Parasite Of Paradise

やすだまる

拝啓▶愛に死ぬということ






白い光が窓枠の向こうから降り注ぐ。

長いこと開きっぱなしなせいで錆び付いた蝶番が鈍く光を返し、一体のドールの視界を焼いた。

柔らかな風の正体は、遥か遠くから届けられた東風。愛しい愛しいあのドール達もこの風を受けているのだろうか。願わくばこの春の香りで、自分のことを思い出してくれ。


「…………ゆめ……」


すっかり目が覚めてしまった。もう一度眠って夢の続きをなぞろうと試みるも、軋む身体がそれを許さない。みたい、あの夢がみたい。あの頃の夢。欲しい欲しいとやかましい、駄々を捏ねる子供のような心の奥底を、大人になった理性的な部分がなだめすかしていく。

机に伏せたまま長らく寝ていたせいか背中の辺りが硬質化しているようで、背を起こすとパキパキと、軽やかな音が広くはない部屋に響いた。翼を広げる。右。左。同時に伸ばして。


バキン。


肩の辺りに大きく亀裂が入ったのか、鈍い痛みと共に、着ていたシャツへ金色が染み出す。もうすっかりガタが来ていた。ここまでくると動くのも億劫で、自力では直せない。そも、自分で直せはしないのだ。決めたから。夢を叶えたから。

ただ、ただこの、今際の際をゆくには余りにも思い出の染み付きすぎた部屋の中、夢の軌跡をなぞって、愛しいあのドール達を思い起こして、名前を紡いで、部屋中に散らばった写真の縁を指の腹で擦る。


しあわせだった。


もう椅子から腰をあげることも出来ないほどにガタガタの身体は、呼吸するだけで緩やかな痛みを訴える。それでも、このドールはゆるく微笑んだまま、緩慢な所作でまた上体を机に伏せた。古臭いインクで紡がれる金釘流の文字が、ほんの僅かに綴られたノートの上には写真が何枚も散らばっている。ドールの指先が愛おしげに撫でた、綺麗に撮られた一枚のそれ。多少の差はあれど、写る顔の全てが笑顔であった。

誰が見ても幸せそうには見えないボロボロのボディ。されどヒビの走ったその顔は多幸感で満ち満ちた、幸せそうな顔。

瞬きの度、微かに擦れる音をたてて、長い睫毛がノートの白い部分を撫でる。

眠気はまだ来ない。早く来てくれと思わないわけでもないが、きっと、いや、ほぼ確実に、次に眠ってしまえば自分は二度と自力で起きることはできないだろうと内心ぼやく。


ドールのスリープモードは、機能停止とは訳が違うのだ。


一時的に自己修復に専念すべく、修復以外の全ての機能を停止させるのが機能停止。

スリープモードは、そのドールの目覚めを願う誰かが、そのドールの名を呼ばなければ再起動することができない。



「ごねん、もたなかった、なぁ……」



まだ1年と10ヶ月だ。まさかここまで進行が早いとは夢にも思わなかったのだ。あと3年以上も待てるだろうか、愛するドール達の帰りまで、自分のボディは、コアを保持していられるだろうか。

仮にボディが限界を迎えて、孵って、コアがボディから抜け落ちてしまったとして、丸裸のままのコアはどれだけ機能を保っていられるのだろうか。もう夢をふたつも叶えてしまったから、そんなに持たないかもしれない。

巣から落ちた卵の行く末は、孵化することなくその生涯を終えるのみ。光を見ることすら叶わず消えるだけ。

自分はもう、まぶしい光を見たから、未練なんてあんまりないかもしれない。その光を文字通り、生涯かけて愛し抜くことができたから、もう。



「あいしてるよ」



また、写真を撫でる。静かな部屋の空気を震わせたドールの声は、どこまでも、どこまでも優しくて、それでいて幸せそうだった。眠たげな瞳の中に、ゾッとするほど奥がある。闇も無ければ裏もない、ただただ深くて、そう、筆舌に尽くし難いけれども───奥があると言うしかないような深みがあった。



「あいしてる」



優しげに、されど泣きそうな声をしているくせに、その目元に潤みはひとつも伺えない。ただ真っ直ぐ、草臥れて薄汚れた写真が何枚も散らばった机の上、すり、すりと、恋人の頬を撫でるような甘ったるさでドールの指先が写真を撫でるだけ。ゆっくり、ゆっくり、呼吸のリズムが落ちていく。鳥が射られて、穴があいた翼のまま巣へ帰らんとするように、確かに動作は続いているのに、もうそこに感覚も勢いも、何一つ残ってやしなかった。ドールの優しい声が部屋に溶ける。



「あいしてるよ……おれの……」







写真はほとんど真っ白で、誰も写ってなんていなかった。

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