第2話
「――その少年の名は、
低く気だるげなトーンで、彼女が一気に読み上げた。
めっちゃ棒読みだった。気持ち的にはノリノリで朗読してたのだけはわかる。わかるんだけど彼女、声の演技はあんまうまくないっぽい。
あんまりな事態が目前にして、僕は十秒くらいフリーズしてしまっていた。
もちろん僕は、くだんのカムラギ何某なんかじゃない。何故かって、奴は空想上の人物だからね。
これは、とある高校、とあるお昼休み、とある一年生男子の物語。
それにしても、奇襲的に開催された赤裸々ゲリラ朗読会を咄嗟に制止できなかったばかりに、神叢木何某のキャラ紹介、結局最後まで終わっちゃったよ……。
なんて声をかけてよいものやらと口をパクパクしてる僕の前で、そいつをわざわざ音読してくれた〝彼女〟は背を向けたまんま。面識もないし、とにかく立ち振る舞いがいちいち演技がかってる女子だった。
ようやく本当の自分を取り戻した僕の唇がわなないた。
「……………………シュヴァルツ……ソーマ……」
迂闊にも声に出してしまっていたこの横文字こそが、彼女が望む答えに違いない。他人顔でスルーすべきだったって、あとでしこたま後悔したのは言うまでもないけどね。
「ご明答、シュヴァルツソーマ。『叛騎のシュヴァルツソーマ』より、プロローグ部分で主人公の神叢木刹刃が登場したシーンからの引用よ」
それはもう、助走つけてぶん殴られた気分だ。何故かってその小説『叛騎のシュヴァルツソーマ』は、他でもないこの僕が中学二年生のころに書いた、忘れ得ぬ過去なのだから。
でも拷問プレイはここでやめてくれるらしく、彼女は右手に持ってた小説のプリントアウト数枚を机にぽいと置いた。
「きみ、
「えっ…………なんで……」
なんで僕、捜されてた。なにこのひとこわい。
その上で僕を「宇佐美瑛斗」ってフルネームで把握してるとか、もはや緊急事態だと脳内でアラート音まで鳴るくらい。
くりくりとウェーブがかった黒髪が肩まで伸びて、彼女の横顔を遮っている。いや、髪型はまだいい、彼女のファッションは根本的にブッ飛んでいた。
短めにした制服のスカートからのぞくとっても肉感的な脚を、黒いタイツですっぽり覆っている。ただ黒タイツは何やらロココでゴシックでアールデコな感じ調の、刺繍やら装飾やらが這いずり回ってる。お前はどこの異世界からやって来た煉獄の魔女だという趣だ。
左腕に巻いてるのは包帯は、わざわざ黒く染色済み。ああなるほど闇属性ね。
そしてその胸元を飾る、やたらと目立つペンダント。
デカい。
――いやそっちじゃなくて。金ピカの輪っか型ペンダントトップが鎖から三つぶら下がっていて、そいつが露骨に浮いて見えたんだ。感嘆すべき起伏を描く彼女の胸元で。
しまった、異性をつぶさに観察してる場合じゃなかった!
「あの、人違いじゃないです? そのシュバなんとかってのも、なんのことやら……」
今度こそ戦略的撤退を即断だ。
「だって宇佐美くんこそが、シュヴァルツソーマの作者である『
あなたこそなんて恐ろしいことを突然口走ってんですか。やっぱりこのひとこわい。
何故かって、くだんのシュヴァルツソーマはネット小説だったんだ。
当然、ネットだからあらゆる個人情報は伏せていた。それを高校に進学した今になって、しかも全然知らない人からいきなりリアル特定されたなんて。あなたスーパーハッカーか。マジで怖すぎる。
そんな僕の焦りを見透かしたのか。さっきまでずっと窓の外を眺めていた彼女が遂に、大仰な所作で振り返ってくれました。
その顔を見て、僕はまず鼻水を噴出した。
「ねえ、きみ、なにを苦しげに制御しようとしているのかしら? 内に秘めたる前世の力が抑えきれず暴走しそうだったりするの?」
違う、我慢してるんです。
「いやだってさ、あなた……そのカッコはさすがに頑張りすぎでしょうって!」
この女子、なんと仮面をしてたんだ。それも、先ほど朗読してみせたシュヴァルツソーマの主人公・神叢木刹刃が装着してた魔装具(って設定の)、「
「……なにがおかしくって? それ、神叢木刹刃への侮辱と受け取っていいのかしら? 赦さない」
「いやいや、小説のキャラを侮辱とか! しかもなんで作者の僕に代わってあなたが受けて立っちゃってるの! ……あっ」
うっかり口が滑ったけど、この絵面はそれどころじゃない。我が校の風紀委員、職務どうしたよ。こんな格好のが校内うろついてるんですけど。
とにかく、色々ヤバい情報を握られてるらしいのも全部すっ飛んでしまった。
「ようやく作者本人と対面できたのに、こころなしかアプローチを誤った気がしてきたわ」
そういえばこの人、喋り方が奇妙に仰々しくて、どうにも脚本的に聞こえるな。そういうキャラ設定なんだろうか、彼女の脳内では。
「あの、そろそろ本題に戻しますね。あなたは誰で、僕に一体何の用なんですか、
うちの高校の規定では、服装に学年を識別できるような目印がない。ただ僕はまだ一年生だから、言葉遣いや物腰から、相手が上級生だと仮定して応じる。
「僕は、この部室の片付けを手伝ってくれって友達に呼び出されてここに来たつもりなんだけど、これってもしかしてあいつの仕込んだ悪戯かなにかとか?」
悪戯にしてはあり得ない展開になってるし、本音では何も聞かず教室に戻りたい気持ち。
「わかりました、単刀直入に要件を言うわ」
なんか魔法でも出そうな手つきで僕を指し、宣言する。
「宇佐美くん、きみのこの空想――――実現してみたくはない?」
彼女が突きつけてきたのは、魔導書ではなくプリントアウトの束だ。
「えっ…………あ、はい? 空想って……」
嘘や冗談のたぐいではないと、仮面の奥の視線がじっと僕を射止めてきた。
「自己紹介が遅くなったわね。わたしの名は絵穹。この世界でただひとりの空想魔術師、
いやいやいや、なんか色々とすごい設定を語ってくれたはいいんですけど、
「空想が魔術でアポカリプス!? まず世界観の統一から始めよっか」
「そこは大して重要じゃないわ、だから落ち着いて聞くのよ宇佐美くん。わたしがシュヴァルツソーマを構造解析した結果、作者の空想魔術に対する適性値が異様に高い事実が判明したの」
「いや、解析も何も、あれは中学二年生が打ち込んだただのテキストデータなのでわ」
「わたしは因果律を超えた未来を視た。きたる
ええと、ご高説ありがたいんですけど、中学生の書いたネット小説→世界を滅亡から救うとか、さすがに超展開すぎませんか。
「どうしてかわかるかしら? わたしが発明した〈空想魔術〉は、使い手の空想を魔法に変える、究極の魔術体系なの。わたしと契約すれば、空想がきみをヒーローに変える」
話の意図が僕には飲み込めないし、そもそも始めから会話が全然噛み合っていなかった。
「あの、だから先輩。僕は友達のためにここに来ただけで、今そういうのはちょっと……」
「残念。それはわたしが仕組んだ巧妙な罠ね。やむを得なかったとはいえ、きみを欺く結果になった点は大変申し訳なかったと反省しているわ」
ちっとも申し訳なくなさそうなトーンで。だから思わず肩肘に力がこもった。
「あの、僕がやることないんなら、そろそろ教室に戻るんで……」
くるりときびすを返す。今度こそ一目散に早足で、逃げるが勝ち、戦略的撤退だ。
「――待ってちょうだい宇佐美くん。誤解のないよう伝えておくけれど、わたしはこの小説をきみへの脅迫材料にするつもりじゃないのよ。純粋にきみの好奇心に問いたいだけ」
背後で、紙束がぱらりと音を立てた。
この人、シュヴァルツソーマをチラつかせて一体どうしたいんだろう。あれをバラされたところで僕にダメージはない。僕の忘れたい過去は、本当はあれとは別にあるのだから。
「あら、もうお昼休みが終わってしまうわね。もし興味があったら、放課後にもう一度この部室まで来てちょうだい。わたしは宇佐美くんのように空想力豊かな人材を歓迎するわ」
あまりに一方的で、このまま続けても全てが噛み合わなさそうだった。
だから僕は、ここまで穏当にやり過ごしてきた彼女との関係を打ち切ることに決めた。
「――そういうの、中二病、って言いますよね?」
そう、中二病だ。叛騎のシュヴァルツソーマも、この七月ってコスプレ先輩自身も。
「残念だけど先輩、僕のこと根本的に誤解してますよ。僕は中二病じゃないんです。今は当然違いますし、その小説を書いた当時も中二病じゃなかったんで」
だからって中二病を糾弾するつもりはない。ただ宇佐美瑛斗もあなたと同じ中二病だって決めつけは、まったくの見当違いだと理解して欲しいだけ。
「だから僕、中二病的なものには根本的に興味がないんです」
けれども彼女の喉が不快さを訴えたのを、僕は見逃せなかった。
「すみません、僕が他人を誤解させるような真似を過去にしたせいで、今になって先輩を期待させちゃう結果になったんですよね……。だったらやっぱり僕が悪い、かな」
入ってきた扉を静かに開け放つ。
僕も別に怒っているわけじゃない。彼女を怒らせたくもなかった。こういう価値観の衝突には散々慣れっこだったから。
だから笑顔で失礼しました、くらいは言ってから教室に戻るつもりだった。なのに。
……中二病ですって? か細い声で、彼女がそう吐き捨てたのが聞こえた。
「わたし、そんな呼び方、嫌いよ、大嫌い。虫唾が奔る。ねえ教えて宇佐美くん、物語を空想することは恥ずかしいことなの? 日常に自分の物語を重ね合わせるのは悪い病気だって言いたいの? 現代の若者たちを蝕む病巣なの? 治療しなくてはならないの?」
「い、いえ……さすがに僕そこまでは言ってな――」
「中二病なんて呼び方、かけがえのない空想たちをたった一言で毀損する最悪の表現だわ」
声を荒らげているわけでもないのに、強い剣幕を感じて。僕が悪者に思えてきて。
「だから。未成熟さが生み出す無限の空想力を秘めた彼ら少年少女を、わたしは〈ジュヴナイルズ〉と表現する」
前言撤回、やっぱり理解できない。こっちの常識が追いつかない。
「宇佐美くん、きみだってジュヴナイルズなの。その素質があるって、シュヴァルツソーマが体現している。神叢木刹刃の
言ってることはオトナ目線なのに、ちっちゃい子みたいに両手をぎゅって構えて迫真の演説。そこに躊躇いなんて微塵にもない。
「この世界はいま滅亡の淵にあるわ。だから翼の折れたわたしたちが不条理に立ち向かうために、空想という魔法でこの身を纏うの。そのためにわたしは空想魔術を生み出した」
空想魔術? 魔術の実現よりも先走ってどうするつもりなの。
世界が滅亡? あれから十年がかりで復興したからこそ今の世界があるのに。
一体何の執念が彼女をそこまで駆り立てるんだろう。七月先輩は背が高くてスタイルもよくて、仮面で素顔を隠していてもきっと美人なんだってわかった。それに僕は年上のお姉さんなんて最高に大好きすぎるし。
でも僕は、彼女の根拠不明な真剣さに完全に気圧されてしまった。
「……あは、あははは……その案件は一旦持ち帰って検討させていただきますですよ……」
大真面目に電波な活動をしてる七月絵穹に、それ以上返す言葉をなくしてしまった。
それから部室のドアを閉ざす瞬間まで、僕は一言も言葉を発せられなかった。
僕は中二病じゃない。まだ中学二年生だったあのころの〝俺〟も、同年代の中二病を馬鹿にしてたくらい。なのに今ごろジュヴナイルズだなんて言われてもわかるはずがない。
宇佐美瑛斗、十五歳で迎えた夏の入口に立つ。
でも運命的ボーイミーツガールを遂げた七月先輩との秘密の約束は、結局すっぽかして。
この日の放課後は、そのまま寄り道せずにまっすぐ自宅へと帰った。そのあと最近家族に仲間入りしたばかりの子猫たちと疲れるまで遊んだ。
ねこ、かわいいよね。
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