はとても珍しかった。



「私は剣で、アイツらも剣だからな。主人の右手にある剣が、左手にある剣を庇ったりなんかしてなんの意味がある?私はアイツらを、それでもって主人であるヴォルガ隊長も、戦士として敬う。だから身を滅ぼしてでも守ることはしない。私がやるべきことは、戦うことだ」



言いたいことは言えたのだろう、困ったような顔色はすっかり失せて、怜悧な赤い瞳だけが真っ直ぐとこちらを見つめている。妙に強ばっていた青玉の身体から、ゆっくりと、毒気が抜けるように余計な力が抜けた。視線が落ちる。跪いたアイアンの膝先をぼんやり見つめた後に、喉の奥を震わせた。



「ししょ……」


「それを踏まえた上で聞くが、貴様の主人はなんだ?」



されど、言葉を遮るように追随。

主人は、青玉の君主はなんなのか。



「あのぬいぐるみのドールは、貴様にとってなんなんだ」


「くれいるは、りーだーで、僕の大好きなにーにで、…………」



昔からの憧れで、僕達のヒーロー。青玉にとって。僕にとって。







「…………まもりたいひとだよ、くれいるだけじゃなくて、皆も」


「相手も戦士だということを鑑みてもか」


「うん」


「そうか」



アイアンはそれ以上何も言わなかった。公園の端に避けていたポシェットを持ち上げると青玉に渡し、そのまま歩いて燕の街へ向かっていく。重苦しい鎧の音が遠ざかり、身体にヒビが入った青玉だけが残された。

ポシェットをあけて、あみぐるみを取り出して。



「僕ね、みんなとおそとを見に行くの」


……


「ずっといっしょなの。みんなと、くれいると、」


……


「おそととぶヒーロー、一緒に見たいもんね、おいてかないよ、みたいものいっしょにみようね」


……


「だからおいてかないでね……帰ろうね、いっしょに……」



赤い糸。ずるりずるり引き摺って。

小さな小指に不可視の真紅。どこに結ばれているのやら。


















​───────​───────










うたが、きこえる。

優しい歌。ヴォルガを微睡みに誘っていた、愛しい家族の歌。家の中だと滅多に歌わないはずのあの人の、ゆったりしたソプラノボイスが遠くから聞こえてきて目が覚める。

親鳥の声は忘れない。歌の音色も忘れない。



『……Hey vous. J'ai fini de tout chanter. Ouvre la porte s'il te plaît.』


『Tempête de neige. Hivernage. Un idiot qui sort à une telle heure ne peut pas entrer dans la maison.』



流麗で耽美な、聞きなれない言葉が玄関の方から聞こえてくる。酷い吹雪だった。ぶっ飛ばされないようにと木板が打ち付けられた窓の向こう側、僅かな隙間から観測できた外の世界は猛吹雪。

びゅうびゅうなる風の音の中、愛しい家族の声だけが鮮明に、暖かな巣の中に溶けていく。



「おししょうさま……?」


『ヴォルガ!起こして悪い、飯もう少しでできるからまだ寝てていいぜ』


「おそと、だれかいるんですか?」


『おう、このクソみてーな吹雪の中仕事だっつって巡回に行った大バカ野郎がいるぜ』



ヴォルガを抱き締めたその人の体温は暖かかった。きらきら輝く青い瞳が、部屋の中の灯りを受けて揺らいでいる。

暖かい家族の温度。玄関先で放置されていたもう1人が抗議する。この人はいつもそうだった。越冬中に、頻繁に外へ出ていく。吹雪は危険だと、ヴォルガと彼が注意したって聞きやしない。

冷え性のくせに、突き刺すような風の中で身体を一層キンキンに冷やして、寒いだとかバカなことぬかしながら彼やヴォルガを抱き締めるのだ。


彼も、この人も、優しかった。暖かかった。


遥か上にある頭から伸びる赤い髪。紐を解いたならばするりとカーテン見たく落ちてきて、彼とヴォルガの頬を撫でる。


しあわせだった。だいすきだった。













だから、だから憎たらしくて仕方がない。


光の形をした、影を追う誰かが。


うっかり眠ってしまっていたらしい、煩雑としたエンジンルームで目が覚めた。懐かしい夢。あの人達2人だけの内緒話異言語。雪の中、開けてくれとドアの向こうから歌う歌。


越冬中の失踪事件の聞き込み結果は、ヴォルガが最も恐れていたものだった。隣の誰かがいなくなった。心当たりは?ああ、歌が。聞きなれない、日本語ではないどこかの誰かの歌う歌。

どんな歌だった。

こんな歌だった。



「Au clair de la lune……」



ヴォルガは歌が不得意で、どんなに頑張っても、あの優しい歌を再演することはできなかった。ドアは開けない。あんたなんか大嫌いだから。外で凍えて死んでしまえ。春なんて、あなたなんて来なければ良かったのだ。


シャッターの向こう側、聞き慣れた足音が拠点に向かっていく。デライアとロウを迎えに来たらしいヴォルガの上司も確か、この歌が大嫌いだったはず。


ヴォルガの愛した眠りの歌は、帰りを告げる歌は、鳥籠に滅びを誘う悪魔の歌に変貌を遂げていた。



















​───────

Parasite Of Paradise

4翽─傷心、愛しの街よ

(2021/12/18_______11:10)


修正更新

(2022/09/18_______22:00)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る