2翽▶守られる鳥






ぱちん、乾いた音が空き地の虚空を伝わり軽やかに響く。ささやかな音のはずが酷い緊張感の影響でやけに大きく聞こえた。しかしまぁ、よく聞こえるに越したことはない。ルフトの指鳴らしを皮切りに、何も無かった空間へずらりとナイフが現れる。のんべんだらりとした立ち居振る舞いとは相反して、ルフトの目にも、宙に浮かぶナイフにも、緩やかながらも確かな殺意がこもっていた。


ルフトのアビリティ、“ 守護 ”。

任意の動作__彼の場合はフィンガースナップとなるが、それを合図に宙にナイフが現れる。名に反して酷く攻撃的かつ強力な切断系のアビリティだが、攻撃こそ最大の防御。無数の刃が織り成す斬撃の雨は敵対ドールに一寸の間隙も与えない。

本人のフィジカルとそのパフォーマンスが非常に高いことに加えてのこの強アビリティ。


ずらりと浮かんだコンバットナイフ。その全てがクレイルを撃ち落とすための弾丸だ、首に下げたゴーグルを目元に持っていき、アウターの左内側に縫いつけた鞘から黒い柄のサバイバルナイフを抜き取って構える。

相対するドールの正体はよくわからないが、こちらに敵意を持っていることは確かだった。


張り詰めた空気感の中、ゆらり、夕焼け色の錦が、鋼に射す光が揺らぐ。


先に動いたのはルフトだった。


淡く青を帯びる刀身が昼の光を纏って一斉に打ち出される。クレイルが迎え撃つように、翼を広げて刃の群れへとその身を投じた。

守りを謳う鉄の雨の中、熾烈な桃色と陽の浮かばぬ青色が今一度かち合って。

ほんの少しの動きで互いにわかった、否、わかってしまった。



このドールはドール同士の戦いに慣れている。



「お前ヤバいな!!」


「そりゃどうもね!!」



容赦の必要が無いと悟ったのか、追い討ちをかけるようにルフトがもう一度指を鳴らしナイフを増やす。一波の群れをかわしきったクレイルも第二波に備え、サバイバルナイフを握る手に力を込めた。来たるつるぎの波、距離を縮めて発生源を叩くまで止まぬ斬撃の嵐を掻い潜る。

重力を無視するかの如く、ぐるり、ふわりと宙を舞う深緋色がぐんぐんと目前へ迫り間合いを詰めて。

相対して剣の雨を降らせているからこそ突き付けられる、そのボディの類稀な可動域の広さたるや。巧みに操作される翼はナイフを避けながら速度を上げ、柔らかな肢体は柔軟な動きで切っ先からその身を守る。



「ちょこまかよく逃げる、っねェ!」



いくら回避につとめていようとこのナイフの数だ、幾許いくばくかの切っ先は確かにそのドールを捉えて切り裂いているはずなのに、一向に傷は増えず速度も落ちることがない。超回復系のアビリティかと勘繰ったルフトがナイフの打ち出し方を変えた。

サバイバルナイフでコンバットナイフを弾く。ギン、と、甲高い金属同士の打ち合う音。

開けた視界、弾いたナイフの裏から二の矢の如く続けたもう一本。ほぼ鉛直に突き刺さって、熱くなる左の肩。そちらに気を取られたらば、右肘の内側にさらに一本銀の牙。

身を捻りながら空いている手で肩のナイフを抜き、思い切りソレをルフトに向かって投擲した。無論、利き手でもない手負いの腕が放ったそれは簡単に撃ち落とされてしまう。




「あぁっリーダーッッ!」


「シリル!」



空き地を見下ろせる廃ビルの一室、半ば身を乗り出すようにしてシリルが声を上げた。位置がバレて種までバレてはこの布陣の意味が無い、ホルホルが咄嗟にシリルの口を掌で覆い黙らせて、不満げな表情をするシリルに叱責を。



「俺達は見つかったらダメなんだぞ」


「こんな熱いものを前にして黙ってろって言うのかい!?」


「そうなんだぞ。ほら。直すから」



キィンと、一層甲高い音が眼下の空き地から轟く。どうやら距離を詰めきったクレイルが近接戦にもつれ込んだらしい。

空中における技術勝負において彼の右に出るものはいないと言っても過言ではないが、如何せんあのドール__ルフトは地上戦におけるポテンシャルが高すぎる。

体格、アビリティ、翼の重厚さ、地上戦における要所でクレイルがルフトに勝るものはひとつも無い。強いて言うなれば身体の柔らかさだろうが、掴み合いにもつれ込んでしまえば間違いなく負け一択。

ルフトの右手が振るうコンバットナイフを弾いていなすも、一撃一撃の重みに押し負けているらしくクレイルの手が獲物を振るう正確性は段々と落ちてきている。傷はシリルが一身に請け負っている為、全く増えない。故に黄金の消耗が抑えられているが、だからと言っていつまでも耐えられるわけでもなかった。ルフトの重撃に耐えきれなくなり限界を迎えるのは時間の問題だ。


狙いは確実な逃走。


あのアビリティを操るドールが相手では逃走の成功率が下がる。故にクレイルが今一番の目標としているのは、ルフトの視界を封じる__要は眼球パーツを破壊することだ。相手はこちらを機能停止にする為動いている、生半可な戦い方では勝つことが出来ない。

大きく弧を描いたコンバットナイフの切っ先が首を横一文字に切りつけたのを皮切りに、クレイルが大きく飛び退いてルフトから距離をとる。



「ぇ゛ほっ、んんっ……乱暴な方がモテるとは言ったけどよー、ここまでするか?もっと優しく頼むよ」



喉を抑えて一度咳き込む。ぱっとあげられたその顔、その首、傷なんて一つもない。



「……教えて貰えるとは思っちゃいないけどさぁ、それどういうアビリティ?」


「んー?そっちこそどういう感じ?俺のことなんで攻撃すんの?」


「一応仕事なんでねぇ……」



警邏隊かと眉をひそめる。そう言う割には制服を着ていない上に、初見で攻撃を仕掛けてきていた。越冬前に得ていた情報との錯誤が酷い__明らかなイレギュラーだ、よそへ探索に向かわせた仲間達には「警邏隊はこちらから攻撃しない限り攻撃してこない」と、越冬前の情報を通してある。妙な不安が心の内を締め出したせいか、安否が気になって仕方がない。直観的な予知能力の高い、クレイルの嫌な予感はよく当たる。



「警邏隊?制服着ねぇの?まぁその服もアンタに似合ってて随分魅力的だとは思うけどよ」


「そォ?そりゃ嬉しい……にしてもおしゃべりだねェ、随分余裕そうじゃん。ガキの遊びじゃないんだよ、革命くん」



制服を着ない理由も、そもそもはっきり警邏隊かどうかも答えない。そう簡単には零さないかとゴーグル奥で瞳を細める。

目線はルフトから離さずに、ナイフを持たない左手でアウターの中からトランシーバーを抜き取ってプレストークボタンを押し込んだ。相対するルフトもこちらから目を離さないまま、腰に下げたトランシーバーを抜き取る。緊迫した喉も焼けそうな空気感の中で、遠目に金の装飾がちらりと光るのだけがわかった。金の正方形に雫型の赤い石が嵌められた、警邏隊のバッジ。

トークで引き出そうとした情報が呆気なく姿を現したことに若干の拍子抜け地味た感情が湧いたが、すぐさまそれも焦りに変わる。やはり警邏隊。制服は?規律は?仲間に事前に伝えた情報とまるきり違う現実。伝達しなければと、トランシーバー向こうへ声を。



「ルァン、ルァン……あれっ?らん先生ー?」


「マンちゃん?……いやサボってないよ?隼の谷、北端の壁から三本内側の通りの路地裏」



押し込んだボタンには手応えがない、スカスカとボタンのスプリングが虚しい音を立てるだけ。



「リストのドール。えぇ?わかってるってぇ、マンちゃんに手間はかけさせないからさぁ」


「らん先生!?ねぇらんせんせー!!」


「うん、なんか凄いしぶといんだけどぉ……」


「せんせ、ぇ゛」



声は途絶えた。刃がクレイルの左手を貫いて、その勢いのまま喉を裂いたから。取り落とされたトランシーバーが、地面の上でふたつに割れて、何故か焦げていたその中身を空気に晒す。生憎クレイルは究極の機械音痴だ、それこそ、触れるだけで中身をダメにしてしまうほどの超次元的な機械音痴。

激痛やら何やらのノイズを全て無視して、青い瞳が首元の剣へ視線を注いで。

左手を貫通して首に突き刺さった剣を右手で引く。ずるり、ぐぢゅ、半流動体の中身が動く感覚。グローブも大分みっともなくなってしまったが、換えがある、気にはしない。

二度と戻らない壊れた__壊された通信機と対でもなすかの如く、次の瞬間にはもう、三本の錦をはためかせる鳥は無傷だった。



「ホントどーなってんのそれぇ……あ?や、こっちの話よ。大丈夫大丈夫……」



プレストークボタンを押していた、ルフトの指先が自由になる。焦らすような緩慢な仕草でトランシーバーをしまい込み、もう一度獲物を見据えるその様。

美しく、恐ろしい捕食者。

じわりじわり緩やかな痛みが脳を擽って、ルフトに、妙な高揚感を与えていた。



「バラバラにしちゃえばさすがに殺れるでしょ」












​───────​───────
















「これは……」


「随分酷いね」



閑古鳥の森。

ミュカレとルァンは、鈍い赤の散る豊かな森の中に静かに佇んでいた。高い針葉樹林の、ドールもよく通る遊歩道のような開けた道を外れ、獣道をなぞって辿り着いた、壁際にほど近い奥地。

川と啄木鳥の森から流れてきたのだろう、さらさら流れる清い小川の河原の小石がべったりと血で汚れている。この鳥籠の中で一般的に“ 血 ”と呼称されるのはドールの体液である黄金だが、動物達はそうではない。赤い血が通っていて、首を落とせば赤が吹き出す。

そんな動物達の死屍ししが、森の中で累々とあちこちに散らばる異様な光景を前に、ルァンが小さく顔を顰めた。



「様子を見てくるようにラクリマ達が言いつけられていたのは、これのことかい」


「そうだろうね。卵を探してこい、じゃなくて様子を見てこい、だったもの……こんなのがある所の調査、勝手にドールの配置を変えてしまっても良かったの?」


「あの子は言い出したら聞かないよ」


「それもそうだね」



生きて陽の光を浴びていたならば、さぞや美しい色艶を見せてくれていただろう鹿の亡骸を視線で追う。皮は剥がれていない。本当に、ただ命を奪うだけが狙いだったのだろう。


動物はドールとは違う。


ドールは腕や首を失っても、時間をかければいくらでも修理ができる。動物はそういかないのだ。

ルァンの目元がほんのり憂いを帯びていく。動物は、ドールではないから。腕も耳も、換えなんてきかない。



「……アンドはどこかな?」


「そっちに」



少し離れた位置、紫苑色を帯びたアッシュカラーがしゃがみこんだまま風に揺れていた。手足のちぎれとんだウサギの腹を生白い指先が撫でていく。北側__森の入口からやって来た襲撃者から逃げる為に、壁の方へ向かっていたらしいどの死体も大概頭は南の方を向いていて。

鋭い刃物のような何かでしっちゃかめっちゃかに切り裂かれたのだろう、飛び散った部位は木にこびりついていたり、枝に引っかかっていたりと目の当てようがない。屍肉が食い荒らされていないあたりを見るにどれもまだ新しかった。生き延びた動物達は木菟の森辺りにでも居るのだろうか。



「大丈夫……俺が覚えてるからね……」



優しい声色、手付き。血を含んだ、お世辞にも綺麗だとは言えなくなってしまった白い毛並みを、子供をあやすような、心底愛おしむようなアンドの手が撫でていく。心からの慰み。



「俺、この子らのこと埋めてあげたい」


「この数を?……僕も、そう思うけれど……」


「アンド……私も埋めてあげたい。でもね……数もそうだけど、その内野犬やカラスがやってくる、その子達のご飯にもなるんだ」



歩いてきた道に転がっていた亡骸の数だけでも相当だ、全てを埋めるだなんて何日かかるかわかったものではない。

そっかぁ、と小さく呟いて、アンドが立ち上がった。銀のヒールが、小さな土の粒を崩して微かな音を立てる。すっかり乾ききった血痕と臓器の表面からは血腥さすら香らない。



「もういいでしょ、帰ろぉ。状況わかったんだし」


「……そうだね、帰ろうか」



先程までの憂いを帯びた雰囲気は何処へやら、立ち上がってルァンとミュカレに向き直ったアンドの顔色はいつもと変わらぬものだった。

アビリティとは相反して、アンドは自由な傀儡ドールなのだ。土を踏み締め一歩一歩、薄暗い森の外へ向かって歩き出す。

ルァンとミュカレもそれに続いた。アンドの腰に下がる、揃いの御守りがカラカラ揺れながら前を往く。御守りに並んでベルトにさがるトランシーバーを見留めて、ルァンがふと、思い出したかのようにミュカレへ声をかけた。



「そういえば、ミュカレとセレンは随分電話が長いけれど」


「ああ……盛り上がるとついつい長くなっちゃって、ね」


「何を話しているのか聞いてもいいかい?」


「惚気話」


「ふふ、なるほど」



しれっと、あっけらかんと返された言葉にルァンが淑やかに笑った。笑って、すぅっと、温度のない微笑みへ。

ミュカレとアンドは謎が多い。自身は保育所でセンセイをしていたこともあって、過去に何をしていたのかというのは粗方割れている。

他のドールはどうだろうか?

ルァンは仲間のドールのことを__そう。心から大切に思っている。だからこそ、疑心を持つことも必要なのだと心得ていた。大切な仲間が、子供が、等しく大切なドールに傷付けられるのは誰だって見たくないだろう?ほんのり冷たい気持ちを持つのは心苦しかったが、それでもルァンは“ 良き指導者 ”だ。



「あの人は僕の……なんて言ったらいいのかな。言い表しにくいけど……忙しいだろうに、僕のセレンの話を沢山聞いてくれて……」


「親友みたいなものかい?」


「親友とはまた違うよ、それはセレンの電話相手。でも本当にいい人で……セレンにも会いたいって言ってたから、今度連れて行こうかと思ってる。ふふ、楽しみ」



本当に楽しみなのだろう、いつだって嫋やかな花のように静かなはずのミュカレが、少し深めの笑みを見せて髪を揺らす。足元は僅かに跳ねて、発表会を前に小躍りする子供のよう。

あの人ったら僕らの結婚式のスピーチをやるって聞かないんだ、気が早いよね。なんて。

吝かではないんだろう?と、答えもわかりきった問いをかければ、思った通りに返ってきた。


森を出る。明るい日差しが視界を焼いて、一瞬だけチカチカと星が瞬いた。振り払うように長いまつ毛をしばたかせる。



「あれぇ?ヘプタ」


「アンドさん!ミュカレさんにルアンさ、ル、ラ、ルア……」


「ふふ、大丈夫、そのままで構わないよ」


「ルアンさん……」



ルァンの名前は発音が難しい。しばしばルアンだとか、ランだとか呼ばれるが、よくあることなのでルァンは全く気にしなかった。



「俺は今リーダーのおつかいを終わらせた所です!黒……えっと、卵は見つかりましたか?」


「俺らは卵の探索じゃなくてただの様子見班だよぉ、ヘプタ何買ったの?見せて見せて」


「いいですよ!今日の夕飯はカレーっぽいです」



買い出しは当番制だ。夕飯当番のドールから渡されたメモ通りに食材を調達しに、大通りへ向かう役。ヘプタ、クレイル、青玉あたりが買い物に行くと山ほどオマケをもらって帰ってきてしまうが、大体は持たされる袋に入るだけ買ってくるのが暗黙の了解。



「買い出し……だったの?なんで孔雀の街に?」



ミュカレがふと思って首を傾げる。閑古鳥の森の入口は、孔雀の街と川に挟まれるように伸びる狭い道だ、大通りでの買い物が仕事のヘプタとそんな所で遭遇すれば、不思議に思うのも無理はない。



「さっきリーダーを見かけて……」


「リーダーは隼の谷だよ」


「ですよねぇ、だから変だなーって思ってちょっと追いかけてきたんですけど、見失っちゃいました」


「えぇ、ヘプタ見間違え〜?老眼?」


「違いますよ!!あれは絶対リーダーでしたって、俺が間違えるはず……ない、はずです!」



アンドがヘプタの眼前で、指を一本二本と立てては「これ何本?」とやってみせる。眼鏡の人あるあるな光景だ、ヘプタも老眼ではないと言い切って終いでいいはずなのに、律儀に一本二本と答えている。



「ホントにリーダーいたんですって!」


「ふーん。仮にヘプタの言い分がホントだったとしてぇ、リーダー本人なハズないからぁ、ドッペルゲンガーってやつ?」


「兄弟機とかじゃないの」



やや必死げなヘプタの声へ、からかうようなアンドの言葉が返される。ほとんど興味無さそうに、それでも話題をほったらかさない程度に会話に混ざったミュカレの言葉にルァンが首を傾げた。



「そういえば、皆に兄弟機がいるのかどうか、とかをあまり詳しく聞いたことがなかったね」


「そういえばそうですね、皆さん兄弟機とかは……」


「僕は兄弟機いないよ、多少気の合う幼馴染はいたけど、親鳥とかもいないし……まぁ、今はセレンがいるから、関係ないかな」


「俺も兄弟機いないや、ひとりっこ。フツーに保育所で育って、フラフラしてたかなぁ。リーダーとは小さい頃からの知り合いだけどぉ」


「俺たちの革命派、兄弟機いる人少ないですよね。兄弟ドールも珍しくは無いのに……えっと、ルアンさんは?」



アンドはリーダー個体と昔馴染みらしい。ルァンがちら、とアンドを見やった。過去10年は何をしていたのか全く不明のクレイルと馴染みがあるという話を聞いて過去が割れていると判断していいのか怪しいが、フラフラしていた、という話__以前何をしていたのかに関しては嘘をついていなさそうだ。

ヘプタは会話の内容に大して深入りせず、周囲へトスしてみせた。何か話したくないことでもあるのだろう。

森の入口、4体の、目立つドールがたむろする。



「すみません、お話伺ってもよろしいでしょうか?」



ゴト、ゴトンと重い足音。微かな機械音と硝煙の香り。背後に、白く小さな妖精のようなドールを連れたその姿。



「近頃物騒ですから。その羽飾り、一体どちらで?」



警邏隊のベスト、白いズボン。黒手袋に覆われた指がすんなり伸びて、ヘプタのアウターについた、アンドの腰に下げられた揃いのソレを指し示す。緑の瞳が4体のドールを順々に見据えて、にっこりと、長い睫毛が弧を描いた。



「……あぁ、名乗りもせずに申し訳ありません。私はヴォルガです」

















​───────​───────
















「はぁっ、ふふ、ふぅっ……」



激しい鍔迫り合い、ぐるりと身体を回して、蛇のごとく背後に回る。無論許さぬ、後ろ手にコンバットナイフが向けられ不可を理解し、寸でのところで飛び退いた。

手首や頬にやや深めの切り傷ができているルフトと、全くの無傷を貫くクレイル。

ぱっと見ればルフトが劣勢のように見えなくもないが、その実、クレイルの方が酷く消耗していた。ルフトの一撃は重い、いなす度にビリビリと腕は痺れ、翼で打たれれば鈍い痛みがその身に走る。

シリルが請け負えるのは傷とその痛みだけ、いなしの反動や傷を伴わない鈍い痛みは確実に蓄積するのだ。



「ふふ、ははっ、はぁっ……」



先程から、薄く笑みを浮かべて眼下の闘争を眺めているシリルにどんどんと小さな傷が増え、一定数増えればそれも消えていく。


ホルホルのアビリティ、“ 癒し・修復・再生 ”。

ホルホルが左眼で凝視した部位や対象の、傷や欠損をノーハンドで修理できるというもの。

修理系のアビリティを持ったドールはいかなる状況においても重宝される貴重な個体だ。黄金無しで修理ができるというその大きなメリットは、ドールのカテゴリにおいて唯一独自の席を形成していると言っても過言ではない。


シリルの“ 代替 ”は、他者の受けた傷を大幅に軽減してその身にうつすもの。ホルホルのアビリティで軽減された傷を癒してしまえば、ほとんど永久機関のような物になる。



「シリル、大丈夫なのか?」


「勿論!大丈夫さ!いくらでも見ていられるよ、ふふ、ふふっ」



眼下で刃を交えるクレイルを、不気味さを覚える程にギラついた黒の双眸で見据えるその姿。



「僕がいる限り光に傷をつけることは出来ないのさ」



光は、触れられない。

太陽を肉眼で見続ければ、たとえドールだろうと眼球パーツを焼かれて視力を失う。しかしまぁ、これは。



「……恋は盲目、ってやつなんだぞ」



今、こうして誰よりクレイルを見ているその目が何を見ているのかわからなくなってしまったホルホルが、苦々しい顔でふぅと息をついた。


“ 代替 ”の能力では、傷を移す時に軽減こそできるものの、移した痛みを軽減することは出来ない。

故に、身体にできた傷と知覚することのできる痛みが釣り合わないのだ。知覚のズレというのは予想を遥かに超えるストレスの一因で、最悪の場合その情報の錯誤に気を違えてしまってもおかしくない。

だと言うのにシリルが全く動じていないのは、ニンゲンでいうアドレナリンが異常な程に出ているからだと言える。シリルの、異常と呼ぶしかない精神能力の頑強性たるや、一体何が所以ゆえんなのか?

生来好奇心の強い性質であったホルホルは、シリルのアビリティを訓練時に一度見てからずうっと気になっていたのだが、たった今、その謎の答えを得た。一重にクレイルの存在だ、思えば12年前からの付き合いだったと聞く。

拗らせているのか?それにしてももっと、マシな拗らせ方はなかったのか。ホルホルの眉間のシワは増えるばかり。


シリルに移される傷は段々と増えてきていて、それと同時にホルホルが直す傷も増えていく。ばつり、大きくシリルの首に切れ目が入った。

どうにもクレイルは首を持っていかれたらしい。シリルが前のめりになって、ボロボロの窓枠から身を乗り出そうとするのをホルホルが必死に止めた。首からボタボタ黄金が垂れているというのに、そんな事をされてはたまったもんではない。



「うおぉっ!?」


「はァ!?首持ってったでしょ今のはさぁ……!!」



ぐるり、逸らした身体の勢いを殺さず、地を手で跳ね飛ばし、縦に一回転。バク宙でルフトから距離をとった。困惑と苛立ちの混じった声色、ぎちり、噛み締められる鋭い歯。

クレイルが悟る。刃から身を隠すことのできる障害物の少なさ、上に長い空間。この場所でこのドールとの一騎打ちは、勝てない。

目を潰せば勝ちだと踏んでいたが、その“ 勝ち ”すら取れるか非常に危うかった。シリルとホルホルは言いつけ通りに動いて__否、見てくれているようだが、撤退するとなれば合図を送らねばならない。

合図を送るためのトランシーバーは、先程クレイルの機械音痴度合いに敗北してガラクタとなってしまった。一度上へ合流するにも、ルフトの動きを封じなければすぐに追いつかれてしまう。シリルとホルホルはどちらも余り前線戦闘に向いていない、この超戦闘特化型のルフトと対峙させるのだけは避けたかった。

真正面から横薙ぎに降ってくる銀色を、避ける避ける身を捩る。右脚を後ろへ引き込み軸足へ。翼を広げる。前のめりのまま飛び出した。


否、飛び出すはずだった。



「ら゛っ!!!」



ガクンと、体勢を崩したクレイルの身体が宙に浮く。左足首に白い縄、ぶらんと下がる深緋色。



「この人?リストのドールって」


「……びっくりした、マンちゃんかぁ。お疲れ様ぁ」


「サボる時は共謀きょーぼーするって約束でしょ……ずるいよ」


「ずるいのはこの子のアビリティよ!?切っても切っても無傷なの、おかしくなぁい?」


「切っても無傷……」



ぶらり、宙に下がるクレイルを、先程やってきたばかりのドール__梦猫が見上げる。白く長い髪を三つ編みにして、ラベンダーカラーの中華服を身にまとった小柄な容姿。

クレイルの動きを封じたのはこの梦猫らしい、白い縄のように見えたのは、どうにも彼の白い髪のようで。



「はは、どうも」


「……?、どうも……僕、梦猫」


「へー、まんまお?可愛い名前だな、俺クレイル」


「自己紹介し合わないでくんない?え?これ俺も名乗る流れ?」


「まぁ。空気読むなら、そうなんじゃない」


「俺もお名前知りた〜い」


「マンちゃん適当に返事してるでしょ?あと革命くん……クレちゃんだっけ、しれっと馴染まないでくれる?」



俺はルフトだけどぉ、と、気だるげに話を合わせる。剣呑さがなりを潜めたルフトに、クレイルがゴーグルの奥で目を細めた。ガキの前で猫被りやがって、と。

尚、梦猫は起動からの稼働年数が25年になるドールだ、世間一般的に“ ガキ ”に分類されるような年齢のドールではない。


梦猫のアビリティは“ 龍の髭 ”。

己の髪の毛を自由自在に操作する、拡張系のアビリティ。伸縮まで思うがまま、シンプルが故に非常に使い勝手がいいが、あまり伸ばしすぎると耐久性が落ちるなどのデメリットもある。

簡単な拘束程度ならば、道具がなくとも単独での決行が可能。


ルフトが梦猫をちらりと見る。面倒なことを極端に嫌う梦猫の前で、クレイルが動きを止めたからとこれ以上に痛め付けるのは気が引けた。

傷を直されてしまうし、何よりどこがオーバーラインなのかを判明させるまでの間、梦猫がずっとクレイルを拘束していることになるのだ。めんどくさい、と拘束を緩めてしまうかもしれない。

それに、いかに面倒くさがりと言えど、永朽派を名乗るドールの前でルフトの思惑を実行するのはリスキーすぎる。舌打ちを噛み殺して、未だ宙吊りのクレイルに向き直った。



「クレちゃんさぁ、越冬前からこういうことしてた?」


「俺?してたけどそれが何?」



梦猫が、袖の中から手帳を取り出す。金の正方形に赤い雫型の石がついたバッジが輝かしい、薄紫色の手帳。こちらも警邏隊なのかと空中からその様をじっと眺めて。



「ふーん……オレンジの髪で、額に赤の照準器の紋様……活革命派……うん、リストのドール。なんでこんなめんどくさいの捕まえちゃったの?」


「無茶言わないで?俺だってサボりに来ただけで序盤からラスボスとか思ってなかったんだよ」


「ラスボスって言うなよ、俺がラスボスなわけないだろ?こんな弱いボスいてたまるか、もっとでかいのいるかもしんねーだろ」


「火鳥さん、確かにラスボスっぽくはないね」


「だろ?てか火鳥って俺?かっこい〜」


「え、自然に会話に混ざるのやめてくれる?クレちゃん今攻撃してた警邏隊に捕まってるってのに」



ゴーグルをかけた、何処と無くぼんやりした顔が逆さまのまま梦猫とルフトの会話に混じってくる。梦猫なんかは気にすることすらめんどくさいのか、つっこむことなくそのまま会話を進めてしまうしで馴染むのが早い。


クレイルが目下警戒しているのはルフトの方だ、明らかにこのドールは他のドールを殺すことに躊躇いを持っていないし、戦い慣れをしている。

ナイフのいなし方、できた隙の狙い方、軸足のチョイスから重心移動まで、何から何まで、習うより慣れろで得た物に間違いない。

喧嘩慣れだとかそういう、かわいいレベルのものではなかった。アビリティもほとんど反動がないように伺えて、シリルとホルホルがいなければ今頃自分は機能停止に__それで済んでいたならばラッキーもいいところだったろう。


クレイルがルフトを危ぶむように、ルフトもまたクレイルを危険視していた。

驚異的な翼の可動域、ニンゲンパーツの柔軟性、他に類を見ない高度な飛行技術。

ほとんど地上での一騎打ちだったからこそルフトに軍配があがっていたが、飛行での鬼ごっこ、また存在を認知する前に奇襲をかけられてなんていたならば、こちらがやられていたかもしれないそのドール。

明らかに戦闘慣れしたナイフの運び、回避法。他の子らには任せにくいねぇなんて適当なことを考えながら、腰に手を当て息をついた。


梦猫が、じいっとクレイルを見ている。何も無いところを見ている猫のようなその視線は居心地が悪い、クレイルの尾羽がひらりひらりと背後で揺れて。



「火鳥さん、余裕そう」



ぶら下がってんのに何処がだよ、なんておちゃらけたその青い瞳。梦猫が、長い前髪の奥で赤い瞳を細めた。

活革命派と、攻撃してくる警邏隊が相対し、活革命派の方が身動きを取れなくされている。いつ自分がジャンクにされてもおかしくない状況だというのに、こんなに余裕そうな理由は何だ?

奥の手があるから?ただ単に実力を隠しているから?


人に物事を放り投げてばかりの梦猫には心当たりがあった。

誰かがいるから大丈夫という、あの妙な安心感たるや。



「ひとりじゃないでしょ……誰と一緒に来たの?」



一拍おいて。


苦笑い。


ゴーグルの奥、目線が逸らされた。

シリル達のいるビルとは反対側に。










「あぁ、そこね」



がくん、一息にバランスが狂って、窓枠の向こうへ身体が落ちていく。重い、重い、空気が重くて仕方がない!

翼を広げたけれども、意味はなかった。



シリルは空を飛べない。



超人的な身体の柔らかさと飛行技術を持っているからこそ成せた技だった、身を大きく逸らして梦猫の髪を一息に切り、空中で、いきなり、助走も構えもなしの飛行を開始する。

当然大した距離は出なかったが、初動にするには十分だった。ぐるりと腕を伸ばして地を押し返し、半ば四足よつあしの如く前へ進む。間に合え、間に合え_____



「シリルッ!!!」



横腹をルフトのナイフが貫いたが気にもとめない、思い切り身を滑り込ませて体を捻り、自分の背中が下に来るように。翼で包むみたいにして、落ちてきたシリルを抱き留めた。

途端、伝わる異様な重み。


バキンと、甲高く響くクレイルの背中が割れる音。抱き留めこそしたものの、クレイルの肩より向こう側にあったシリルの頭は強く地面に叩きつけられて、前半分が粉々になってしまった。

本来の体重よりも遥かに重い、異常な、一種重力に逆らったような強烈な重みがシリルにかかっている。クレイルの身体では掬いきれなかった彼の脚は、アスファルトに押し付けられるみたいにしながらミシミシ、ピシリピシリと音をたててゆっくり潰れて。

当然、その重みを身体の上に乗せたクレイルは1歩も動けない。



「久しぶりクレイル」



逆さまの視界に映りこんだ、ほんのりくすんだ桃色の髪。伊達眼鏡の向こうで細まる黒い瞳。



「ぁ、る゛……はるど、せん゛、せ」


「やっぱり、無傷の原因は他の仲間のアビリティってわけ……アルくんやっと来た、仕掛け、よく見つけたね」


「アルちゃん遅いよぉ。っていうか知り合い?」


「ここに来る時空を見てたら、ビルの窓からこの子が身を乗り出してたからね、見つけちゃった。クレイルは俺のお菓子作りの弟子だよ」


「せんせ、なんぇ゛」



なんで。シリルを翼で隠すようにしたまま、ゴーグルの向こう、青い瞳が見開かれる。

やってきたドール__アルファルドがうっすら微笑んだ。ポケットからするりと顔を出す、蘇芳色の手帳。

カバーに輝く、金の正方形に真紅の雫。



「俺警邏隊なの。活革命派を仕留めるのはお仕事だからねぇ」



クレイルはつい一昨日、仲間へのお土産を買うのに彼の店へ寄ったばかりだった。

かつて友好的な関係だったドールと敵対することだってあるだろう、覚悟はとっくに出来ていた。覚悟ならばしていたのだ、していたが!



「あれ?俺この子知ってる、トイレに餌あげてた餌やりくんだねぇ。クレちゃんのお友達だったんだ?」


「火鳥さんのお友達まだいる……かな?」


「仲間のピンチになれば出てくるでしょ。ねーぇー?まだいる?まだいたら早く出てきてー、この子らジャンクにされちゃうよぉ?」


「ジャンクはダメだよルフトさん」



守護を謳った剣が浮かぶ。2人の頭部が横並びに地面に縫い付けられているのをいいことに、大きめの剣が一本、クレイルの視界を真一文字に分断しながら宙に在った。














助けは、ホルホルは来ない。



「……来ないねぇ、じゃ、首飛ばしちゃっていいか」



首を飛ばされれば、陥るのは機能停止だ。しかし断面が大きいため黄金の流出が止まるのに時間がかかり、その上他の傷で追いやられた機能停止とは違って自己修復をしたとしても、首が取れてしまっているのだから単独では繋げることが出来ない。要は、修復不可能。目が覚めることがない。首を飛ばされたドールのボディは、一定時間経てばジャンクになってしまうのだ。

事実上の、ジャンク処理。



「……こないだのお菓子、ほとんど百点満点だったよ」


「っ、ア、ルファル゙」



薄暗い路地裏、頭がふたつ転がった。













​───────​───────











「あ!こんにちは、お会いできて光栄だよ!中々日程が合わなくって」


「こちらこそ。やっと会えて嬉しいよ」


「ずっとお手紙だったから……あ、これ甘くないお茶菓子。紅茶に合わせたんだけど……アルク、紅茶は好き?気に入ってもらえるかな?」


「勿論。それじゃあ……今日はよろしくね、レヴォくん」



橙色の髪の奥、きらきら輝く青い瞳がアルクを見上げる。

静かな永朽派拠点、中にいるのは留守番を任されたアルクとラフィネだけ。現れた賓客を、アルクは穏やかな笑みでもって出迎えた。警邏隊のベストを斜めに横切る大きなバッグのベルトを掴んで押し上げ、荷物をドカリ、遠慮なくソファへおろして。



「うん、よろしくね」



人好きのする、どこか幼さすら残るその笑顔。

拠点に差し込む陽の光が、僅かに西へ傾いた。











​───────

Parasite Of Paradise

2翽─守られる鳥

(2021/12/04_______14:00)


修正更新

(2022/09/18_______22:00)

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