86・キーワード
――『自分だけが不幸だなんて思ってはいけない』
ジュンヤにだって、そんなことはわかっていた。自分だけの世界に閉じこもって行動したことが全てマイナス働くことも、自分を見る他人の目がどんどん変わっていくのも、全て内向きに動いていた結果だ。
何とかそれを打破しなければならない、変わらなければならないと心に決め、パメラを倒し、ダニーやレナに自分のことを話したはずだったのに。
レナの寂しそうな視線は、ジュンヤの心をぎゅっと締め付ける。彼女の表情に、ジュンヤは恐ろしく違和感を覚えた。
「私たちが協力するのは、決して単純な理由じゃないんだ」
だが、レナはその先を口にしようとしない。まるで殻に閉じこもったように、言葉を飲み込んでしまう。その様子がかつての自分とまるきり重なって、ジュンヤの心臓をバクバクと激しく動かした。
「この世界は複雑に出来てる。自分自身の疑問や不安もあって、私は深いとこまで色々探った。だけど、掴んだ事実はどれも嘘くさい。私も含め、全部が全部、作り物に見えてくる。ジュンヤはそういうこと、ないの? 自分の存在価値、これからどうしたらいいか、考えたことはあるの」
どこかで聞いた台詞だった。
ジュンヤはそっと目を瞑って、記憶を探った。
――『存在意義だよ』
――『何故自分はそこにいるのか、何故生まれてきたのか、これから一体、どうやって生きていくべきなのかってことさ。誰にだって、生まれてくる意味がある。……だとしたら、自分はどうか。必要とされているのか。いるべき場所は? ――そんなことは考えないのかい?』
リーだ。彼もそう言って、ジュンヤやエスターの心を揺さぶってきた。
彼の正体を知り、呪縛が解けたと思っていたが、実際はそうでないのかも知れない。まだ、あの男のカリスマ的部分に、心を動かされそうになる。
「なぁ。政府総統の存在ってのは、ビルの中にいる人間、このネオ・ニューヨークシティに住んでる人間にとって、一体何なんだ」
ジュンヤは前触れもなく、急に話題を変えた。
レナが目を丸くし、ポカンと口を開けるのも構い無し、彼は一方的に話しかける。
「反政府組織内では、彼は完全に“悪”だった。何故全てを支配しようとするのか、何故自由を許そうとしないのか。そればかりで、結局彼が何者なのか理解している人間なんてどこにも居なかったはずだ。じゃあ、このネオ・ニューヨークシティではどうなんだ。世界を支えるこのビルの中で、彼は一体どんな存在なの。……あの男にそそのかされ、俺は大切なものを失いかけてる。彼を守ろうとする人間、彼の意思を尊重する人間、そういうのには虫酸が走るけど――、そうなるにはそれなりの理由ってのがあるはずだ。“政府総統”っていうのは、そんなに“絶対視すべき存在”なのか?」
二人だけの研究室、誰もいないことも災いしたのか、ジュンヤの声は無意識に高まっていた。未だ幼さの残る声が研究室中にわっと広がると、レナは慌て、彼の口を自分の手のひらで無理矢理塞いだ。
「シッ。……気配がする。誰かが近付いてくる。この話題はもうやめよう。いいね」
頭に血が上って、ジュンヤは冷静さに欠いていた。
午前十時を回り、ビル全体が活気付いてきている。耳を澄ますと、確かに足音がたくさん聞こえてくる。壁一枚挟んだ隣の研究室からも、ごにょごにょと話し声が漏れ伝わってくるし、何かの装置の動くような音、電子音なども、微かにだが、混じっている。
誰がいつ、依頼や荷物搬入と称して、研究室に入ってくるかわからない状態だった。白衣を着せられ、伊達眼鏡までさせられて、周囲に溶け込むよう配慮してくれた二人の行為をすっかり無下にするところだったのだ。
「興奮しすぎ。いい、冷静に、冷静にだよ」
声を潜め忠告するレナに、ありがとうと一言、ジュンヤは額に滲んだ汗を、手のひらで拭い取った。
「例え反政府的な立場にいたとしても、それを誰かに聞かれちゃダメ。信頼の置ける人物だと思ってた人が裏切るのは、ここでは常だ。いい、あんたはあくまで、研究室に助手として入ってきた雇われ人。この研究室内では何を言っても構わないけど、一歩外に出たら全員敵だ。わかってるね」
耳元で忠告され、ジュンヤは何度もうなずいた。そうだ、ここは政府ビル、敵の本拠地のど真ん中。誰もがレナやダニーのような理解ある人間でないことを再認識すべきだった。
ジュンヤは息を整え、襟を正した。
何故か、ディックのイメージがジュンヤの脳裏に浮かぶ。自分も彼と同じ白衣を着せられていることを、皮肉に感じる。一体彼は、どんな気持ちで政府ビルの中にいたのか。
“実験体”だと言っていた。“人間じゃない”、“新しい器”とも。
自分というものの正体を知りながら、娘さえ実験体にされながらも、彼は必死に生きていたに違いない。自分のように、迷い、流されているのとは違う。確固たる信念を持っていなければ、こんなとんでもない環境で、まともな思考でいられるはずなどないのだ。
何度気力を奮い立たせようとしても、どこかでつまずいてしまう。そんな自分を、ジュンヤはまた愚かしく感じていた。
今は迷っている余裕など無いはずなのに。
レナの声は、そうして何度も挫けそうになるジュンヤの背を、前へ向かうよう、必死に押しているように思えた。匿ってもらっているうえに、肩身が狭い。どういう顔をして彼女らに接したらいいのかと思うと、まともに顔を見ることすら出来なかった。
――ドアの向こうでピッと電子音が鳴る。
顔を上げると、入り口のドアが心地いい音を立ててスライドした。ダニーだ。
おいしょと声を出しながら、彼は大きな荷物が積まれた台車を、室内に押し込める。
「おま……たせ、しま、した」
大げさに呼吸を乱して汗を拭うと、レナが、
「あれね、反重力台車だから、重さなんて感じてないんだよ。演技、演技」
立ち上がって、ジュンヤに囁いた。
現実に引き戻され、彼はレナの後にくっつくようにして、ダニーの元に向かう。
部屋の中央に台車を動かすと、ダニーは反重力装置のスイッチを切った。シュンと空気の抜けるような音がして、台車はゆっくり床に降りた。
茶色の段ボール箱には黒色でデカデカと“DOG-TYPE ROBOT”の走り書き、“D”のサインはない。あからさますぎてすぐに見つけられたとダニーは笑った。
「ご苦労さん。荷物、なんとかなったみたいね」
「ああ。ちょっと危うかったけど、何とか。――ネルに詰め寄られた。無理矢理かわしたけど、後で何か起きたらそのときはゴメン」
「そのときは、ね」
「まぁ、ネルなら大丈夫なんじゃないの。話によると、彼もこっち側の人間らしいし」
「へぇ。初耳だな」
“こっち側”とは恐らく、“反政府的な考えを持った人間”という意味に違いない。さっきのレナの台詞、『信頼の置ける人物だと思ってた人が裏切るのは常』そこから考えても、単純に信じ切ってしまうことにはやはり危うさがあるのだろう。互いに探り合いながら――こんな状態では、とてもじゃないが、大声で反政府を口にするのは無理だ。ある種、ダニーとレナ、同じ考えを持つ二人が同じ研究室に配属された、それだけでも希有なことなのかも知れない。
床に散らばった本やゴミを片付け、三人、箱の周りに集まった。大きさ一メートル四方、飛空挺の中で見たドーベルマン型のロボが入るには、ぴったりの大きさだ。テープをはぎ取り、中を開く。白いスチロールの緩衝材に包まれた黒い犬の身体、それは、エスターが“フレディ”と呼んでいた、あの犬に違いなかった。
「これ、既製品じゃないよね。誰かが一から組み立ててる。このボディ見てよ、恐らく廃材の寄せ集めだよ。……ここと、ここ、色と質感が違う」
流石機械に詳しいレナは、覗き込むなりその犬の細部まで舐めるように観察しだした。この研究室内ではデータ解析を担当しているらしいが、本当は機械関係に強いのだろう。さっきだって、小型端末の図面とやらを面白がって引いていた――間違いなく変わり者だ。
「それ、ディックが作ったらしいよ」
「へぇ、流石! そうか、そういえば、エマード博士、元はロボット工学関係だったっけ」
レナはよく知ってるな、思いはしたが、ジュンヤは口に出さなかった。
二人は自分より、ディックや彼の周辺事情をよく知っている。敵だらけのビル内で、これだけの知識と行動力を持った彼らに協力して貰えるのは心強いと思う。
だがジュンヤの本心は、長年一緒に暮らしてきた割に何も知らない自分へ恥で満たされていた。今頃になって本人の口からあんなことを言われたとしても、心のくすぶりは簡単に消えるようなものではないのだ。
箱の中には、フレディの本体と共に、充電用のアダプタと、二つに折りたたまれた白い紙が入っていた。フレディの上に無造作に置かれていた紙切れを、ダニーが手にとる。なにやら殴り書きしてあるようだ。
「『背中のフタを開け、スイッチを入れろ。起動後、キーワードを入力すれば、連絡を取り合うことが可能になる』……この走り書きも、エマード博士の?」
「ああ。でも、かなり乱れてる」
「キーワード入力って……もし、無関係の人間に荷物を引き取られてしまうようなことがあっても大丈夫なように、わざと設定してるんだよな。ジュンヤは何か知ってる?」
「いや、俺は何も」
「まず、箱から出して、スイッチでも何でも入れればいいじゃないの。それから考えようよ」
小さな紙ひとつに顔をしかめる男らに我慢できなくなったのか、レナはそのか弱い腕で、よいしょと犬型ロボットを箱から取り出そうと手を伸ばした。首と胴体の真ん中に手を当てて引きずり出そうとするが、女手ではどうしようもない。見かねてダニーとジュンヤが、申し合わせたかのように同じタイミングで、ロボットを箱から引きずり出した。ずっしりと重いのは、中に機械がたくさん詰まっているのが原因か、それとも、最新の軽量化部品が手に入らず、取り急ぎ手元のものだけでこしらえたからなのか。小さな子ども一人分よりも、はるかに重く感じられた。
声を掛け合い、慎重に床にフレディの本体を下ろす。続いて犬の関節部を動かし“伏せ”の格好にさせたあとで、ダニーはメモにあるように、背中にあるくぼみに爪を引っかけてフタをこじ開けた。中から現れた小さな丸い赤ボタンが、どうやら起動スイッチらしい。
「じゃ、押すよ」
フレディを囲うようにして屈んだジュンヤとレナに確認してから、ダニーは恐る恐る、スイッチを押した。ピピッと微かな電子音の後、中のコンピューターが起動するような音と振動、ボタン下部の液晶画面がチカッと明かりをともし、文字列を表示させていく。五センチ角の液晶の中を下から上に、軽やかに文字が流れ、十何秒かしてようやく動きをやめると、最後に一つの文章だけが画面の上部に残っていた。“My best treasure is……”続きを入力して下さいとばかりに最後の点が点滅している。
「宝物? Myってのは、誰をさしてるんだ」
首を傾げるダニーの横で、ジュンヤはハッと息を飲んだ。その質問は、間違いなく荷物の受け取り主が、ジュンヤと一緒にいる味方なのかどうか判断するためのものだと、気付いたのだ。
「――キーワード“Esther”、ディックの娘の名だ。多分、間違いない」
突然、はっきりと告げたジュンヤに、ダニーもレナも目をしばたたかせた。
迷っている場合などない。ダニーは言われたとおり、画面の半分から下に現れたパレットをタッチして、文字を入力していく。
最後の“R”を入力後、“Enter”キーを押下すると、“OK”の表示。
「当たった」
ホッとしたのも束の間、今度は数字と記号の羅列。
「え、何これ。レナ、わかるか」
ダニーからレナに交替し、文字の解析に当たる。
「あのさ、ダニー、あんた動転しすぎ。数字とアルファベットの配列からして、これ、通信端末のアドレスじゃない。――ジュンヤ、さっき返した端末に、これ、入力してみて」
言われるがまま、ジュンヤはポケットから取り出した赤い二つ折り端末を開き、文字を入力し始めた。数字とアルファベット、記号を順に打ち、“Enter”。数十秒の沈黙の後、チャリンとチャイムが鳴った。
「つ、繋がった」
興奮気味に息を弾ませるジュンヤ、その手の中の端末画面を食い入るように覗き込む二人。
相手は間違いなくディック・エマードなのか、不安で千切れそうになる胸を、ジュンヤは無意識にかきむしっていた。
「……ディック、ディックなんだな。聞こえる?」
恐る恐る端末の向こうに話しかけてみる。
耳を傾け、必死に音を拾おうとする三人の真ん中で、
『……遅い、待ち呆けたぞ』
ディックの低い声が響いた。
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