第56話

 今この場所に、七月絵穹が二人存在する。

 互いに顔を見合わせて硬直。頬を伝う汗を拭おうともしない。その内に秘められた感情は、動揺か、それとも敵愾心か。

 膝蹴りを喰らわせた方の絵穹が人差し指を立て、昏倒しているアバトラの上に円を描いた。なぞった軌跡が真紅の魔法円に変化して、アバトラを緊縛する枷が錬成された。

 しばらく彼の懐を調べ、途中で諦めたのか溜息交じりに立ち上がる。


「こいつはめぼしいものを何も持っていないみたいね。さて……まず最初に言ってあげたいのだけれど。そのわたし、ちょっと美化しすぎじゃないかしら?」


 彼女にしては珍しい、困惑の口調。指先を胸元に突きつけ、互いの鼻っ柱が近付く。


「大体、その顔は何? 今よりも髪が長いほうがきみの好みだということなの? こら、ちょっとこっちに並びなさい。ねえ、オリジナルよりも背が低いのはどうして? わたし、身長差とか気にしないわ。それよりもスカート丈が少し短い」


「……あ……そ……うかしら? 私は常に私らしく、ですわよ――――ひゃあっ!?」


 いきなり絵穹にスカートを捲り上げられた!


「一緒に暮らしていた時、一体どこに目を付けていたの? わたしの下着もお洗濯してくれていたというのに、この紐みたいな下着は何? これ、きみの願望、宇佐美くん?」


「あっはい――」


 ああ、遂にボロが出た。

 絵穹――じゃない、七月先輩、拳をぎゅっと握りしめ、わなわなと震えて俯いちゃった。


「あの……な、七月……先輩……これにはマリネリス峡谷よりも深い事情が……」


 ちょいとややこしいことに、今は僕の方も外見=七月絵穹なのだけれど。とにかく空想魔術で七月絵穹になりきっていた僕は、慌てて七月絵穹(本物)に釈明する。


「ゆるさない」


 あ、引っぱたかれた。振り上げられた手のひら。パン、と塔の空洞に残響していく。


「……絶対に、許さない……。嫌いよ。宇佐美くんなんて大嫌い。どうしてこんなところまで来ちゃったの……」


 けれども思いがけず、ぎゅっと抱きしめられていた。


「わたしがどんな気持ちでっ! 何のためにあの時エンジンを託したのかわかってるの、きみというひとは――――!」


 わたしを助けに来てもらうためじゃないのに。

 そう声を振るわせた彼女は、僕への非難も最後まで言い切れない。同じ背格好の女子同士、背中に手を回し合う。ちょっとヘンテコな抱擁で、嬉しいような、ちょっと惜しかったような、とにかく不思議な再会。

 長いようで短い密着、そして思い出したように離れる二人。

 鏡合わせの表情を互いに紅潮させ、それからまだ暴れてる心臓に胸を当てて深呼吸する。


「あっちで死んでるほうの宇佐美くんは? ダミーなの?」


「ああ、うん。今まで空想魔術を『変身』みたいなものだって固定観念に捕らわれていたんだ。けど真説魔狼斬みたいな小道具が生み出せるんなら、人間そのものだって可能かなって思って」


 ただこれは流石にグロいかなと思い、あっちで死んでるダミー宇佐美くんを処分する。

 イマージュせよ、記述せよ。エンジンを介して描いていた空想を書き換えてやる。

 邪気眼能力てんこ盛りに設定してやった宇佐美瑛斗インクルード神叢木刹刃は、アバトラと正面切って戦い、そして無残にも敗北した。それを、そこに存在しなかったことに記述しなおす。

 光になって消滅していく〝僕〟の雄志に敬礼、二階級特進だ。

 そしたら先輩、狐につままれたみたいな変顔。ビックリした? 可愛いぞ。


「僕ってほら……もともと魔術師じゃないし。本職の魔術師相手に正攻法で喧嘩売るわけないじゃない。だからこうやって分裂してみました。なかなかの作戦だったと自負」


 そうして破顔した彼女が、目頭を拭いながら言った。


「……もう、きみってひとは。わたしが助けに来なかったら一体どうするつもりだったの」


「それでも何とかなってたさ。先輩はどうやってインディゴから逃げてこられたの?」


 ああそれはね、と先輩は階段から下層側を覗き、指で指し示す。

 その先――塔の中心に、いかにも「ラストダンジョンの中枢です」と言わんばかりの構造物が浮かんでいたんだ。


「なんだろうあれ………繭みたいだ」


 そう、繭みたいに見える。とてつもなく巨大な繭。この塔を一直線に流れる魔力エネルギーの流路は、あの繭の先端から糸のように放出され続けていた。


「そうね、繭。あの内部がこの塔の中枢、ダアトの祭壇よ。そこに始原魔導器も設置されている」


「始原魔導器。エンタングル・クォーツか」


「インディゴは始原魔導器と魔女の体内魔導器を使って、イ界側から無尽蔵に吸い上げた魔力を現実界側に放出しているの。連れ去られた魔女たちは全員繭の中に囚われているわ」


「だったらすぐに助け出そう!」


「待って、焦らないで。わたしもあそこの中に囚われていたの。そこで倒れてる大きいほうの人が外に出て行ったあと、隙を見てインディゴを半殺しにしておいた」


「ええーっ、じゃあもう敵はぜんぶやっつけたってことじゃない!」


 敵と差し違える覚悟でここまで挑んできたつもりだったのに、拍子抜けだ。でもピクリとも動かなくなってるアバトラを見たら……半殺しって。なんなのこのひと、こわい。


「今やるべきことは始原魔導器の強制停止と、ここからの脱出経路の確保。それが最優先次項。それと――――」


 急いて先行しかけた僕のスカートが掴まれてしまう。


「な、なによぅ……はづかしいよぉ……」


 赤面しちゃう。だって、お尻まで見えちゃいそうなんだもん。


「……わたしの声でやめて。元の宇佐美くんの姿に戻ってから行きなさい。ほら、早く」


 ああ、やっぱり怒られちゃった。

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