7-5
ライフルの後処理は、下請けの仕事だ。僕の仕事はトリガーを引き、その銃弾に対する責任を持つこと。それ以上でも、それ以下でもなかった。
ライフルを貯水槽に片付けると、トイレを出て、一気に南館を駆け下った。階段を一足飛びに下りて一階へ。むろん僕が行くべき場所とは、銃撃戦が起きている現場。一階の駐車場だ。
あの男のマイクロUZIと、その銃声とが
僕が一階までやってきたとき、すでにそこにはヒステリックな悲鳴が聞こえていた。
「リン、どうなってる?」
僕は駐車場を見まわしながら、リンに尋ねた。視界には、まだケン・ウォンも薬袋トモヒデもいない。
〈見えてないの? 負傷者は三名。ケン・ウォンと、殺し屋と思しきサングラスの男。それから薬袋と部下が一人、流れ弾を喰らってる。あいにくだけど、殺し屋の男は薬袋の部下に取り押さえられてる。近寄れないわ〉
「ウォンの身柄は?」
駐車場の中へ。僕は早歩きで入っていく。
そうして薄暗い影のなか、僕はようやくその惨状を目にした。コンクリート打ちっ放しの柱。タイヤ痕と血痕とがの残るアスファルト。そのうえに仙人のような男が倒れていた。男性の頭から血がこぼれ落ちている。あふれ出る血液は、いまにも駐車場の白線を消そうとしていた。
死にかけのケン・ウォンへ真っ先に駆け寄ったのは、薬袋トモヒデだった。彼の部下がサングラスの刺客を取り押さえる一方、薬袋は死にかけの友人に語りかけていた。
「おい。どういうことだ、ウォン! いったい君はなにと関わっている!」
叫びをあげる薬袋。その声は、骨伝導スピーカーを通じて聞こえてくる。まだリンが指向性マイクを向けているのだ。
「ボス、危険です。下がってください」
「おい、ウォン! 答えろ!」
ボディガードの制止をふりほどいて、薬袋はウォンの肩を大きく揺すった。
意識の落ち掛けたケン・ウォン。そのまぶたは今にもふさがってしまいそうで、唇は酸素を求めてだらんと垂れ下がっていた。しかし、その努力ももはや消え入りそうな状況だ。
そんな生と死の間際のなか、ケン・ウォンは最後につぶやいた。
「……ノース、ポール……だ」
「
もう一度、薬袋は肩を揺する。
だが、もう遅かった。ウォンのまぶたは固くなったまま、動くことはない。閉じることもなく、半端に口を開けて静止してしまった。もう彼は彼岸の向こうへ行ってしまったのだ。
その光景を見て、僕は呆然と立ち尽くしていた。だが、すぐに現実に引き戻された。リンが僕の肩を叩いたからだ。
「いくわよ。予定通り脱出する」
彼女の手にはスマホ型の集音マイク。すでに電源は落とされている。
気づけば、すでに遠くからサイレンの音が聞こえていた。もうこの場所は『殺人現場』として扱われることになる。もはや僕らに付け入れる余地はなかった。
*
予定通りの脱出地点には、逃走用のアシが用意されていた。テスラ・モデルX。濃紺をした電気自動車こそ、リンの愛車だった。
窓面積の広いドアを開け、車内へ。ブレーキを踏み着け、ギアをドライブに入れると、モーターは待機状態へ。そしてアクセルを踏みつけると、次の瞬間には急加速を始めた。
小鳥のさえずりのようなエキゾーストノートからの、猛禽がごとき強烈な加速。テスラは軽やかに、かつ猛獣のような勢いで駐車場を出ると、すぐに新宿の渋滞の列に割り込んだ。
新宿区。ここはヒトもクルマもごった返す街。人の波とクルマの波が押し合いへし合い、牛歩の列に流れていく。ひとたびその流れの中に入ってしまえば、すべては一様に白波の一つになってしまう。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえた。きっと新宿署が緊急出動したのだろう。道路をかき分ける白黒のセダンは、僕らとは真逆の方向へ向かっていった。
やがて信号が青に変わり、渋滞は徐々に進み始めた。そしてそのとき、リンは自動運転にハンドルを任せながら、シフトレバー上のタッチディスプレイに触れていた。
「とりあえずどうにか撒けたみたいね。でも、問題は――」
ディスプレイには、カーステレオのインターフェイスが表示されている。音源はBluetoothを介して、彼女の
『どういうことだ、ウォン! おまえはいったい何と関わっている?』
薬袋の声が聞こえた。それから、今にも事切れそうなケン・ウォンの吐息も。
『……ノース・ポール……』
ウォンが英語らしい発音でそう答えた。
音源はそこで停止。リンはABリピートをかけ、ひたすらにそこだけを流した。
「ノースポール……。なんのことだと思う?」
「北極、じゃないんですか?」
「薬袋もそう言ってたけど。でも、もちろんそんなはずないでしょうね。ケン・ウォンは北極に監禁されていた……なんて、わるい冗談よ」
「何かの暗号名ですかね?」
「それ以外考えられないわ」
リンはそういうと、おもむろに上着のポケットからタバコを取り出した。いつもの緑色のパッケージ。ステアリングから手を離し、マッチで火をつける。
それから彼女は、エアコンの電源を入れた。送風口に取り付けられた芳香剤があらゆる匂いをだまくらかしていった。血も、硝煙も、そして紫煙も。
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