密会

7-1

 翌日、午後五時すぎ。

 東京都新宿区。新宿プラザホテル。その本館前のロータリーで、僕らはタクシーから降りた。

 スーツを身にまとった僕の隣には、一人の女性がいた。リンだ。

 しかし彼女は、いつものパンツスーツやレザージャケットではなく、黒のイヴニングドレスという格好だった。胸元と肩が透けて見えるシースルーのシフォンベルベッドで装飾された、豪奢な雰囲気のドレス。首にはサファイアのネックレスがあしらわれ、耳には黄金色に輝くイヤリングまである。このときのリンは、あきらかにいつもと違う落ち着いた美しさがあった。

「行きましょうか」

 と、リンは僕の腕に手を絡め、エスコートを示唆する。僕は彼女の無言の命令に従い、ロビーへと向かった。


 新宿プラザホテル。その本館五階にあるボールルームが、僕らの目的であるパーティ会場だった。

 一階ロビーからエレベーターに乗って、僕らは五階へ。

 会場入口では、受付での招待状の確認と、手荷物の預かりとがあった。もっとも僕らに必要だったのは虚偽ウソの受付だったのだが。

 実際のところエスコートするのは、僕ではなくて、リンだった。彼女はハンドバッグから便箋を取り出すと、それを受付のボーイに差し出した。

「いいかしら?」

「はい。東雲シノノメ様ですね。お待ちしておりました」

 言って、深くお辞儀をするボーイ。それから彼はリンの持っていたハンドバッグを受け取り、代わりに番号札を渡した。交換手形だ。

 そうだ。このときの僕は守田セイギでも、秋桐ユキトでもなかった。そしてリンも楪リンではなく、東雲サツキだった。

 このときの僕の名前は、東雲ジン。つまり僕らは結婚した学者夫妻だった。リンがうら若き研究者で、僕はその後輩の婚約者。そういう設定だった。

 もっとも、本来パーティーに出席する予定だった夫妻は、齢四十を越えたごくふつうの夫婦だったという。それがの圧力で改変され、代わりに僕らが出席するという形になったというわけだ。

「どうぞ、ごゆっくり」

 姿勢のいいボーイの案内で、僕らは会場へ。


 すでに立食パーティーが始まっていた。壇上では主催者であり、そして僕らのターゲットでもある薬袋ミナイトモヒデが挨拶をしていた。貴重なお時間を割いていただきなんとか。どうぞごゆっくりお楽しみください云々。

「じゃあ、エスコートしてもらえる?」

 会場に入ると、リンはそう言ってあらためて手を差し出した。

 僕はその手を取り、絡ませあった。でも、本当のところエスコート役は僕ではなかった。

 僕の視界――それは黒縁のメガネ越しに見ている世界だ――には、文字列が浮かび上がっていた。

〈わたしが先導リードする。あなたはエスコートするフリをして〉

 その文章。送信者の名は、Reine Yuzuriha――すなわち、リンである。

 僕はメガネ越しにリンの姿を見た。珍しく女性らしいスタイルの彼女。ポケットにタバコも、マッチ箱もない楪リン。そんないつもと違う彼女には、奇妙な魅力がった。その瞳はいつもよりも大きく、吸い込まれそうだったのだ。

 もっとも、それにも理由がある。というのも、いまのリンはカラコンを装着しているのだ。それも小型のコンピュータとディスプレイとも兼ね備えたもの。僕のメガネと同じものだ。そして耳から下げたイヤリングからは透明な管が伸び、耳の根本に引っかかるようになっていた。無線通信で使用する骨伝導式イヤフォンだ。同じモノが僕のメガネのフレームにも搭載されている。

〈了解。任せた〉

 視線追従操作アイ・トラック・コントロールで入力。返事を終えると、手はずどおりに作戦が始まった。


 僕はリンを先導するようにして歩いたが、そのじつ彼女のエスコートに従うがままだった。

 挨拶をしあう人の波と、その波をかき分けて飲み物を運ぶウェイターたち。まるでサーファーのような彼らの後を追って、僕らもステージへと向かった。

 壇上では挨拶が終わり、続いて映像が流れていた。薄暗くなった壇上にプロジェクターで映されるのは、薬袋グループの系列企業の紹介と、その華々しい業績だ。ステージ前では、偉ぶったスリーピーススーツの老人たちが自慢の数字を肴にしてシャンパンを開けている。

 それからしばらくして、リンからメッセージがあった。

〈目標発見。映像、共有するわ〉

 緊張がはしった。からめ合った手から汗が噴き出る。

 まもなく僕の視界上――レンズ型ディスプレイの左側だけにリンの視界が共有された。僕は右目をつぶって、その映像を確認する。

 そこには今回の標的ターゲットの一人、薬袋トモヒデの姿があった。

 まもなく、リンのスマート・コンタクト・レンズは、薬袋の容姿をスキャン開始。薬袋の顔、背格好、骨格、歩様……とあらゆるデータがクラウド上で同期される。そうしてタグ付けがされると、僕の視界にも同じデータが表示された。

〈タグ付けは完了した。これで薬袋の位置情報が追跡できる〉とリン。〈あとは彼が動くのを待ちましょう。どう? せっかくだし、料理でも食べる?〉

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