104・主

 天から降り注ぐ光に照らされ、彼女の白銀の身体は闇に映えた。大きく広げられた翼がゆっくりと羽ばたき、巻き起こした風が小さな破片を舞い上がらせる。

 “背中に羽みたいなもんを生やしていた”というディックの証言どおり、鳥のように大きな羽が彼女の背にある。全身を覆う鎧は、頭から足先まで、彼女のボディーラインそのままにピッタリと皮膚に張り付き、無機質さを演出していた。唯一鼻と口の部分にだけ見える肌色が、彼女が人間だったことを示している。

 目の部分を覆ったマスクで、表情が見えない。“マザーと同化した”、それがどういうことを意味しているのか理解できないハロルドは、恐る恐る彼女に声をかけた。


「エスター、エスターなのか。お前、そこで一体何を」


 返事はない。

 彼女はゆっくりと天井が消えた執務室の角に降り立ち、そのまま数歩進んで、冷たいマスクをハロルドに向けた。

 重々しい空気が流れ、そこに居る誰もが、リーさえも、動きを止める。


「エスターというのは、この肉体のことか」


 紛れもないエスターの声だ。だが、やはり中身は違う。話し方も、発音、滑舌、どれも記憶の中の彼女の物ではない。

 “同化した”というより、“乗っ取られた”ような感じだ。二つの人格が丁度良く混ざり合うようなイメージがあったが、そうじゃない。完全にエスターの部分が消え、恐らくマザーであろう人格が前面に出ている。

 ハロルドでさえ違和感を覚えた。

 政府ビルの地下実験室で同化の様子を目の当たりにしていたディックやジュンヤは、このことをどこまで知っていたのか。肝心なことは何一つ、そう、ディックは何も言わなかった。本当は気が気でないはずだのに。


「何モカモ、私ノ設計通リダ。美シイ白イ天使ヨ、世界ヲ全テ壊シテシマエ」


 天使に向けてリーは耳障りな声で話かけたが、彼女は反応しない。ただじっと、ハロルドの目を見つめたままだ。

 次の言葉を待っているのか、そう思ったハロルドは、恐る恐る台詞を繋いだ。


「そうだ、その身体の持ち主、エスター・エマードに呼びかけてる。何が起きているのか、俺にはサッパリわからないが……、エスター、お前は自分がどうなってるのか、何をしているのか理解してるのか。ディックもジュンヤも、メイも、仲間みんなが、お前のことを心配してる」


 伝わっているのかどうか。彼女は相変わらず無表情のまま、また一歩一歩、近付いてくる。残骸を乗り越え、死体を踏み越え、炎の間を潜り、徐々に、徐々に。

 圧倒的な存在感に飲み込まれそうになる。機械に成り果てたリーがガラクタに見えてしまうほど、彼女は神々しかった。狂った男が設計したとは思えないほど、完璧なまでに美しいのだ。


「この身体から“E”の意識は消えた。今は私がこの身体を支配している。私は、破壊と創造を司る。不用なモノは消去する」


 天使の白い手がスッと天に掲げられたかと思うと、バチバチと空気が震え始めた。静電気、電流、目に見えないエネルギーが彼女の指先に集まり、激しくフラッシュする。


「ふ、伏せろ!」


 誰かが叫び声を上げた。

 ハロルドたちは慌てて身体を縮める。しかし、そんなことで防げるはずなど無かった。

 天使の右手に集約されたエネルギーが一気に放出される。地を揺らすような激しく強い音が鳴り響き、ビル全体がギッシギッシと激しく横に振動した。

 足場が崩れ、下の階まで落ちていく者、はじき飛ばされる者もいる。悲鳴や叫びがあちこちで聞こえたが、ハロルドは壁に張り付いたまま身動きが取れない。風圧が凄まじい。少しでも動こうものなら、自分も同じ状況に陥りかねないのだ。

 爆音が轟いた後も、連鎖するようにドームの天井は剥がれ落ち続けた。卵の殻がむけていくように、少しずつ少しずつ、世界を光が包んでいく。しかし、それは同時に、ドームの中に瓦礫を降らせ、ありとあらゆるものを押し潰していることを示している。

 どれぐらいの期間をかけて造り上げたか知らない世界を、マザー・コンピューター主導で造り上げてきた世界を、ティン・リーの作った破壊プログラムはいとも簡単に崩していった。

 それを彼女がどんな気持ちで見つめているのか、ハロルドにはわからない。彼女はただ、冷たいマスクの下で笑うこともなく、口を噤んでいるだけ。もしエスターの心が微塵でも残っていれば、こんなことを許せるはずなど無いのだろうが。


「破壊プログラムハ、世界中二広ガッテイク。全テノドームガ、ココト同ジヨウニ崩レテイク。コノ星ノ文明ガ滅ビタ後デ、私ハ神トナリ、新タナ世界ヲ構築スルノダ」


 ガハハと下品な笑い声、ティン・リーはブルンと尾を震わせ、壊れた床に何度も叩き付けた。その度にまた足元が崩れる。バランスが崩れ、最上階の床は平衡感覚を失ってしまっていた。段差が出来、陥没し、階下が見える箇所も。

 リーを止めるどころの話じゃない、エスターの身体を乗っ取ったマザーまで敵になってしまった。対人間を想定して準備してきた武器は、役に立ちそうにない。

 どうする。

 生き残った数人、顔を見合わせて打開策を探るが、何も浮かばない。このまま吹き飛ばされるか焼かれるか、死ぬ方法を選べと言われているような錯覚に陥る。

 ハロルドを凝視していたマザーは、ゆっくりと手を下ろしてリーに向き直った。数回、羽をばたつかせた後で、


「誰が神になると」


 抑揚のない声で彼に尋ねた。

 リーはまた、ケタケタと軋むような声で笑う。


「マザー、私ト共ニ、世界ヲ再構築スルノダ。愚カナ人間共二、我々ノ存在ヲ知ラシメロ」


「お前が我が主であると」


「ソウダ」


「……認識しない。お前は主ではない。主の生体反応は、この星から消えた」


「ド、ドウイウコトダ」


 リーの赤い目が数度、瞬きのように点滅した。動揺しているのか、足をふらつかせ、数歩後退りする。


「私の主は、政府総統を名乗っていた若い男だった。彼の生体反応は、私とEの同化完了と同時か、その前後に消えた。今は地下で果てているはずだ。お前のようなロボットが私の主を名乗ったとして、私は何をもってお前を主だと認識すれば良いのだ」


 一歩、一歩、マザーはリーを追い詰めていく。大きく広げた羽に威嚇され、リーは更に後ろへと逃げた。三メートル近い巨体が建物の縁に近付くと、重心がずれて、またビルがしなった。


「私はお前の指図など受けぬ。私は私の意志で、世界を再構築する」


 マザーの指先が、リーの身体に向けられる。指先に蓄えられたエネルギーがどんどん膨れ上がっていく。

 ビルの縁に追い詰められたリーは、両手を高く掲げ、拳を握りしめた。猛々しく機械音を轟かせ、ぐっと腰を落とす。雄叫びと共に体内の高濃度エネルギー溶液を沸騰させ、全身に巡らせた。

 空気が激しく振動した。一階、また一階と、下の階が押し潰され、徐々に視線が低くなる。その度にハロルドたちは突き上げられ、突き落とされ、それでも必死にビルの外へ振り落とされぬよう踏ん張り続けた。全身を打撲し、意識を保っているのがやっとの状態、また仲間の人数が減った。生き残っているのは後何人なのか、数える気力すらない。

 増幅されたエネルギーがマザーの指先から放たれ、リーの巨体を襲う。リーも勢いを増した火炎を吐き、それに対抗する。二つの力が、激しくぶつかり合った。

 最上階の執務室は既に跡形も無く崩れ、リーの銀の身体は、階下へ階下へと押しやられていた。

 大きな翼を広げて、マザーはビルから飛び立った。リーの口から炎が噴射されなくなったのを確認し、攻撃の手を止める。


「地面までの距離を考えれば、落下による損傷に、その身体は耐えられまい。お前はもう、お終いだ」


 S-206型の大きな身体を支えていたビルの外壁が、音を立てて崩れだした。覚束ない足、何かに掴まろうとリーは必死にもがくが、鉄骨さえも彼の体重を支えきれずに崩れてしまう。


「ジョ……冗談ジャナイ。コンナ所デ死ンデタマルカ……! マザー、私ガ、オマエヲ造ッタノダゾ。私ガ居ナケレバ、オマエハ存在シナカッタ。私ハ、コノ世界ヲ造ッタ“神”ダ。私ハ死ナヌ、イツマデモ生キ続ケル……!」



 ――宙に、放り出された。

 銀色の魔物は大の字のまま、急降下していく。



「リー!!」


 誰かが、ビルの窓から身を乗り出して名を呼んだ。

 鈍い銀色のエアバイク、犬のロボットが一緒に見える。


「俺に断りもなく、死ぬつもりか!」


 聞き覚えのある渋い声、憎きディック・エマードが声を枯らして叫んでいる。






 死ぬつもりなど、あるわけがない。

 この先も、ずっと存在し続ける。

 例え、身体が朽ちても、だ。






 リーの身体は、数回、背の低いビルの壁に激突しながら、真っ逆さまに落ちていった。

 金属製の玩具が壊れるような乾いた音。手足が千切れ、エネルギー溶液がひしゃげた胴体から飛び散ると、どこからともなく引火して、それらは大きな炎に包まれた。


「バカヤロウ、俺の手でぶっ倒すはずだったのに……。こんな終わり方があるか」


 小さく砕け、炎に消えていくティン・リーを、ディックは複雑な思いで見つめていた。

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