83・情報の欠片
ディックに言われた数字を、手元に散らばったメモ紙の一つに書き留め、ジュンヤがふと顔を上げると、もう回線は途切れていた。レナがずっと見ていたいつもの画面、なにやらたくさんの数字やグラフが並んだそれに戻っている。
一体何だったのか、理解できないうちに彼との会話は終了した。混乱した頭の中が整理できずに、ジュンヤは呆け、ぼんやりとどこかを見つめ続けた。
ティン・リーの正体、彼が何かを企み、エスターを手に入れようとしていることは知っていた。だが、唐突にその答えを突きつけられ、理解に窮した。新しい身体、マザー、E、キメラ。これら全てが一つに繋がってジュンヤを更に混乱させていく。
どっと疲れが出て、殺していた息が解放されたかのように腹の中から吹き出してきた。途端に体中が痛み、メモ紙を掴んだまま、ジュンヤはドサッと床の上にずり落ちた。
「――ジュンヤ、どうした」
様子がおかしいのに気がついて、隣の資料室からダニーが駆けつける。レナも続いてジュンヤに駆け寄り、咄嗟に首筋に手を当てた。
「熱、熱が出てる。あんた、また必要以上に薬打ったんじゃないの」
「失敬だな、レナ。俺はちゃんと用量を守ってだな」
大量に噴き出た汗を病衣の裾で拭い、ダニーは大丈夫かとジュンヤに呼びかける。力なくうなずく彼の心音は、普段より幾分か速い。興奮している、同時に促進剤が効いて炎症箇所から熱が出たのだ。本来ならば、もう少し休ませたいところだがと、ダニーは壁掛け時計の針を見て、チッと舌打ちした。
「ともかく、こんなところで寝込まれたんじゃ困るな。せめて身なりぐらいはしっかりしておかないと、これからの時間帯、色々やばくなってくる。着替え、着替えは用意したよな」
「ロッカーから出してあるよ。あんたの、貸して良いんでしょ」
「それでいいよ」
力の抜けたジュンヤの腕を持ち上げて背負い、立ち上がったダニーだったが、基礎体力は殆どないらしい。何度もよろめきながら、あちこち置きっぱなしの本を乗り越え、部屋の隅に置かれたベッドまでジュンヤを担いだ。限界以上の仕事をするように大きく掛け声を出し、強引に彼の身体をベッドの中央に置く。
「あんたが着替えさせなさいよ」
「わかってるよ」
つっけんどんな態度で見下すレナに、ダニーは顔をしかめた。
もうじき宅配ロボが朝食用の弁当箱を三つ運んでくる。単にロボットだけが運んでくることも多いが、稀に警備員が見回りがてらやってくる。特殊任務隊のパメラが殺され、その犯人が捕まっていないため、恐らく警備員が同伴して一部屋ずつ人数や研究員の身分証を確認してくるはずだ。流石に部屋の奥まで入ってくるようなことはないが、扉を開けてすぐに不審な怪我人がいたとすれば、通報は免れない。そうなったら、協力するどころか匿うことも出来なくなってしまう。
「おい、しっかりしてくれよ。いくら匿ってやるって言っても、俺たちにも限界があるんだからな」
ベッドの上、激しい痛みに耐えながら、ジュンヤはそれまでぎゅっと瞑っていた目を開けた。
心配そうに見つめるダニーと、カタカタ端末のキーボードを打ち始めるレナ。二人にディックからの伝言を伝えねばならなかった。
大丈夫だと何度かうなずいたところで、ダニーもうなずき返し、ベッドの上に半身乗り上げてジュンヤの上半身をぐいと起こした。ジュンヤはされるまま、病衣を脱いでシャツに袖を通す。バレないように揃いの白衣を着せられ、挙げ句にダニーのコレクションから一つ、伊達眼鏡を掛けさせられた。これで変装させたつもりかとも思ったが、何もせずにいるよりは幾分かマシだ。
「少し、脈も落ち着いてきたな。……で、博士は何て」
「これ、この数字で荷物の引き取りは可能なのか」
握りしめ、くしゃくしゃになっていた紙を広げ、数字を見せる。鉛筆で走り書きされた数字は汗で少し霞んでいたが、読み取れないほどではなかった。
「見せて。検索してみる」
そう言ってレナはデスクに向かったまま、手を差し出してきた。ベッドからのっそりと降りて紙を渡すと、彼女は開いていた検索画面に数字を打ち込んだ。
「あ……、桁が足りない。通信、途中で途切れたんだ。残念」
「だめ、かな。こっちに送ったらしいんだけど」
「いんや、そんなことないよ。この上の方の数字は共通していてね、どこからいつ発送されたのか、わかるんだ。エマード博士がEUドームから送ったってことは確定してるから、あとは下何桁か、不明な荷物の行き先を全部確かめればいい。英数字含んだ七桁、五桁、三桁の組み合わせになってるけど、下三桁部分が抜けてる。時間帯を考えてみるね。恐らくドームからジュンヤがこっちに向かった後なんだろうから、今からええと、三十六時間以内と考えていいんだよね」
「ああ」
「三十六時間以内の荷物の受け渡し状況を確認……EUドームからの直接搬入は一箇所のみ、その中で数字は連続してる。受け取り未済の荷物番号はそのうち五十六。サイズ情報あるよ。どのくらいの大きさか知ってる? 小型、中型、大型……」
「犬のロボ……アレは、中型、多分重い」
「となると、合致する荷物は十三に絞られる。それぞれ引き取り用のチケットを端末から出力して持ってくことになってるから、この番号のもの、全て偽造すりゃ引き取れるんじゃないかな」
サラッと偽造などと、とんでもないことを口にする。何とかしてくれるはずだとディックは言った、まさにその通りになっている。ディックの補佐をしているあのアンリという男の情報網、簡単に情報は漏れるはずないと信じている分析室の二人には悪いが、確かなもののようだ。
ジュンヤはデスクに手を付いて、レナが慣れた手つきで端末を操作するのを感心したように、目を丸くしながら見ていた。接続されたプリンターから数枚の紙が出てくるのをスッと取り出し、はさみで器用に真っ直ぐ切っていく。バーコードが印字された短冊形の紙を手に取り、
「ほら出来た」
レナが自慢げに手渡してきた。
「巧いもんだな。慣れすぎてる」
「まあね。色々悪いこともしてるから」
その内容については追求しない方が良さそうだなと苦笑いし、振り向くと、ダニーがピリピリした表情でジュンヤたちを睨み付けていた。時計が七時半を回り、弁当が届いてもおかしくない時間になっていたのだ。
――ノック音、ドアが横にスライドする。紺の警備服を着た大柄な男と、四角い箱のようなロボットがぬっと現れ、ジュンヤはぎょっと肩をすくませた。大げさな動きにレナが耳元で、「自然体で」と囁く始末。
「わかってるよ」
口では言ったが、ジュンヤの胸は激しく鼓動していた。
「DNA分析室、今日は三つ? 記録によるとここしばらくは二つだけだったはずだが」
低い男の声に萎縮し、ジュンヤは無意識にレナの端末を隠すような形で背を向ける。
慌ててダニーがサッとドアの前まで進み出て、警備員らの視界を塞いだ。三人分の弁当を受け取り、はぁとわざとらしく大きくため息をついて、
「昨日から急な仕事が入って、助手を一人追加したんだ。ウチの分析室はよく、臨時で助手を雇うんだよ。一週間程度遡ってみたらわかるけど、ほら、この日は五人分、この日は七人分。ここの人員は依頼されたデータの量に比例するから、他の研究室とはちょいと違うんだよね。これでもビル内のほぼ全てのDNAデータ分析、一箇所で請け負ってんだからさ。わかったらさっさと出てね。壁にべたべた貼ってあるだろ。これから急ぎで仕上げなきゃならない仕事が入ってるんだ。締切は今日の昼。二三〇八研究室のケインズ博士は神経質で有名なんだよ、締切破ったらどうなるか」
「あれ、嘘だかんね」
レナが囁く。
「締切は昨日の昼。ああやってホラ吹くの巧いんだ、ダニーは」
ああなるほどと小さくうなずいて、ちらりとダニーの方を見る。警備員がいぶかしげにこちらを覗いているのを、ダニーがわざとらしい身振り手振りで室内に入れまいとしているようだ。
露骨すぎやしないかとハラハラするが、ここで妙な動きをしたらすぐに確保されてしまう。自然体で、自然体でいなければと思うと、逆にジュンヤの身体は硬くなってしまう。
「そのままこっち向いてなよ。すぐいなくなるからさ」
改めてレナに言われ、ジュンヤは小さくうなずいて見せた。
「君の身分証は」
「何だよ、疑り深いな。ここの主だよ」
首からぶら下げた身分証をダニーがぐいと突き出すと、警備員は手元資料と照らし合わせた。何かをメモしている。
「凶悪犯がビル内をうろついているかも知れない。不審な人物を見かけたらすぐに警備室に連絡を。――ああ、不審なデータ分析依頼についても連絡を怠らないように」
「あいよ、ご苦労さん」
ダニーに見送られ、警備員とロボットが出て行くと、研究室内は久方ぶりにしんと静まりかえった。
自分のデスクに散らばった筆記具を肘で払いのけ、弁当を三つ重ねておくと、ダニーはふらふらっとジュンヤの寝ていた角のベッドへと倒れ込んだ。
タオルケットに顔を埋め、
「……し、死ぬかと思った」
本音が出た。
「まあ、それなりに評価できるんじゃない。ジュンヤの身分証までは用意してなかったから、全員分チェックされてたら、確実に死んでたね」
と、レナ。
とりあえずの危険回避に、三人は各々、深く息を吐いた。
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