第57話
逆律の万魔殿最奥部、始原魔導石が鎮座するという繭の内部。
先輩が祭壇と呼んだ繭の内部は、とても奇妙な構造をしていた。
ドーム状につくられた空間の中央に、一目してそれとわかる黄金色の大きな円環が、光沢で外壁を照らしていた。
祭壇の心臓――エンタングル・クォーツ。始原魔導器と呼ばれた禁断のアイテムが時を刻むかのように回転し、際限ない力の奔流を現実界に向けて吐き出し続けていた。
繭内部は、中心に浮遊する魔導器を取り囲むように床が設置されていて、魔導器の上部にもっと奇妙で異質なものが浮かんでいた。
魔導器から、水みたいな液体が湧き出し続けているのだ。その液体はまるで無重力下みたいに、魔導器の上に溜まっていって、ふよふよと浮かぶ球体を形成していた。
「あの水球の中にいるわ。ダアトによって狩られた魔女たちよ」
滑らかに脈動する水球。目を凝らすとその内部に、人影らしき姿が無数に確認できる。
僕は衝動的に、祭壇中央に鎮座する始原魔導器への連絡橋を進んでいた。
「無理だったの。わたしたちには始原魔導器を操作できない。わたしも何度も試した」
頭上に浮かぶ巨大な水球を仰ぎ見る。アクアリウムめいた水球に揺らぐ何人もの女性たち。みな裸体で、生気の通わない表情をしているのにゾッとするしかない。
そしてその中に見つけてしまった。こんな形で再会したくなかった人を。
「…………
長い銀髪を海に広げ、白い肌をしたスルールカディアの魔女が視界を漂っていく。串刺しにされた傷は肌にはなく、瞼は閉じられたままで、まるで眠り姫のような安らかさだ。
「……わたし、本当に驚かされたわ。宇佐美くんがこの女と接触していたなんて……」
やや自嘲気味な声がうしろから聞こえた。こっちも呪詛とか説明できない事情があったとはいえ、先輩に対して後ろめたい気持ちが今もくすぶっているのは事実だ。
「先輩は、本当にこの人を殺したいの? お父さんの仇だから、ずっと恨んでいたの?」
一度はっきりとさせたい問いかけだった。
と、背中に何か当てられる感触。息づかいが聞こえてきて、先輩のおでこが押しつけられてるんだってわかる。
「先輩と
僕の背中から苦しげに自分を引きはがした先輩が、戸惑うように数歩後ずさる。
「これは僕が決める。先輩には選ばせてあげない。七月絵穹の未来のために、みんな絶対連れて帰るんだ」
俯いた表情が苦しげだ。僕が勝手すぎるのかもしれない。
でも先輩は何とか呼吸を落ちつかせて、必要なあれこれを事務的に話してくれた。
「始原魔導器を操作する端末型魔導器がどこかにあるはずよ。インディゴはこの祭壇の下で眠らせてある。でも彼は何も持っていなかった。だから次にアバトラを疑ったのだけど」
だからアバトラを追ったのか。
そう言えば「端末」みたいなやつ、どこかで……。
「思い出した! 前に僕が誘拐された時、インディゴが金色の薄い板みたいなスマホを操作してるのを見たよ。あれを操作して、ファンタズマを呼び寄せたりしていた気がする」
一見してスマホかと思ったけど、画面もボタンない、本当に金属板みたいなやつだった。
けれどもそんなもの、さっき拘束したアバトラを調べても出てこなかったしな。
「インディゴたちがどこか見つかりにくい場所に隠したか、あるいは魔術的な仕掛けがあるのかもしれないわね」
「もう一度インディゴを調べよう。なんなら吐かせたっていい」
「捕虜に暴力的な尋問? 意外と非人道的なこと言うのね、宇佐美くん」
いや、あなたがこれまでにしてきたこともじゅうぶん非人道的です。
でも以前警察官にやったみたいに、魔術を使って相手に真実を喋らせる方法が――
などと対策に頭を捻ってる間に、先輩がトコトコと先に行っちゃった。
行方を探すと、いま僕が立ってる連絡橋の下――つまり繭の下層に降りる梯子があって、先輩はそこに向かっていた。
「あっ、待ってよ――」
追い付こうと駆け寄る。先輩は連絡橋に備えつけられた梯子を指差して、
「この下よ。ここから降りたところに、最初わたしが拘束されていたの」
そう言って、僕を振り向く七月先輩。
あれ、ヘンだな。急に耳が、きん、と硬直したみたいに。
いま聞こえたのは――銃声。
一度きりじゃない。先輩の胸に、いくつもの弾創が花開く。
真紅を撒き散らして、先輩の肢体が揺らいだ。力ない脚。うしろに倒れこんでゆく姿。僕へと伸ばされた手は何も掴み取ることなく、弾丸が二発、三発と彼女を穿っていく。
僕は走った。後ずさる彼女の元に。絶対に届け、守るんだと、僕の中の女神に念じて。
なのに急に力が抜けて、床へと転倒した。エンジンが沈黙していた。
目前に、血濡れの先輩が連絡橋から足を踏み外し、そのまま下層へと転落していった。
歯が砕けそうなほど噛みしめて、這って近付く。厭だ。こんなのあるか。
下に見えたのは、床一面に広がる血の海。その中心に沈む七月絵穹の見開かれた瞳はもう誰も映していない。
銃を構えたインディゴがゆっくりと迫ってきているのも、もう意識の外だった。
僕はもう、いま七月絵穹が生んだ最も深い呪いを、この喉から吐き出すためだけに存在していたのだから。
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