奔向未來日子

13-1

 九龍はすっかり夜になっていた。繁華街がまばゆい限りのネオンをまき散らし、港の船舶が波の音を増幅する。向かいの香港島は、さらに光り輝いていた。

 プロムナードへ向かう途中、僕のケータイに着信があった。見知らぬ相手からのメッセージ。ただ、それが誰かはすぐにわかった。

鳐鱼スティングレイは、プロムナード近くの教会に入った〉

 スティングレイは、御堂の弊社時代のコールサインだ。それを知っているのは、僕か、御堂か、レンゲだけだ。きっとレンゲが御堂の位置を突き止めたのだろう。

「あの、プロムナードのすぐ近くに教会はありますか?」

 運転席に身を乗り出し、僕はドライバーに問うた。

「教会? ああ、英国植民地時代の名残がありますね」

 ――それだ。間違いない。

「そこへ行ってください。そして、その手前で降ろしてください。降ろしたら、あなたはすぐにそこから離れてください。お金は先に置いておきます」

 上着のポケットにねじ込んだ香港ドル札を適当に取り出すと、座席のポケットにねじ込んだ。

「そんな。お釣りを用意しますよ」

「お釣りいいです。いいから、逃げてください。決してさっきみたいに戻ってきて来ないでください。いいですか?」

 念を押すように言うと、さすがに彼も理解したのだろう。それ以降は黙って、代わりにラジオの電源を入れた。こんな時間だからか、FMではずいぶんと古い歌謡曲が流れていた。張國榮レスリー・チャンの『奔向未来日子』だった。


 結局、レスリー・チャンが歌い終わるより、僕がタクシーを降りるほうが早かった。運転手は言いつけどおり手前でクルマを止めると、そのあとすぐにUターンで引き返していった。

 ――そうだ、これでいいのだ。

 これから先は僕の……僕とリンの戦いだ。どんなお節介も必要ない。そんなもの、僕には与る価値もないのだから……。

 裏通りで降りると、僕はレンゲの指示した地点まで徒歩で向かった。ネオンサインの群を抜けて、住宅街に続くうらぶれた通りへ入る。香港島の光が届かぬ路地裏の闇。その暗がりにぽつんねんと立ちすくむ異国風の建造物。それが目的地だった。

 英国式の教会が、そこにはあった。。カトリック様式とも違う、かといってという別段質素すぎるというわけでもなく。主張なさげな尖塔が一つだけある小さな教会だった。

 鉄格子のような門を開くと、まず目に飛び込んできたのは重たげな玄関扉。そして奥のイングリッシュ・ガーデンへと続く遊歩道だった。でも、こんな夜更けに教会に来る者などいるはずがない。いたとしたら、それは熱心な信者か、牧師か、あるいは良からぬ企みをしている殺し屋か。そのどれかだろう。

 僕は左側のホルスター――それは、リンの銃が収められている――から銃を抜き、左手で玄関を押し開けた。警戒はしていたが、しかしそれ以上のことは考えていなかった。もっとも、御堂が一人きりで待ちかまえているとは、僕も思っていなかったけど。


 扉を開ける。

 刹那、教会の内に入ってきていた無数の鳩たちが、音を立てて飛び上がる。彼らは天窓へと飛びすさび、サッシに腰を落ち着けた。

 そうして抜け落ちた翼が飛散していく、その向こう側。祭壇の上に一人の男と少女が立っていた。御堂アキラと、そして白晶菊だった。

「やっぱりだ。俺の予想は正しかった。だろう?」

 御堂は祭壇の上に立ち、少女の眉間に銃口を突きつけていた。グロック17の凶悪な大口を、少女の黒髪で埋めるように。

 押し当てられた銃口に、少女は抵抗の余地もなかった。ただ患者衣のような布切れ一枚を身にまとって、恐怖に震えていた。少女の唇は小刻みに震動し、目は素早く動き回っていた。

「御堂。その子から銃をどけろ」

「どの口が言ってるんだ、守田。おまえは罠とわかっていて、エサを食いに来たマヌケだ」

 刹那、鳩が飛び立つ音と、地面をえぐる音とがほぼ同時に耳に入ってきた。一つは天窓から鳩の群が消えた音で、もう一つは、一発の銃弾が窓越しに僕の足下を貫いた音だった。

「……スナイパーか」

「ああ。まさか俺一人で待ちかまえているだなんて、そんなふうには思っていなかっただろ?」

「もちろん。でも、ここまで僕を殺すのに必死だとは思わなかった」

「必要経費さ」

 もう一発。

 今度は別の窓をぶち破って、銃弾が飛び込んできた。弾丸は僕の耳元を通り過ぎていく。玄関に着弾すると、木片があたりに飛び散った。

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