11-4

 彼はそう言って、下品な笑みを浮かべた。舌なめずり。そして少女に頬ずりまでした。

「お前は失踪したはずだ」

「たしかに。あのあと俺は弊社を抜けて、自由気ままに暮らすつもりだった。でも、パルドスムはハナから俺を消すつもりてきやがったし、まさか弊社までぶっ潰れるとは思ってなかった。結局行き場を失った俺は、パルドスムの連中に頭下げて、なんとか雇い入れてもらうことになった。連中は、はじめは殺すつもりだったらしいが、被検体サンプルになると言ったら、喜んで迎え入れてくれたよ。そういうわけで、俺も肉体を消された、ミスタ・ノーバディの仲間入りをしたってことだ」

 高く整った鼻筋を叩きながら、彼は再び下衆な笑みを浮かべる。

「いい顔だろ? ハリウッドスターも顔負けだ。プロムナードに俺の像が立ってもいいと思わないか」

「そうだな。ご希望なら立ててあげるよ。銅像じゃなくて、肉塊になるけど」

「怒るなよ。俺がリンを殺したこと、まだ怒ってるのか?」

「いいや。これは復讐じゃない。リンとそう約束した」

「じゃあ、その目をやめろ。俺だって、おまえを殺したいわけじゃないんだ」

「殺したいんじゃないなら、どうしたいんだ?」

「黙らせたいのさ。そのために、餌を仕掛けた」

「餌だって?」

「そうさ。楪と烏瓜を殺したあと、おまえが逃げたことは俺の耳にも伝わった。パルドスムにはこっぴどく叱られたよ。それじゃ契約履行とはならないとな。だから俺は、おまえを消すための作戦を進言した。

 はっきり言って、楪に育てられたおまえは脅威だった。弊社で一番厄介だったのが、腕が立つ上にまったく素性の知れない楪。そして次に厄介だったのは、その弟子で、パルドスムから流出した技術を応用して作られたおまえだった。だから俺が――かつて弊社にいて、おまえのことを多少なりとも知っている俺が、おまえを消すことを提案したわけだ。パルドスムは了承したよ。多少なりとも情報を持っている人間のほうが、暗殺においては有利に働くからな。

 それで、だ。俺のやるべきことは一つだった。つまりカンタンな話しだ。守田、おまえの目的はパルドスムを陥れることではなく、楪へのセンチメンタリズムだ。おまえは白晶菊を追うことで、楪を亡くしてなお、アイツとの繋がりを得ていた……そうだろ? だからお前は、ある意味で無害なのさ。お前の眼中にあるのはパルドスムという組織ではなく、楪という女に過ぎないんだから。

 だから、俺はおまえを無力化ノーマライズために、敢えてパルドスムと白晶菊の情報を小出しにしていたんだ。香港に本拠地があることや、ノースポールと記述された論文もそうさ。そして、まんまとおまえは引っかかって、ここへやってきた」

「……すべて罠だったのか」

「ああ。そうだ。まあでも、おかげでおまえは一つの正解にたどり着いた。こいつが正真正銘の白晶菊バイヂンジウだよ。このガキがな。俺も、半年前にやっと教えてもらった」

 御堂が少女を抱き寄せ、その小さなカラダを腰元に押しつけた。あからさまにイヤそうな表情を浮かべる彼女だが、それでも拒絶する様子はなかった。きっと彼女には、拒絶は許されないことなのだ。

「決断しろ、守田。おまえがもう白晶菊も、パルドスムも追わないと約束し、裏社会に消えるなら、俺はおまえを殺さない。だが、おまえがまだ楪との約束にセンチメンタリズムを覚えて、それを続けるって言うなら……」

 グロックにかけられた彼の指が、トリガーセイフティを解除する。あと少しでも引けば、トリガーからハンマーに作用し、撃鉄は9ミリ弾の雷管を叩いて、炸裂。弾丸を発射する。その先に待つのは、僕の脳天だった。

「僕を殺しますか」

「ああ、殺すよ。楪を殺ったときと同じように。うれしいだろ? 愛しい楪リンと同じ地獄にいけるんだから」

「……いや、それはないです」

「ほお。ヤツは天国へ行ったとでも? バカを言うな。俺たち殺し屋ウェットワーカーは、皆すべからく地獄行きだ」

「そうじゃないです。僕が言いたいのは、つまりリンはまだ生きているということです」

「はぁ? あいつは俺が殺した。この手で、たしかにな!」

「そうかもしれない。でも、リンは生きてますよ」

「キチガイが。まだ幻想と感傷に浸ってるのか、おまえは!」

「いいえ、ちがいます」

 ふと、僕は左手を見た。高くあげられた腕の、手首。着けられた腕時計は、まもなく六時一三分を指そうとしていた。

 EMPが切れる。もうすぐこの施設の電力も復旧するだろう。非常電源から正規電源に切り替わる。それにもタイムラグがある。

「……なんだ、その笑みは?」

 僕の顔を見て、御堂は不審に思ったのだろう。御堂は、とたんに少女から顔を離した。だけど、そのときにはもう遅かった。


 明かりが消える。

 この部屋は、陰も何もない真っ白い空間だ。ただでさえ目眩がしそうな場所で、光が消えれば何が起きるから明白だった。すべてが闇に支配されたのだ。

 御堂が虚を突かれた一瞬の隙をついて、僕は床へと飛び込んだ。地に落ちた二丁の拳銃を拾い上げる。リンのぶんと、僕のぶんを。

 だが、御堂もプロだ。僕が何をするか、即座に理解したのだろう。彼はすぐさまグロックの引鉄を引き、その銃口で僕を追った。幸いにも銃弾は肩を貫いたものの、急所に当たることはなかった。

 やがて電力が完全に復旧したとき、僕はC36室のドアの陰に隠れていた。アドレナリン全開で感覚の麻痺した僕には、もはや弾丸が貫通した痛みなど忘れていた。

「さすがだよ、守田! さすがは楪の唯一の弟子だ」

 興奮と痛みとで聴覚が歪む。御堂の声がいつになく大きく聞こえた。

「このまま逃げてもいいぞ。命が惜しくば、ここを離れ、口をつぐんで静かに暮らすといい。でも、おまえはどのみちこの少女を追って俺のもとに戻ってくる。また殺されるために。……そうだろ、守田ァ!」

「だとしたら、どうする?」

「人質の味を確かめながら待ってるさ。せいぜい楪の遺した妙な遺言を信じていろ。未来人だとか、生まれかわりだとか、クソみたいな話をな!」

「生まれ変わりなんて信じない。僕は彼女のためにおまえを殺す。それだけだ」

「ああ、そうかい。せいぜい頑張りな、ミスタ・九〇」

 彼がそう言った直後、僕は肩を押さえて止血しながらその場をあとにした。後方からは御堂の高笑いと、傭兵たちの足音とが聞こえていた。

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