3翽▶不可






閑古鳥の森、入口。


柔い風がふわりと硝煙の匂いをかき消した。カリカリ、ガリ、ペンの先が紙の上を滑る音。白い妖精のようなドールが、高躯のドール__ヴォルガの背後からひょいと顔を出し、ヘプタのそばへ寄っていく。



「白くて綺麗なあし!」


「こら、ロウ」



にこにこ、ゆるりと螺鈿のような輝きを潜めたグレーの瞳が、笑みの形にやんわり歪んだ笑顔を存分に見せて、てちてちと軽やかな足音を引き連れヴォルガの元へ戻っていく。



「すみません、この子、白くて綺麗なものが大好きでして。どうかお気を悪くなさらず」


「そうなんですね!大丈夫ですよ」



警邏隊員と鉢合わせた上に、聞き取りまで受けることになってしまったミュカレ達一行は五分ほどその場でヴォルガと問答をしていた。

腰に下げたお守りのことはさておき、なんでも越冬中の失踪事件について何か知っていることはないか尋ねたかったのだそうだ。越冬中は何をしていたのか?変な歌を聞かなかったか?何度も同じ問いを別のドールに向けてきていたのだろうヴォルガの、慣れたような、やや平坦な声だけが川辺の砂利に染みていく。

ヴォルガとヘプタの会話をBGMに、アンドとルァンが川を泳ぐカモの群れをのぞむ。嫋やかに揺らぐ水面の上、するすると滑るように泳いでいく大きなカモの後ろを、一回りは小さなサイズのカモたちがついて進んでいた。



「センセェ、警邏隊っていつからあんの?」


「そうだね、昔からあったけれど……ニンゲンの、ケイサツっていう組織を手本に結成したってことしか私もよく知らないね」


「ふーん」



自分から聞いたくせに、興味なさげな相槌を返すアンドをちらりと一瞥する。翼をはためかせて宙に浮き、ゆるりゆるりと土手を降りていって川のすぐ側へ。


警邏隊はいつからあるのか?

そんなもの、ルァンがうまれる前からだ。長らくあるこの警邏隊という組織は、鳥籠の中の治安を維持すべく集まった有志達による、唯一の自衛組織として絶大な存在感を放っているのだ。しらない者はいない。

ケイサツという組織にならい、トップに総監という役職のドールを置き、その下に複数の部下、そこから更にまた部下__基本はよく見る組織図と何ら変わらない構成をしている。ただ、組織図の上の方は霧がかかっているかのように不明瞭で、どんな高尚なドールだろうとそこまでの全容を明かすことはできないのだろう。


アンドの背中を眺めていたらば、その背がぐっと高さを下げた。春の雪解け水を含んでほんのり水量が増した川辺から、手頃そうな石を拾って選別を始める。綺麗な石を持ち帰ると、青玉やシアヴィスペムとの話が盛り上がるのだ。アンドは石そのものには大した興味がある訳でなかったが、仲間とはしゃぎながら話をするのは大好きなものだから、こうして話のタネになりそうなものを拾って帰るのがひとつの習慣。

平たく薄っぺらい、伸されたみたいな石を右手に構えて、テキトーなフォームで横薙ぎに投擲する。

たん、たん、たん、ぼちゃん。



「3回しか跳ねなかったぁ……」



センセェもやる?くるり、こちらを向いたアンドへ、首を横に振って答えた。

ヘプタが一通りヴォルガの対応を終えたのだろう、こほんと、小さくヴォルガが咳払いをして視線を集める。



「ご協力ありがとうございました。森の中についてはこちらからも調査班を出しますから。安心してお帰りください」


「はぁ〜い」


「はいっ!」


「いつもお疲れ様」


「いえ。これも警邏隊の務めですから」


「けいらたいの務めですから!」



ヴォルガの脚元、小さなロウが屈託なく笑う。白くて綺麗なものが好きだという言葉の通り、終始くっついてきていたヴォルガかヘプタの傍から離れないままであったが、知り合いのミュカレとルァンに幼く手を振った。

手を振り返したルァンが少しだけ眉をひそめ、ポツリとこぼす。



「……警邏隊はこんな小さな子を連れ歩いているのかい?」



小さな声だったがどうやら耳に届いたらしい、ヴォルガが穏やかな笑みを浮かべて、ゆっくり、それでも聞き取りやすく答えを返した。



「警邏隊の仕事は治安維持だけではありませんから。できるだけ、手の届く範囲には限られますが……迷子や、いじめを受ける雛鳥達に寄り添うのも私達の仕事です。子供が離れることを拒否したら、連れて歩いたりすることもありますよ」



まぁ、ロウに関しては迷子ではないのですが、とだけつけくわえ、困ったように笑った。先程からずぅっとだんまりであったミュカレが、ふっと思い出したように更につけ加える。



「僕も昔、ヴォルガさんに助けてもらって、ついてまわって歩いたことがあるんだ」


「そうなのかい?」


「世間って狭いですね……」


「ええ、本当に……それよりも、お変わりないようで何よりです。以前よりお綺麗になられました?」


「ふふ、わかる?い人ができたからね」



なるほど。クスクス笑ったヴォルガとミュカレは、何処と無く雰囲気が似ていた。既知の仲だと言うのは確からしい。

ヴォルガのトランシーバーが砂嵐のような音を立てたのを境に、聞き取り__ほとんど談笑になってこそいたが、その場はお開きになった。ロウを肩車したヴォルガが軽い会釈をして、4人の元を離れていく。


ヴォルガさん、警邏隊なんだよ。


思わずと言ったようにこぼれた、さらさらとした川の流れが立てる音の合間を縫うようなささやかな事実。友好的な関係。恩ある関係。ああ、そういえばあの人__そんな風に、ほんの少しだけ思い起こすような些細な関わり合い。


ミュカレは活革命派だ。



「……ミュカレさん、大丈夫ですか?」


「うん……大丈夫だよ。不安にさせてごめんね?」



僕にはセレンがいる、何を敵に回しても大丈夫__覚悟は出来ていた。





















「世間は狭いですね、ですって!いやもう、全くその通りです!」


「わーっ!!はやいはやぁい!あっ、見えたよ!」


「あぁ、いたいた。しっかり捕まって?」


「うん!」



川辺を真っ直ぐ突き進む。つい先程まで言葉を交わしていた4人の姿が見えなくなったあたりからヴォルガの歩みはどんどん加速して、全力疾走どころでは済まない速度で土手の上、大通りに入ってからはコンクリートの上を進行していた。

ヴォルガの腰から下は、中身がほとんど機械だ。エネルギー、エネルギータンクは自分自身。全体的な黄金の総量が他のドール達よりも遥かに少ないため、その少ない黄金の濃度をあげることによって活動を維持している。外部パーツであるエンジン付きのゴツイブーツが青い炎を噴き上げて、ヴォルガの身体を弾丸の如く宙へ打ち出した。


ヴォルガは空を飛べない。


されど、空を翔けることができる。血の滲むような努力の末に、翼がなくとも空中を移動する力を身に付けたから。低いエンジン音が轟いて、爆発でも起こすかの如く、ブーツの踵部分からまた碧炎が沸き起こる。宙でくるりと身を翻して、今度は逆の脚から。

存在しない大地を踏み締めて、川の向こう側へ青い光が渡っていく。


地面を焦がさない程度の距離でもう一度。減速の後に右脚、左脚。ドゴンと、重量のある物が地に降ろされる音。ギャリギャリ音を立てながら、アスファルトの上を僅かに滑って完全に停止するヴォルガの身体。



「到着ー!」


「到着ー。ふふ、お迎えに上がりましたよ?」


「あはは、お手数おかけしてすみません」


「りーだー……ご、ごめんならい……」



ふくらはぎ辺りから先がズボンの中で真っ二つに折れている、頬に大きなヒビが入ったシルマー。ぐったりと、アスファルトにハグするデライア。顔の右半分が悲惨なことになってしまったカーラは、仰向けのまんま胡乱気な瞳でヴォルガとロウを見上げている。喉の奥から伸びる矢のせいで口を閉じることも出来ないのだろう。



「流石に……私一人では運べませんね、アルファルドを呼びましょう。ルフトと梦猫も同じ班につけましたから一緒にいるはずですし」



喉を思い切りぶち抜いている一本の矢。カーラをゆっくり起こして、うなじ辺りから突き抜けている鏃を素手でへし折った。引っ掛かりが無くなったことで傷を悪化させることなく矢を抜くことができるようになり、矢羽根の付け根あたりをカーラが思い切り掴んで、喉の奥から引っこ抜く。

威勢よく声を出そうとしたのだろうが、ヒュ、と空気が喉を突き抜けるだけの虚しい音が喉から微かに漏れるだけ。



僕は動ける。



はくはく、口の端から黄金を零しながらも、色味のきつい金の瞳が揺らぐことなくヴォルガを見上げた。



「おや、では御手をどうぞ」



顔の右半分がないのだ、いくらなんでも完全に自立して、川のはるか向こうの拠点まで移動するなど無茶にも程がある。素直にヴォルガの手を取り起き上がった。そのまま、未だに身体が痺れて動けないのだろうデライアをカーラが引っ張り起こす。今度は襟首を掴まずに、優しく手を取って。

起き上がったはいいものの、ヨタヨタしてしまっているデライアの、カーラに支えられていない方の手を右手でヴォルガが支えて、今度こそしっかりと立たせてやった。



「あ、ありがとう」


「……」


「礼はいらない、と言いたそうですよ」


「あ、そ、そっか、喉アレだから……」



デライアの礼に軽く首を横へ振ったらば、その幼い顏が機嫌を伺うみたく歪む。すかさずヴォルガが補足した。

あってるでしょう?みたいにニコリと笑ったその顔。まぁ、言いたいことはあっているから、いいだろう。そのまま視線を滑らせて、ニコニコしたまま地べたに転がるシルマーをどうしたものかと見下ろした。

マンホールの蓋で砕かれ粉々の真っ二つにされてしまった脚は、ズボンとブーツの中にそのまま入っている。無理に起こせばブーツが脱げて、中身の、液体状の黄金と、衝撃を受けて固まった黄金の破片を撒き散らすことになってしまうだろう。



「……アルファルド?今隼の谷のどこにいますか?」



カーラがシルマーの容態を確認している間に、ヴォルガはアルファルドへと連絡を入れていたらしい。トランシーバーの向こう側、平坦な相手の声がほんの僅かにデライアの鼓膜を揺らす。



『飛行競技場の正面ゲート前だよ』


「こちらはケイサツショ跡地前の通りを川の方に来たところです。とっても大切で壊れやすい届け物があるので手伝っていただけませんか?」



勿論。

短い返事の後に、トランシーバーから発せられていた僅かなノイズが絶たれた。



「よかったですね、兄弟。迎えが来てくれますよ」


「……あはは、お手を煩わせてしまって申し訳ないですね」



シルマーが、若干乾いた声色で笑った。

滅びた街並みを悪戯に撫でて回る春風が、青い炎が振り撒いた硝煙の香りを連れ去っていく。デライアとロウをコンクリ塀の傍に休ませ、無造作に放り投げられていたマンホールの蓋を回収した。40キロの鉄の塊を片手で持ち上げ、元あった場所に戻すべきだろうと周辺を見回し散策を始める。

若いドールの間で噂になっているという電話ボックスの前を通り過ぎたが、うんともすんとも言いやしない。所詮はただの噂かと、誰にも言いはしなかったが、ほんの少しだけ興味があったヴォルガは密かに落胆した。

ケイサツショ跡地とは逆側の、背の低いビルの壁を何本かの矢が貫いている。デライアのものだろう白い羽がフワフワと風に連れられ空へ飛び立っていくのがやけに目に付いて。



『リーダー?』



ザザ、と、ほんの少しのノイズの後に梦猫の声。

左手にマンホールの蓋、右手にトランシーバーと言ったやや奇怪な風貌ではあるが、誰も見てはいない上、生来ヴォルガも気にするような性質タチでない。

プレストークボタンを押して、はいと簡素な返事を。どうしたのか尋ねれば、梦猫が眠たげな声のままに話を続ける。



『そっち行ってからは面倒だから、移動しながら報告する』



横着癖はいつものことだ、仕方がないと呆れたように、されどどこか嬉しそうに、ヴォルガが続きを促した。

大まかな見回りルート__ヴォルガは部下の行動を把握しなければ気が済まないため、どこを歩いてきたのかなどはなるべく報告するよう言いつけられている。倒壊が危ぶまれていた、指示された建物の目視点検報告。



『あ、それと。リストのドール。オレンジの髪の……機能停止にしておいたよ』



ガコォン、と、重く高い金属の音が辺りに響く。開きっぱなしだったマンホールへ、丁度ヴォルガが蓋をした所だった。



「……どうやって?」


『どうって……首を切って』


「仲間個体はいなかったんですか」


『一体だけいたけど一緒に首とっちゃったよ……え、回収、しなくていいんでしょ?僕らそのままにしてきちゃった』


「場所は」


『北端の壁から三本内側の通りの路地裏に……』



聞き終わるや否や、トランシーバーをカーラの方へ放り投げる。ぐるり、身体の向きを変えて駆け出した。コンマ数秒のタイムラグの後に青い炎が吹き上がり、ヴォルガの身体を前へ前へと押し出していく感覚。助走を十分につけた飛行機が飛び上がるみたく、空を飛ぶ感覚なんて当たり前の鳥が飛び立つみたく、思い切り地面を蹴って宙を往く。

ぶわり、吹いた熱風がカーラ達の頬を撫でて消えてしまった。



「あれ?リーダーいっちゃったよー?」


「……こ、ここで待ってていいのかな?」


「わかりませんが、迎えが来るんですよね。ならここに居ましょう!」



置いていかれた和やかな空気感の中、カーラも、僅かに不思議そうに目を細めて、走り去った影が残した硝煙だけを見上げていた。


身体が浮き上がって、高度がぐんぐんあがって、誰も気にかけることなどないビルの窓を足場にまた上へ。ビル程度ならば優に飛び越える術を持った飛べぬ鳥が、ぐんぐんと速度を増して廃墟を駆けた。ビルを超えて、通りが見えたら競技場の横に着地する。


オレンジの髪。オレンジの髪のリストのドール。



「あ!ヴォルちゃ……」


「あの人に仲間が一体だけなんてありえません!!」



ちょうど入れ違ったルフト、アルファルド、梦猫の横を豪速で駆け抜けていく青い光。あまりの速さとエンジンの音に掻き消されて、何を言っているのかほとんどわからなかった。だが。



「ヴォルちゃん、顔凄かったけどもしかしてやんごとなさげぇ?」


「だろうね」


「だろーね」



走るヴォルガの脳裏を過ぎった、英雄の羽飾り。

先程の四人組。髪の長い、常磐色の翼を持ったドール以外は皆見える所に同じ羽飾りをつけていた。


あれは、あの羽は、あの羽の持ち主は!


ヘプタと名乗った白いドールはお土産として買っただのと宣っていたが、そんなハッタリはヴォルガに通用しない。

あの羽飾りの持ち主は、10年前に舞台を去っても未だに英雄と謳われたままのドール。ドール達が飛行能力を競うレースの中、特にテクニックが求められる競技、アクロバットフライトの初代チャンピオンのものだ。10年経った今も根強い人気があり、応援やお土産にと、グッズだって作られている。

だが、あの羽飾りに使われていた羽はかなり新しい。その上、あんなお守りはどこからも発売されていないのだ。10年__12年、同じドールを見ていたヴォルガが知らないはずはない。たとえあの人がヴォルガのことなんて見ていなくって、惨い赤色だけを見ていたとしても、ヴォルガは変わらず彼の人を追っている。

加えて、並んで吊るされていた赤い石。赤い石に刻まれた、今でこそ彼の人だけが流暢に操ることの出来る異言語。

確実に、あのドールから手渡しされたもので間違いない。繋げて考えずとも自ずと答えは浮かんでいた。単独行動ばかりと報告されていたあのドールには仲間がいる、それも恐らく、そこそこの人数が。

死者に命を吹き込むという、ゆめでもみせてくれるかのような鳥に酷似した光は、いつだって何かを周りに侍らせている。昔から、あの人は__ヴォルガの知っているクレイルはそうだった、誰かが必ずそばにいたのだ。ヴォルガは自分の感じていた強烈な違和感が、的中していたらしいことを今一度知る。彼に、クレイルに仲間がいないはずないのだ!



「っ、はぁ、はぁっ……はぁ、っ…………」



路地は酷い有様であった。


間に合わなかった。


ルフトの物だろう、柔く煌めきを孕んだ、夜明けの翠色をした羽と、暗紅の羽が疎らに散らばり、路地の入口から少し行った位置には夥しいほどの黄金がべっとりとアスファルトを彩っている。

何かとてつもなく重いものでも落ちたのか、黄金が染み付いた地面には亀裂までもが走っていて。

そこに首パーツのない胴体なんてなかった。

一歩踏み出せばなにかに躓く。下を見やると、顔面部分がグチャグチャになって面影なぞはどこにもない、銀色の髪の、求めていたドールのものとは違う首。こちらは梦猫が言っていた仲間の一体だろう。橙色の髪をした首はどこにも見当たらなかった。



「あぁ、お師匠様…………!クソッ!!」



苛立ちのままに脚を持ち上げ、誰のものかも分からない首を踏み割った。色のない銀色が、グチャリと黄金に塗れてついえる。ボディは回収するように言いつけておくべきだった!!悔やんでも遅い、どうせ近いうちにまた相見えることになるはず。強く噛んだせいで軋む歯から、握り締めすぎたせいでグローブが音も立てなくなった手から、力を抜こうとしたけれど。

うまくできなくて苛立って、子供は思い切り、もう一度。足元の子供の首を踏み割った。















​───────​───────
















「助かったんだぞ、ありがとう」


「いい。しつこい」



だらりと落ちる4本ずつの手足、二対の翼。片方__シリルのボディは首がなく、足周りも粉々になって無くなっていたが、黄金が流れ出ないように簡単な止血だけはされているようだった。クレイルのボディは首こそくっついているものの、重い何かに潰されでもしたのか、前面も背面も、とにかく胴体に巨大なヒビが入って大きく割れている。

そんな、満身創痍もいい所な仲間のボディを担いで歩いているのは、仮面で目元を隠したガーディアンだった。

青玉とシアヴィスペムを拠点の前まで連れてきた辺りで、ちょうどホルホルが助けを求めにやってきたのだ。ホルホルもガーディアンも、空を飛ぶ速度は周りのドールより秀でていたものだから、迅速に動けない仲間の回収へ向かうことが出来た。

アビリティを使ってシリルの止血と、クレイルの首の修理をしたのだろうホルホルは時折目元を擦っている。バレないようにちまちまその動作をしているつもりなのだろうが、明らかに足元が覚束無い上にちょっぴり眉間にシワが寄っている。

ホルホルは一日の内にアビリティを酷使しすぎると視力が低下してしまうのだ。



「……間に合ってよかったんだぞ」



ぼんやり、霞む視界でも確かに何かを見据えているのだろうホルホルが、ぽつりと小さく呟いた。ちらり、ガーディアンが視線をやる。


ホルホルは、あの場で2人を助けようと敵前へ飛び出さなかった。


こうして2人がめちゃくちゃになっていようとも、それが最善の策だったからだ。シリルがなんらかのアビリティを受けて、不自然にバランスを崩し落下した所で、既にホルホルの選択は決まっていた。


2人を守りには出ない。自分がまず、生き延びるべきだ。


あのままホルホルまでもが捕捉されて、3人全滅していたならば最悪の事態になっていたことだろう。ホルホルではあのドール__ルフトに勝てない。

だからといって2人を置いて逃げ、助けを呼ぶことがノーリスクだったのかと言われればそういう訳でもなくて。2人のボディが放置されていたからよかったものの、回収されていたのならばどうしようもなくなっていたし、警邏隊のトランシーバーを持っていた3体が立ち去っていたからよかったものの、まだ残っていたら、ましてや増えていたりなんかしたら二進も三進も行かなくなっていた。

一種の賭けだった。ホルホルは死ぬわけには行かない。この一派で唯一の治療アビリティ持ちなのだ。自己愛性なんてものは関係ない、純然たる事実。



「……最善だったんだろ、気負うな」


「……おう」



子供っぽい見た目にそぐわぬ、やや男らしい返事。ホルホルは小さな身体であったが、誰より勇猛で聡い戦士だった。



「がでぃにーに!しりにーに!くれいる!ほるほるセンセー!」



アジトの前まで来て、玄関に手をかけたならば、聞きなれた幼子の声がやってくる。ほとんど玄関からゼロ距離だったものだから、扉の僅かな隙間からぴょんと飛び出した青玉を止める術がなかった。今は、まずい。



「っ、あ」


「う?」



足元に現れた青玉を蹴り飛ばさないように急停止したガーディアンが、ほんの僅かにバランスを崩す。微かな衝撃をモロに受けたのだろう、ひび割れていたクレイルの身体が、服の中で真っ二つに、粉々になって割れたらしい。シャツとズボンが乖離して、鳩尾あたりから半分になってしまったクレイルの身体が地に落ちた。ずるりと、ガーディアンの肩を、生温い触感を残しながらずり落ちた。

上半分はガーディアンの背後に、下半分は青玉の目の前に。どさりと鈍い音を立てて。



「あ、ぁ、くれいる」


「青玉!!」



ホルホルが咄嗟に青玉の目を覆う。青玉の後に続くように外に出ようとしていたのだろうシアヴィスペムを、半ば無理矢理押しやるように拠点へ押し戻した。



「1階通るから、2階にいるんだぞ。セレン!!2人を連れてってくれ!」



遠くからマルクの声がするのに気付いたガーディアンが来るなと声を上げて制した。明らかクレイルへ懸想しているマルクが来れば、今以上のパニックになることは容易に予想できる。

いつもよりも緊迫した空気感の中、背後から妙にのんびりとした声。



「ちょっと、詰まってるよ?何してるワケ?」


「アレ!もしかしてー、困ってる?」


「ぅ、く、首……」



リベル、ラクリマ、クラウディオの3人だった。リベルの頬の傷に気が付いたガーディアンが、お前それ、と小さく指摘する。



「これ?気にしないでよ、気にされるだけ鬱陶しいからさぁ。いくらでも直せるし?ちゃっちゃとリーダーとかも直しちゃえば?」



上半身を掴む。持ち上げる。傷口を下にしていては黄金が零れてしまうから、大きな翼の付け根を引っ掴んで上下逆さまに抱えて見せた。



「リベルさん、もっと言い方ないんっスか!?」


「事実でしょ?いくらでも直せる。善人クンそっちの下半分持ってきてくんない?」


「ンー!わかった!今助けたげるねー」


「そんな、そんな物みたいな言い方ってないっスよ」



くるり、紫色の瞳が、クラウディオのオッドアイを冷ややかに射止めて。



「コアさえ残ってればいくらでも直せる。まだ死んでない」



まだ、死んでいないのだ。

ドールはいきものだが、それと同時につくりものだ。直せる。まるで壊れたラジコンだとか、ぬいぐるみだとかを組み立て直したり、縫い直したりするように。



「…………リーダーにもシリルにも今死なれたら困るんだよねぇ、まだお給料貰ってないし、サボり場もそろそろ新しいの教えてもらわないとだし?ほら、ぼさっとしてないでさっさと動いたら?」



にこり、にこり、いつもののらりくらりとしたような、“ リベル ”の顔が微笑みかける。ほんの僅かに眉をひそめたクラウディオが、こくりと頷いて歩を進めた。お世辞にも広いとは言えない玄関の交通の便がよくなって、革命派のドール達はそれぞれやるべきことをやる為に手を動かし始める。

すっかり人の抜けた玄関とは裏腹に、皆が皆、喉元に言い様も無い何かがつっかかったままだった。













​───────​───────












「ドールって、ドール一体だけじゃいきていけないんだ」



しゃらり、しゃらり、グラスの中でかすかに弾けて、煌びやかな輝きを返すワインが揺れる。この鳥籠の中において酒は少々値の張る嗜好品だったが、全く手に入らない訳では無い。安価なものならば、週に3回各2本程度、楽しんだとしても生活に支障が出ないような、そんな程度の嗜好品。

アルクの前で2人がけのソファの中央に座り足を組む、未成年にしか見えないドール__レヴォがまた、ワイングラスを煽って中身を飲み干した。



「ドール1体だけじゃつまらない。人形劇って何体も何体も人形を使うでしょう?」


「確かに、一体だけではつまらないね」


「そうそう。そして、人形劇には欠かせないものがある!ねぇ、アルクはなんだと思う?」



ピカピカの革靴が目の前で組み替えられる。長い前髪の隙間から覗く青い瞳はキラキラ輝いていた。


豪奢な廃教会。

揃えられた新品の食器類。

何一つ不備のない施設。

暮らしやすい家具。

侘しさなど微塵も感じない洗練された調度品。

完璧な仕事の従者。

何事にも理解を示してくれる上司。

集められた特別な演者達。


完璧な舞台に小道具に役者、されど役者はお人形。


人形劇に足りないもの。



「…………人形達を操る奏者?」


「うん、大正解!」



ピンポンピンポン、と無邪気に笑って声を上げたレヴォが、もう一度グラスを煽って白ワインを飲み干した。

空いたグラスをテーブルの上へ乱雑に置く。



「アルクは賢いね。手紙で話していて思ったけれど、君はどうにも作り物ドールらしくない」


「ドールらしくない?」


「うん。例えばその左右非対称の翼。君の持っている“ 心 ”の影響を受けてる」


「私の翼は大昔からこんな感じだったのだけれど」


「“ 心 ”が発達しきる前からそうなる素質があったってことだよ」



レヴォが口元を手の甲で隠して、クスクス笑う仕草はどことなくヴォルガに似ていた。くすくす、心底楽しそうに。それでいて全てを嘲るように。



「では君の翼も?」



レヴォの翼は初列雨おおいと大雨おおいから先がなかった。カラカラ、装飾か何かはよく分からないが、銀のリングのようなものが翼の先に、羽の中に埋まるようにぶら下がっている。



「さぁ、どうだろう。俺は……僕はもう、空よりも何よりも目指すべきものを持ってるから」



ワインごちそうさま。歳若い青年の声が聖堂の中に慎ましく広がるリビングへ溶けて、声の主は大荷物を背負って立ち上がる。



「ドールは一体じゃいきられない。群れの長。群れの仲間。強者。弱者。そして群れを突き動かす強い望み。それでもって、“ 心 ”のなかったドール達にとって、唯一強く何かを望めたいきもの……」



ニンゲン。



「僕はなにがなんでもやるよ、アイツの邪魔をしないとダメなんだ……とびきり面白いものを見せてあげるね、アルク!」



だから、アルクもそれ相応の働きを期待していると。

にっこり、弁柄色の睫毛が閉ざされて弧を描いた。人好きのする笑顔に、アルクも嫋やかな笑みを返して会釈する。

歳が上に見え、所作の一つ一つが美しいアルクの方が、レヴォに会釈をする光景は中々奇怪であった。



「ふふ、楽しみにしているよ、レヴォさん」



年下のドールは基本呼び捨てのアルクがこう呼称するように、レヴォはアルクよりも遥かに歳が上なのだそうだ。アルク自身、彼と手紙を交わしていた際に、歳の割に随分と元気な人なのだろうとは思っていたのだが、姿を見てしまっては驚きを隠せない。信じ難いと言ってしまえばそれまでだが、アルクは__先人たる“ おとな ”を敬い、“ こども ”を慈しむセンセイだ。本人がそうだと言うのだからそうなのだろう。



「ヴォルガによろしく。あと、スティアにこれを。また来るね」



赤い封蝋で留められた白い手紙。封蝋には警邏隊のバッジがデザインされていた。正方形と装飾の部分は金に彩られ、石の部分だけが、忠実に、赤のまま残されている。

カサリ、乾いた紙が擦れる音。

柔らかな陽射しを称えた聖堂の中、アルクのアースアイがやんわりと歪んで、オーロラみたく色味を変えた。
























​───────​───────

















初陣から3日。


するり、するり、指先でなぞる。

柔らかな紙の感触を確かめて、少し強めに息を吸って。肺__といっても、ドールにとっては肺を模したパーツと言うのが正しい__いっぱいに空気を吸い込んで、ふぅとゆっくり吐き戻す。少し古ぼけた紙とインクの匂いは、心を落ち着かせるのに最も適していた。

閉ざされた瞼、暗い視界。白い一対の翼、ミルクチョコレートのような淡い茶色の髪色に、伏せられた、長い睫毛に彩られる開かれない双眸。

スティアが、サイドテーブルの本の感触を一通り楽しんだ後に、そうっと静かに微笑んだ。



「お約束通りご用意しました」


「ありがとう」



眼前に、どこかぼんやりした雰囲気のままに立っているラフィネの姿。サイドテーブルに置いていた本を持ち上げて、ラフィネに渡す。

ニンゲンの生きていた時代に作られた本はとても貴重だ。有志のドール達が中身をコピーし、もう一度製本したものでないなら尚更に。鳥籠内のほとんどの本を管理していると言っても過言ではない図書館内においては、無論、当然の如く禁帯出扱いである。

本当ならばその禁帯出の本を持ってきてやれればよかったのだが。



「決して汚さないでくださいね」


「うん。無理言ってごめん」


「構いませんよ」



勿論、スティアがやっていることはあまりよろしくないことだ。図書館の本を勝手に、長期的に貸す。ラフィネも無茶を頼んだ自覚はあったが、それでも、ドールではなくニンゲンが執筆した本でもって確かめたいことがあったのだ。


ドールの信号シグナルと心、またその作用。


こういう時はなんて言うんだっけな。ああ、そうそう。



「ありがとう」


「はい。それでは」



分厚い本を抱えて、スティアと別れる。スティアはずっと目を閉じている為、視界だけを利用した別れの挨拶なんかは通じない。会釈したり、手を振ったりなんかだけでは伝えられないのだ。

ありがとう。またね。はい。それでは。

単純なやり取りなのに、なんだかどこかがぎこちなかった。

スティアの声はやや女性的でよく通る。対してラフィネの声は、安易に想像できるようなまだ歳若い男子の声をしていた。2人とも同じように愛らしい見た目をしたドールの為、認めるに苦労するが、大元はいずれも男性なのだということがわかる。

本を抱えてリビングを出ていったラフィネの背を見つめることはできないが、気配を感じて意識することはできる。階段をあがって行く、重み、足場の素材、僅かに木の板が軋む音。瞼で閉ざされ暗がりでできたスティアの世界。



「……折角のお手紙も読めませんね」



今朝アルクから渡された二通の手紙。片方は越冬に入る前から送られ続けてきていた、前の巣から転送の手紙。封蝋なんて洒落たものではなかったが、ぷっくり膨らんだ花の形のシールで留められたそれ。


こちらはヴォルガさんに読んでもらいましょう。


花の形のシールで封をされた手紙は、羽織っていたアウターの左ポケットに入れられた。ずっと同じ相手から送られているのだろうこの手紙を、スティアが読むのはいつになるだろうか。手紙を止めているシールのモチーフが、一輪の赤いバラだと知るのはいつだろうか。

警邏隊のバッジがデザインされた封蝋の物は右ポケットへ。

窓ガラスの向こう、緩やかに暖まり始めた外気が風に流されて、澱むことなくどこかへ消えていく。スティアの耳は微かな風の音を確かに捉えたが、音もなく風に揺られ、花弁を朝露に煌めかせる小さな花々の美しさは捉えられなかった。



「あ、ティア!」


「デライアさん。お身体はもう大丈夫ですか?」


「う、うん……僕が1番軽傷だったし、傷はほとんどなかったから……」



3日前、越冬が終わって初めて活革命派との戦闘に入ったというデライア、カーラ、シルマー、ルフトの4人は、ずっと2階の傷病室にいた。デライアはアビリティを受けた後遺症も残らずに済み、すっかり元気なため傷病室を出ても全く問題ないのだが、リーダーであるヴォルガから中々許可が降りなかった。

ラフィネとほとんど入れ違いで階段を降りてきたのだろうデライアが、にこにこと穏やかな笑みを浮かべてスティアと談笑する。

基本、この部隊のドール達の修理も秋が行うことになっていて、予備の黄金の管理も秋がしている。カーラのあの美しい顔はすっかり元通りになったし、一度風穴のぶち空けられた喉は綺麗にふさがって。ボイストレーニングを再開してからは明らかに調子と機嫌が良さげになっていて、カーラにとって喉のパーツがいかに大事かがよくわかる3日間を過ごしたのだった。

シルマーの修理は少々難航したが、現在はしっかりと両足がくっついている。今日の昼からうごいてみて、慣らして、足した黄金を馴染ませるのだそうだ。

ルフトに関しては既に傷病室を出ている。軽い切り傷ばかりだったものだから、クリーム状の黄金を少し塗布するだけで終わってしまった。今はぶーたれながら報告書を書かされている。

怪我という程ではないが、髪を切られたという梦猫のソレはラフィネのアビリティによってすっかり元通りの長さの髪に戻っていた。何もかもがいつも通りに戻り始めた、イミテーションの大聖堂。


ラフィネのアビリティ、“ 修復 ”。

手のひらに収まる無機物を、文字通り修復するというアビリティ。小さなものであればドールの傷だって直せる。普段は割れてしまったマグカップを直したりだとか、壊れてしまったペンを直したり、そんな程度のことでしか使わない。


直してもらった当の本人である梦猫は、今日が非番なのをいいことに日当たりのいい三階のテラスに出ている。大方屋根を伝ってやってきた猫と共に日向ぼっこでもしているのだろう。



「アイアンさんは?」


「もう見回り行っちゃった」



だから重々しい鎧の音がしないのかと、スティアが1人得心する。同行したのはニアンとアルクだそうだ。

昼間ならばあっちこっちをウロウロするロウの姿が見られるのだが、それも見当たらないのでもしかしたらついて行ったのかもしれない。デライアが、あの小さな白い星の子のような姿を探してみたけれど。ロウは何処にもいなかった。やはり聖堂からは出払っているのだろう。

気分転換になるかどうかはわからないが、換気のために窓を開けることにした。リビングの、東側の窓を開ける。ふわりと舞い込んだ春風が柔らかに香って、先程スティアには感じられなかった、小さな花々の存在も知らしめた。

馨しい、まだ若い花の香り。昔、誰かと並んで浴びた香りだったような気がする。


柔らかく香ったソレは、2階にいたラフィネの鼻腔も擽った。こちらは1階から流れてきたというより、3階の吹き抜けから流れてきたもので違いないだろう。まぁ、ラフィネには何の関係もないのだが。

テーブルの上に広げた本の文面を視線でなぞる。ぱら、ぱらり、捲って。



「……あ、あった」


__バカだな、知ってどうするの、メーヴェよりもきれいな鳥なんていないよ。



ドールの恋について。

“ 心 ”の作用の一覧に、目当てのものを見つけてしまった。読む。読んだけれど、本の中で客観的に説明される恋とやらは、ラフィネの思うその感情にあんまり近しいものではなかった。

メーヴェ。

よく知っているけれど、相反するようによく知らないその名前。今ではその名はラフィネのぬいぐるみの名前だ。



『恋、ですか』


『うん。恋ってなんなんだろうって』


『説明し難いですね、にしても、どうして急に…………もしかしてメーヴェとのことです?』


『違う、俺……俺のこと』



かつて、目の前で、だいすきだった親友を喪った。親友に与えられていた世界が自分にとっての全てだったラフィネには余りにも衝撃的な出来事で、そこで一気に、ラフィネの人生は色味を変えた。

ぐちゃぐちゃになった親友を前に__自分がどうしていたのかは、混乱しすぎて何も覚えていないのだが、兎にも角にもあの場へ駆けつけたのがヴォルガだったことだけをよく覚えている。

しばらくは、もう、抜け殻のように暮らしていた。まだ警邏隊としての活動が浅かったヴォルガもラフィネのことを気にかけてくれてこそいたし、ゆっくりと、こうやって、他のドールたちに混ざって生活を送ることくらいはできるようになったけれど。

あの日、ラフィネは一度死んだも同然なのだ。かつての自分のことなんて朧気だけれど、時折、やたらと我の強い誰かがラフィネのことを嘲っているように感じるのだ。

それは、ルフトと話している時だったり、“ メーヴェ ”と話している時だったり。



『……恋とは、そうですね。自分では制御できない、誰かへ向ける一種の欲求……でしょうか』


『よっきゅう』


『ええ。恐らく。制御ができるようになったら、恋ではなく愛になるのではないでしょうか。私の親鳥からの受け売りですがね』



メーヴェが死んでしばらくの頃。ラフィネがゆっくりとその瞳に光を戻し始めた頃の、ヴォルガとの会話を思い起こす。自分はメーヴェに恋をしていたのか、思い出せないでいる。思い出せない。わからない。恋がなにかよく分からないから、今ルフトに恋をしているのかどうかもよくわからない。

わからないことだらけだ。ラフィネは語りかけてくる“ フィー ”の声を無視して、その本をパタンと閉じてしまった。

窓の外、麗らかな陽光が澄んだ大気を照らしてやまない。


鳥籠の中は今日も美しい。




























「もしもし?ラクリマだよ!」


『ラクリマ、君ホントに声が大きいんだな……』


「久しぶりーレヴォサン!ンー……元気だった?」


『勿論。自己管理は完璧に決まってるでしょ?』


「困ってないってコト?」


『あー、はいはい、絶賛困ってる』


「ンー、よかった!あ、そうそう、俺聞きたいことがあってね!」



ラクリマはレヴォと3日ぶりに、電話越しの邂逅を果たしていた。1人で拠点を出てきたのだろうラクリマの周りには、仲間と呼べるような人物は見当たらない。電話の向こうのレヴォがうんざりしたような対応をしているにも関わらず、良くも悪くも我が道を突っ走るタイプのラクリマは強引に話を進めていた。強引グマイウェイというやつである。



「レヴォサン、ドールのこと詳しい?」


『だったら何?』


「ドールの修理が早く終わるコツ、ない?今ね、えーと、仲間が大怪我してて」



顔の割れたリベル、真っ二つになったクレイル、首を吹っ飛ばされたシリル。事の顛末は省いたが、どんな状態なのかは大まかに伝えてみせた。

ラクリマは人助けに対して常軌を逸する執念を持ち合わせているものだから、修理の手伝いも積極的に参加した。

“ 困っている ”リベルの顔に丁寧に黄金のクリームを塗って修理したし、“ 困っている ”シリルの胴体前面のヒビを修理した。真っ二つに割れていたクレイルと、シリルの首の修理はホルホルが行っていた為関与することが出来なかったが。



『声掛けだよ』


「声掛け?」


『近くで、起きて欲しいって思ってる……そう望んでるドールがそのドールの名前を呼べばいい。それだけでかなり修理が楽になるはずだから。直りが早まる』


「そんなことあるー?」


『ある。ドールは他個体の信号シグナルを常に受信してるはずなんだ。近くにいるドールの影響を受けやすい。機能停止していようとスリープモードにあろうと、コアが崩れてないのなら間違いない』



思いは必ず通じるなんて、ロマンチックな話があるけれど。ラクリマは少し意味を理解しかねて、電話越しのレヴォにはわからぬというのに大きく首を傾げた。



「なんかそれー、ニンゲンみたいだね!」



キィン、とハウリングでもしたのか、レヴォがうわっと小さく声を上げるのが聞こえる。

ニンゲンくさい。ニンゲンを見た事はないが、ニンゲンの話はある程度伝わっている。


翼を持たず、牙も爪も持たず、アビリティも持たず、腕が取れれば直せない。脚が取れても直せない。不便で、赤い血潮と肉ででき、白く静かなコアではなくて、年中動いているという心の臓と複雑怪奇な脳髄を持っていた、替えがきかない正真正銘の“ いきもの ”。

男と女がいて、ドールとは違い、他の“ いきもの ”達のように交尾で増えていたという。

弱かったが強かった。

愚かだったが賢かった。

矛盾した話ばかり残るニンゲンの話の中でも、馬鹿らしいくせして1番美しい話があるのだ。

愛の力を得たニンゲンは、何より尊く強かったと。


ニンゲンって変だ。ラクリマは漠然と、幼稚で稚拙ながらも、ドール達の総意とも呼べる思考をあけっぴろげにレヴォへ伝える。

レヴォは難し気にううんと唸って、それからぽつりぽつりと話し始めた。

前置きに「君にはわからないかもしれないけれど」という余計な一言を添えて。ラクリマの幼げな、どこか眠たげな表情がやや剣呑さを帯びる。



『ドールは……祖を辿れば、元々は1人のニンゲンと1羽の鳥に行き着く』



トン、トンと、電話の向こう側で軽く何かが叩かれる音。恐らくレヴォが、指先で机を叩いているのだ。以前の台パンと言いレヴォは机を大事にしないように伺える。死ぬほどどうでもいいことであったが、ラクリマはレヴォの手元に広がっているらしい机のことを案じた。



『今のドール達はほとんど、デザインベイビーみたいなものだから。誰もがみんな、確かに望まれてうまれてきた……強く望まれてうまれてきたからこそ、他の誰かの望みに敏感なんだ。それでもって、一体だけじゃいきられない』


「俺も?俺も望まれてうまれてきた?」


『…………あぁ。そうだよラクリマ』


「フーン!薄々思ってたんだけどー、やっぱり……ネっ!!」


『ホント自己肯定感の化け物だな君』



ガタリ、ラクリマが諸手を挙げてわーいとリアクションをして、電話ボックスが僅かに揺れる。


ドールは一体だけではいきられない。

必ず誰かの影響を受けていきている。

必ず誰かに望まれてうまれてきている。



『そっちに図書館があっただろ、そこら辺に昔の書類があると思うんだけど』


「あそこ警邏隊が常にいるしー、本はめちゃくちゃに、すーっごく厳重に管理されてるよー?」


『警備がいるのか?……昔はいなかったはずなんだけど…………クソ、ここを見る為のカメラ以外が全部潰れてから情報の不足が著しいな』


「困ってる?」


『はいはい困ってる困ってる。早速助けろ』



いつも通りの上から目線。レヴォからの初めての依頼。



『鳥籠の監視カメラシステムを復旧させて欲しい。僕はまず、全部を把握して遅れを取り戻さないといけない』



監視カメラシステム。滅んだ鳥籠に、数多の目を。顔も出自もしれぬドールが要求した、全てを見渡す、ニンゲンの遺した電子の目。

ラクリマの出した答えは彼にとって当たり前すぎていて、当然ここに記す必要だってないだろう。









​───────

Parasite Of Paradise

3翽─不可ふか

(2021/12/11_______11:00)


修正更新

(2022/09/18_______22:00)

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