2-2
部屋を出ると、長い廊下が続いていた。そこにも窓はなく、光といえば切れかけた蛍光灯と、ダークグリーンの非常灯、てらてらと輝くコンクリート壁があるばかりだった。典型的なビルの地下室。どこかからボイラーの動く音も聞こえていた。
リンは僕を案内するように先へ進んだ。彼女の歩に迷いはなかった。
「とりあえずキミには、三日のあいだにすべてを思い出してもらう必要がある」
「思い出すって、何をですか?」
「キミの、その肉体に眠る記憶」
言って、リンは階段を降りた。地下の、さらに地下深くへ。僕もその後を追っていく。
「臓器移植をすることによって、移植者の性格にある一定の影響が及ぼされることは。すでに立証されているわ。身体のパーツというものには、そのもの一つ一つに固有の記録――いわば、慣れのようなものが染み着いているわけ。
「何も聞いてないです」
「そうね。端的に言って、彼はわたしたちと同業者だった。……わたしの言いたいこと、わかる?」
「殺し屋ってことですよね」
「正解よ。
「つまりこのカラダには、戦闘の記憶が染み着いている……と?」
「そう。キミには一刻も早くそれを思い出してほしい。そうしたら、すぐにでもキミにはわたしに同行してもらい、ある任務についてもらう。一種の
「……人殺しをやれと、僕に言うんですか?」
「そうよ。じゃないと、わたしがキミを殺すから」
階段を降りた先。再び続く廊下。
直後、リンはある扉の前で足を止めた。
それは至ってふつうの扉に見えた。鉄製の扉。防音の加工が施されているようだ。表札には『ボイラー室』とだけ記してある。
「ここよ。まずは銃を使い方ぐらい思い出さないと」
扉が開かれる。
次の瞬間、その向こうに現れたのはボイラー室などではなかった。長く続く空間。天井から吊り下げられた人型をした板切れ。そして並べられたイヤマフと、銃火器。
そこにあったのは、シューティングレンジだったのだ。
「銃を撃ったことは?」
シューティングレンジの一角に立って、リンは言った。
僕はもちろん首を横に振った。当たり前だ。この日本にいて銃を撃ったことがある人間など、見つけるほうが大変だ。
しかしリンは、その例外なのだろう。慣れた手つきでジャケット下のショルダーホルスターより銃を取り出した。僕は銃なんて触れたこともないし、調べたことすらないのに、なのにその銃がヘッケラー・ウント・コッホのHK45CTだとわかった。まるでカラダに染み着いた記憶が脳に向けてささやいているようだった。
リンは
ダンッ! ダンッ! ダンッ! と連続発射される
キィィィィィイイ―――――――ン……と、耳に残る銃声の木霊。硝煙の香り。
それから再びビープ音が響いて、吊された
リンは自慢げにそれを見せながら、
「どう、できそう?」
不敵に笑んで、僕に銃を手渡した。
彼女の銃。四十五口径。それを受け取ったとき、僕は恐ろしさよりも、妙な懐かしさを覚えた。僕にとってはその感覚を覚えた自分のほうがよほど恐ろしかった。
鉄とプラスチックの塊。ポリマーフレームオート。樹脂製のグリップには、まだ少しだけリンの体温が残っていた。
彼女の手汗が残った銃。ホールドオープンしたそれを握ると、僕は
「そう。肘を伸ばして。ハンドガンには
口で説明を受けても、実際にやってみるとでは違ってくる。僕は言われた通りにやっていたつもりだったが、リンに言わせれば違ったらしい。
「関節を曲げないで。まずは基本を思い出すの。……こう、腕を伸ばして」
そのとき、銃を握るのに必死になっていた僕の手に、リンの手が――彼女の白く細い手が伸びてきた。リンは指先を僕の腕に這わせ、愛撫するように持ち上げている。やさしく、時にきつく。そして手元にまでたどり着くと、僕の手を覆うようにして銃を握った。彼女の指は、まるでギタリストかピアニストのように細く、長かった。
「いいわ、そのままにして」
リンの指が、僕の指と重なり、
銃口から爆発。鉛玉が勢いよく吐き出される。それはあらぬ方向へと向かい、人型をした的の肩あたりを掠めていったけれど。でも、確かに僕は銃を撃ったのだ。
「……すみません。外しました」
僕は言葉を持らす。手にはじんわりと衝撃が残っていた。
「あらあら。もうちょっとこっちよ。ほら、こっち。真ん中をねらって」
彼女の指が、僕の手を誘う。僕のカラダに重なるようにして、覆い被さるリン。ほのかに香水の香りと、メンソールのにおい、そして煙のにおい。
「こればっかりは、すべて経験がものを言うわ。経験を、思い出すの。何度も、何度もやってね。キミには、それを三日でやってもらうから」
再びトリガーを絞る。
今度は鎖骨を貫いていった。
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