87・これから世界が壊れていくとして

「待ち呆けた、だって? そりゃ、どうも」


 ぎこちない挨拶、ジュンヤは何かに怯えるように、手のひらに乗せた端末に恐る恐る話しかけた。スピーカーから聞こえてくるフンという鼻息に、彼は思わず顔を引きつらせていた。


『少ないヒント頼りにここまで出来たのは、ひとえにそこの二人の力あってだろう。運が良いな、ジュンヤ』


 嫌みったらしいディックの声は、ジュンヤの神経を逆撫でする。が、こんな事にいちいち反応していては、ダニーやレナにも迷惑が掛かってしまう。ぐっと怒りを飲み込んで、ぎゅっと端末を握りしめた。


「で、今後、どうしたらいい? 約束通り荷物は回収したし、端末のデータをそっちに渡せるようにレナに用意してもらってる。データの受け渡し方法は?」


 三人突っ立って、端末から聞こえてくる音に耳を澄ませる。ボリュームは最大だが、雑音が入り、少し聞き取りにくい。


『データは今どんな状態だ』


「とりあえず、紙に鉛筆で書き殴ってる。読み取りやすいように打ち直すことも可能だけど」


 と、レナ。


『いや、その必要は無い。書き取った紙をスキャナで読み取るか、カメラで撮って画像データにし、圧縮して転送して貰えればそれで構わない。細かいところはこちらで解析する。ジュンヤの端末から、データを添付して送ってくれ』


「ラジャー」


 レナはデータ送付後、恐らくディックが小型端末を再現させてこちらへ飛んでくるに違いないと、ニヤニヤ口元を緩ませていた。そうすれば、何かしら面白いことが起きるのではないかと、不謹慎にも考えている。彼女はそれを口には出さなかったが、顔にはデカデカと書いてあった。ダニーもジュンヤも、そんな彼女の無邪気さに苦笑いする。

 ただ、ジュンヤはその中に、また別のものを含ませていたのだが、そんなことは、あとの二人にはわかりようがなかった。


『引き続き、頼みたいことがある。政府ビルの監視システムを一斉にダウンさせたい。三日後、俺が提示する時間に停止させることは可能か』


「――それは、ちょっと難しいんじゃないかな」


 今度はダニーが口を挟んだ。


「簡単に言うけど、そんな大それたことをしたら、こっちにだってそれ相応のリスクが降りかかってくる。この研究室内から遠隔操作してってのは、間違いなく無理だ。レナ一人で出来るわけがない。となれば、協力者が他に必要になるし、警備室に侵入することも考えなきゃならなくなる。下手したら、このドームのメイン・コンピューターをいじらなきゃいけないかも知れない。それに、もし仮に三日以内にシステムダウンの方法を見つけたとしても、その三十分後には俺らは連行されてる。そんなの、目に見えてるだろ。そんな危険を冒すようなら、これ以上の協力を拒む権利だって、こっちにはあるはずだぜ」


 流石に防御に出た。そうだそうだとレナもうなずいている。

 あごまで生えた無精ひげを撫ぜ、ゴキゴキと肩を鳴らして、ダニーは参ったなと小さく呟いた。

 事態は分析室の二人が感じているよりずっと急加速的に進んでいる。これを理解してもらうにはそれなりに時間が必要だが、未明に事情を説明し始めて今まで、ほんの何時間だけではとても語りきれないのだ。

 恐らく、ディックはエスターを助け出すためにあちこちに指示を出しまくっている。そして、何とかしてビルまで飛び、彼女が隔離されているだろう場所に突撃するつもりだ。ジュンヤにだってそんなことは簡単に想像できていた。だが、それだけではないようにも感じる。


「なぁ、ディック。……もしかして、時間がないのか。エスターに何かとんでもないことが起きてる、そういうことなんだな」


 まさかと思いながら、ジュンヤは慎重に言葉を繋いだ。“今更彼女を見つけたところで、どうすることも出来なくなっているはず”だと、パメラも言っていた。“エスターをマザーと同化させようとしているようだ”と、ディック自身、確かに話していた。そのための何らかの処置が、このビルのどこかで行われている。そう思うと、やりきれないむかむかとした気持ちがジュンヤの胸の奥底から湧き上がってくるように感じられた。

 恐らくディックはビルのどこで何が起きているのか、全て知っている。その上で、どう動けば良いか緻密に計算しているのだろう。

 冷静にならなければ怒りで気が狂いそうな状況で、これだけしっかりと物事を前に進めることが出来る、それはある意味才能に違いない。自分はそういうことは出来そうにもないと、ジュンヤは渇いた喉に唾を押し流した。

 敵の本拠地にいながらどうやって動いたら良いのかわからず、ディックの指示を待っているだけの状態だのに、自分が動かなければ誰も動けないような状態で、相手に的確に指示を出すなんて到底無理だ。好きにはなれないが、尊敬しないわけにはいかない。これが、ディック・エマードなんだと、ジュンヤは思い知らされていた。


『……マザーは十日だと言った。だが、実際はもっと短いはずだ。半分、そう見越している。――いいか、よく聞け。恐らく一週間以内に、この世界は“崩壊”する』


 ディックの、低い声が室内に響いた。

 重々しい言葉にもかかわらず、研究室の三人は口を開けたまま言葉に詰まり、間の抜けたような顔で固まってしまう。


「ほう、かい? 崩壊する? この世界が? まさか」


 ダニーは左の頬を引きつらせ、ジュンヤの手の中の端末に、ぐいと迫った。何の根拠があってそんなことを、そう言葉を繋ぎたかったのだが、あまりの衝撃に、その後の台詞が口から出てこないようだ。


『ヤツが、世界中を巻き込んで、何か恐ろしいことをしようとしているのは、火を見るより明らかだ。その結果、何が起きるのか――俺にだって想像できない。今、政府のヤツらが大人しいのは、その準備に取りかかっているため。でなきゃ、ジュンヤが無事でいられるわけがない。特殊任務隊を投入しなきゃならないような事態だ。彼らが犠牲になっても、成し遂げなければならない“何か”がそこにある。……つまり、ヤツらにも余裕がない。追い詰められている。これは、チャンスなんだ。――三日後、ネオ・ニューヨークシティに総攻撃をかける。それまでに、避難できる人間は可能な限り避難させておいてくれ。先手を打って、ドームを崩壊させる。これは脅しじゃない。中から、外から、様々な方法で攻撃をするつもりだ。混乱承知で、このことを出来るだけ多くの人間に拡散させて欲しい。犠牲は少ない方がいい。確か、ダニーと言ったな、そこの医師免許所持者』


「あ、ああ」


 突如名前を呼ばれ、ビクッとダニーが反応する。


『お前の伝手でいい。緊急時に協力して貰える医者をなるべく多く探しておけ。できる限り多くの薬とベッドも。いいな』


「わ、わかった」


『そして、ジュンヤ。お前はダニーと協力して、これから俺が送るデータを頼りに、何とかして地下実験室への道を辿れ』


「地下実験室?」


『そこに、エスターが捉えられている。但し、指示を出すまで絶対に、地下実験室に立ち入ってはならない。勝手に入ったとしても、命の保証はしない。俺が送ったロボット犬、フレディを実験室の近くまで連れて行くだけでいいんだ。何も、人間がそこまで侵入する必要は無い。フレディに内蔵された位置情報記録装置に実験室の座標を記録させて欲しい。なに、簡単な仕事だ。敵に見つからぬよう上手く誘導して、正確な座標を得る、ただそれだけだ。三日後、それを頼りに、直接現地へ飛ぶ。わかったか』


 わかったも何も、イエスしか言えない立場、ジュンヤはどもりながら「ああ」と返事し、うなずくしかない。

 他の二人も、顔色を変えじっとて耳を澄ませ、ディックの指示を噛みしめていた。



 *



「とんでもないことに巻き込まれたな」


 回線が途切れた後、ダニーはぐしゃぐしゃ髪の毛をかきむしりながら呟いた。頭が混乱しているのか、足元に散らばった資料や本を避けながら何度もグルグルと室内を歩き回っている。


「総攻撃をかける? 馬鹿な。三日後って言ったらあっという間だ。いくらエマード博士の指示だとしても、こんなことに本当に協力する意味があるのかどうか、俺たち自身、きちんと考えて行動しなくちゃいけない状況にあるんじゃないのか」


「そりゃ、そうだとは思うけどさ」


 定位置の椅子に座りながら、レナも首をかしげた。


「博士が一体何を考えているのか、全部知りたいと思っても、恐らくそれを伝えるには難しい状態なんでしょ。傍受される危険性があるのをわかっていて、攻撃だなんてことを口走るんだもん、本気だと受け取っていいと思うよ。……ジュンヤは、博士が急ぐ本当の理由を知ってそうだけど」


 身体を横にして、どうなのと言わんばかり視線を向けてくるレナを避けるようにして、ソファーにかけたジュンヤは、目線を反らしゆっくりため息をついた。二人の視線が痛い。早く何か喋らなければと、焦りからまた喉が渇く。


「こんなことを話しても、信じないと思うけど」


 念を押した上で、話してみようか。急転していく事態に、ジュンヤはこれ以上置いていかれる訳にはいかなかった。じっくり理解してもらおうだなんて、悠長な考えは捨てなければならない。

 ジュンヤは息を整え、おもむろに顔を上げた。ひとつひとつ、言葉を考えながら話していくしかないのだ。


「……政府総統ティン・リーは、マザー・コンピューターを、エスター、つまりディックの娘の身体と同化させて、操ろうとしているらしい。『生きた“神”を造り、世界を完全に支配しようとしている』、ディックは俺にそう言った。どこまで信じれば良いのか、俺にはわからない。でも、それが本当だとしたら、世界はとんでもないことになるんじゃないか、とは思う」


「とは思うって、なにそれ」


「だって、漠然とした恐怖しか感じない、残念なことに。実感が湧かない。俺には、この世界がどうなるかなんていう、スケールの馬鹿デカいことは、理解できないんだよ。それより、エスターが、……彼女がどうなってしまうのか。あいつの人格は、心はどこへ行ってしまうのか。そればかりが気がかりでならないんだ。ただ、彼女を助けたい。パメラは『もう間に合わない』と、ディックも『時間が無い』と言ってる。もう、いつ事が起きてもおかしくない状態なんだと思うんだ。ディックの言った三日ってのは、本当に最低最悪の事態を見越しての日数なんだと思うよ」


 ぎゅっと唇を噛みしめ、涙を浮かべるジュンヤを見て、レナはふぅんと鼻から抜けるような声を出す。ギイと椅子を鳴らして黒髪を揺らし、背もたれに寄りかかった。


「そっか、ジュンヤはその娘が好きなわけね。父親は好きじゃないけど、彼女のことは、いてもたってもいられないくらい好き、と。そういうわけ」


 レナの唐突な言葉に、ジュンヤは顔を赤くする。頭の天辺から蒸気を噴き出す勢いで立ち上がり、恥ずかしそうに口をパクパク、何か言おうとしているらしいが言葉に出ず、必死に身振り手振りで訴えてくる。


「何今更のように言ってンだよ。最初からそんなこと、わかりきってるだろうが」


「今更だけど、きちんと本人に確認してるんじゃないの。好きだから助けたい、そういうことなんでしょ。ならそうと、早く言えばいいじゃないの」


 ああーっと声を上げて、ジュンヤは両手で顔を覆った。

 恥ずかしいどころの話じゃない。どこか穴があるなら何とやら、隠れる場所も何もないのにどうすればいいのか、立ったりしゃがんだり、とにかくその場から逃れようと思っているのだろう、声にならないような声を出してわめいている。

 ようやく落ち着いて深呼吸できるようになるまで、ダニーとレナに大笑いされたが、もうここまでくると吹っ切るしかない。


「好きだから助けたいで、何か悪いのかよ」


 逆ギレ加減で睨み付けるも、もう笑いしか起きなかった。


「悪いなんて言ってないよ。でも、安心した。“重大な使命背負って来た”みたいに思ってたけどさ、案外単純な動機で動いてんじゃん。親近感湧くよ」


 そう言ってレナは、床に屈んで丸くなったジュンヤの背をポンと叩いてやった。

 少しだけ、二人との距離が縮んだような気がして、ジュンヤは何故かこぼれる笑いをこらえきれなかった。

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