Episode 18 崩壊 

98・愛憎の果て

 世界の全てを見渡せる政府ビル最上階の執務室は、ローズマリー・グリースにとって掛け替えのない場所だった。眼下に広がるビル群も、味気ない灰色の空も、そこからは輝いて見えていた。

 彼と一緒ならば、政府総統ティン・リーと一緒ならば、どんな苦しみにも耐えられると信じていた。唇を合わせ肌を重ね、永遠の愛と忠誠を誓い――、美が衰えぬように身体を変えた。

 彼女は悦に浸っていただけなのかも知れない。

 彼がどんな人物なのか、何を考えているかなど、本当のところは殆どわからなかった。彼は、心をさらけ出そうとはしない。その秘密主義がまた、彼女の心を惹き付け続けた。彼女は愛に溺れ、自分を見失っていたのだ。

 一度足を踏み入れてしまえば、抜け出すことなど出来るはずもない。

 秘書に抜擢されたその日から、彼女の運命は決まっていた。リーの手となり足となり、血となり肉となる。それまでの彼の秘書がそうだったように、ローザもまた、彼に尽くした。

 唯一それまでと違ったのは、彼女が秘書になってからというもの、TYPE-Cの劣化が激しくなり、肉体の交換頻度が上がったことだ。新しい身体、朽ちていく身体、二つを交互に見つめ、彼の心の闇を垣間見る。どうにかして彼の存在を繋ぎたいと、出来る限りの努力はしたが、度重なるコピーと長い冷凍状態は、決して良い結果を生み出さなかった。

 D-13の存在を知らされたのは、数年前、ネオ・シャンハイドームで反政府組織ESが活発に動き始めた頃。逃亡し消息を絶っていたD-13が、ES内にいるらしいとの情報を掴んだのが最初だった。

 その頃はまるでTYPE-Dとしてのディック・エマードに興味のなかったリーが、この数ヶ月のうち、いや、ここ数日のうちに急激にD-13への執着を募らせていったのは――、島の冷凍施設の襲撃事件が起きてからだ。TYPE-Cのストックを失い、永遠の命に途切れを感じた彼は、とうとう見境なくなってしまった。



――『私が、私たる所以は何か。私はこの身体を以て私たるのか。それとも、私という意識が私を成すのか。君ならばどう答える』



 彼の問いに、まともに答えることなど出来なかった自分。



――『私はD-13を次の身体に充てるのには反対だわ。何としても、それだけは阻止しなければと思っている。いっそのこと、無機体でも構わない』



 本心を、リーに打ち明けることなど出来るはずがない。

 打ち明けたところで、彼の考えが変わるとも思えない。

 それならば力尽くでと、思った結果が――、目の前にある。


「ローザ、貴様、何故私ヲコンナモノノ中ニ。ケネスト一緒ニ、何ヲ企ンデイタ」


 S-206型は、地下冷凍施設に送り込んだS-204型の後継機だ。S-204型が肉食獣を模した形状になっていたのに比べ、S-206型は一回り小型化している。架空の“恐竜人間”をベースに、204型の前傾姿勢を改良、直立姿勢を可能にし、破壊力と防御力の高さを売りにしている。小回りも効き、何よりも開発中のロボットの中で、一番実用的。ティン・リーの記憶データを全て移すには、相応の容量がある記憶装置も必要であり、単純なヒューマロイドではとても収まりそうになかったのだ。関係機関全てから情報を得、具体的な候補を絞った上での、彼女なりの最善の選択だった。

 しかし、それをティン・リーが簡単に受け容れるはずはない。それもまた、予想できていたことだ。


「企みなど……私はただ、あなたがあの男になってしまうよりも、よりよい方法をと思ったまでですわ。新しい身体が出来上がるまでの、一時的な繋ぎ、仮の身体だと思ってくだされば。これまでの研究とは違い、CからEまでの細胞サンプルが確保できるのです。短期間でTYPE-Fを仕上げることも可能では。そのためなら、尽力は惜しみません。閣下、お許しを」


 監視室の奥まで追い詰められた彼女は、無理を承知でリーに懇願した。

 リーはS-206の大きな尻尾をブンと震わせ、バシンと床を叩いた。


「許ス……理解デキナイ。オマエノ行為ハ、私ヘノ裏切リ以外ノ何モノデモ無イ」


 美しかった声も、容姿も、何もかも変わってしまったリーに、愛情など感じることが出来るのか。自らが選択した方法とはいえ、彼女の心は揺らいでいた。

 穏やかさを失った彼の黒い部分が、鉄の塊の中でむき出しになっている。それが恐ろしくてたまらない。

 人間という器に収まっていなければ、これほどまでに凶悪な性格だったのか。これまでは、脳内物質の分泌が、ある程度彼の凶暴さを隠していただけなのかも知れない。本性は――支配的で傲慢で、融通の利かない、悪魔のような男なのだ。

 肉食獣らしく、前方向に付けられた赤い目は、ギラリと光って彼女を更に追い詰めた。アゴまで裂けた口には、S-204型と同じ尖った円錐の歯が並び、彼女の血肉を狙っている。

 ガシャンガシャンと不気味な音を立て、リーは重い身体を前に前に進めてきた。


「私ヲ……慕イ続ケルノデハナカッタノカ。オマエモ所詮、私ノ、TYPE-Cノ身体ダケヲ見テイタト、ソウイウコトダナ。心ノ底カラ愛スルナド、戯言ニ過ギン……。ナラバ何故、誓エルハズノナイ愛ヲ語ッタノダ。ローザ……私ハ本当ニ、オマエヲ愛シテイタトイウノニ」


 巨体が、監視室の壁を、装置を、ことごとく壊していく。

 ミシミシと床が軋む。巨体の頭部が擦れ、バリバリと音を立てて天井が崩れていく。

 装置のエラーと故障を知らせる警報があちこちで鳴り響いている。

 “世界を再構築するための崩壊”だと、彼は言っていた。Eとマザーの同化も、それを観察し続けるための新しい身体への移行も、再生という大義名分の元で行われててきたと信じていた。

 ティン・リーの新しい身体を作り続けるいわゆる“Project.T”にしたって、transmigration、転生や輪廻といった、失われた概念が元になっていると、誇らしげに語っていたではないか。

 リーの銀色の手が、ローザの身体を鷲づかみにした。

 力加減などない、彼女のか細い身体は大きな手の中で、握りつぶされていく。栗色の髪が乱れ、赤い唇から悲鳴が漏れた。


「閣下、お止めになって! 私は、私はあなたのことを。……でも、あの男と同化することは、別問題。違うのですか、閣下!」


「永遠ノ愛ナド、コノ世ニハナイ……。姿形デ判断スルコトシカデキヌ、愚カナ生キ物メ……果テルガイイ」


 断末魔の叫びを上げて、彼女の身体はグシャッと生々しい音を立てた。金属に成り果てたリーの腕から、血が、肉が、潰れた果実のようにこぼれ落ちていく。床一面壁一面、瞬く間に赤く染まり、血の臭いが充満した。

 ティン・リーは自分の手の中で潰された女の顔を、しばらくじっと見つめていた。

 優しく撫ぜた髪は振り乱れ、口づけを交わした唇からは、白い歯が覗き、鮮血が零れ出ている。眼鏡の奥、潤んだ瞳は、恐怖色に染まり、大きく見開いたまま動きを止めた。彼の目にはそれが、どう映っていたのか。愛おしいと思っていた女の身体が砕けていくのを、どんな気持ちで見つめていたのか。

 彼は、おもむろに彼女の頭部を、大きく開いた自分の口に押し込んだ。鋭い歯で何度も何度も、噛み砕いていく。骨も、肉も、脳髄も、何もかもが粉々になって混ざり合った。喰い散らかしたカスが、銀色の身体のあちらこちらにこぼれ落ちた。味覚など、感覚など、無いはずだのに、反射的にそうしたいとでも思っていたのか。そうすることで無くしてしまったものを補完しようとしていたのか。指の隙間からこぼれ落ちた彼女の手足も、彼は拾い上げてやはり口に頬張った。

 彼女の血が、可動部に染みこんでいく。基盤が、回路が、赤い液体で満たされていく。


「人間ノ身体ヲ失ウトハ、コウイウコト、ナノカ」


 電子音で構成された声が、集音器を通って“頭”に入ってくる。動く度にギシギシと音を立てる腕も、歩く度にギイギイ鳴る加圧スペアリングの足も、絶えず胴体部から発するモーター音も、何もかもが、許せない。

 腹の底から、彼は叫び声を上げた。

 有り余る力で、そこここにある機械を、手当たり次第にぶち壊していく。火花が散り、噴煙が上がる。

 目の前にある全てが疎ましい。何もかも、無くなってしまえば良いのだ。

 ――ふいに、ドタドタという複数の足音が聞こえてくる。人間だ。数は二十から三十。足並みを揃え、こちらに向かってくる。

 ピタッと、先頭の一人が足を止めた。ゴム靴の擦れる音、どうやら味方ではないらしい。


「なんだこれは……、政府総統はどこだ」


 聞き覚えのある男の声に、リーは重い身体をぐいと回して振り向いた。

 開け放たれた執務室の入り口にいたのは、島でエマードを必死に止めていた男。一丁前に防具を着こんで、銃など構えているではないか。


「来タナ、愚カ者ドモメ」


 血で染まった口をがばっと開け、赤い目を光らせる。ブンブンと尾を床に叩き付け、リーは軋むような声で彼らを歓迎した。


「私ガ政府総統ティン・リー、ダ。ワザワザ命ヲ捨テニ来ルトハ……、憐レナ」

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