85・これから先

 夕刻を向かえたEUドーム群は、また慌ただしく動き始めていた。

 島の地下施設から帰還したハロルドとウッドがそれぞれ病院に運ばれると、北部転移装置は通常稼働に戻った。一時的に書き換えられていたプログラムも全て元通り、物資の輸送が再開される。

 爆撃を受けたとはいえ、実際被害があったのは地下部分がほとんどで、農水産加工品、加工工場に極端な被害が出なかったのは、不幸中の幸いだった。しかし、機械系統がうけた損傷は激しく、技師らの話によれば、完全回復まで数日を要する事実は変わらないらしい。そのため、地上の各ドームへの配送物品量は通常時の半分以下、市民の経済活動に多少なりとも影響が及んできている。

 政府上層部はこうしたことも全て念頭に置いた上で、ドームを襲撃している。それが最もやっかいだと、ディックは感じていた。

 あの隔離された島にあらかじめ農場を作り、EUドームを襲撃しても当面の食糧を確保出来るようにしていたあたり、最初からEUを攻撃対象としていたとしか思えない。当然、“アナーキストの聖地”などとあだ名された地をあのティン・リーが好ましく思っているはずなど無い。“いずれ攻撃対象になるかも知れない”と、住民たちも常々思っていたらしいから、公然の秘密となっていたのだろう。反政府を堂々と口外していた住民たちも、今回の事件には衝撃を隠せないようで、ディックがすれ違うEUドームの人間、誰もが、“事件によって間違いなく、政府軍、あるいは政府総統から敵対視されているのが確実になった”“ドーム群の存続自体が危ぶまれている”と噂する。

 しかし、一方で疑問も残る。リーは果たして地下冷凍施設を破壊されることを想定していただろうか。TYPE-Cのストックは尽きた。今の身体を失えば、待っているのは存在の消失のみ。巨大な権力を握っていた“政府総統”の地位に、何度も身体を入れ替えながら執着していた男が、そんな簡単に消えてしまうはずなど無いのだ。

 何かしら、緊急の場合に備えて対策を練っているのは間違いない。もしかしたら自分を“TYPE-D”として再利用しているのではと思うと、ディック・エマードはブルッと背を震わせた。

 ジュンヤに言った、『――もしかしたら俺は、“政府総統として”この世界に君臨していたかもしれないってことだ』という台詞が現実味を帯びてきた。……が、肉体はもう限界を向かえようとしている。



――『君は実験体としては成長しすぎた』



 十七年も前にティン・リーに言われていたのだ。

 例え不死身でも、老いには勝つことが出来ない、いずれ死ぬ。しかも、人生の折り返しをとっくに過ぎたような肉体を今更リーが欲するとは思わない。

 何か、他に勝算があるに違いない。

 反政府組織の勢力拡大など、リーにとってはたいした問題では無いのかも知れない。

 寧ろ、その奥にある強大なプロジェクト――恐らくは、自分たち親子が巻き込まれたProject.Tと呼ばれたそれに関連する何か、その成功の先を、ティン・リーは見つめているのだ。

 中央監視ドームの内部監視室、トリストの修復を進める技師たちに混じって作業するディックは、政府ビルの見取り図と戦っていた。電子ペーパーに出力されたそれは、マザーから提供されたもの。ドア二枚分ほどの狭い床に広げ、彼が初めてそれを所得したときと同じように、順番をバラバラにされた図を並べ変えていく。狭い監視室は、ただでさえトリストの部品や作業道具、コードで一杯だというのに、そんなことは一切構い無し、ディックは床にへばり付くようにして、自分の思うまま無言で作業を続けていった。

 必要のない箇所を取り除き、最上部、ジュンヤの匿われている研究室エリア、そして地上三階から地下五階までと、忌々しい地下十階を残す。ジュンヤのいるDNA分析室はビルの中腹に位置し、エスターが捉えられていると思われる地下実験室の丁度真上にあった。


「大体の位置は確認出来たが、やはりこれだけで突入するは難しいな。直接地下実験室に飛ぶには、やはり、正確な位置情報が必要だ」


 ボソッと呟いたディックの側に、短い仮眠から戻ったアンリがかがみ込んだ。電子ペーパー上の見取り図を眺めながら、ふぅんと一声。


「フレディは無事に回収されたんだろ」


「恐らくはな。さっき、バースから連絡があった。該当する荷物はDNA分析室の男に渡ったらしい。その後どうなったのか、無事に研究室に運ばれたのかは未確認だ」


「回収されたんなら、あとは荷解きしてもらえれば、何とかなるんだよね」


「アンリやマザーの推測したような人物だったとしたら、そうするだろうな」


 ディックの言葉はまるで、相手を全く信じていないかのようだ。

 不信感があるのはうなずける。機械的にはじき出されただけの協力者、状況から推測しているだけで、どんな人間か、あんな短い通信だけでは判断しきれない。信じるしかないから信じている、それだけだと言われても、誰も反論できない状態なのだ。


「で、その見取り図データをどうするの。まさかと思うけど、これからビルに突入しようなんて考えてないよね」


 黙々と作業するディックの顔を覗き込むようにして、アンリは尋ねた。視界を邪魔され、蝿を払うようにしてアンリの頭を遮ると、ディックはフンと鼻で笑う。


「突入しようとしていたら、どうなんだ」


「時期尚早だ。武器も整ってない。どうやったら相手の不意を突けるのかだとか、どういう経路で攻めていけば被害を最小にとどめながら政府総統を倒せるかだとか、そういうのは考えないの」


 アンリにしてはまともな意見だ。

 確かに、今の丸腰状態で現地に飛ぶのは無謀すぎる。そんなことは、ディックにも十分わかっていた。


「フレディを起動させたら、俺の携帯端末にメッセージが飛ぶようになっている。それからフレディを介して、ジュンヤの持っている小型端末のデータをこっちに寄越す方法を向こうに教える。俺の読みが正しければ、レナという女が端末の図面、もしくはプログラムを解析しているはずだ。俺はそのデータを貰う。それから、フレディ共々地下へ向かわせるつもりだ。勿論、それ相応の装備をして、だが」


 位置を指し示しながら、アンリに説明する。アンリは未だいぶかしげに眉をしかめるばかりで、納得はしていない様子。


「不満か」


 ぐっと身体を起こし、ディックは左後ろで頭をかきむしるアンリに向き直った。


「いや、あちこち引っ掛かって。“ジュンヤの持ってる端末”ってのは」


「転移装置の小型版のようなものらしい。目撃したバースとロックの話では、手のひらサイズほどの赤い二つ折り端末だったと。青白い光に包まれ、エスターと共に消えたという証言から推測して、空間転移装置の反応だ。憶測だが、転移装置の仕組みを凝縮させ、機能を絞ることで小型化させたんだろう。俺の作っていた埋め込み型転移装置は、現役だが二十年も前の代物だ。今の技術なら小型化、携帯化も可能なはずだ。そいつを、何とかして作れないかと思ってな。一から開発したんじゃ、とても時間が足りない。データを貰えれば、似たような物が短期間で作れるからな。――あと、気になるところは」


「“フレディ共々地下へ”、地下の実験施設にあなたの娘がいるのは、間違いないんだね。確証は」


「一〇〇%、間違いない」


「あとは――、そうだな、わざわざ小型の転移装置にこだわるってことは、まさか自分一人で突入しようだなんて、思ってない、よね?」


 恐る恐る尋ねたアンリに、ディックはなかなか答えようとしなかった。

 数分の沈黙が流れた後、アンリがぽつり、訊く。


「何故そんなことを」


 ディックはしらばっくれる。

 ギョロリと睨み付けられ、アンリはハッと息を飲むが、こんなことで蹴躓いていてはだめだと、彼はもう一度、ディックに尋ねた。


「博士、あなたは絶対、一人で何とかしようとしてる。違う?」


 引きつったアンリの表情を、ディックはしばらくまじまじと見つめていた。

 彼の考えていることがサッパリとわからないアンリにとって、目を合わせるという単純な動作さえ苦痛になる。気がつくと視線は別の所に移ってしまっていて、まるでそんな質問をしてしまったアンリ自身が、愚か者のように思えてしまうのだ。

 気迫、存在感、行動力、どれをとっても、ディック・エマードという男は常人じゃない。人間とは別の次元で動いているような彼に、尊敬と共に畏怖を覚える。彼はEUドームにはいないタイプの人間だ。必要なこと以外は殆ど口に出さないのに、自然と信頼感を寄せ、追従してしまう。

 たくさんの小規模ドームが群れを成しているEUドームでは、各区画の責任者がリーダー的な役割を果たしてはいたが、絶対的な存在というものがなかった。時差にして六時間離れているネオ・ニューヨークシティの政府総統でさえ、カリスマにはなり得なかったのだ。

 恐怖感を植え付けられた一般市民の士気を高めるためには、それに打ち勝つ強靭な精神力を持つリーダーが必要だが、それに相当するような人物は誰一人見当たらない。

 ハロルドをそそのかしディックに近付いてきたアンリ自身、トリストを操るほど精神力は強いが、群衆を引っ張るほどのカリスマ性があるわけでもない。キースのような無鉄砲な人間も、そこそこにはいるが、突出しているわけでもない。

 各区画の責任者たちにしたって、事態収拾に尽力していると言っても、あくまでも事務処理的に収拾させているに過ぎない。散在するドーム群の全てを掌握するほどの力を持つ人間は、存在しないのだ。

 今は、誰かがぐいぐい引っ張っていかなければならない時期のはずだ。“我こそは”という人間がいない、そこに、守備の弱さを感じざるを得ない。

 もしかしたら、この暗い過去を背負いながら黙々と生きている目の前の男がそれに値する人間なのかも知れないと思うと、アンリの肩は震えた。だからこそ、一人でビルに突っ込むような無謀なことは、絶対にして欲しくなかったのだ。

 政府ビルのあるネオ・ニューヨークシティとEUドームの時差はを考える。こちらが夕刻でも、向こうはまだ朝だ。恐らく政府側では、これからの時間、動きが活発になるはずだ。島の地下冷凍施設に赴いた特殊任務隊の二人、ウォーレス・スウィフトとエドモンド・ケインが戻らず、半ば自爆するような形で施設に恐竜型のロボを投入したことからも、政府側の焦りが見える。マザーが言うには、ビル内でやはり特殊任務隊員のパメラという女が惨殺され、その犯人を捜すのに警備員たちや軍が躍起になっているらしいとのこと。

 全てが一本戦で繋がっていく。事態は着実に動いている。

 マザー・コンピューター経由で侵入したことを敵に知られる前に、自動的に回線が遮断してしまい、しばらくジュンヤたちとは連絡が取れなくなっていたが、あれからだいぶ時間が流れた。接続開始可能時間も迫っている。


「俺一人で突入することに問題がある? おかしな話だ。今は別に、本格的に突入しようとしてるんじゃない。相手の信頼を取り付けるために、そしてヤツらがまともな人間かどうか判断するために、一度飛んでみるだけだ。文句は無かろう」


 やっと口を開いたディックから、吐き捨てるような台詞。


「そのまま突っ込んで、総統と対峙するわけじゃ、……ないのか」


 アンリの言葉に、ディックはプッと小さく吹き出した。


「俺がそれほど愚かだと? 互いに理解し合わなければ先に進めない。だから行くだけだ。心配なら一緒に飛ぶか?」


 ディックはアンリを小馬鹿にするように、また鼻を鳴らした。

 監視するつもりなど毛頭無いが、巻き込まれた手前、知ることが出来るなら全部知りたいという欲求も確かにある。そしてなによりも、ハロルドやキースが倒れた今、自分がディックの暴走を止めることの出来る数少ない人物の一人になってしまったことも、アンリを突き動かす。


「行くよ。敵の本拠地とやら、僕だって多少興味はある」


 アンリは嫌な汗をかいていた。じっとりと濡れた額を袖で拭いながら、脈拍が早まるのを感じる。

 この先、何が起ころうとしているのか。心中にあるのは、不安以外の何ものでもなかった。


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