101・一縷の望み
一通り今起きていることを喋った後で回線を切り、レナはフレディの背中をこじ開けた。座標を確かめ、ディックの端末に情報を送信する。
「頼むよ、博士。ホント、お願いだから早く飛んできて」
祈るような気持ちで足元に置いた携帯端末に手を合わせた。
「けど、博士が飛んできたところで、何が出来ると思う。天使まで距離を縮めたのは良いけど、近寄れる感じじゃないし、アレが何者なのか全然わからない。俺たちと違って、丸腰じゃないにしても、あんなのに対抗するような強力な武器は持ち歩いてなかったじゃないか」
「そうだけどさぁ……」
ダニーに気持ちを削がれ、レナはため息をつく。
そんなことは言われなくてもわかっている。いくら“NO CODEの星”と呼ばれた人物だとしても、彼に特殊な能力などあるようには見えないからだ。
「だからと言って、他に頼れる人もいないし。事情を一番知ってるのはエマード博士でしょ」
「あのなぁ、簡単に言うけど、相手は化け物だぜ。生身の人間が勝てる相手じゃない」
「そんなの、やってみなくちゃわからないじゃないの」
「やらなくたって、結果なんて明白だろ」
言い争いをしているその側で、周囲が青白く光った。
「何が明白だって」
低く渋い声、ガタイの良い身体、――ディックだ。ジュンヤも一緒のようだ。ディックに肩を支えられて、辛そうにしている。
「博士!」
二人は声を揃え、ディックらの側に駆け寄った。
フレディも嬉しそうに尾を振りながら、ディックに駆け寄っていく。
「すまないな。まさかこんな事になっているとは……。てっきりお前らがいるのは救護所だと思っていたんだが、あっちはどうなったんだ」
じゃれつくフレディの頭や背を何故ながら、ディックは周囲を見渡した。屋上からは火の手があちこちに見えた。切り倒されたビル群、つんざくような悲鳴、光を失った人工太陽。
ドームの天井からハロルドたちが侵入したのは知っているが、この崩れ具合、恐らく彼らの仕業ではない。リーのヤツが便乗して穴を広げているのだ。惨状は想像以上だったらしく、顔をしかめている。
「なるべく被害に遭いにくくて、政府ビルからもそう遠くない場所を選んだつもりだったんだけど……、あそこはもうダメだ。恐らく、崩れたビルの下敷きになってる。見通しが甘かったんだ」
ダニーはそう言って、肩を落とした。
正直、“見通しが甘い”で済まされるレベルではない。ティン・リーが全てを破壊するつもりだということは予想できていたが、ここまで何の躊躇もなく全てを破壊してしまうとはディック自身想像だにしていなかった。
マザー・コンピューターは世界中のコンピューターと繋がっているらしい。回路の隅々までマザーの指令が行き渡り、それが創造へと働いた結果、今の世界が出来た。破壊へと働けば――、機械共は暴走して世界を崩していく。
マザーは言った、『政府総統ティン・リーの暴走を止めよ』と。
しかし、約束は果たせそうにない。
これだけ破壊の限りを尽くされた後で、リーを止めるなど出来るのか。
しかも、今彼は人の姿していない。破壊力の高いロボに意識データを移してしまった。
加えて、破壊の天使に姿を変えてしまったエスターを止める方法も、見つかりそうにない。エスターとマザーの同化レベルも気になるが、問題は助けたとして真っ当に人間として生きていける状態にまで戻せるかということ。変化の途中経過を見た限りでは、体内に金属を取り込んでいた。“金属分子を含んだ特殊溶液は、Eの身体を巡るナノマシンと反応し、彼女自身を一つの機械に造り変える”と、リーはほざいた。“E”の研究中、確かにそんな話をしたのを覚えている。“機械と人間の融合した生命体を作ることによって、より完全な存在が作れないか”と。実現レベルまで研究が進んでいたということに、ディックは驚異した。そして、時間の流れがどれほど残酷で、技術進歩がどれだけ早いのかということも、いやというほど思い知らされる。
「……いや、俺にも、もっと先を見通せる力があれば良かった。もっと強制力のある避難指示が出来れば、ここの人間は助かったかも知れない。それより、ダニー、まずはジュンヤの怪我を見てくれないか。足が折れてるようだ。救護所に飛ぶもんだとばかり思っていたんだが、ここで何とか出来るなら、してほしい」
うんうんと数回うなずいて、ディックに肩を預けたジュンヤの左足を触診した。すねの辺り、不自然に折れ曲がっている。骨折箇所から熱を出し、苦しいのだろう、大量の汗が出ているようだ。
「酷いな……とりあえず応急措置だけは出来る。でも、出来るだけ早く病院に行った方がいい。と言っても、この状況じゃ病院なんて機能してないだろうけど」
乗ってきたエアバイクの座席を開け、包帯と添え木代わりになりそうな工具を取り出した。ディックと二人で屋上にジュンヤを寝かせ、手早く足を固定する。
「痛み止めぐらいしかない。飲んどく?」
「貰う、ありがとう」
政府ビルの地下で何があったのかはわからないが、血だらけで、すすの臭いがこびりつき、軽いやけども見える。早く処置をしてやらないと、痕が残る。医師の気持ちになりながらも、今ここで助けたとして、生き残れるのかどうかという葛藤も、ダニーの中で渦巻いていた。
「エマード博士、さっき言ってた“天使”。そこだよ、見える?」
屋上の柵から身を乗り出すようにして、レナは数百メートル先の背の高いビルの屋上を指さした。殆どのビルはなぎ倒されているのに、そのビルだけ不自然に残っている。屋上に白い影が見え、ディックは目を細めた。
「確かに、白いのがいるな」
トリストに乗り込んで暴れたときに眼鏡を壊して以来、そのままにしていたディックからは、レナの言う白い人影はぼやけてしか見えなかった。元々あまり目は良くないのに、勢い余って眼鏡をぶっ壊してしまったのを激しく後悔した。思えばレナも、確か眼鏡を掛けていたはずだ。やはりどこかでなくしたのだろう、目を細めて必死にそれを見ようとしている。
「アレの正体、知ってるの」
「ああ、知ってる」
レナの隣で、ディックはそう呟いた。物悲しげな声に、レナは思わず顔を上げて彼の表情を確かめた。
赤々とした炎に照らされていたその目は暗く沈んでいた。キリッとしていた眉が三角屋根のように曲がって、今にも泣き出しそうに目尻を震わせていた。
「あれは、俺の娘だ。……かわいそうに」
頬を涙が伝い落ちていく。握りしめた拳は震え、革手袋がぎゅぎゅっと音を立てた。
鬼のようなディックの意外な一面に、レナの胸はぎゅっと締め付けられる。
「同化は終わってしまった。あいつの中身はもう、俺の娘ではなくなっているのかも知れない。マザーにしたって、本人は否定していたが、こんな風になってしまうことを望んではいなかったはずだ。何が“神”だ、“完全なる支配”、そんなものクソ喰らえだ。そんなくだらないことのために、どれだけの命をもてあそぶつもりなんだ」
下から吹き上げられたビル風が、ディックの頬を乾かした。風に逆立った髪の毛は、彼の怒りを表しているようにも見えた。
「レナ、悪いが俺の代わりに、EUドームのアンリと連絡を取ってくれ。端末は渡しておく」
思い立ったように、ディックは懐から取り出した赤い端末を、ぽいとレナに投げて寄越した。
放り投げられたそれを、レナは慌てて両手でキャッチし、目を丸くする。
ディックはそれ以上何も言わずに、ジュンヤの手当をするダニーの側まで歩み寄った。
「エアバイクは返して貰う。悪いが、自力で避難してくれ。でなければ、俺かジュンヤの端末に適当な座標を入れて、どこか安全なところへ飛べ」
「飛べって……、ディック、何をするつもりだ」
熱に冒されたジュンヤが、上半身をぐいっと起こしてディックに叫んだ。
「何を……? 愚問だ。エスターを助けに行く。そして、リーをぶっ倒す」
ジュンヤの防具からそっとエネルギー小銃と替えのボトルを抜き、自分のホルダーに入れ直すと、ディックはニヤッと不敵に笑って見せた。爽やかさの欠片もない、いかにもとんでもないことをやらかしそうな、気色悪い笑い方だ。引きつった口角と滲んだ汗、笑い方を知らない鋭い目が、ジュンヤの心に突き刺さった。
助けるだなんて、出来るはずがない。誰もが思った。
自信たっぷりなように見せかけて、その実、彼の手がガタガタと震えているのを、三人ともしっかり見ていたのだ。
「無茶だ。死に急ぐだけじゃないか。冷静になれよ。残酷冷徹なエマード博士はどこに行ったんだよ」
泣き叫ぶようなジュンヤの声を振りほどくように、ディックは彼に背を向けた。
「フレディ、行くぞ。お前のご主人を助けに行く」
似合わない防弾ベスト、頼りない背中。犬ロボット一体、エアバイク、それから威力の望めないエネルギー小銃含め銃数丁。巨大な敵と立ち向かうには、あまりに頼りない装備だ。
炎が、彼らのいる屋上付近まで達している。
バラバラと崩れ落ちてくるドームの天井材がいつ頭上に降り注ぐかもわからない中、ディックは銀色のエアバイクにまたがった。
フレディが後部座席に飛び乗るのを確認して、エンジンをかける。
「俺は死なないんだ。忘れたのか」
振り向いて一言、苦しそうな声が、いつまでも尾を引いた。
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