1-3

 我々は政府の特務機関だと、御楯はそう語った。表向きは存在しない、非合法の暗殺請負会社であると。

 御楯はこう言った。

「我々は、仮に自分たちのことを『弊社』と呼んでいます。まあ、取引先ガバメントからは『御社』と呼ばれることもありますがね。そして我々の業務というのが、政府主導による非合法な暗殺や諜報活動。つまり我々は、そんな諜報任務を行うための政府の第三セクター……表向きは存在しない企業なんです。殺しを生業とする、ね。

 守田セイギくん。君は不運にもその仕事現場に居合わせてしまったのですよ。彼女――リンの仕事場に居合わせてしまった」

 言って、御楯は隣に立つ女性に目線をやった。

 彼女――リンと呼ばれた女性が一歩前に出る。すると彼女は、上着のポケットからタバコを取り出した。白に緑色のパッケージ。あのとき僕が拾い上げたのと同じ、ハイライト・メンソールだった。

 底を叩いて一本取り出すと、彼女は病室だというのにお構いなしでタバコを吸い始めた。マッチを擦って、タバコの先端に火をつけて。

「楪リン。リンでいいわ」

 握手を求めるわけでもなく、彼女はただ紫煙を吐いた。

「守田セイギくん。キミがこの不幸にあった原因は、その優しさにあったようね。これ、なにかわかるでしょ?」

「……タバコ。落としましたよね、それ」

「ご明察。キミはコレをわたしに届けようとして追っかけてきた。でも、あいにくそれは選ぶべき選択肢ではなかったのね。

 あのとき、わたしはある男を殺すために動いていた。そう、君が救った男、ハン・イーミンのことよ。ヤツは香港から流れてきたドラッグ・ディーラーで、日本で一通り荒稼ぎしたあと、無数の顧客リストを持って大陸の本部に戻るつもりだった……。そしてその顧客リストには、政界の大物の血縁者の名前もあったの。……わたしの言ってる意味わかる? つまりそんな情報は消さなければならなかった。ヤツもろとも、キレイサッパリ。そこできわたしは、山手線内に彼を突き落とし、事故に見せかけて殺す……その予定だった」

「……だけど、僕が助けてしまった」

「そういうこと。まあ確かに、タバコを落としたわたしに落ち度もあるかもしれない。でもセイギくん、君は余計な人助けをしたの。わかる?」

「人助けに余計もなにもあるんですか」

「ある。少なくとも、に言わせれば」

 そこまで言ったところで、リンは携帯灰皿を取り出し、吸い殻を捨てた。

「セイギくん、キミは弊社の仕事ビズにわずかでも関与し、あまつさえ死亡したの。キミの死体――特に記憶を秘めた脳に関しては、みすみす警察に引き渡すわけにはいかない。家族なんてもってのほか。そこでわたしは、あなたの脳を移植手術の実験体とすることを提案したの。手術に失敗したら、それはそれでキミをことになるし、成功しても今のように取引することができるしね。それにデータの取りづらい移植実験も行えるし、一石二鳥だと思ったのよ」

「じゃあ、あの、残った僕のカラダは……」

「ダミーの脳を積んで警察行き。いまごろ家族と火葬場にいるんじゃない?」

 リンはタバコとマッチをポケットに戻した。燐の香りがかすかに漂ってきた。


「かくして守田君は弊社と秘密を共有する者になったわけです。ゆえにあのときノーと答えていれば、君は殺されていた。もっとも今も殺される危険性を持っていますがね」

 くっくと嗤う御楯。彼の物腰は非常に穏やかだったが、ゆえにその裏に底知れぬ狡猾さが透けて見えた。殺しを請け負う秘密組織。その一員である者が、一筋縄でいくはずもない。

「ではリン、あとはあなたに任せます。彼の教育は君に一任しますので」

「はい、御楯会長」

 不敵な笑みを浮かべて、御楯は病室をあとにした。


 こうして病室に残されたのは、僕とリンだけになった。

 御楯が部屋を出ると、リンは真っ先にイスへ腰を下ろし、次の瞬間にはタバコに火をつけていた。

「あの、僕の教育って……」

「新人教育よ」

 リンは紫煙を吐きながら答えた。

「守田セイギは、表向き死亡した。そして代わりにあなたには、の肉体を得た。かつてわたしたちの同業者だった男性よ。キミの脳は、その秋桐の冷凍保存された遺体に移植されたの。そしてそうなった以上、守田くん、キミに選択肢は一つしか残されていないわけ。わたしの部下として、弊社に勤めることよ」

「弊社に勤めるって……」

「もちろん、殺しを生業にするってこと」リンはなんら後ろめるようすもなく言った。「不満は?」

「ノーと言ったら、僕を殺すんでしょ?」

「そのとおり。だって君は一度死んでいるんだから。もう一度殺したって文句ないでしょ?」

 くわえタバコのまま、リンは立ち上がる。

 彼女は病床の隣、心電図やその他医療機器の配置されたサイドテーブルに触れた。そこにはあの手鏡もあった。

「それで、キミの答えは?」

「イエス、しかないじゃないですか」

「賢い選択ね。そういう正直なの、わたし好きよ。……じゃあ、とりあえず今日はおやすみなさい」

「えっ?」

 思わず声を漏らした、次の瞬間だった。

 リンは、僕の肉体とつながった機械のつまみを大きく捻った。見たこともない薬品名。その投与量が一気に増える。メーターの示す数値が跳ね上がると、次の瞬間には視界がぼやけてきた。

「おやすみ。次に起きたときは、研修トレーニングが始まるわ。覚悟してね」

 薄らぐ意識の向こうで声が聞こえる。彼女の声、リンという殺し屋の声が……。

 まもなく、視界は完全に暗転した。

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