103・焼キ尽シテヤル

 爆音が政府ビルの最上階に響いた。

 砲撃を一発、化け物の足目掛けて撃つが、少し重心が傾いたように見えただけで、傷を負わすことは出来なかった。

 “尾を狙え”というハロルドの指示どおり、戦闘員たちは数回にわたり下半身を集中攻撃したが、その度に床のタイルがめくれるだけ。剥き出しになったコンクリの床には穴が開き、足場の悪くなったその場所にまたのっしのっしとリーの巨体が乗る。すると、最上階の執務室全体が軋むように揺れ、攻撃に集中することが出来なくなるのだ。

 悪循環だ、誰もが思った。それでも、対処のしようが無い。

 どうやら、かなり強固な装甲で覆われているらしい。目の前の銀色の魔獣はまるで壊れることなく、痛みを感じぬ身体を前面に押し出してブンブンと太い尻尾を振り回した。至近距離まで迫れば、尾になぎ払われる。しかし、遠ければ遠いでエネルギー銃を撃ちまくっても、全くダメージを与えることが出来ない。

 威力のある手榴弾や砲撃すら全く効かず、味方の負傷と武器の浪費を重ねるだけでは、とても勝ち目はないのだが、少しでも効果があればと、攻撃を繰り返していた。

 木目調の美しい総統の執務机も、今はただの木くずだ。

 革張りのソファーからはスプリングが飛び出し、原型無いほど踏みつぶされている。銀の巨体が動く度に頭部の擦れた天井が崩れ、陥没しひびの入った床、夜景の臨める一面のガラス窓は枠を残して砕け散ってしまった。人間の姿をしていたときはさぞかし大切に使っただろうこの一室も、機械の魔物と成り果てた今は執着心が薄れたのだろうか。大きな手で床に散らばる家具の残骸を手にしては放り投げてみたり、硬い拳で壁を突き破ったりと、主とは思えない行動を繰り返している。

 細長く後ろに伸びた頭部、頭上から背中、そして尾の先まで続くノコギリ刃のような突起は、体当たりで彼を止めようとした戦闘員らの防護服に引っ掛かり、肉までえぐる。重心を崩すどころか、簡単に踏みつぶされ、当初の半分にまで戦力が減ってしまった。勝つ負けるの問題ではなく、果たして生き残れるのかという所にまで、ハロルドたちは追い込まれていた。


「ハル、まさかとは思うけど、あの時みたいに火を噴いたりはしないよな」


 耳元で囁いたのは、地下冷凍室で一緒だったウッドだ。


「それは俺も危惧しているところだけど、何とも」


 逃げるだけで精一杯のハロルドは、握りしめたエネルギー銃をまともに撃てずにいる。

 一丁前に防具を着けて武器を構えて、仰々しい格好をしているだけで、自分は戦力にはならない可能性の方が高いと、思い知らされていたのだ。

 あの時のように火でも噴かれようものなら、全滅もあり得る。ティン・リーと名乗るこの化け物を止めるどころか解放しかねない。それだけはありませんようにと祈っている最中に、目の前が赤く染まった。


「火だ!」


 恐れていたことが現実になっていた。

 銀の化け物は、体内の高濃度エネルギー溶液を炎に変え、口から噴射し始めた。火炎が右から左、左から右へと向きを変えて吹き付けられると、床一面に散らばった残骸に引火し、激しく燃え始めた。重傷を負った数人が炎の犠牲になり、悶えながら焼かれていくのを助けに行くことも出来ない。まだ動ける仲間だけ引っ張って安全なところへと逃げるのが精一杯だ。

 こうなってしまうと、近付くなんてのは到底無理、なるべく距離を取るしかない。

 リーは歓喜のあまり、ギアの軋むような音を立て、ケタケタと笑っている。


「焼キ尽シテヤル」


 野獣のような雄叫びを上げ、ますます勢いよく火を噴くリーに、戦闘員たちはおののいて後退った。

 執務室入り口まで追いやられ、歯を食いしばっていると、今度は青白い光が執務室のあちこちで立ち上る。転移装置の光だ。黒い服を着た人型の生き物が、次々に光の柱から顔を出す。人間とは言い切れない、あくまでも人型の何か。NCCのロゴが胸元に見え、ハロルドは彼らがディックと同じように遺伝子操作された生物なのだと悟る。狭い空間に十数体。コイツらを相手にしつつリーを攻撃するなど、果たして出来るのかどうか。

 思い思いに武器を振るって、NCCの出来損ない共が襲いかかってきた。ハロルドも流石に身の危険を感じ、エネルギー銃をぶっ放す。銃弾が当たろうが、背中から火炎で焼かれようがお構いなしに、黒い兵士は攻撃してきた。痛みも苦しみも、彼らにはないのだろう。生きている死体、そう思ってしまうほど、生気なく何度も立ち上がってくる。

 キリが無い。

 早く何とかしなければと焦る気持ちを抑え、ハロルドは必死に銃を撃ち続けた。

 ティン・リーの化け物が暴れたせいで、天井の照明はほぼ壊されてしまった。炎の色と、辛うじて明かりの付いている数個の照明を頼りに戦う。

 窓の外から見えていた空の色はいつの間にか消え、闇が広がっていた。夜景のように地上が煌めいて見えるのは、街が燃えているからだ。ゆらゆらとオレンジや赤の色が地上を照らし出している。炎と一緒に煙が何本も筋になって浮かび上がった。更に上空からも、天井が崩れ、固まりになって地上に降り注ぎ始めている。壊れた場所から光が差し、それが少しずつ少しずつ広がっている。

 “世界は崩壊する”というディックが流した噂を、ハロルドは当初、やり過ぎだと反対した。世界中が混乱してしまう、余計なことは言うべきではないと。

 ――しかし、現実に世界は崩れ始めている。

 この現象がネオ・ニューヨークシティだけで起きているのか、その他のドームでも起きているのか、それとも今後世界中がこうなってしまうのかは、わからない。

 ただ言えるのは、ディックには最初から何かが見えていたということだ。トリストの中でマザーに何を聞かされていたのか、全てはそこにかかっている。今はエスターと同化して消えてしまったようだが、それ以前、電子の海に居た彼女は、どのような女性人格で、何を訴えようとしていたのか。

 今更、そんなことを考えても仕方が無い。

 全てがなくなってしまった後、あれこれ考えたところで、元には戻らないのだ。

 背中には壁が迫っていた。ハロルドたちの居る執務室の入り口付近まで、リーの吐く炎が押し迫る。このまま廊下まで戻るか、それともぐるっと部屋の周囲を伝って後ろに回り、攻撃を続けるか。

 右手に見える別室は、作動したスプリンクラーで既に水浸し、そちらに追い込まれれば足元をすくわれてしまう。そっちに行くくらいなら、足元覚束なくても、何とかこの場でリーの動きを止めたいものだ。

 撃ちまくった銃弾が功を奏したのか、炎にやられたのか、NCCの兵士は次々に倒れていった。だが、目の前の危険が全て取り払われたわけではない。一番の大物がまだ残っている。

 ティン・リーの化け物は、勢い衰えることなく炎を吐き続けた。時折金属の擦れるような気味の悪い声で叫んだり、悦に浸って気色の悪い電子音で笑ったり、その中身は本当に、島でハロルドが見た“ティン・リー”なのか。

 ――パンと、何かが弾けるような音がして、そこに居た面々は揃って目線を外へ向けた。

 残っていた窓枠とガラスの欠片が全てはじけ飛び、外の景色を遮る物がなくなっている。冷たい風がわっと吹いて残骸を吹き飛ばし、ハロルドらは慌てて顔を両腕で覆った。感じたことがないくらい強い風が一気に上から吹き付けてくる。何が起きているのか、ハロルドは恐る恐る、腕の間から様子をうかがった。やたらと眩しい。まるで、ドームの外へ出てしまったかのように。


「上を見ろ!」


 誰かが叫んだ。

 反射的に顔を上げると――、青い、空が。


「て、天井が吹き飛んでる」


 苦労して穴を開け、やっと侵入したあの分厚い天井を、正体不明の力は一瞬で吹き飛ばしてしまっていた。総統執務室の真上を中心に、半径数十メートルの天井が消えてしまったのだ。

 ドーム内と外の気圧差が原因で、風がグルグルと渦を巻いた。空気が薄まって炎が心なしか勢いを弱めていく。

 ギギギ、ガガガ、と、バランスを崩しかけたリーが耳障りな音を立てて重心を戻し、炎を吐くのをやめてぐるんと振り向くと、そこに白く大きな影があった。


「マザー、来タノカ。世界ヲ崩シ、造リ変エルタメニ」


 リーは両手を大きく広げ、咆哮した。ドーム中に響き渡るほどの大きな声は、風に混じって更に膨らんだ。振動でまた、足元が揺れる。

 立っているだけで精一杯のハロルドたちは、壁により掛かり、互いに身を支えあった。

 猛獣を一瞬で黙らせた白い影は――、大きな羽を広げた美しい天使だった。

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