9-2

「やつらの本部があるのは、東京都奥多摩。都心からはずいぶん離れている。本部というのは名ばかりで、実際に研究期間としての機能は、香港に存在する。日本に本部が存在するのは、あくまでもやつらが持つを密輸するのに便利だからという話だ」

「その技術、というのは?」

 僕は御堂アキラに尋ねた。

 そう。そこが一番の問題だ。ハン・イーミンは、薬物中毒の『失踪しても何の問題にもならない人間のリスト』をケン・ウォン教授をはじめとするノースポール――いや、そのパルドスム財団に渡そうとしていた。そして財団は、そのリストをもとに超法規的な科学技術を密輸するつもりだったとしたら……。彼らは、いったいなにをこの国に持ち込むつもりだったというのか。

「それは不明だ」と、御堂アキラはあっさりと答えた。「それについては、詳しくは俺と楪とでこれから調査する」

「え?」

「偵察任務だ。弊社には珍しく共同戦線となる。新人の君は、烏瓜と一緒にバックアップに回ってもらう。実際に潜入、情報収集には俺と楪で行く」

「レンゲと後方支援、ですか……?」

 僕はたどたどしい口調で言葉を漏らし、それからリンとレンゲの間で揺れ動いた。視線を右へ左へ。リンは相変わらずの無表情で、レンゲはちょっといじらしい笑みを浮かべていた。

「そういうことだ。作戦決行は明日の夜、二三三〇時より。詳細は追って伝える」


     *


 それから簡易的な作戦会議が終わると、御堂アキラは電算室を出て行った。残されたのは、僕とリン、そしてレンゲの三人。

「ブランチにでもするかい?」

 と、レンゲはティーポットとお茶菓子を出しながら言った。

 だけど、それに対してリンは首を横に振って見せた。

「ごめん、レンゲ。このあと少し用事があるの。それが終わってからでいい?」

「いいけど。用事ってなによ、一服?」

「それもあるけど」

 言って、リンは僕のほうに目配せした。

「最終試験について、ちょっとね」


 最終試験について。

 そう言った彼女は、僕を引き連れて電算室をでると、さらに地下へと向かいだした。

 ――最終試験。

 それは試用期間の終了を規定する、弊社エージェントの登竜門……と、以前誰かが言っていた。その試験を経て、ようやく僕のOJT訓練は終了。本配属となる。

 そしてその試験責任者こそ、僕の教育担当でもある楪リンだった。

 しばらく通路を歩いていると、いつものように地下鉄の音がした。ゴウン、ゴウンと地鳴りのような音を立て、壁を揺らしていく。その騒がしさは、地下へ行けば行くほどうるさくなっていった。

 そうしてしばらく歩いてから、リンはある一室の前で足を止めた。そこには倉庫とだけ記されていた。

「いちおう紹介しておくわ。きっとキミには必要になると思うから」

「なにがです?」

「ここが、よ」

 扉を開く。鉄製の重たい扉。引きずるような音を立てて。

 室内に一歩踏み入れると、センサーが自動で証明のスイッチを入れた。天井からつるされたLEDライトが起動し、倉庫の全貌を照らし出す。

「ここは……」

 僕は思わず言葉を漏らした。

 そこには銃火器と、そして無数の衣服と、書物とがあった。その他雑多なものも転がっている。美しく整頓されたクローゼットというよりは、乱雑な倉庫と言ったほうが似合う。そんな雰囲気だ。

「ここはわたしのロッカーなの。わたしの愛銃や、好きな装備は、すべてここに揃ってる」

 そう言うと、リンは壁に掛けられた拳銃のうち一つを手に取った。ヘッケラー・ウント・コッホのHK45CT。サプレッサーの装着されたそれは、まごうことなき彼女の愛銃だった。丁寧に削られたグリップは、彼女の手に馴染むよう改造されたものだ。これ以外に存在しない、リン専用のものだった。

「どうして僕にこの場所のことを?」

「いずれ必要になるからよ」

 HK45をもとの位置へ。

 それから彼女は、上着のポケットからタバコを取り出した。ハイライト・メンソール。ソフトパッケージの底を指で叩いて、一本取り出す。そしていつものようにマッチで火をつけると、彼女はゆったりと紫煙を吐き出した。

「キミの最終試験のことだけど。それは、この白晶菊の一件にケリをつけること……。そう決まったわ。明日、わたしと御堂くんとでパルドスム財団に潜入。情報を奪取したのち、あとのことはわたしとキミが引き継ぐことになる。それですべてを片づけたら、キミは晴れて弊社の社員になる……わかったかしら?」

「わかりました。でも、それとこの場所がいったい何の関係があるんです? それに、どうして次の任務に僕は出してもらえないんです?」

「わたしがそう嘆願したからよ。次の任務には、何があっても前線にキミを出さないようにって」

「どうしてです?」

 僕はそう問うたが、リンは何も答えなかった。ただ彼女は沈黙を埋めるようにタバコを吸った。

 罰の悪さを覚えて、僕はリンから目をそらした。そして、この倉庫を見廻した。ウォークインクローゼットといったような広さの部屋だが、その内情は武器庫といったほうがふさわしいだろう。いちおう冬物のコートだとか、レザージャケットだとか、ワイシャツにジャケットだとかもあったけれど。ほかはすべて銃火器だ。手近な抽斗ひきだしを開けて見ても、中にあったのは拳銃だった。

「……危険だから、ですか?」

 と、僕は銃に目を落としながら言った。

「……そうね。そのとおり」とリンは思い出したみたいに。「わたしたちは、まだそのパルドスム財団について何も知り得ていない。レンゲがいま必死に調べてるけど、それでも謎に包まれているらしいの。そんな状況で、キミを突っ込ませるわけにはいかない。無茶な新規開拓なんて、するもんじゃないから」

 紫煙を吐く。その一挙手一投足。なぜか僕には、彼女の手が摘んでいるそれが、タバコではなく線香のようにさえ見えていた。

「だから、わたしと御堂くんで行くわ。キミはただその様子を見ているだけでいい。サポートなんて、考えなくていいから。……キミに必要なのは、むしろなの」

「そのあと?」

「そう。言ったでしょ? いずれキミには。……ねえ、なんとなく分かってきてるんでしょ? わたしの言ってること。わたしの言いたいこと。キミに伝えたいこと」

「リンが未来人で、僕がこれからすることがお見通しとか、そういう話ですか?」

 そう言うと、リンはあの笑みを浮かべた。いつものような、僕のことを見透かしたみたいな微笑だ。

「……あの、一つ聞いてもいいですか」

 僕は意を決して、言葉を紡いだ。

 その姿をリンは、あの微笑とともに見ている。まるで僕がこれから発する言葉も、何もかも、すべてお見通しだと言わんばかりに。

「雪乃下シノって、いったい誰なんですか」

「誰だと思う?」

「え?」

「キミは、誰だと思う?」

「僕は……」

 僕は言葉に詰まった。

 それは、返答すべき言葉が見つからないから。

 いや、それだけじゃない。リンの反応があまりに素っ気なかったからだ。驚くようすも何もなく、彼女はただ聞き返した。「キミは、誰だと思う?」と。

 本当なら、もっと驚くものだと思った。「その名前をどこで知ったの?」とか「それを聞いてどうするつもり?」とか。もっと言えば「それを知ったからには死んでもらう」とか。だけど彼女はそっけなくて、いつもどおりの微笑を浮かべるだけだったのだ。僕がこうして問うことすらもすべてお見通しだと、そう言わんばかりに。

 だから僕は、こう返したのだ。

「……僕は、僕だと。そう思います」

「そう。じゃあ、それが正解なんじゃないかな。……ねえ、あとはキミが考えることなのよ。わたしはもう、口出しできないの。悲しいけどね」

 タバコの火が消える。フィルターまで残り一センチを切ったそれは、携帯灰皿の中に封じ込まれた。

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