第二幕

黄泉帰り

4-1

 何が現実で、何が真実で、何が正しいかなんて、どうにもこの業界には必要ないらしい。それに僕自身も、そんなことどうでもよくなっていた。

 ハン・イーミンを手にかけてからというものの、僕の時間は転がり落ちるように過ぎていった。いつしか殺した人数は片手を越え、両手を越え。撃った銃弾の数は、もう数えないようになっていた。

 そうして僕の自己認識アイデンティティさえも、自分が守田セイギなのか、それとも秋桐ユキトなのかわからなくなってきていた。どうでもよくなっていた。

 ……いや、そうだと言えばウソになるかもしれない。

 でも、これだけは確実に言える。大学で文学を学んでいたころの守田セイギは死んだ。いまここにいるのは、裏社会シャカイに丸め込まれた一人の人間だ、と……。


     *


 東京から新幹線で一時間ほど。田舎の地方都市。僕はそのはずれにある住宅街にいた。ある家の、ある家族を訪ねるために。

 住宅街にある平凡な一軒家。表札には『守田』の二文字。もしこの二文字がなければ、僕はこの家に見向きもしなかっただろう。

 インターフォンに触れると、すぐにマイク越しに女性の声がした。しわがれた、老いぼれた女性の声だった。

「はい、守田ですが」

「県警の者です。息子さんの件について、すこしお話が」

 言って、僕はインターフォンのカメラに手帳を向けた。県警の刑事部捜査一課、満島巡査。むろんすべて偽物だ。この顔も、すべて。

「……わかりました。どうぞ、お入りください」

 女性は渋々と言葉を漏らしてから、玄関の戸を開けた。

 扉を開けた先には、申し訳なさそうにお辞儀する女性いた。

 守田ハルコ。僕の母親。生みの親。血縁者。

 その姿を見たとき、僕は嬉しさと悲しさと、そしてどうしようもない虚しさと、申し訳なさでいっぱいだった。

「突然の来訪で申し訳ございません。すみませんが、線香の一本でも上げさせてもらってもいいですか?」

 僕がそう尋ねると、彼女は小さくうなずいた。


 仏壇には遺影があった。写っているのは、大学時代の僕――守田セイギの写真。いつ、どのタイミングで撮られたのかもわからない写真だった。スーツ姿で、青いストライプのネクタイを締めている。表情は自分とは思えぬぐらいの笑顔で、まるでフォトショップで加工したみたいだった。

 仏前のお鈴は、僕には見合わぬほど高価な音がした。漆塗りの仏壇で、その上には小さく盛られたご飯と、いつのものとも知れないチョコレート菓子が置いてある。

 なんだかすべてが僕に不似合いで、ズレているような気がした。きっと僕の死後、どこの誰とも知らない、僕が信じてすらもいない宗派の坊主がやってきて、ろくでもない念仏を唱え、鈴を何度も鳴らして、それからビールでも飲んで帰って行ったのだろう。そして顔も知らない親戚が菓子を置いて、上辺だけの涙を流してから、寿司でも食べて帰ったに違いない。

「……それで息子の件でお話というのは……?」

 僕が合掌を終えたところで、彼女は――僕の母親だった人物は尋ねた。

「ええ。捜査はもう終わったんですが、そのあとお加減いかがかと思いまして。突然ですが立ち寄らせていただきました。」

「私は、そんな……。いまの警察の方って、そんなに手厚くサポートしてくださるんですね」

「時代が時代ですから」

 ――そんなはずない。

 きっと僕の事件を担当した刑事は無いことばかりをわめき散らし、母に僕は自殺だったと思い込ませ、そして遺体もなかなか引き渡さなかったことだろう。その背景にが関わっていたことは言うまでもないが、僕は悲壮感漂う母の顔を見て、いたたまれない気持ちになった。

「すみません、急に立ち寄ってしまって。東京の刑事さんから、『事件が事件だったので』と念を押されましてね。お元気そうで何よりです」

「そんな、とんでもない。……実はね、刑事さん。私、息子は死んでないような気がするんです」

「死んでない気がする、とは?」

「ええ。息子の死を受け止めきれてないだけかもしれないんですがね。まだ、東京で暮らしているような気がして。そう思っていると、自然の気が楽になるんですよ」

 気が楽になる。

 そう口にしつつも、母は目に涙を浮かべていた。

「そうでしたか。……ご主人のほうはいかがですか?」

「主人も元気です。いまは、立ち直ったと思います」

「そうですか。なら、よかった」

 

 その言葉は、他ならぬ僕の言葉だったと思う。僕、守田セイギの言葉。父母が元気で、立ち直ったならそれでいい。どこかで僕の生を想ってくれていれば、それでいい。僕はそんなふうに思えていた。

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