研修

2-1

 次に目を覚ましたとき、拘束は解けていた。でも、相変わらずベッドは自分のものではなくて、天井もまた見知らぬものだった。

 グレイの薄暗い室内。窓が一つもない部屋。黒を基調としたシンプルな調度品。部屋にはベッドとデスク一式、それからクローゼットだけがある。

 これがもし、自分のアパートのベッドの上だったらどれだけよかったことか。あるいは、二日酔いの末に路肩で目を覚ましたとしても、まだマシな気分だったろう。不意に脳裏に蘇るのは、『自分の死』と『脳移植』という浮世離れした言葉。そして自分が暗殺者組織に囲われているというおぞましい現実だった。

 ベッドを這い出て、部屋の中を探索する。つくづく何もない部屋だった。唯一の発見と言えば、クローゼットの向こうに扉があって、バスルームへとつながっていたことだった。

 僕はバスルーム内の洗面台に立つと、鏡を見つめた。曇り一つない姿見。そこに写るのは、やはり『守田セイギ』ではなく、『秋桐ユキト』だった。

 ――やっぱり夢じゃなかった。

 あのとき、僕は衝動的に男性をかばい、電車に轢かれた。そしてその男性は、本来だった。しかし代わりに死んだのは僕。そしていま、僕はその代償を払わされている。

 秋桐ユキト。その頬は、まるで死んだように青白かった。白人のようだ、というよりも、死んだようなと言うほうがしっくりくる。血色に乏しいのだ。たしかに脳を移植したというのだから、このカラダは元々死体だったはず。死体然としていたも当然のことだろう。しかし、それにしても吸血鬼のようだった。

 頬に触れる。青ざめた頬。でも、そこには確かに血が通っていた。僕ではない、誰かの血。でも頭は僕のもので、たしかに僕は自分がと認めることができる。

 ――でも僕は……。

「おはよう、早かったわね」

 突然、後ろから女性の声した。

 僕は思わず飛び上がり、大急ぎで後ろを振り向いた。その反応速度は、おそらく生きてきた中で一番早かったと思う。僕は自然と振り向き、体を強ばらせ、両手をグッと握りしめていた。まるでこれからすぐに格闘戦に移行してもいいとでも言うように。

 声の主は、ユズリハリンだった。

 彼女の姿を見ると、僕の緊張も自然と解けていった。なぜか、彼女は絶対的に味方であると、僕の肉体――そして脳――が判断したようだった。

「ふぅん……。その様子を見るに、あまり心地よい寝覚めではなかったみたいね」

「え、ええ、まあ……。いまでもこれが現実か信じられないぐらいですもの」

「そうでしょうね。『キミは死んだ。そして体は別人に移し替えられた』って。まあ、たしかに現代医学ではできないわけじゃないけど、ふつうなら法律がそれを許さないものね。とても現実とは受け止められない」

「でも、あなたたちの組織――にはそれができる……そうですよね?」

「そうよ。夢か現実か、ためしにその頬をつねってみたらどう?」

 楪リンはいたずらっぽく笑う。

 僕は応じるようにして、自らの頬をつねった。自分の、という感覚はまだ希薄だったけど。でも、痛覚は肌より発生し、脳にその信号を届けた。別人の肉体から、別人の脳へ。

「……いたいです」

「でしょうね」

 言って、リンはまた小悪魔のように微笑んだ。

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