100・世界の終わり

 なかば追い出されるようにしてDNA分析室を出たダニーとレナは、医師仲間の待つ救護所へ急いだ。

 監視システムをダウンさせたとしても、足がつけば終わる。想定では三十分程度で逆探知が完了し、軍の兵士が押し寄せる。いつまでも研究室に留まっているわけにはいかなかった。

 通信用の携帯端末と最低限の荷物をバッグに詰め込んで、ディックに託されたロボット犬フレディ共に、エアバイクで通路を走り抜ける。ビルからの脱出に使えと小型転移装置と共に、EUドームからディックが運んできた物だった。


「なんだかんだ言って、優しいよね」


 顔をほころばせたレナ。


「迷惑料にしては、気が利き過ぎてる」


 ダニーは頬をひきつらせた。

 政府ビルの中は、酷く混乱していた。

 “世界崩壊の噂”を信じてなのか、雰囲気に飲まれてしまっただけなのか、大勢の人間が、他のドームへ移ろうと空間転移装置の使用許可を求めて、下の階へとなだれ込んでいた。

 ビルの中腹にある分析室から脱出するのにエレベーターすら使えない中、エアバイクは実に重宝した。運転するダニーの背中に丸まったフレディ、その後ろにレナが乗って、人通りのない搬入路を進む。それぞれのフロアの連絡口に近付くと、パニックに陥った研究員たちの叫び声が耳に入った。

 つい数時間前までは崩壊の噂など信じてはいなかったのだろうが、システムダウン、反政府組織らの攻撃を知らせる爆破音と続けば不安も出てくる。状況を飲み込めず、何が本当なのかと騒ぐ声、とにかくこのビルから逃げなければと前後がわからなくなるほどわめく者もいた。

 混乱が起きるのも、想定していたはずだった。

 だからこそ、事が起きる前にわざと噂を流したのだ。


「本当に崩壊が始まるとしたら、こんなもんじゃ済まされないんだろうな」


 エアバイクを走らせながらダニーが呟くのを聞いたレナは、なるべく他人に聞かれないように、彼の耳元でそっと囁いた。


「そりゃそうだよ。今のところ血は流れてない。だのに、こんなに混乱している。エマード博士が何を想定しているのかなんて知らないけど、覚悟はしておいた方が良いんだと思うよ」


 非常用階段を延々と滑り下りた。それでも、人の波は次第に大きくなって彼らの行く手を阻んだ。地上に近付くにつれ、普段研究員が出入りすることのないような裏通路まで人だかりが出来、大きなエアバイクでは隙間を抜けることが出来なくなる。


「外へ抜けるか」


 ダニーが言うと、


「それしかないよね」


 レナも仕方なしにうなずいた。

 一旦引き返し、助走をつけて窓ガラスを突き破り、外へと飛び出す。車体ごと宙に投げ出される。

 眼下にはビルに押し寄せる人垣。が、眺めている余裕などない。振り落とされないよう、必死に掴まりあって、車体が安定するのを待つ。一瞬、ビルの下から吹き付ける風に煽られてバランスを崩しそうになったが、ダニーがぐっとハンドルを起こすと、次第に平衡感覚を持ち直していった。

 天まで伸びる細長いビルを支えるために添えられた太い支柱のひとつを、銀色のエアバイクは撫ぜるように滑り降りていった。速度が増し、Gがかかる。風圧が、二人と一体を引きはがそうとする。


「もう少し!」


 着の身着のままで逃げてきたダニーの白衣がバタバタと風に煽られて、レナの視界を塞いだ。頭を丸くして彼の背中にうずくまるようにしていたレナが思わず顔を上げると、白衣の端が当たって、眼鏡がぶわっと吹き飛ばされた。命の次に大事な眼鏡、思ったけれども、風で逆立った彼女の黒髪の向こうに消えて見えなくなってしまう。諦めるしかない、彼女はまた、ぎゅっと彼の背に顔を伏せた。

 ブレーキを数回に分け、ゆっくりかける。車体は徐々にスピードを落とした。地面が近くなり、コントロールできる速度まで落ち着いたところで、ダニーは本来の目的地へ向かうため、ぐっとハンドルを右に捻った。

 小さなビルの上から上へ飛び移り、更に低い建物の上を滑って、道路へ。

 事前に入手していた情報の通り、政府ビルへと向かう車の列がどこまでも続く。ドーム中からたくさんの人間が押し寄せてきているというのを、情報としては知っていた彼らだが、実際それを目の前にすると、あまりの凄まじさに足がすくんだ。

 政府軍の殆どは、暴徒と化しつつある一般人らの制圧、制止にかりだされ、本来の機能を失っているようだ。あちこちで暴動が起きているのだろう、人だかりに混じって、政府軍の戦車や機動車が道を塞いでいる。

 ダニーらは、そうした人の流れに逆らうようにして、救護所へと急いだ。

 三階建ての空きビル、地下室付きでライフラインも万全、もしものときになるべく大人数を収容できるようにと考えて選んだ場所だった。応援を頼んだ医師らは初め怪訝な表情を見せたが、万が一も有り得ると協力を約束してくれた。世界中に流れた噂でドーム内がパニックになり始めると、まだ何も起こっていないというのに慌てふためき騒ぎに巻き込まれた怪我人らが各地の病院に駆け込むようになり、いよいよ“救護所”の必要性を認識したようだ。早い段階で開設された救護所には、既に数十人が運ばれていて、医師の診察や治療を待っている。

 灰色のくたびれた外観は、まるで清潔感を感じない。数台の車が周りに停まっているだけで、看板も案内もない。ただ、不自然に清潔そうな服を着た男や、マスクをつけた女性らが頻繁に出入りしているだけだ。

 スピードを落としたエアバイクが、スウッと空きビルの前に止まる。吸い込んでいた空気が車体から抜け、ようやく地面に足がついた。


「着いた。一時はどうなることかと思ったけど、案外どうにでもなるもんだな」


 ハンドルから手を離し、ガチガチになった方を擦りながらダニーが言う。


「ホント、死ななくて良かったわ。ね、フレディ」


 レナの懐で丸くなっていたフレディも、折りたたんでいた足や頭をヌッと出して、ドーベルマンの形に戻っていた。

 二人と一体、救護所の中へ入ろうとしたところで、最初の爆音が鳴る。大きいのが政府ビルの近くで一発、その後、立て続けに数発、あちこちで爆炎が上がった。ドーム内が突然オレンジ色に染まり、爆発によって巻き上げられた煙と瓦礫が、わっと広がっていく。

 何が起きたのか――それこそ、いわゆる“崩壊”であるのか。街中がざわめき立つ。


「ね、爆発してるの、エネルギーステーションじゃないの」


 ボソッと呟いたレナの言葉に、呆然と立ち尽くしていたダニーは我に返った。

 街には高濃度エネルギー溶液を蓄えた貯蔵タンクが数カ所ある。リサイクル燃料を圧縮させて精製される溶液は引火性が高いため、エネルギーステーション付近では火気厳禁、火災や爆破など通常ではあり得ない。まして、密閉されたドーム内での爆発は連鎖する。引火した溶液が散り、飛び火していく。

 嫌な予感がした。

 エマード博士と初めてコンタクトした以来の、胸の中がざわめき立つような感覚が、ダニーを襲っていた。

 と、今度は爆破したのと逆の方向でズズズと地鳴り、振り向くと、数十階建てのビルが真っ二つに折れて崩れ落ちようとしている。身体を捻って街全体を見渡せば、同じ現象が随所で見受けられた。一律に平面で切り落とされたように、高層ビルがひとつ、またひとつと崩れ落ちて行くではないか。

 政府ビルから一キロ離れたこの救護所も危ない。

 高層ビルの建ち並ぶ界隈、目立たぬようにと思って選んだ廃ビルがあだとなってしまう。


「地下だ、地下に逃げ込むしか」


 それだって安全とは言いがたいが、今はそれしか出来そうにない。

 ダニーとレナはうなずき合って、急いで救護所の中へと駆け込んだ。

 医師と患者が入り乱れてざわめきたち、窓から身体を出して外の様子を確認する者、泣き叫ぶ者、怒り狂い暴れ出す者、とにかく建物の中は散々な状況だ。

 一階の入り口からすぐの場所にある事務室のドアを開けると、今度は別のトラブルで頭を抱える者もいる。医師の他に、技術者と思われる作業着の男が数人、ノート型端末機の画面を覗き込み、なにやら騒いでいる。


「さっきから、回線がおかしいんだ」


 不安の詰まった言葉に、レナは慌てて作業員の間に割って入り、画面を確認した。


「な、なにこれ……」


 真っ黒な画面に、白い字が現れ、延々と上にスクロールしている。


「爆発直前から、こんな感じ。一体、何が何だか」


 その文字は、意味を成していた。淡々とした、起伏のない文章。単語毎に改行、センタリングされた文字列は、こう語っている。


「“終わった”“警告する”“愚かなる人間共”“全ては再生される”“何もかもが作りかえられる”“歴史は終わった”……エンドレスで、流れてるわけ?」


「ここの端末だけじゃない。あっちこっちで……、まるで少しずつ浸食してるみたいなんだ」


「――レナ、携帯端末は大丈夫か」


 と、ダニー。

 あっと声を上げ、レナは慌てて懐から端末を取り出し、画面を確認する。


「大丈夫みたい。博士に連絡してみるね」


 作業員らが見守る中、ディックの端末に応答を求めるが、返事はない。恐らく立て込んでいるのだ、わかってはいたが、レナは心細さから泣き出しそうになるのをぐっと堪え、奥歯を噛んだ。

 間違いなく、“崩壊”とやらは始まっている。

 姿無き何者かが、ネオ・ニューヨークシティを破壊していく。

 短時間で起こった様々なことを少しずつでも整理していかなければ、混乱してまともな判断など出来そうにない。

 焦り、汗ばむ男らの中で、レナはただ呆然として、手の中の端末をじっと見つめるしかなかった。この先、どうすれば……。


「外! 外見て!」


 集中力が途切れる。事務室に飛び込んできた看護師の声に、中にいた面々は端末機から目を離し、一斉に窓際に駆け寄った。窓を開け放ち、「上!」の声に、揃って仰ぎ見る。

 白い物が、上空を過ぎったように見えた。

 逃走中眼鏡を失ったレナには、それ以上、それがなんなのかはっきりわからない。

 だが、ダニーはじめ、そこにいた作業員らにも、医師らにも、何かが見えていたらしい。


「レナ、外に出るぞ。今のが何なのか、突き止めなきゃ」


 汗ばんだダニーの手が、レナの腕を掴んだ。引っ張られるようにして事務室を飛び出し、再び屋外へ。フレディも後を追いかけてくる。


「ね、何、何が見えてたの」


 急かすレナ。


「いいから乗って」


 ダニーはエアバイクにまたがって、エンジンをかけた。

 ほんの十分弱の間に、火の勢いは増していた。広範囲にわたりビルが倒壊している。飛び散ったエネルギー溶液から引火したのだろう、火災箇所も急激に増えた。水道管が破れ、水柱が立つ箇所もあるが、火の勢いは衰えることはない。

 街全体が瓦礫の山になってしまった。エアバイクはそれらを飛び越え、走る、走る。

 さっきまで人だかりでごった返していた通りも、ビルの残骸で完全に押し潰されてしまったっている。

 悲鳴、叫びが時折耳に入って、それがダニーとレナを更に追い詰めていく。

 エアバイクは更にスピードを上げた。

 心なしか、さっき辿ったばかりの道を戻っている気がする。


「どこ行くの」


「さあ、あの白いのに聞いてくれ」


 ダニーが右手を挙げた。その先に――、白い物が見える。羽を広げた鳥のような、それにしては大きすぎるような。


「天使だ。本で読んだことがある。“神の使い”だったっけかな。あくまでも想像上の存在だったらしいが、誰かがそれを具現化させた」


「“神の使い”ってことは、人類の味方、じゃないの」


「いンや。そうとも限らないさ。その“神”が、何者かによる」


 巨大な政府ビルが眼前に迫ると、天使は徐々に飛行速度を弱めた。軽く旋回して、崩壊を免れたビルの屋上へすうっと降り立つと、広げていた翼をゆっくり閉じて羽を休めはじめた。

 天使との距離が縮まり、目の悪いレナにも少しずつだがその姿が見えてくる。羽をたたんでしまえば、それほど大きくはない。自分と同じか、少し大きいくらい。白い鎧を身に纏った、と表現するのが妥当だろうか。白銀の防具で全身を固め、白銀の兜を被っている。顔はマスクで覆われ、表情は見えない。中にいるのが人間であるのか、アンドロイドであるのかさえ、判断できない。

 近くまで来ると、ダニーは天使が降り立ったところから少しだけ離れた小さなビルの屋上にエアバイクを停めた。

 改めて、レナはディックに連絡を取ってみる。


「だめだ、通じない」


 小さな端末を握りしめ、レナは背を丸めて屋上に座り込んだ。

 どう表現したら良いのかわからない絶望感。この事態を収束してくれるのは、ディック・エマード博士しかいないと、思っているのに。

 冷たいビル風が、打ちひしがれるレナの身体に吹き付けた。

 地上にいるよりも、ビルの屋上からの方が被害がはっきりわかる。

 人工太陽の光は落ち、街を覆い尽くす勢いで広がっていく炎が、赤々とドーム全体を照らしている。巻き起こった噴煙で空気は澱んでいる。情報網の混乱で逃げ惑う人々、絶えない悲鳴。

 政府ビルから放射線状に広がっていた美しい町並みが、跡形もなく崩れていく。

 “何もかもが作りかえられる”“歴史は終わった”、黒い画面の中の文字列と、現実の光景が錯綜する。



――『恐らく一週間以内に、この世界は“崩壊”する』



 たった三日前のディックの言葉だ。こんな現実、認めたくはない。だが――、逃げることも出来ないのだ。

 羽を休めていた天使は、しばらく沈黙を続けていたが、何かに反応するようにスッと右手を挙げた。細く白い指の先が光ったかと思うと、青白い光の柱が街のあちこちに現れる。

 何をしている、慌ててダニーは屋上の柵から身を乗り出し、光の柱の一つを見下ろした。彼らのいるビルの真下、半径一メートルほどの円内から、何かが湧いてくる。ウヨウヨと、虫のように這いだしてくる。黒い服を着せられた、人間のような、そうでないような、不気味な一団が次々に顔を出す。それらは、皆一様に何かしらの武器を持っている。銃器、鈍器、鋭器、振り回し、撃ち乱し、生き残った人間らを次々に攻撃している。


「何あれ、人間じゃ、ない?」


 恐る恐る覗き込んでいたレナが、また身体を震わした。


「崩、壊、……“崩壊”だなんて、そんな生温い言葉で表現できるような状態じゃないだろ」


 果たして、彼らの頼るディック・エマード自身、ここまでの光景を予想していたのかどうか。

 レナは再度、端末を手に取った。何とかして、事態を知らせなければ。


「ああっ、何でこう、大事なときに繋がらないの」


「博士は博士なりに戦ってるんだ。焦るなよ」


 ダニーが慰めても、焦燥感は拭えない。


「街は、ドームはどうなるんだ」


 思わずぽつりとダニーが漏らした。レナの手前、気丈に振る舞ってはいたが、心臓のバクバクは収まりそうにない。さっきから嫌な汗を全身にかいて、手の裏、足の裏までべっとりしている。

 逃げろだなんて言われても、最初から逃げ場などなかった。閉鎖空間の中で、より被害の少ないところに隠れるしか方法がない。この事態を引き起こしていると思われる政府総統、彼は何故こんなことを。本気で人類を滅ぼそうとしているとしか、考えられない。

 泣き叫びたいのをぐっと我慢した。今までの生活が、研究が、築き上げた物が次々に失われていくのを、眺めるしかない自分の無力さを恨んだ。

 そうやってうなだれるダニーの白衣を、急にフレディが口で引っ張ってきた。どうしたんだとかがんで声をかけると、犬らしくワンワンと鳴く。上を見ろと、合図をしているように思えて、ダニーはふと、顔を上げた。

 目を疑う。

 上空から、何かが崩れ落ちてくる。

 人工太陽を失ったはずのドームの天井に、小さな光があった。光の点は徐々に広がり、面になり、眩しいほどの大量の光を注いでくる。


「崩れてる」


 呆然と立ち尽くす中、レナの携帯端末が着信を知らせた。

 待ちに待った、ディックからだった。

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