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[ON]
ラジオの前のみなさんこんにちは。『ジン・ヨハンのハッピー・マンデーズ』JOR全国二十局ネットでお送りしています。この時間は、わたくしジン・ヨハンにお付き合いください。
……さて、さっそくですけどお便り紹介。ええ? 早すぎる? いや、ぼくだって話題がないからってメール読んでるわけじゃないんですよ。できるだけ多く、みなさんのリクエストに応えたいってだけなんですからね、まったく……。
えーっと、それじゃあ一枚目。埼玉県のユウキ・カオルさんからいただきました。ありがとう。
ジンさんこんにちは。
――こんにちは。
えー、……私事ながら、姪っ子が中学に入学しました。先日のゴールデンウィークのときに約一年ぶりぐらいに会ったのですが、見違えるほど成長し、ちゃんとキレイな女の子になっておりました。いやぁ、子供の成長って早いですね。
――ほんとねぇ、これビックリしちゃう。ウチの甥っ子もそうだったよ。
……で、そんな姪っ子ですが、なんと中学に入ってから急にギターをやり始めたとか。そこでどこから聞きつけたのか、昔バンドマンだった私に「おじちゃん、お願いだからギターちょうだい!」とせがんできました。そんなこんなで、久しぶりにギターを引っ張りだすことに……。
――まあ、かわいい姪っ子の頼みなら断れませんな。
そうしておよそ八年ぶりに倉庫を開き、かつて使っていたアコースティック・ギターを発掘しました。マーティンのD-28。学生時代、バイトに明け暮れていた自分がなんとか稼いで買ったものでした。
そんなわけで、久々に弾いてみましたが。これが意外と覚えてるものですね。まっさきに指が動き出したのは、ビートルズのあの名曲でした。
――ということでユウキ・カオルさんからのリクエスト。The BeatlesでAnd I love Herです。どうぞ。
[OFF]
霞が関へ向かう道すがら、テスラ・モデルXの車内にはラジオが流れていた。ハイテクな電気自動車には似つかわしくない、ロートルな
〈……宮本さんありがとうございました。うーん、今日の東京都内はハッキリしない、ぐずついた天気みたいですねぇ。お出かけの際には折りたたみ傘を――〉
車内に響くのは、ラジオの音だけ。それ以外は静寂だ。僕とリンのあいだに、必要以上の雑談はなかった。
正直なところ、僕はまだ迷っていた。僕のリンに対する意識というか、価値尺度というか。つまり僕は彼女のことをどう思えばいいかということにまだ結論を出せずにいた。だから気軽な雑談というものにも、なかなか手が出せずにいた。
僕らはまだ手探りだったのだ。すくなくとも、僕にとっては。
言ってしまえば、僕らの関係というのは上司と部下。先輩と後輩だ。だけも、その関係きりで、それ以上でも以下でもないというと、僕はうなずくことはできない。リンはなぜか僕に構うときがある。それがどういう意図からなのか、僕にはわからないし、それを真正直に受け止めていいものか、まだ迷っている。
――リンは言った。かつて好きだったヒトに、僕が似ていると。
――でも、リンはそれが嘘だとも言った。
――あの夜のことは、本当に僕が夢に見ていただけだったのか?
――だとしたら、僕は心の奥底で彼女のことを……。
赤信号でクルマが停まった。リンは空いた手でタバコを取り出すと、いつものようにマッチで火を点けた。燃えさしは携帯灰皿へ。葉の燃える音が静寂に加わった。
しばらくのあいだは、パーソナリティは持ち前その話術で、僕らのあいだの空白を満たしてくれた。
だけど曲が流れ始めると、そうでもなくなった。特にスロウな曲が流れると、そうだった。
〈それではサギザキさんからのリクエスト、聴いていただきましょう。RadioheadでKarma Police〉
アコースティックギターのメロウなイントロに始まり、悲しげなピアノの旋律が重なっていく。やがてボーカルが悲痛な叫びのように詞を紡ぎ始めた。
「
突然、リンが吸いさしのタバコを口から離して、言った。ちょうどまた赤信号に捕まったところだった。
「さあ。僕は仏教徒じゃないので」
「そうね。この国の人間のほとんどは、そういう思想に無関心だもの。……まあでも、結局は潜在的に仏教徒になっていると思うけどね。亡くなったら、熱心な信者じゃなくても、ある宗派のお坊さんがやってくるもの」
まるでトゲがあるような口ぶり。
リンはタバコを携帯灰皿へ。代わりにボトルホルダーに置かれた缶コーヒーを手にとった。
「まるで仏教がキライとでも言わんばかりの口ぶりですね」
「いや、そこまでじゃないわよ。そういうわけじゃないの。ただ……ただ、そう。あるヒトがそうやって見送られるのを見てね、とても気持ち悪かったのよ。この人はそうやって記憶されるべきじゃないって、そう思ったのね」
「そのヒトって、リンが好きだったっていう?」
「そうよ。……見せかけの葬儀だったけどね。袈裟を着たお坊さんと、喪服姿の見知らぬヒトと、それから菊の花が並んでいてね。あんまり思い出したい光景じゃないな。……わたし、菊の花ってキライなのよ」
「どうしてです?」
「死を予感させるからよ。あのカタチとか、色とか、並びとか……。まあでも、菊の花言葉って美しいものばかりなんだけどね。『愛情』とか『高貴』とか、『清純』とかさ……。そうだ。そういえばキミ、ユズリハの花言葉ってなんだと思う?」
「ユズリハって、リンの苗字のですか?」
「そう。……あ、もしかしてキミってば、そもそもユズリハって花自体を知らないとか?」
僕は小さく首を縦に振った。
「そうね。まあ、花っていうより木みたいな感じなんだけどね。赤い小さな花がなるのよ。それでね、その花言葉っていうのが――」
ギターが悲しげに響く。ボーカルがコードバッキングに合わせて叫んだ。
「若返り、世代交代、そして新生。どうやら葉っぱが入れ替わる姿が、そういう意味をもたせたらしいわ」
「新生、ですか」
僕は言葉に詰まった。まるで自分のことを言われいるような気がしたからだ。
「そう。まるで宗教思想みたいでしょ。」
「じゃあ、リンはそういう意味を込めてユズリハって苗字にしたんですか?」
「まさか。意味なんてないわよ。そうね、でも……そうそう。楪って漢字はさ、チョウって字に似てるじゃない」
「チョウって、昆虫の蝶ですか?」
「そう。チョウチョの蝶。ほら、だってわたしは未来から来たから。わたしは
「本気で言ってるんですか、それ?」
「そうよ。わたしは愛するヒトを救うために、未来から来た。……そう言ったらキミ、どうする?」
「信じませんよ。このクルマはハイテクだけど、一・二一ジゴワットの電力は必要ない」
「そうね。現実はもっと省電力だったわ。……ねえ、でもノースポールだって案外そういう言葉遊びなのかもしれないわね」
リンがそういったところで、ラジオでは曲が終わった。CMに入り、ローカルな企業がアナウンスを始めた。
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