いずれ来る日

9-1

 翌日。

 僕とリンは、弊社社屋、その地下にある電算室にいた。エアコンとサーキュレーター、それからコンピュータの内蔵ファンの作動音で満ちた部屋だ。しかしそこには、相変わらず光だけは満ちていなかった。明かりといえば、間接照明のように点在するディスプレイと、インジケータ・ランプだけだ。

 そんな薄暗い空間に、白衣姿の烏瓜レンゲはいた。人間工学に基づいているとかいうデスクチェアに座り、首からは名刺とセキュリティカードをさげていた。

「で、アンタたちが見つけてきたノースポール……もとい、カンシロギク。あるいは白晶菊だけどさ……」

 レンゲは床を蹴ってイスをクルクル回しながら、片手でコーヒーの入ったマグをつかんだ。回転がゆるくなったところで一口、コーヒーを含む。イスが止まると、彼女の前にはちょうど僕ら――リンと僕とが対するようになった。

「カンシロギク。またはノースポール。キク科フランスギク属の半耐寒性多年草。原産地はアフリカのアルジェリア周辺ないしはヨーロッパ、地中海沿岸。日本に入ってきたのは六十年台に入ってから……」

「ウィキペディアの内容を聞きに来たんじゃないわよ、レンゲ。」

 リンはそう言って、口寂しそうにコーヒーを飲んだ。

 レンゲの淹れたハンドドリップだ。キリマンジャロで、今朝挽きたてだという。たしかに豆の香りの立ちかたが、インスタントのそれとは明らかに違っていた。

「まあそう焦んないで。まずは整理しようよ。

 ……さて。はじめにあんたたちが追っていたハン・イーミンだけど。ヤツはヤク中のリストをケン・ウォンを始めとするに売ろうとしていた。偶然リストに代議士の息子が入っていたから、弊社が介入したわけだけど。本来なら、ハンは『どうなってもいいクズどものリスト』を生体工学の研究者どもに売りさばこうとしたわけだ。

 で、そのケン・ウォン教授。彼はすでに大学を離れ、とある組織に拉致、監禁。研究を強要されていたことが本人の口から明らかになった。そんな人間がまともな実験をしているはずがない……。

 そして問題のケン・ウォンが死ぬ間際に残した謎の言葉『ノースポール』。ノースポールという俗称を持つ花、カンシロギク。……このカンシロギクという花だけれど、それをロゴにしている組織があったわけ。それが、ここ」

 カタン、がエンターキーを叩く。

 そこには白い花弁を象ったロゴマークと、三つの漢字が並んでいた。『白晶菊』と、カンシロギクを表す中国語表記。その上で抽象化された花が舞っている。

「バイジンヂウ。中国語ではそう言うらしい。まあ、あたしはチャイ語はさっぱりなんだけど。で、実はこの組織、別件で弊社が追ってたとこなのよ」

「別件について詳しく」

 リンがコーヒーを飲み干してから言うと、すぐにそれに対する返答があった。だけど、その返事の主はレンゲではなかった。

「バイジンヂウ……俺がその組織にぶち当たったのは、ヤクザからの不正な金の流れを追っていたときだ」

 低くくぐもった男の声。

 それから、コンピュータの並ぶラックの向こうより、一人の男性が顔を覗かせた。僕らはその瞬間まで、彼がここにいたことをしならなかった。

 ワイシャツにノーネクタイ、ノータックのスラックス。そしてスキンヘッドの男。御堂アキラ――僕らと同じ営業部の社員エージェントだった。


「久しぶりね、御堂君」

 彼の姿を見るなり、真っ先に言葉を発したのはリンだった。

「こうして面と向かってちゃんと会うのは、三年前の合同作戦以来かしら」

「いや、二年前に一度サポートに回っている。敷島議員暗殺未遂事件のときに。まあ、俺の役目は裏工作だたから、表には出なかったが……。それより説明をはじめても?」

 御堂が小首を傾げて、許可を求めるような顔をした。

「どうぞ」

「失礼。それじゃあ烏瓜、例の資料を」

「あいよ」

 と、レンゲがマウスを手に取り、デスクトップからファイルを探し始めた。

 そしてその間にも、御堂アキラからの報告は開始された。

「別件で俺が当たっていたのは、洗浄屋マネー・ロンダラーだ。谷口組系の指定暴力団、並びにその傘下に属する半グレ集団。あるいは、その半グレ集団を牛耳ってる香港の犯罪組織に、大陸系の反社会組織……それらを一手に請け負う洗浄屋ロンダラーがいるという話だった。

 俺の仕事は、そいつのことを調べ上げ、脅迫、洗脳し、情報と中間マージンをいただくことだ。は警察組織ではない。あくまでも暗殺と諜報を請け負う第三セクターだ。政府クライアントが必要としているのは情報と謀殺で、弊社ウチが必要としているのは活動資金だ。まちがっても正義の鉄槌などではない。

 俺は谷口組系の暴力団組織に長期に渡って潜入している。今もそうだ。弊社に入っている暴力団系の情報は、ほとんど俺が持ってきてやってると言ってもいい。……まあ、そんなことは新人君以外はわかっているとしてだ。

 俺はとにかくその洗浄屋の線を追っていた。で、先日ようやく見つけたんだ。それが、こいつだ」

 レンゲがようやく見つけたファイルを開く。御堂フォルダの一番下、関連資料と題されたフォルダに一枚の写真が収納されていた。

 写真に写っていたのは、男の姿だ。ポールスミスの小綺麗なダークスーツに、赤いペイズリー柄のネクタイ。オールバックにした黒髪と、ハーフフレームのメガネは、その男にエリートビジネスマンという風格を与えていた。

「男の名前は坂田フェリックス。日本人とドイツ人のハーフで、普段は信託銀行に勤めるファイナンシャルプランナーだ」

「でもウラの顔は、職権乱用の犯罪者……ってこと?」

 リンがそう問うと、御堂は首を縦に振った。

「そういうことだ。坂田の手口は周到で、捜すには時間が要ったが、吐かせるのは容易だった。頭脳労働者ホワイトカラーは、軍事労働者グリーンカラーと違ってタフじゃないからな。

 坂田の手口だが、犯罪組織のフロント企業を介し引き受けた金を、さらにペーパーカンパニーを経由し、仮想通過に変換したり、株式、外貨に替えて何重にもロンダリング。そのあいだにいくらかの収益まであげて、あとは仕事がてら顧客のカネとして管理していたらしい。で、本来信託銀行として必要な収益は彼がピンハネして、ロンダリングしたカネだけを顧客に渡していたという話だ。

 ただ……問題はそのロンダリングの際に経由されるペーパーカンパニーだ。その中にあったんだよ」

「ノースポールが?」とリン。

 御堂は、その問いかけに対し首を縦に振った。

「正確には、バイジンヂウと呼ばれていた。白い結晶の菊と書いて、白晶菊バイジンヂウ。そこは、表向きには財団保有の私設研究所とされている。だが……」

「だが?」

 とたん、御堂の口がふさがった。なにかをためらうように。唇を堅く閉ざし、彼は話すことを拒んだように見えた。

 やっと彼が口を開いたとき、リンはマグカップのコーヒーを飲み終えていた。

「その研究所は、ペーパーカンパニーではなく、実在する。それも生体工学バイオニクスの研究所として……。ケン・ウォンの研究分野が、まさしくそれだったらしいな」

「……じゃあ、ウォンはこの研究所に脅迫され、監禁されていた……?」

「あるいは、その上層団体に。それでその上層団体である財団なんだが……良いニュースと悪いニュースがあるんだが、時間がないので一気に言わせてもらう。

 財団の名は、パルドスム財団。そしてその本部所在地は、日本だ」

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