第60話

 魔女フォースの告白が――たった三文字に過ぎない呪い奇跡の言葉が、僕の意志を一突きに縫い止めた。

 耳を疑った。

 衝撃のあまり呼吸すら忘れて、あの小さな魔女の名前の意味が頭の中を駆けめぐる。

 きっとインディゴも同じ気分だったろう。ただあいつはそれ以上悩む必要がなくなった。


「な……なんだ…………」


 今のはインディゴの動揺に震える声だ。

 あいつの背後に、七月先輩が立っていた。着衣のあちこちが裂け、流血したままの。

 先輩が、インディゴに掴みかかった。

 あいつの顔面を掴み、片腕だけで地面にねじ伏せた。体格差を考えても並の筋力じゃない――とか、そういうレベルの状況じゃない。

 先輩の額には、ぱっくりと銃創が開いたまま。赤黒い血が流れ出て、ちょっとこれは生ける屍、七月絵穹オブザデッドな絵面では……。


「ぐわッ――――貴様――確かに殺した……」


 捕まれたインディゴの額に魔法円が刻まれる。そこからあいつの皮膚に入れ墨みたいな跡が広がっていって、なけなしの抵抗半ばに、力の抜けたインディゴが床へと転がった。

 ピクリともしなくなったインディゴを見下ろす、血まみれの七月先輩オブザデッド。

 こわい。


「宇佐美くん!」


「ぎゃああああぁぁッ!」


 飛び上がって全力疾走で逃げた!


「あら、案外と元気そうね。でもごめんなさい、わたし宇佐美くんにまでそんなひどい怪我させるつもりなかった。待ってね、すぐに応急処置をするわ――――」


 僕を追っかけてきた先輩オブザデッドは、数歩で膝を折る。何だか苦しそう。

 その姿に冷静さを取り戻し、慌てて駆け寄った。


「だ、大丈夫なの先輩? そんな体で……生きて……る?」


 何言ってんだ僕は。どう見ても先輩、死んでるし。


「ああ、そういうことか! 僕みたいに空想魔術でダミーの姿をつくってたんだ。それじゃ、オリジナルの先輩は今どこに――」


 急に動いたせいで、僕までクラッときて。せっかく先輩を抱き起したのに、これから颯爽とお姫様抱っことか絶対無理。

 と、逆に先輩に支えられてしまった。顔を上げると、間近に見える彼女の傷が少しだけ塞がってるような。それどころか、先輩自体がぼんやりと透けているようにも見えた。


「少しだけここで待っていて宇佐美くん、すぐに助けるから」


 もう一度立ち上がると、足を引きずりながら再びインディゴの方へ。あいつが落とした金色の端末を拾い上げ、次に先輩は祭壇へと向かう。

 宙にたゆたう水球を見上げる先輩。水面には、魔術契約者を見失ったフォースさんが浮上したままだ。こんな状況なのに、まだあの人への復讐を考えてるのかな。そうじゃないって信じてるけど。

 先輩が辛そうに片腕を押さえ、魔女に向き合った。


「――あんたのそんな無様な姿を見る羽目になるなんて、思ってもみなかった」


 全然彼女らしくない乱暴な言い回しで、一気に吐き捨てる。


「あんたが誰かの呪詛にかかるのを、あたしもずっと待ち望んでたのかもしれないわ。あんたがそうやってあたしの顔をまともに見れるようになるのを、ね。さあ、今度こそちゃんと答えて。どうしてあんた、育てようって考えたの?」


 その言葉にどんな思いを込めたのか。今までにないくらい声に感情が滲み出ている。


「フレガ災厄のときさ、あんた、まだたったの十四だった」


 これまでの彼女が全部嘘みたいに、本音の七月絵穹の声。


「たった十四のガキがよ? ……そんなガキだったくせに、あんたはなんであたしなんか育てようとしたんだッ――――!!」


 今まで聞いたこともない激しさで、声を張り上げてありったけをフォースさんにぶつけた。

 囚われの魔女は答えず、打ちひしがれた先輩がその場にくずおれる。やがて、しゃくり上げるような嗚咽が聞こえてきた。


「七月先輩…………」


 七月先輩。七月絵穹。いや、違うのか。

 ――そうか、僕は最初から大きな思い違いをしていたんだ。

 先輩の傍に寄って、代わりに僕がフォースさんの顔を見る。虚ろな目をした銀髪の魔女は、もう何か答えてくれそうな状態じゃない。インディゴから受けた呪詛が不完全なのか。


フォースさんはね、自分の娘の名前を聞かれて、〝エソラ〟って答えたよ。七月先輩と同じ名前だ。どうして?」


 でも先輩、両手で顔を覆って、いやいやと首を振るだけ。

 ちょっと意地悪だったかもしれない。だって僕にはもう、名前の意味が何となくわかってしまっていたのだから。

 僕たちの根本的なすれ違いと、彼女のついた一番大きな嘘。

 だから、もう終わりにしよう。悲しませないように、できる限り優しく告げる。


「――――エソラ?」


 それが、初めて呼んだ彼女の本当の名前。同じ響きだけど、でも違う。

 肩に手を置いて、そっと頬に触れてやる。泣きじゃくりがちょっとだけ引いて、指の間から彼女の銀と紅の瞳が覗く。射止めるように、その目を僕に向かせる。


「君の名前はエソラだ。僕がよく知ってるあの七月絵穹で、そしてフォースさんの娘の小さな魔女も同じエソラ」


 エソラが、魔女フィフスの本当の名前。どうして彼女の正体に気付けなかったんだろう。


「正体不明の女魔術師・七月絵穹は実在しなかった。だって、『七月絵穹』は魔女エソラが生み出した空想上のキャラだったんだもの。先輩は魔女で、ふたりでひとつ。僕と一緒にいたあの先輩は、初めからずっとフィフス自身だったんだね」


 七月絵穹とは、魔女Vが演じてきたもうひとりのフィフスの姿だった。空想魔術やエソライズムエンジンを生み出したのは実は魔女Vの方で、フィフス自身が空想する記述者オーサーでもあったというのが真相だろう。そしてずっとあの隠れ家の部屋から、自分の分身=七月先輩を操って僕と行動をともにしてきた。

 だとすると、七月絵穹という空想キャラが現実界に出現した時点で、既に理想郷現出イデアール・バーストが始まっていたことになる。彼女のダアトとの戦いは、そんなにも前から続いていたのか。

 思い返してみれば、腑に落ちる点もたくさんある。七月先輩がたまに見せた、ちょっと子どもっぽい喋り方や仕草とか。

 当然だろう。だって、たとえ見た目が十八歳の大人びたセクシーお姉さんでも、中身は十歳そこそこのお子様だもの。

 妙に世間知らずなところもそうだし、食べ物にほとんど拘りなかったのも、直接食べたわけじゃないからとかの理由があったのかな。


「……エイト。あなたにとってのあたしは、『七月JULY』って名前の方が親しみがあるはずよ」


「えっ……えっ――――ええーっ!? それ、僕のシュヴァルツソーマにいつも感想くれてたあの"JULYジュリ"さんのこと言ってる? 君があの子だったの!?」


 待て。待て待て待て、ホントちょっと待ってくれ、この展開はさすがに斜め上だ!


「ちょっと、なんか引いてない? リュウヤとあたしは、毎日朝までチャットで話しあった仲じゃない」


「だって、あいつ僕と同い年とか言ってたじゃん! 本当はもっと年下だったの!?」


「同い年なんて嘘よ。あたし、まだ十二。ネットで一々本当のこと話すわけないじゃない」


 ……というか、マジで小学生なんですか、この子。七月先輩のイメージが崩壊して、ちょっと目眩がしてきた。


「あとH.N.ハンネはジュリじゃなくてジュライよ。まだそのクセなおってなかったのあなた?」


 とにかく折角の名推理で彼女をリードしたつもりになってたところを、うしろから思い切りぶん殴られた気持ちだった。

 だってそんなの、色んな前提が覆りまくりじゃないか! じゃあ要するに、宇佐美瑛斗は最初から魔女フィフスの手のひらの上でダンスし続けていたってオチですか!?


「とにかく。シュヴァルツソーマはね、あたしが生まれて初めて読んだ日本語の小説だったわ。ネット越しでなら、エイトのことずっと前から知ってた。でも作者の『篁牙院リュウヤ』の正体がエイトだってわかったのは、学校に転入する一か月前よ」


 顔だけ先輩の魔女フィフスが、ちょっとぎこちなくはにかんだ。


「あははは……こわいぞ……君は魔法で篁牙院の『中の人』まで調べちゃったのかなっ?」


「だって、どうしてもエイトに会う必要があったんですもの。だからあたしは七月絵穹になった。〈黒き逆徒〉に並び立つ、最強の女魔術師を空想した。でもあなたをそんな風には傷つけさせないためのものだったのに……本当にごめんなさい……」


 その顔に、苦悩や後悔の表情が浮かぶ。僕の記憶を改変して追わせないようにした理由、今なら何となくわかってしまった。


「でもありがとうエイト。あたしはもう大丈夫。前に進むことならできる」


 そんな共通の秘密を分かち合えたことで落ち着きも取り戻せたのか、〝エソラ〟は呼吸を整え、たどたどしいながらも話を聞かせてくれた。


「……あたしのフルネームはね、エソラ・ハイアロゥ。フレガの隠し子っていうのは本当よ。だってあたしは、フレガがある無名の魔女に生ませた、秘密の子どもだったから……」


 それは、彼女自身の複雑な生い立ちについてだった。

 フレガ災厄って歴史的事件の経緯も踏まえると、幼い魔女が数奇な運命に翻弄されてきただろうことは想像だに難くない。


「そういう関係だったのか。じゃあ、君はフォースさんの養女になったの?」


 虚ろな魔女フォースを仰ぎ見て、憎しみとも悲しみともつかない表情を浮かべる。


「……うん。あたしは確かにこの女に拾われて育てられた。だからあたしにはスルールカディアの『五人目』の肩書が与えられたけれど、本当はスルールカディアの血なんて継いでない」


 言いながら、エソラが金色の端末を操作する。

 板の表面に指先を滑らすと魔術刻印らしき紋様が煌めいて、宙に浮かぶ始原魔導器の回転運動がゆっくりと制止した。


「スルールカディアの魔女は、魔女の中でも最強にして特別。ううん、最強になるべくしてつくられたのが彼女たちだった」


 まだ始原魔導器から湧き出し続けていた液体も徐々に弱まり、やがて水球のうねりが消える。凪いだ水面に、たゆたう何人もの魔女たちのシルエットが透けて映っている。


「でもフォースはね、フレガを殺したあと壊れちゃった。そうして協会を離れて、行き場を失ったこの女は、何を勘違いしたのか孤児になったあたしを引き取ったの」


 それは聞くだけでも苦しく、救いのない過去の逸話だった。


「親殺しの罪滅ぼしのつもりだったのかは知らないけど、こっちにとっちゃろくな思い出なんてなかった。魔女である以外に家事もお金の計算もなんにもできないこの女には、母親代わりなんてはじめっからつとまりっこなかったんだ」


 フォースさんにそんな生い立ちがあったようには見えなかったけれど、エソラはそれを知った上でこの〝母〟と向き合っている。


「僕には――」


 自分でも頭の整理が付いてなかったけど、それでも自然と言葉だけは湧き出てきた。


「僕にはさ、フォースさんが悪い人には見えない。いろいろ大変な目にもあったけど、でも……」


「エイトは知らないのよ。この女はあたしを屋敷に閉じ込めて、保護者役はお手伝いさんたちに任せっきり。裏では偉ぶってるくせに、近付けない。満足に口もきけない可哀想な女」


 だからあたしはこの国で育ったのに一度も学校に行けず、言葉すらまともに話せないと。


「でもね、この人の姿はやっぱり、僕にはお母さんに見えたよ。ううん、それはお母さんじゃないのかもしれないけれど、君にとっての何かになろうと必死だった。今が証拠さ」


「いまが……証拠?」


 そんなの思いがけない言葉だって純粋な表情を見せるエソラの中身は、やっぱり年相応の女の子なんだな。

 そしてフォースさんに視線を移す。彼女も追随する。


「君とフォースさん、ふたりが今、こうしてここにいる。それが証拠。フォースさんは君を守るため、ダアトに立ち向かってた。そして君は、お母さんを助けに単身ここまで来た。違う?」


 最初から結論なんて出ていたんだ。

 どんなに理由を付けても、強がってみせても。

 不幸な物語が、一番奥底にある気持ちの邪魔をしたとしても。


「……っく……あた……しは………………………………ひっく……」


 抗いようのない綺麗な感情が、まだ十歳ちょっとの心の内から溢れ出てくるのを絶対に止められやしない。


「さあ、町に帰ろう? 僕たちジュヴナイルズに未来は約束されているんでしょう?」

 

 

 

 僕の台詞を遮るように、どん、と地響きがした。


「――――なによいまの、爆発!?」


 こんな場所で爆発なんて妙だ。

 そもそも万魔殿にいるのは僕たちとダアトの二人、あとは囚われの魔女たちくらいのはずだし、なのに一体何が爆発したっていうのだろう。

 でも考えてる猶予もなく、次第に床が揺れ始める――いや、壁面もだ。

 断続的な振動は一気に波及し、やがてこの万魔殿そのものを震撼させ始めた。


「もしかしてこれさ、ラストダンジョン自爆展開……じゃないよね」


 天井が歪んで、ところどころから破片まで降ってきた。

 間もなくして、地鳴りはまともに立っていられないほどの規模にまで強まった。


「――――エイトッ!」


 突然のエソラの声に振り返る。繭の入口付近に、アバトラが忽然と立っていた。

 施した封印を自力で解いたのか。肩に気絶したインディゴを担ぎ上げている。ただその手にサバイバルナイフはなく、こっちに襲い掛かってくる素振りはない。

 アバトラは黙して僕に一瞥くれたあと、そのまま繭の外の方へと立ち去っていった。


「うわっ――――」


 繭が大きく傾いて、砕けた床が方々で跳ね上がった。

 たまらず僕も中央の祭壇まで転がっていく。下に転落しかけたところで必死に梯子へとしがみ付いて、遅れて滑り落ちてきたエソラの手を掴んだ。

 どこからともなく冷たい風を感じる。梯子に掴まりながら下を覗くと、床が完全に崩落して、青空まで見えていた。塔が崩壊して、繭そのものにも穴が開いてしまったらしい。


「まさか、万魔殿の崩壊が始まったの!? さっきの端末で、自爆スイッチか何かが起動したんじゃ――」


 祭壇を見れば、停止させたはずの始原魔導器が、いつの間にか台座部分から浮き上がって、再び回転し始めているじゃないか。

 歯を食い縛り、抜けそうな手を引いてエソラをひとまず足場へと上げてやる。梯子にぶら下がったままの僕。崩壊はもう止まりそうにない。


「あれ――なんか、万魔殿自体が下に落ちてってる?」


 下りのエレベーターみたいな違和感に再度下をうかがえば、景色が一変して、町が近づいて見えた。それに、逆さまに働いてた物理法則まで元に戻ってる。

 絶望的な最終局面は、それだけじゃ終わってくれない。


「こんなときに……そんな…………いやだッ!」


 今のはエソラの声だ。

 胸騒ぎがして、梯子を這い上がる。なけなしの足場の上で、彼女は自分の両手を眺め、動揺のあまり取り乱していた。


「……ああっ…………だめだ……まだ駄目……消えないで――」


 と、急に彼女の全身が薄れ、向こう側が透けて見えた。


「エソラ! もしかして、空想魔術をもう維持できなくなってるの!?」


 茫然と眺めていた手が遂に消えてしまった。

 ダメージが大きすぎたのか、魔力の限界が訪れたのか。いずれにせよ、このままだと七月絵穹そのものがここから消えてなくなってしまう。

 ああ、でも考えてみたら、エソラはこれで無事に元いる場所へと帰れるのか。彼女の本当の肉体や精神はここじゃない、うんと安全な自分の隠れ家にあるのだから。


「エソラは先に帰って、家で待ってて。きっと迎えに行くから」


 ちょっと格好つけたい気分になって、口に出してみた。

 もう目に見える全てがクライマックスだ。勝算もない。

 でも、エソラが無事に未来を約束されれば、僕の勝ち点は+1……いや、+100くらいになるんじゃ? 彼女のヒーローとしてはおおむね合格点でしょう。


「なに死亡フラグみたいなこといってんだエイト! そんなのいやだッ! いまのあなたにはもうエソライズムエンジンがないんだよ!? あたしが付いててあげてなきゃ、絶対に帰れっこない――」


 ごうん、と軋み音。繭の壁面を支えていた骨格のいくつかがへし折れて、脱落してくる。


「それにエイトだけじゃ…………まだ魔女たちが……かあ……さま、だって……」


 一つまた一つと瓦礫と化して崩壊してゆく足場。そしてこの逆律の万魔殿そのものが、ゆっくりとした速度で下降を始めている。

 地表に激突するのも時間の問題だろう。町の避難が済んでいてくれるといいのだけれど。


「よし、エンジンなんてなくても、今の僕にできることっ!」


 存在そのものが薄れつつあるエソラを残して、祭壇中央に走る。

 ひしゃげた連絡橋の先でくるくるとスピンしてる金の円環、始原魔導器エンタングル・クォーツ。

 全然らしくない無茶を考えていた。エンジンを通した一連の体験が、そしてエソラやフォースさんや九凪君たちとの出会いが、無茶を後押ししてるんだって自覚がある。

 それは、意地でもフォースさんたちをここから救出したいからなのか、それともまだダアトに負けたくないからなのか――

 ――違う。エンジンがなくても、それでも彼女に見ていてほしいんだ。シュヴァルツソーマを通じて繋がり合っていたふたりの関係のように、僕はまだこの〝物語〟の続きを求めている。

 水球内部のフォースさんや魔女たちに視線を送る。うまくいかなかったら、ごめんなさい。


「…………さあ、僕の逆襲の始まりだ」


 そうして僕は、宙に浮かぶ始原魔導器を両手で掴んだ。

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