序─秩序
✕翽▶作り物達へ、愛をこめて。
遥か遠い、いつかのどこか。
霞がかって白む空気の奥に、無機質な、風化したコンクリートの生気のない灰色が滲んでいる。巨大な壁の上から生えた縦格子の群れの奥に青い空がチラついて、今日も愛おしそうに、されど憎たらしげに、ドール達は顔を上げた。
「けーらたいのおにいちゃんありがとー」
「いえいえ。お兄様と離れてはいけませんよ」
「すんません、ありがとうございました」
遠い昔日に築き上げられた、朽ちて植物に支配されつつある鉄筋とコンクリートの塊。ニンゲンの遺物を直すことも壊すこともせず、ドール達はそこに巣を作って独自の社会を形成している。
元はガラスが嵌められていただろう窓と窓を繋げるようにあいた壁の穴へ、翼持つドール達が帰巣していくのを見やる。ゼニスブルーの、毛先に行くにつれて淡い緑を孕んだ髪をひとつに括り、二対の翼を体に添わせた青年はため息をついた。年季物の手帳に、使い古されたペンでチェックを入れる。
「今日で迷子の案内を5件もしました。警邏隊は迷子案内センターでは無いんだけどね……」
困ったように笑ってこちらを振り返る。黒い手袋が悩ましげに横髪を耳に引っ掛けて、クルクルと回されたペンがサンキャッチャーのように太陽の光を返した。
「警邏隊の仕事は大体こんな感じですよ。まぁ貴方には恐らくやっていただくことはないと思いますが」
警邏隊とは、鳥籠内での、主にドール同士での混乱を収めるためにある組織だ。有志が集まっているだけあって行動力の高いドール達が多いが、はたして全員が全員正義感で動いているかと言われればそうではなかった。
あなたもまた、然り。
「ああこら、研修中は私語厳禁ですよ。拠点にご案内しますから……それまで、しーっ」
開きかけた口を、黒の手袋でおおわれた指で閉ざされる。すんなりした糸目があなたを見据えて、緑色の光が脳髄を焼くかのようにチラついた。
ヴォルガというドールは、良くも悪くも自分勝手なドールのようだ。会った直後はやれ名前が、やれ声が聞きたいとあなたにしつこく迫っていたものの、今は真逆にお静かになんて言い伏せる。物言いたげな視線も当然のごとくスルーして、ヴォルガはあなたに背を向け歩み出した。
たくさんのドールが、ニンゲンの遺したアスファルトの大地の上を歩き、鉄筋の塔の間を縫って飛んでいく。
かつて、ニンゲンのいた頃はクルマと呼ばれた鉄の台車が走っていたらしい道路は、道の端に露店が立ち並び、ドール達の生活を支えるバザーを形成していた。色とりどりのテントの下に“ カコウジョ ”から運ばれてきた食材や道具が並べられ、ドール達は通貨と引き換えにそれを手に入れる。
幼いドールが群がっている屋台に自然と視線が寄せられた。店主であるドールに通貨を渡して、可愛らしい色の菓子を串に刺して焼いたものと交換している。じっと、歩は止めないまま見つめていたらば、前を歩いていたはずのヴォルガがいつの間にか屋台の店主に声をかけて。
いきなり道を逸れたヴォルガを待とうと立ち止まれば、どんと鈍い音がして、街をゆくドールと肩がぶつかり合ってしまった。
「あ、わりぃ!すまん急いでっから!」
ゴーグルの奥で見開かれた青い瞳があなたの瞳とかち合う。大きな翼と、シンプルな割に豪奢な印象を与える飾り羽と尾羽がふわりと靡いて視界を去り、往来に溶けて消えていった。
先程肩のぶつかったドールは比較的地味であったが、街をゆくドール達の容姿は皆かなり個性的だ。まるで誰かに見つけてもらいたがる骨董品のように、それぞれが艶やかで美しい。つくりものなのだ。それは無論あなたも。
ドール達の波をぼんやりと見ていると、ふと、ヴォルガの声がすぐ近くで鼓膜を揺らした。
「じっと見てらっしゃったので…………欲しかったのかなと思いまして。お好きな方をどうぞ?」
ニコニコと笑みを浮かべて戻ってきたヴォルガの両手には、子供達の興味を独り占めしていたあの焼き菓子があった。あまりのドールの多さに驚いて見ていただけなのか、本当に欲しくて見ていたのかなどヴォルガにはわからぬくせに、さも当然と言うように菓子の刺さった串は眼前に差し出されて。
甘い方と、そこまで甘くない方がありますよと笑うヴォルガをちらりと視界に収めた後に、あなたは好みの方を手に取り口に含む。
余った方はヴォルガの口の中に放り込まれた。
少しずつバザーの喧騒から遠ざかっていって、ドール達が疎らに居着くだけのつまらない廃ビル街へ。
並ぶ建造物の中、異色を放つ聖堂のような建物が紛れて聳え立つ。
「さぁ、ようこそ兄弟。もうあなた以外は全員揃っていますし、お部屋を案内したら、やる事やっていただいて……その後は明日の朝までごゆっくりどうぞ」
ぎいぎいと物寂しげに、軋む音を立てる木の扉が開け放たれて、建物の奥に満たされた極彩色があなたの視界を彩る。ステンドグラスから降り注ぐ陽の光の下、ティーセットの乗った大きなテーブルと手入れのされたチェアやソファが暖かく照らされて。
「明日の朝、起こしに行ってさしあげますから。この紙に嘘偽りなく、自分のアビリティと、特技……要は何が出来るのかを書いて、私に教えてください」
四つに折られた真っ白な紙を一枚、呆然とするあなたの手のひらに乗せてヴォルガは笑った。
あなたはこれから、この鳥籠の秩序を守る柱のひとつとなるのですから。
ゴツ、ゴツンと、重苦しい足音が聖堂に染み込んでいく。開け放たれた扉を前にして立ち止まり、荘厳な空気に飲まれるあなたを置き去りに、沈んでいく陽の光は情け容赦なくステンドグラスの彩光を奥へ奥へと追いやった。
影の増していく、神の御座し所に何処と無く心の内がくすんでいく。神などいない、いたとしても助けてはくれない。賢かったというニンゲン達は、こんな神を崇める建物を作っておきながらも、きっとそれを心のどこかで理解していたのだろう。とうの昔に崇める人も祀る人もいなくなった、この神の子らの巣に深々牙を立てていく年月が、それを一層あなたへ知らしめていた。
「ああ、そうだ。もう一度……お名前を聞いても?」
パイプオルガンを囲うように上へと登る階段の、中腹あたりの段で立ち止まってヴォルガがこちらを向く。落ち着いた暗めの空色が覆い隠す胸元に、淑やかな仕草で添えられていた手のひらの黒がゆっくりと、こちらを煽るように向けられた。分かっているくせに、あなたの名前をもう一度。
息を吸って、世に一つ、たった一つ、世界を正すその作り物の名を________……
「おーお疲れ!これで全部おしまいな!」
橙がかった柔らかな金の髪を後ろに撫でつけた、歳若いドールが片手を上げてあなたを出迎えた。
先程まで散々身体を酷使していたせいか、翼は愚か腕を上げることすらままならない。目の前のドール___クレイルに指示された運動を端から端まで目の前でやって見せるという重労働を終えたばかりだから。
咳込めど声すら出ないほどに疲れきった様子のあなたを見兼ねて、クレイルはニコニコ笑みを浮かべたまま手を引いていく。
「あんだけ動いたからなぁ、そりゃ喉もガラガラか。飲み物やっから、落ち着くまで無理に喋んなくていーよ」
グラウンド端のベンチへ到着すると、あなたを座らせて、クレイルはベンチの横に置いていた籠の中のから飲み物を取ろうとしゃがみこむ。
円を描くように広がる砂の床はだだっ広く、先程までここを延々と動き回っていたのもあり、見ているだけでも気が滅入ってしまいそうだ。年季の入ったベンチがいくつか端に並び、崩れて寝転がったビルや鉄塔が円形競技場の座席のようにグラウンドを囲んでいた。
水曜と日曜はドール同士のレースが行われるという“ 隼の谷 ”は、ドールが生活するのに向いていない。雨風を凌ぐことこそできるが、あちこちに張り巡らされた配管が路地のあらゆる場所から飛び出している上に、倒壊しかけた建物の傾きが他の区域とは比にならない。カコウジョが遠いため生活するにしても不便だ。レースの開催されない日は人の通りもまばらで、運動が好きなドール達が自己鍛錬のために訪れる程度。
「はい、水」
首筋にひんやり冷えたアルミのボトルが添えられて肩を震わせるも、ガラガラにかれた声では悲鳴をあげることすら出来ない。
「今日はお前のこと沢山知れてよかった。何が得意で何が苦手なのか、身体を動かしてるのを見て確認しておきたかったし、一石二鳥だな!」
目線を合わせてきたクレイルが屈託なく笑う。この男、足場も頭上も隘路極まりない場所を草臥れるまで何十周とさせた後に、ひたすら翼を動かさせ、翼が動かせなくなったと知るやいなや即座にグラウンドを走るよう言いつけ、今度は足が動かなくなるまで走らせた。見た目によらず中々のスパルタメニューを課してくる。
「なぁ、ホントにいいのか?」
ゴーグルをおろして、一天の下に晒された青い目がじっとあなたを見やる。
「俺はお前の命を預かるから、お前のことを沢山知りたい。でもそれ以上に、お前に他の仲間の命も預けるわけだから、お前が何をできるのか、知っておかなくちゃいけない」
きっとこの、身体検査と称した体力テストよりも遥かに辛い思いをさせることもあるだろうと、グローブに包まれた手の指先がベンチのヘリを撫でた。
長いこと、風景の奥に聳えていた灰色の壁の向こう側を目指すこと。容易くはないだろう。そんなに安易に向こう側へ踏み出せるというのならばとっくの昔にドールは鳥籠を出ている。
格子と格子の間は広く、隔たりなく空いているように見えるものの、近付けば近づくほどに黒い膜が現れて、空の色を奪い視界を潰してしまう。檻に近寄れば寄るほどに、空の色がわからなくなるのだ。
声は出せない、先程こってり絞られたから。代わりに深く頷いて見せる。はっきりと示された首肯にクレイルが微かに目尻を下げた。額を彩る紅色の紋章が、垂れた眉に引っ張られて小さく歪んだ。
閉ざされたドール達の楽園の中を風が柔らかく撫でて過ぎていく感覚が、どうにもむず痒く感じるほどに穏やかな空気感。到底、滅びに向かって羽ばたいている世界の光景とは思えなかった。
「Je suis heureux de vous rencontrer. Je le pense vraiment. Avec toi, même en enfer, je me sentirais tout comme au paradis…………pardon.Je vais certainement t'emmener」
ぼんやりとボトルの水を飲んでいて、ボトルの中身が軽くなった頃にクレイルが立ち上がった。鳥籠の中では聞きなれない音を薄い唇から紡いで、おもむろにグローブのはめられた手を差し伸べる。
「帰ろーぜ。今日からお前の帰る家になるとこに。なんでも好きな飯作ってやるよ」
今日だけな、と快活に笑ったクレイルの手のひら。開かれた鳥籠が自ら閉まることはない。始まる滑稽な脱走劇を、世界一の悲喜劇にしてみせるその身体。
たったひとつのドールに預けて、幾多のドールの行く末を共に背負って、翼を広げるその作り物の声を__________……
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