102・覚悟

「……で、博士一人残してのこのこ飛んできたわけだ」


 小型転移装置でEUドームに飛んだ三人に向けられたのは、アンリの容赦ない一言だった。ディックの端末に残されていた内部監視室の座標、頼れるのはそこしかないと、深い考え無しに飛んだと言われれば、確かにぐうの音も出ない。

 内部監視室では、トリストの修繕作業をが終わり、数人のスタッフが床一面に伸びていた配線を手際よく片付けていた。アンリも機械やモニターのメンテナンス作業をしながら、ネオ・ニューヨークシティや政府の動きを探っていたようだ。精密ドライバー片手に機械に張り付いていたアンリは、見覚えのある青白い光に手を止め、現れた三つの人影にうなだれてしまう。想定していたのと別の方向に事態が進んでいたことを悟ったのだ。


「残してきたってわけじゃないけど」


 ダニーに肩を抱えられたジュンヤは、申し訳なさそうに目線を落とした。

 あり合わせの道具と包帯で固定された足が痛々しく、立っているのがやっとなのだとアンリにもわかる。だが、ついつい、本音が口から出た。


「画面を通しても頼りないと思ってたけど、本当に頼れないな。ジュンヤ、君って男は、博士のことをなんだと思って」


 ジュンヤは、ますます申し訳なさそうに身を屈めた。

 風体からして三十手前のアンリは、ディックと対等に話していたところをみると、かなりの頭の切れる人物らしい。しかし、チャラチャラとした外見からそれが想像できるかと言えば、かなり難しい。逆立たせた銀髪も、細長の四角い眼鏡も、黒でまとめた服装も、技術者からはかけ離れた印象だ。“アンリと連絡を取ってくれ”ディックの言葉を信じるならば、彼がこの先の道しるべとなるようなのだが、会って早々に“頼りない”と言われたジュンヤは、複雑な心境だった。


「俺だって、何とか出来るなら何とかしたかった。……だけど、事態は最悪の方向に動いてしまった。エスターは完全にマザーと同化し、リーも化け物に姿を変えた。負傷した俺を“戦力にならない”と判断したから、ディックは避難するよう仕向けたんだろ。……もちろん、こんな終わり方、納得できるわけない。無理してでも現地に戻りたいと、今でも思ってる」


 痛めた足を引き摺りながら、ジュンヤは悔しそうに拳を握った。


「そんな足で何が出来る。それこそ、博士の足手まといになるだけじゃないのか。希望だけ言ったところで、実現できないなら、言わない方が未だ利口ってもんだ。――それより、現状を整理しよう。突然ネオ・ニューヨークシティのメイン・コンピューターとの接続が途切れたんだ。こっちからのアクセスにはまるで応じない。ハロルドとの連絡もつかないし、一体どうなってるのか、ここからじゃ殆どわからないんだ」


 アンリは言いながら、部屋の隅にあるミーティング用テーブルにジュンヤを案内した。

「あんたたちも」の言葉に、ダニーとレナは顔を見合わせ、恐る恐る付いていく。


「しかし、すごいところだね……。何なの、ここは」


 レナは室内をぐるっと見回し、ため息を漏らした。床から天井までびっしりと積み重なったモニターや端末、その中央に鎮座する流線型の美しい機械と、天井から垂れ下がった太いコード、まるで一つの芸術作品を見ているかのように、彼女は頬を綻ばせた。

 近視の彼女は詳細を捉えることはなかったが、それでも、金属の重なりや耳に響く機械音に胸が高鳴った。誘導するアンリの意志に逆らって、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、目を細めて手を伸ばし、触ってはニヤニヤを繰り返す。

 今の状況を把握しているのかと思われるほど目を輝かせる彼女に、


「機械好きは良いが、時と場合を考えろ」


 とダニーが忠告するも、まるで聞き入れる様子がない。

 ちょろちょろと動きまわるレナを余所に、ドア一枚分ほどのスペースに小さな四角いテーブル、四つの椅子、中央にノート大の電子ペーパーを広げると、アンリは三人にその場に着席するよう求めてきた。ダニーに支えられるようにしてジュンヤがまず腰を下ろし、その隣にダニー、レナが座る。皆が集まったのを確認し、


「まず見て」


 アンリは自分のペースでぐいぐいと話を進めていった。


「地下実験室とやらは……火災炎上中。で、ハロルドがドーム上空から総統執務室に向かったはずだけど、こっちは順調、総統も地下から最上階へ移動した、と。で、ビルから一キロの救護所は、周囲のビルもろとも倒壊……。それから、何だっけ」


「エネルギーステーションが爆発した。ここと、ここと、……ここかな。この辺もだったような。それから、白い天使が来て、政府ビルの方向に」


「他には」


「どこかから召喚された化け物みたいなのが、相当数現れてるよ。ダニー、どの辺だっけ」


「確か、この周辺だったよな」


 電子ペーパー上に映し出されたネオ・ニューヨークシティの地図に、アンリが指でメモをしていく。証言を元に走り書きの字がそのまま転写されるのを、三人はうなずきながら眺めていた。


「こう書き込んでみると、結構広範囲だな」


「生きてるのを褒めて欲しいくらいだよ」


 冗談交じりに言うダニーだが、地図を見て内心焦っていた。

 被害はネオ・ニューヨークシティのほぼ全域にわたっている。特に政府ビルを中心とした繁華街の被害が著しい。作戦に協力してくれた医師らも、働きかけに応じて避難している一般市民らも、この様子では生き残っているのかどうか。最悪の事態が予想される。最早、後悔してもどうにもならないというのに、慚愧の念が渦巻いてしまう。

 目に見えない部分で更に被害が拡大している恐れもある。ダニーらが把握しているのは、あくまでも屋外から見えた範囲での被害だ。年寄りや子どもの多い郊外の住宅地で何が起きているのか、政府ビル内部で何が起きているのかは不明のままだ。

 ――ふいに、レナが何かに気付き、あっと声を上げた。


「ねぇ、このドーム、回線はおかしくないの」


「回線?」


「あっちでは、ネットワークに繋がったコンピューターが、少しずつイカレ始めてた。画面が真っ黒になって、変な字がずら~っと流れてるだけになってさ。幸い、携帯端末は無事だったけど、……もしかして、マザーの浸透には時差がある? てことは、ここのコンピューターがまともなうちに、何か対策、取れたりする?」


「対策というと」


 電子ペーパーから目線を離し、レナの目を見つめるアンリ。その視線が異様に冷たく、彼女は思わず息を飲んだ。


「た、対策っていうか、対抗策っていうか。まぁ、なんて言うの、マザーの暴走を止める方法だよ。機械化した総統のことは目の当たりにしていないから何とも言えないけど、マザーに関しては何かが出来るんじゃないかと思ったわけよ。確かマザーは、政府総統のせいで無理矢理あの娘と同化させられて、破壊プログラムみたいなものを起動させているわけでしょ。マザーは元々AI、人工頭脳といえど、所詮組まれたプログラムによって動いているに過ぎないわけよね。恐らく、コンピューターウイルスみたいな感じのもので、データを改変させられてる状態だと思うんだ。あの娘との同化自体を取り消すことは出来ないにしても、その破壊プログラムを打ち消すような物が作れれば、破壊行為をやめてくれる……ってのは、あまりにポジティブすぎる、かなー……って、アレぇ? どうしたのみんな、そんな目を丸くしちゃって」


 調子に乗って、とりあえず言いたいことを全部言った後で周囲を見回すと、時間が止まってしまったかのように、男共は目をしばたたかせていた。口を半分開けてアホ面になった彼らに、どう話しかけたら良いのか迷うくらい、何かに驚いているではないか。

 不味いことを言ってしまったんだろうか。

 レナは両手で口を押さえ、ごめんなさいごめんなさいと目をキョロキョロさせながら心の中で何度も呟いた。



「――そういうのをさ、なんでもっと早く思い浮かばないんだよ」



 悔しそうな声を出して、アンリは両手で頭を抱えた。

 思っていたのと全く違う反応に、今度はレナがぽかんとしてしまう。


「同化される前に、ワクチン的な予防策が打てないかっていう考えまでには、辿り着いてたんだ。でも、同化されたらまず無理だろうと……、そっから先、僕は何も考えちゃいなかった。彼女のことを本当に考えるなら、同化が始まった後も諦めない、それが男だろ……。何て、何て愚かなんだ」


 頭を振り、己の無力さにため息をつくアンリを覗き込むようにして、ジュンヤは恐る恐る尋ねてみた。


「彼女……って、まさか、お前もエスターのこと」


「バカヤロウ、彼女って言ったら、マザーのことに決まってるだろ。あのクソオヤジの娘なんぞに興味があるか、僕はマザー一筋なんだ。君みたいな物好きと一緒にされちゃ困る」


 アンリは赤面しながらも、必死に否定してくる。

 マザーの話になった途端、冷静さを失ったのに驚いて、ジュンヤは座っていた椅子からずり落ちそうになっていた。


「え、まさか二次元……うそだろ」


 ダニーもレナも、豹変に絶句し、顔を引きつらせる。

 そういう人間もいるらしいと噂には聞いていたが、目の前のクールな男がそれだとは。


「し、失礼だな、君らは。彼女には固定した形という概念がない。僕は少なくとも、彼女と出会うときは三次元、いや、四次元の感覚で触れ合っていた。彼女がどれほど世界を愛し、世界を憂いているのか、君らには到底わからないだろう。僕だけが彼女の理解者で、パートナーだったんだ。だのに、あの男は奪った……。しかも、よりによって、ヒゲ男の娘と同化させるなんて、ホント、理解に苦しむ」


 まともそうなふりをして、とんだ変態男だ。思ったが、三人とも口には出来なかった。

 ちらと周囲を見れば、メンテナンス要員のスタッフも、苦笑いを浮かべてアンリを見ている。

 本人は至極真面目で、余計なことは言えないような雰囲気、とりあえずこのまま流そうかと、ジュンヤたちは目で合図した。

 この辺りで空気を変えなければと、咳払いを一つ、姿勢を正してレナが無理矢理話題を戻した。


「――で、ものは相談なんだけど、ここには幸い機材がたくさんありそうだし、それなりに人員も確保できそうじゃない。試行錯誤することにはなるし、マザーがこのドーム内に浸透するまでっていう時間との闘いでもあるけど、やってみる価値は、あると思わない?」


「思うとか思わないじゃない、価値はある」


 さっきからの勢いそのままに、アンリが返事する。

 電子ペーパーに別画面を呼び出して、彼は有効と思われる方法をささっと図で描き始めた。


「マザーのいるネオ・ニューヨークシティでは回線異常が発生してるが、こっちには今のところ被害はない。普段は、EUドームのメイン・コンピューターとネオ・ニューヨークシティのメイン・コンピューターを繋いでいる回線を利用してアクセスしてるわけだけど、さっきこの回線を利用しようとしたら、弾かれてしまった。正常なシステムからの侵入をブロックする機能が働いている印象だったんだよ。まず一方で、EUドームのメイン・コンピューターを守る必要がある。もう一方で、破壊プログラムを阻止するソフトを作る。問題は、出来上がったソフトを如何にしてマザーに読み込ませるかってことになるけど」


「それなら、口から投与するしかないと思うぜ」


 門外漢がしゃしゃり出るべきじゃないとしばらく沈黙していたダニーが、急に口を開いた。

 テーブルに肘をついたまま無精ひげを撫ぜ、


「天使の口、見えてた。顔の上半分はマスクみたいなので隠れてたけど、あそこが唯一、投与できる箇所だと思う」


 頭の良いように見せたいのか、普段は伊達眼鏡を掛けているダニー、実は視力が良い。コンタクトレンズか眼鏡がなければ何も出来ないレナと違い、あの状況下でしっかりと観察していたようだ。


「ベースは生身の人間なんだろうから、チップやディスク型のものじゃダメだ。飲み込ますようにするしか方法はないな」


「……液体状のものか、錠剤のようなものか」


 と、ジュンヤ。


「飲み込ますったって、誰がどうやってあの天使に近付くのよ。ほぼ不可能に等しいんじゃないの」


 レナも、長い黒髪をくしゃくしゃと掻いて悩んでいる。

 マザーと同化したあの身体にどのような機能が備わっているのか、はっきりとはわからない。ただ、飛行能力があるのは目にした。その上攻撃力が高ければ、上手く近づけたところでそれ以上何も出来ないまま撤退することになるのは目に見えていた。


「――俺が、行くしかないな」


 額に汗を滲ませ、痛みに耐えているのか青ざめた顔で電子ペーパーを見つめていたジュンヤは、意を決したようにそう呟いた。


「行くしかないって。そんな身体じゃ無理だ」


 応急手当をと思いながら話に引き込まれていたダニーが慌てて制止する。


「他に、誰が出来るっていうんだよ。躊躇ってる場合じゃないだろ。……ダニー、治癒促進剤とかいうヤツを打ってくれ。アンリたちの準備が出来るまでの間に、何としても動けるようになってやる。そして俺が……、エスターを救うんだ」

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