11-3

 世界が破裂したみたいだった。風船の内側にあった世界が、一本の爪楊枝によって破かれ、どこまでも遠くはじけてしまったよう。鼓膜は破裂音に引き裂かれて何も聞こえず、無と未知とが襲いかかるようだった。

 扉を開いた先にあったのは、真っ白い空間だった。床に壁、天井まで。あらゆるものが均整の取れた白に埋め尽くされた空間。陰も見あたらず、どこまでが部屋かもわからない。どこに床があって、どれほどの深さがあるかさえも。

「ここが……」

 ――”ここ”が僕らが追い求めた場所なのか……。

 思わず口にすると、まもなくその言葉は空間に呑まれていった。響くこともなく、僕の口元だけで音は消えてしまう。どこにも伝わらないように。

 僕は意を決してその空間の中に足を踏み入れた。床は思ったより深くなかった。通路と地続きになっているらしい。

「誰かいるのか? いるなら手を上げて出てこい」

 警戒を続けたまま、僕は問いかけた。

 だが、返事はない。言葉は相変わらず空間に呑まれたままだ。

 しばらく進むと、足先に何かがぶつかった。見れば、真っ白い椅子が転がっていた。真四角のスツールがグラグラと揺れている。そのときようやく僕は影を見ることができた。

 ガタッ、と椅子が音を立てて傾く。すると、その向こうにいたものが姿を現した。白の陰に隠れていた、が。

「キミは……」

 そこにいたのは、一人の少女だった。

 見かけ小学生ぐらいだろうか。肩ほどまで伸びた黒髪と、アジア人離れした白い肌、長く黒いまつげ。青白く血管の浮き出た頬は、彼女の表情に薄暗い印象イメジを与えていた。

「……おじさん、誰?」

 少女は震える声だ問うた。広東語でも英語でもなく、日本語だった。

「お、おじさん……?」

「おじさん……ここの人じゃない、よね?」

 ――ここの人。

 それが指し示すことの意味が僕にはよくわかった。少女におじさんと呼ばれたショックもあったけれど。しかしそれ以上に僕の頭のなかでは、これまで散り散りになっていたパズルのピースが音を立ててハマっていくのが感じられた。

 ――この少女こそが白晶菊であるとしたら。

 ――であれば、楪リンとは、きっとこの少女の未来の姿で。

 ――だとしたら、リンは自分自身を救うために僕に使命を遺したわけで。

 ――そうなれば、彼女の言っていた『愛しの人』というのは……。


 すべてのピースがハマりかけた、その瞬間だった。首筋に冷たいものを感じた。それも、金属らしい冷たさだった。

「そこまでだ、守田セイギ。いや、いまはミスタ・九〇ガウアと呼ぶべきかな」

 後ろから声。銃を突きつけられている。僕としたことが、近づかれていることに気づかなかった。きっとこの部屋の特殊な防音設備のせいだろう。

 両手を大きく上にあげ、振り向いた先には、一人の男の姿があった。ダークスーツに身を包んだ、こざっぱりとしたサラリーマン風の男だ。鼻筋が高く西欧人の血筋のようで、焦茶色の瞳は、僕の顔を見つめていた。

「ひどい姿だな。一年前まではどっからどう見ても大学生のようだったのに。いまではまるで浮浪者だ。その髪といい、ヒゲといい……。いい美容室でも紹介してやろうか?」

「……なぜ僕のことを知っている?」

「答えてもいいが、まずはその銃を降ろして、こっちへ蹴り飛ばせ。いいな?」

 従うしかなかった。

 両手に構えていたHK45CTを地面に置き、男のほうへ蹴る。彼はとたんに満足げな表情をした。

「それでいい。……さて。なぜ俺がおまえの名前を知っているのか。それが知りたいんだろう? でもな守田、初対面でも相手の情報を調べ上げることぐらい、この業界じゃいくらでもできるだろ?」

 僕の蹴った拳銃を、彼はさらに遠くへと蹴飛ばす。そして彼は、右手に構えたグロック17を僕に向けたまま、弧を描くようにして僕の後ろに回った。正確には、あの少女のいる場所まで。

 男は少女のもとまで回り込むと、乱暴な手付きで肩に触れた。

「思えないよな。こんな幼い子供が、おまえのような死体を生き返らせるの技術の被検体サンプルだなんて。とてもじゃないが信じられない……。かわいそうだよな?」

 男は少女の肩をとり、そのカラダを強引に抱き寄せた。少女の額にシワが寄ったけれど、しかし彼は関係ないという顔をしていた。

「おまえは誰だ」

「そう焦るなよ、新人ルーキー。しかし、見てくれは別として、いい顔になった。一年前とは大違いだ」

「……まさか、おまえは……」

「御堂アキラ。そう呼ばれていたこともある」

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