5-2

     †


 幼いころ、わたしは独りだった。

 それは血縁者がいないという意味でも、また友人がいないという意味でも。あるいは、精神的な意味でも。とにかくわたしは独りだったわ。

 頼れる相手は誰もいなかった。

 言うなれば、幼いころのわたしっていうのは、空間に閉じこめられた路上生活者のようなものだったわけ。

 ……意味がわからない? そうね。じゃあ、両親に監禁されていたとでもしておいて。そのほうが理解できるでしょう? ああ、でも別に同情を求めているわけじゃないから、このへんは聞き流していいわ。ただ、わたしは孤独だったって。それだけ胸に留めておいて。


 ……あのね。当時のわたしにはね、って呼べる人がいたの。ただ、その“呼べる”というのは、わたしの意識がその人称を許諾したっていうことではなくてね。その人物が、“パパと呼んでもいい”というようにわたしに強いた、という意味での言葉よ。

 まあ、でも実際のところわたしは、あいつのことを“パパ”だなんて呼んでなかった。口にはしていたかもしれないけれど、心の内では汚い言葉で罵っていたと思うわ。

 そうね。わたしのことは、家庭内暴力ドメスティック・ヴァイオレンスの被害者だとでも思っておいて。とにかくわたしの家庭環境っていうのは、つまりそういうロクでもないものだったんだって。

 とにかく暴力と監禁と、精神的痛苦がつきまとう生活だった。でもね、当時のわたしはこれが当然だと思っていて。つらいと思っても、声をあげられなかった。だって、これは当然だって、ふつうだって。そう思っていたからね。……少なくとも、までは。


 そう、本題はここからなの。

 あるときね、わたしにも白馬の王子様が現れたのよ。それがレンゲの言ってた。わたしの想い人。

 ……冗談なんかじゃないわ。その人は、本当にわたしにとっての白馬の王子様だったのよ。

 どうしようもない家庭環境だったわたしを、助けてくれた人がいた。それが彼。ある日、彼はわたしの“パパ”を殴って、殺して、そしてわたしを奪っていったの。……そう、奪っていったのよ。でも、拉致というにはあまりに優しすぎた。だから、彼はわたしを助けてくれたんだって、いまだにそう思ってるわ。

 でも、実際のところどうして彼がわたしを助けてくれたのか、それはわからないの。誰かの命令でさらっていったのかもしれないし、もしかしたらただのロリコンだったのかもしれない。あるいは、正義感からの行いだったかもしれない。もしくは純粋な悪意や、カネのためだったかもしれない。

 ……ふふ。でもね、彼はとても優しかったのよ。

 とても優しかったの。

 とても、とても優しかった。

 すごく、愛おしかった。

 わたしは、むしろ彼のことを“パパ”って呼びたかったぐらい。

 でもね、彼はそう呼ぶことを許してくれなかったの。どうしてもその呼び方だけは嫌いだったみたいでね。だからわたしは、彼のことを『キミ』としか呼べなかったんだ。

 でもね、彼はその代わりに、わたしに名前をくれたの。『リン』って、今の名前をね。


 ……一度だけ、彼にその名前の由来を聞いたことがあったわ。たしか「むかし好きだった女の名前だ」って言ってた。その点、彼は子育ての才能はなかったのかもしれないけど。でも、わたしは彼のおかげで、いまこうしいているの。

 そうよ。ご想像のとおり。

 殺しの術スキルは、すべて彼に叩き込まれた。

 人を欺くことも、黙らせることも、詳らかにすることも。すべて彼が教えてくれた。

 そう。彼はもともとの社員だったの。わたしがなんだかんだでこの会社にいるのは、そういうわけ。

 わたしは、趣味や仕草も、ぜんぶ彼のマネをした。

 彼のことが好きだったから。

 ……そう。幼いながら、わたしは彼を好きになってしまったの。小学生の女の子が、若い男の先生を好きになったりするのと一緒。年上のお兄さんが、親ではなく愛しい人に思えてしまった。あのころわたしは、複雑な時期だったのよ。

 ……でもね、わたしの恋愛感情は、思春期のそれよりもっと複雑だったと思う。

 わたしは、彼の隣にいたいというよりは、の。

 だからわたしは、彼の仕事を引き継いだし、彼の趣味や仕草も引き継いだ。

 そうしていま、わたしはここにいる。

 ……彼は死んでしまったわ。もうずっと前に。でも、わたしは今なお愛しい人を求めて、その姿を自分に探しているの。タバコも、今の仕事も、すべて彼の猿真似。いなくなった彼を自分の中に求めて。記憶の中に求めて、今再び一つになろうとして、さまよい続けてるの……。

 どう? 意外にかわいそうなオンナでしょ、わたしって。


     †

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