第59話

 意識が朦朧として、痛みもわからなくなってきていた。乾いた血が痒い。ひょっとしてもうヤバいのかなって、ぼんやりとした頭で他人事のように考えてる。

 重たい上体を起こして、あちらの様子をうかがう。

 インディゴが向かう先――水球の水面近くに、フォースさんが浮上していた。あいつが僕から引きはがしたエンジンを使って、彼女に何かの魔術をかけたに違いなかった。


「さあ、訊くんだラキエラ。アンタは自分の娘の居場所すら知らない。アンタは駄目な女だ。娘とは不仲で、幼少期から母親としての役割をずっと放棄してきた。だから娘は母親であるアンタを見限って、一人で勝手に屋敷を出た」


 それは、魔女フォースへの自省の問いかけなのか、それとも何かを導き出すための呪文なのか。


「随分と利口な子だ。まだ年端もいかないだろうに、非常にロジカルで決断力がある。フレガ災厄のあと堕落したいまのアンタに比べれば、段違いにできた娘だよ」


 絶対にあいつを止めなくちゃ。死にものぐるいで地を這って祭壇に近付く。


「なのに無能なアンタはそんな娘を見つけられないどころか、逃げられ続けた。もう母親を頼ることを諦めた娘は、たった一人で生きていくしかないって悟ったのさ」


 脚に力が入らず、肘で匍匐前進を試みる。腕の感覚が薄れつつあるけど、絶対に前へ。


「だが娘も一つ深刻な問題を抱えていた。娘が生まれつき体内に備えた魔導器には、イ界から魔力を汲み取る機能が欠けていた。魔法が使えないスルールカディアの魔女など、最悪の欠陥品だ。自分をこんな風に生んだ母をさぞかし恨んだことだろう!」


 この演技がかった言い回しは、おそらく意識の誘導のためのものだろう。魔法にかかって無防備なフォースさんの心を、言葉巧みに揺さぶろうとしているんだ。


「そこで娘は、フレガの忘れ形見を騙るあの七月絵穹にお手製の魔導器を貸し与え、手駒として戦わせた。その見返りが、母親の命。つまりアンタは自分の娘に売られたんだ」


 かすかな視界の向こうに、フォースさんの姿が見える。眠っていたかのようだったあの人の瞳が見開かれていて、そこに奇妙な輝きが点されていた。


「もはや親子の関係は修復不可能。だがオレは哀れなアンタに、一度だけ救済のチャンスを与えよう。さあ、応えるんだラキエラ。ただこのオレに教えるだけでいい。アンタの可愛い娘の、真名を、だ」


 それは、インディゴのようなやつが絶対に知ってはいけないものだってわかった。


「それを答えれば、アンタを娘と会わせてやる。一生家族二人で暮らせる場所も用意してやろう」


 もし知られたら、きっと途轍もない悲劇が起こる。いまフォースさんがされているような、逆らうことすらできない呪詛があの小さなフィフスにも――


「――さあ、言うんだ。ストヴァリカーニャ・スルールカディアフィフス世の真名は、なんだ?」


 駄目だ、言うな。

 枯れた喉で呻いても、今や恍惚の表情さえ浮かべているインディゴを止められない。

 でも、呪いと奇跡はあざ笑うかのように反転する。僕たちの運命を絡め取るようにして。


【――――――――エ…………ソラ……】


 エソラ、と。

 このとき、スルールカディアの魔女フォースは、確かにそう発音したんだ。


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