82・顛末
ディックの目には、小さな画面の向こうですっかり項垂れたジュンヤが映っていた。傷だらけで包帯を巻かれ、病衣を羽織ったまま肩を落としている。血色はいいが、生気が殆どない。
余程辛い目に遭ったのだろう。DNA分析室のダニーとレナが助けてくれなければ、確実にビルの中で殺されていたはずだ。“E”の確保がリーの目的であり、ジュンヤはただ利用されたに過ぎないのだから。
話したいことは幾らでもあった。問い詰めてしまえば簡単に喋り出すだろう、ジュンヤなら。
だが、そうして一方的な圧力をかけたところで、事態が進展するとはとても思えなかった。努めて冷静にいようと、ディックは心に誓っていた。
本当ならば、怒り狂ってもおかしくない状態なのだ。平静を保たなければ、また自我を失う。そうなった場合、誰がエスターを救い出すのか。ぐっと奥歯を噛みしめ、感情を表にしないようにする。
「確かに、俺はお前に何一つ喋ったことはなかった」
ジュンヤはまだ、顔を上げない。
「だから、お前に誤解されていることも知っている。俺は否定もしなかった。他人にどう思われようが、俺は俺の思ったことをするまで。理解など必要無いと今も思っている。だが、それがお前を傷つけ、リーの口車に乗る結果となってしまったのは想定外だった。お前の気が済むなら、俺は自分の秘密を全部ぶちまけてしまおうかと思っている。……どうだ」
返事を待つが、ジュンヤはやはり無言のままだった。一切目を合わそうとしない。
「どこまで遡れば気が済む。俺が、生まれたところ……いや、造られたところからか」
腕を組んだまま、ディックはふぅと、大きくため息をついた。ギイと椅子を鳴らし、前傾姿勢になって画面を覗き込む。カメラの直ぐ下に置かれたモニターの中で、ジュンヤはやっと顔を上げた。
ようやく、と、ディックがしたり顔をしたところで、トリストの修復作業をしていた作業員たちも、彼を気遣い、そっと持ち場を離れた。
作業用機械と金属クズの散らばる狭い室内、骨組みに少しだけ肉の付いたような修復中のトリストと、天井から太いコードで繋がったマザーアクセス用のフルフェイスヘルメットが、目の前にぽつんとある。
画面の向こう側がどうなっているのか、ジュンヤだけが見えている状態で、他の二人が別室に移動してくれているとすれば、カメラを介して本当に二人きり。これで心置きなく、話が出来る。
『“造られた”ってのは、“コードがない”ことと関係があるのか』
ようやく口を開いたジュンヤの声は、強張っていた。
額に汗が滲んでいるのも見える。
「どこまで聞いたのか、どれだけ情報を得ているのかは知らないが、その通り、関係がある。俺は政府の機密プロジェクト内で造られた“実験体”だ。見た目は人間かも知れない。が、組み込まれた遺伝情報はそれだけではないらしい。一体誰をベースに造られたのか……どの生物の何の遺伝子を使ったのか。俺は自分の身体のことは、今でも全くわからないんだ」
『それってつまり、どういう』
「俺は、生物学的にも恐らく人間じゃない。キメラの部類だ」
『キメラ……化け物だって、そう言いたいのか』
「そう」
ジュンヤの反応を確かめつつ、言葉を選びながら慎重に語る。驚き、震え上がって青ざめた表情が、ディックの心を抉った。ぎゅっと唇を噛み締め、鼻でゆっくり息を吐く。
次の台詞は、また彼を傷つけるはずだ。
「もしかしたら、もう知っているのかも知れないが、エスターも俺と同じ、“実験体”だ。政府総統ティン・リーの“新しい器”となるべく造られたな」
そこまで言って、ディックはまた、ジュンヤの表情を確かめる。接続が悪いのか、時折画面が揺れ、像を乱した。それでも、ジュンヤの複雑そうな、泣き出しそうな顔はよく見えた。
『エスターが実験体として利用されてたってことは、リーから聞いていた。ただ彼は、自分の“器”だとか、そんなことは一言も』
「――ヤツがどうやって命を繋いでいるか、知っているか」
『憶測、だけど。次々に身体を乗り換えているんじゃないかと』
思わず、眉が動いた。ジュンヤの口から、よもやそんな言葉が出ようとは思ってもみなかった。なるほど、アンリの言うように分析室の人間がジュンヤに色々仕込んだかも知れないという読みは間違っていないようだ。いけ好かない男だが、頭が良いのは間違いないらしい。
ニヤッと含み笑いし、ディックは腕を組んだまま、ぐっと身体を起こした。
「ヤツは自分のクローン体に、意識を電子化させ移している。知る限りじゃ、俺は四タイプ目。今のヤツの身体、TYPE-CからDへ移行しようとして、俺の義父に阻まれた。遺伝子の劣化が進んでいる、最早限界らしい。新しい身体が欲しくて、俺を作り出したのだと聞いた。これがどういうことか、お前にわかるか。――もしかしたら俺は、義父の謀反さえなければ、“政府総統として”この世界に君臨していたかもしれないってことだ」
一人だけの監視室、声があちこちに反射し、大きくなってディックの耳に戻ってくる。
自らの発した言葉に震えた。
彼が、そのことを言葉にしたのは、初めてのことだった。
頭でわかってはいたが、断定してしまうのが怖くて仕方がなかった。おこがましいとも思っていた。敵とはいえ、世界の全てを握る男になっていたかも知れないと思えば、それなりの優越感を覚えてしまうのではないかと、怖くて仕方がなかった。
同時に、そういう存在なのだと結論づけてしまうことが、ディック・エマードという男の全てを砕いてしまいそうだったのだ。
『エスターも同じだと言うなら……じゃあ、エスターは、リーに身体を乗っ取られてしまうってのか』
「いや、違う」
『だけどヤツらは、はっきり言った。“E”が目的だったって』
「当初は、そうだったらしいがな。リーの中で何かが変わったのか、Eが思いもかけず女性であったことが原因だったのか定かではないが、ヤツはエスターをマザーと同化させようとしているようだ。生きた“神”を造り、世界を完全に支配するために」
『……ば、馬鹿げてる……』
「その馬鹿げたことに、いろんな人間が巻き込まれてる。殺された人間も、人生を狂わされた人間も、大勢いる。言ってしまえばこの世界にいる誰もが犠牲者ということになる。世界をドームが覆ってしまったこと、人間を閉じ込めたこと、情報を遮断したこと、コードで管理したこと、どれもがヤツの欲望に繋がっているんだ。ジュンヤ、お前はこの状況をどう思う。どうすべきだと思う」
『俺は――』
また、ジュンヤは目を反らした。
たくさんの情報を一度に与えすぎたのかも知れない。ディックは一瞬そう思ったが、いや、そんなことはない、こいつならば理解できるはずだと、じっと画面の向こうのジュンヤを見据える。
反抗し、ぶつかり合いながらも、どこかで信用したいのは、彼がシロウの息子だからなのか。それとも、義父の敬愛したウメモト博士の孫だからなのか。
そんな余計なことを考えながら、言葉の詰まったジュンヤから次の台詞が出てくるのをじっと待った。
なかなか言葉が出てこないのか、ジュンヤは何度も唾を飲み込むような仕草をして、時折目を瞑ってみたり、長く息を吐いたりしている。
「何も難しいことを訊いてるんじゃない。お前は、そこにいて何をしようとしているんだと訊いてるんだ。敵の本拠地のど真ん中、協力者も見つかったんだろ。次は、次はどうする気だ。まさか無鉄砲に何も考えず、そんなところにいるわけじゃあるまいな」
痺れを切らしたディックに、ジュンヤが慌てて返してくる。
『考えてなんかいない。――考えてるわけない。わかってて訊いてンだろ』
「やっぱりな」
『エスターが連れて行かれた。“今更彼女を見つけたところで、どうすることも出来なくなっているはずだ”と言われた。リーが彼女に一体何をしようとしているのか、俺にはサッパリわからなかったし、この中で動き回るにも、ダニーやレナが協力してくれるとはいえ、あまりに情報や武器が少なすぎるんだ。た……助けて、欲しい。正直、ディックみたいに上手く立ち回る自信は全然無いんだ。でも、俺にしかできないことがあるなら、いくらでもやる。彼女を、エスターを助けることが出来るなら』
「――いいだろう」
目を細めたディックは、待ってましたとばかりにニタリと笑い、あごの無精ひげを右手で撫ぜた。上目遣いにジュンヤを睨む様は、どこかいたずら好きの少年のようなあどけなさを含んでいるようにも見える。
「犬型のロボットをそっちに送った。回収を分析室の二人に依頼したい。あとはお前の持っている、小型転移装置のデータをこっちに寄越せ。レナとかいう女、彼女なら何とかしてくれるはずだ。一気に事を進めすぎてヤツらに見つかるとやっかいだ。指示は追って出す。――この回線の使用も、これくらいが限界らしい。ロボの梱包された荷物の輸送ナンバーだけ伝える。メモはいいか」
『あ、ちょ、ちょっと待って』
「時間がない。ナンバーC16975K-52581……」
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