オン・ザ・ジョブ・トレーニング
3-1
宣言通り、
ふつう、どんな研修であっても三日めぐらいにはカラダがこなれてくるはずだ。だが、リンの研修にそれはなかった。
一日目。僕のカラダが思い出すまで銃を握らされた。はじめはシューティングレンジ、その次は演習場を用いたバーチャルトレーニング。僕はあらゆる暗殺の場を体験させられた。そしてそのたびに、自分のなかに知らない自分が目覚めていくのを覚えた。
研修が終わったら、再びあの無機質な部屋に戻される。部屋に戻るや、すぐに寝てしまう。日記や詩作に耽る余地などない。そして翌朝早くにリンが起こしにきて、また研修が始まる。僕を殺し屋に仕立て上げるための――カラダの記憶を、秋桐ユキトの記憶を思い出すための研修が。
そうして三日目が来て、また研修がはじまり、僕の中の秋桐ユキトがすべてをこなしていった。隠密潜入、ナイフによる刺殺。毒を持ったコーヒーにいよる毒殺。
*
胸元が妙に暑かった。室内は空調が効いていて、上着を羽織っていられるぐらいなのに。なのに左胸が妙に熱く、重たかった。
その正体は、肩から吊るされたホルスターである。そしてそこに収められた銃、HK45CT。リンが持っているのと同じ銃だ。だけど、これは今朝支給されたばかりの僕専用の品だった。
そしてこのときの僕は、自習という名の放置プレイを喰らっていた。
「もうだいぶ記憶は取り戻したようだから。あとはひたすら応用を覚えるしかないわ。応用、と言っても基本を臨機応変にこなすだけのこと。だからキミには、様々な仕事の現場を追体験してもらうわ」
そう言ってリンが連れてきたのは、ビルの屋内に設けられた演習場だった。
この三日間、僕はこのビルの中から出たことがない。だから、この空間がどこまで続いていて、いったいどこに存在しているのか。そもそもこの地下はどこまで深いのか。まったくわからなかった。ただ一つ言えることは、これがとても深くまで続いていること。そして第二に、近くに地下鉄が通っていることだ。夜中、僕は寝ていると、地下鉄が通り過ぎる轟音で目を覚ますことがあった。
ともかく僕は、そんな空間に一人置いてけぼりを喰らっていた。
屋内に設けられた疑似的な戦闘環境。いわば、テレビ局のセットのような空間。そこには、密室があった。
スタジオのような無機質で空虚な大部屋。そこにぽつんと置かれたのは、角材で縁取られた真四角の空間だ。そしてその中には、暖色系の調度品があしらわれた部屋があった。まるでホテルの一室のような空間。ふかふかのベッドと、臙脂色のソファー。間接照明が妖しげに光っている。
でも、僕はその空間からは
僕は、リンからもらったメガネをかけた。赤黒いメタリックフレームのメガネ。そのフレームにポンと触れると、とたんに視界が切り替わった。
グラスの表面に映像が
そのうちの一つ。237と刻まれたドアが僕の
上着の下。ワイシャツの上から吊したショルダーホルスターから銃を抜く。ヘッケラー・ウント・コッホ、HK45CT。サプレッサーを装着し、暗殺に備える。四十五口径の
「……いくぞ」
メガネのフレームに、再びポンと触れた。
標的の名は、堀井クラト。二十六歳。政治活動家。明誠学院大学在学中に政治活動に身を投じ、大学院修了後にはパトロンの代議士のもと、合法非合法問わずの活動を繰り返してきたという。二年前、リンが実際に処理した対象だった。
かつては堀井にも理想があり、その成就のためにあらゆる手を使ってきたのだろう。だが、それも結局、彼も大人の手のひらで転がされているだけだった。必要のなくなった枝葉を剪定するように、パトロンの代議士は彼の排除を命じたのだという。
難易度Cマイナス。そんな
拳銃を抜いた僕は、深呼吸してから、扉の前で構えた。
右足を蹴り出す。ドアを蹴破った。感触は右足にある。
蝶番を破壊し、室内へ。壊れた扉を盾に、僕は標的のもとへ流れ込んだ。
ソファーに座る男が一人。彼はスマートフォンを眺め、リラックスしているところろだった。グーグルでも見ていたのか、それともLINEのメッセージでも確認していたのか。そんなこと、僕には関係なかった。
――殺さなければ、殺されるのだ。
素早く狙う。
「まっ、なにがっ……!」
堀井は何かを問おうとしたが、もう遅かった。
ソファーに座る彼を、僕は左手で押さえつけた。首を背もたれに押しつけ、締め上げる。と同時、銃口を彼の額へ押し当てた。
窒息。白目を剥いて、嗚咽を漏らす。気絶する寸前。意識が飛んでいく寸前。僕は、引鉄を絞った。
パスン、と冷めた銃声。ソファーに弾痕が穿たれる。赤いシミが広がって、とたんに鉄臭さが広がった。硝煙のにおいもする。
僕は薬莢を拾い上げると、スラックスのポケットにねじ込んだ。そして窓を開けて、ベランダへ。腰からラペリング用のカラビナとザイルを取り出し、階下へと
視界が晴れたとき、僕は空虚なスタジオにいた。背中には木材でできた簡易の訓練施設。ソファーには穴があいて、床に綿のはじけた人形が転がっていた。
僕はその人形に一瞥をくれてから、サプレッサーに手を伸ばした。摩擦熱が残っている。じんわりと暖かいが、持てないほどではない。クルクルとネジに合わせて回せば、サプレッサーははずれた。
「やるじゃない」
すると、スタジオの奥から拍手の音が聞こえてきた。それからコツコツと床を叩く革靴の音も。
リンだった。彼女は首もとの開いたブラウスに、スラックスという格好だった。右手には脱いだであろうジャケットが握られている。
「難易度Cマイナス。一番カンタンな仕事ですよ。あなたには朝飯前だったはず」
「そうね。たしかにそうかも。……でも、いまキミは自分の意志で殺したんでしょ? その銃で」
――自分の意志で殺した。
そう言われたとき、僕は右手に持ったそれ――HK45CTがひどく重いものに感じられた。ダンベルどころか、リフティング用のウェイトのようにさえ。持っているだけで限界に思えたぐらいだ。
「……僕は、あなたに殺されたくなくて、やっただけです」
「そう。なら、そう思っていたらいいじゃない。どのみち殺した事実に変わりはないんだから。……で、このあとの研修なんだけど。とりあえずついてきてもらえる?」
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