99・銀の魔獣と白い天使

 それまで何度連絡しても返事のなかったディックから、ハロルドの通信端末に連絡が入ったのは、政府ビル突入後だった。

 ハロルドたちES飛行艇の乗組員は、EUの戦闘員らと共にネオ・ニューヨークシティ上空から突撃すべく、準備を進めていた。ドームの外側に張り付いた蔦を払い、その下にある藍色のパネルをはぎ取って爆薬を仕掛け、穴が開いたところからロープを伝って下に降りる。鉄筋の張り巡らされた天井に難儀し、何とか穴を開けた。事前に入手していた地図どおり、ドームの天辺は政府ビルの最上階と直接繋がっているようだ。内部に侵入する直前にアンリと再度通信、直接搬入用転移装置からも戦闘員を送り込んだ事を確認する。

 厚さ一メートル強の分厚いドームの壁は二重構造になっており、それがどこまでも広がっている。“世界を全て包み込んでしまう”という大戦直後の発想には、感服させられる。これだけの資材をどこから調達してきたのか、それを支えた技術、重機は――全てが謎のままだ。

 この巨大事業を推し進めたAI、マザー・コンピューターがエスターの中に押し込まれようとしている。総統ティン・リーの企てを阻止するために、ディックは単身政府ビルに乗り込んだらしいが、その後プッツリと連絡が途絶えていた。元々、誰かと連携するような男じゃなかったが、この緊急事態、どんな細かな情報でもやりとりし合いたいのが人間というもの。ところがあの男ときたら、行ったら行きっぱなし、せっかくアンリに教えてもらった端末番号も、果たして合っているのかどうか確認も取れやしない。

 本当なら事前に敵の情報を入手するはずだったが、アンリはアンリで、何があったのか、マザーとの通信をあっさり切ってしまった。

 頼みの綱は己らの力だけ。命がけの作戦にしては、心許ない。

 幸い、突入メンバーの中には、地下冷凍施設襲撃時の生き残り、ウッドもいる。人数も、武器も申し分ない。あの時よりは幾分かマシだと、ハロルドは無理矢理自分を奮い立たせていた。


「こっちは無事に政府ビル内部に辿り着いた。そっちは」


『マザーとの同化は、阻止できなかった。エスターは地下から消えた。どこにいるのか……目撃したら連絡をくれ』 


 地下からの電波で、声は聞こえにくい。

 それより何より、とんでもないことになっているらしく、ディックの声は平静さを失っていた。


「消えたって、どういうことだ」


『同化の途中、背中に羽みたいなもんを生やしていた――あれが、飾りでないとしたら、どこかの上空にいるかもしれない。わからん』


「わからんて言われてもな。とにかく、見かけたら連絡する」


『――それから、リーのヤツが小型端末でそっちに向かったようだ。俺とジュンヤも早急にそっちに向かう。凶暴化している、気をつけろ』


 たったそれだけの会話で、一方的に回線を切られた。

 結局、一番大切なことは伝えてこない。それがディック・エマードという男だと、嫌になるくらいわかっていたはずだのに、ハロルドはまた、同じところではめられてしまうことになる。

 爆破後、辿り着いた排気口からドリルで天井に穴を開け、廊下に降りて総統の執務室を探す。通路の両側にはたくさんの扉がある。どれがどの部屋なのか、一つずつドアを蹴破り、確認していく。

 大量に待ち受けているだろうと警戒していた政府軍の姿はない。世界中にばらまかれた“世界崩壊”の噂でパニックになった市民の制圧にかりだされているという事前情報はあながち間違いではないらしい。ビルの警備は手薄だ。しかし、いくら監視システムをダウンさせられたからと言って、もぬけの殻のようなこの状態は不自然だ。敵襲の前触れ、なのだろうか。

 最上階ともなると、一般人の立ち入りは殆どないのだろう。いかにも“総統閣下のプライベートスペース”だと思わせる、小綺麗な部屋がいくつもあった。しかし、そのどれもに人の気配がない。

 ふと、魔獣の叫び声と女の悲鳴が、一同の耳に飛び込んできた。

 緊張感が一気に高まる。

 重装備の男たちが先頭に立って廊下を突き進み、音の発信源と思われる部屋の扉を勢いよく開け放つ。

 己の嫌な予感をもっと疑うべきだったと、ハロルドは激しく後悔した。“リーのヤツが”とだけ、ディックは言ったのだ。まさかあのプライドの高い端正な男が、こんな化け物に変化していようなどと、誰が思おうか。まるで――冷凍施設の悪夢を思い出させてくれるような銀色のモンスターが、彼らを迎えたのだった。


「あれが、政府総統? 人間じゃなく?」


「若い男だっていう情報は嘘だったのか」


「こんな化け物と戦うなんて、聞いてないぞ」


 口々に後ろで仲間が言うのもうなずける。


「俺だって、聞いてない」


 ハロルドは、自分を落ち着かせるようにゆっくり息を吐いて、ギリリと奥歯を鳴らした。

 ガシンガシン、ギイギイと、油圧式スペアリングの足で床を踏みしめる度に、建物全体が揺れた。歩いたところだけ床が沈み、ひびが入る。

 あの時の恐竜型ロボもかなりの重量だった。大人一人くらいなら平気で持ち上げ、砕いてしまった。政府総統だというこのロボットも――、あの時のロボに似ている。二足歩行だが、足にも手にもなりそうな前足、以前のロボほど前傾姿勢ではないが、尻尾でバランスをとっている。その尻尾も、以前のとは違って、蛇のように自在に動くようだ。

 銀色の巨体は奥の部屋から入り口をぶち壊して、執務室へ足を踏み入れた。すぐ側にあった秘書の机は、彼の尾一振りで真っ二つに割れ、整然と置かれていた書類や端末がバラバラと床に散らばった。


「やっかいだな」


 相手の身長は三メートル近い。ベンやキースを喰い千切ったのと同じ鋭い歯が、パックリと開けた口から覗いている。あの時を彷彿とさせる、赤い血肉を引っかけて――。

 敵の足跡が、赤い。足跡だけじゃない、奥の部屋は血まみれで、女物だと思われる衣類の切れ端や肌色の肉塊が所々に飛び散っている。ティン・リーと名乗るこのロボット自身も……身体のあちこちに鮮血がこびりつき、銀色のボディーが所々赤を帯びている。生臭いのは、内臓物や体液と思われる液体が付着しているからなのか。

 “凶暴化している”のは間違いない。だが、もっと詳しい情報を寄越してもらいたかったと、ハロルドはいよいよディックを恨んでしまう。

 頭に、あの日のベンとキースの顔が過ぎった。肉の固まりとなり、最後の言葉をかけることも出来なかったベン。頭部と腹部を喰い千切られ、表情のわからなくなってしまったキースの震える手……。

 頭を震った。

 こんなところで立ち止まってはいられない。あの日の悔しさを、今、ぶつけなければ。


「よし! 行くぞ! 尾を狙え、重心を崩すんだ」


 ハロルドは自分に言い聞かせるように、大声で指示を出し始めた。



 *



 炎上した地下室からは、徐々に酸素が失われていった。データ移行時の大量な電流が原因で地下の電気設備がショートし、送風機すら回っていない。煙と炎で視界の半分以上が遮られ、逃げ道などないという事実を突きつけてくる。

 燃えたぎる炎を頼りに端末を操作し、ハロルドに連絡を入れたディックは、ここに留まるのは危険だとジュンヤに呟いた。


「何とかして、俺たちも最上階へ向かおう。ジュンヤ、お前の端末には最上階の位置情報が記録してあるだろう。それで飛ぶか」


「いや、いきなり現場に行ったところで、俺たちに何が出来る。お互い、体力を消耗してる。死に急ぐだけだ。――情報、ないのかな。あんな派手な格好でいれば、エスターの姿は簡単に目につくはずだ。どこか、情報の集まるような場所があれば」


「……レナか」


 今は、どこかに待避しているはずだ。連絡を取り合うことも出来るように、お互いの端末番号を交換しておいた。

 医師免許を持ったダニーも近くにいるに違いない。足の折れたジュンヤの応急手当だけでも出来れば、かなり助かる。

 通信端末を開き、レナのアドレスを選択、回線を繋ぐ。

 いい加減、酸素が足りなくなってきている。頭がぼうっとし、まともに思考回路が働かないのはそのせいだ。

 いつだったか、そう、確か昔、所長をしていたラボを襲撃されたあの時も、炎の中にいた。

 あの時は酸素不足で気を失い、ティン・リーの手下に収容されたのだ。それから、急激に何かが変わっていった。

 思えば、リーはあの頃、“君は実験体としては成長しすぎた”と言っていた。利用価値がない、ただの副産物に過ぎないとも。その不用な実験体に執着し、身体を奪いたいと思ったのは何故なのか。やはり、島にあった地下冷凍施設の襲撃が原因だったのか。本人は、“例え予想外の出来事があろうとも、大きな歯車は確実に回り続け、私の望む結末に導いてくれる”などと豪語していたが、単に追い詰められていただけではなかったのか。

 “生”に対する固執。ディックにも覚えがあった。

 いっそのこと簡単に死ねるならと身体を呪いながらも、生き続けなければならないと自分を奮い立たせたのは、守りたい物があったからだ。それが例え、リーによって意図的に与えられた物だったとしても、自分の意志でそれに辿り着いたのだから、後悔などしない、するわけがない。

 回線が繋がるまでの間に、ディックはぐるぐるとどうしようもないことばかり考えていた。何かを考え続けなければ、意識が飛んでしまいそうなほど、空気が澱んでいるのだ。

 ジュンヤの顔色が悪い。早急にここから脱出しなければ、一酸化炭素中毒になってしまうかもしれない。


「……レナ、聞こえるか。俺だ」


 通信状態に切り替わったのを確認して、ディックが端末の向こうへ話しかけた。


『遅い! 博士、遅いよ! こっちからも何回か必死に連絡してたんだけど、全然繋がらないんだもん、焦ったじゃない』


「取り込み時間が長かったんだ。それより、今どこにいる。座標を教えろ。そっちへ飛ぶ」


『早急に飛んで! 今、大変なことになってる。多分、博士が言いたかった“世界の崩壊”って、こういうことだったんじゃないのってことが、まさに起きてるんだよ』


 レナの声が、異常に興奮している。普段から落ち着きなどない女だが、それにしてもまくし立てるような話っぷり。


「勿体ぶってないで、さっさと話せ」


 耳に当てた端末を握る手に、僅かに汗をかき始めていた。


『天使、天使だよ! いや、堕天使かも知れない。翼の生えた人間が、街を壊し始めてる』


 ――エスターに違いない。 

 耳をつんざくほど大きく、心臓が鳴った。

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