81・画面の向こう側

「あれが、エマード博士? ホントに?」


 興奮気味にダニーが言う。

 レナも頬を紅潮させて、息を弾ませている。


「本物、本物なんだね」


「まあ、本物は、本物なんだけど」


 画面に映るディック・エマードは、いつもより心なしか小さく見えた。

 島での事件以来、ジュンヤはずっとディックを避けていた。見たことのない、おぞましい本性に畏怖し、憎悪を抱いた。完全に敵だと認識してしまったのだ。しかもそのまま、彼はリーの案内で政府ビルへとやって来てしまった。

 しばらくぶりに見るディックは、やつれていた。目の下の隈もいつもより濃い。口ひげ以外、普段はすっきりと剃っているはずなのに、画面の中の彼は身だしなみどころではないらしい。眼鏡もかけ忘れてる。誰の目から見ても明らかに、彼は疲れきっていた。

 そうさせたのは自分に違いない、大事な愛娘を、騙されたとはいえ誘拐してしまったのだ。ジュンヤの胸は痛んだ。それは、パメラにつけられた傷が原因ではないというのも、よくわかっていた。

 手のひらが、汗で滲んだ。少しずつ、無意識のうちに脈拍が上がってくるのが彼自身にもわかる。じっとりと濡れていく背中、脇の下、首筋、そして額。

 ダニーとレナには気づかれたくない。彼の姿を見ただけで動揺しているなど、恥ずかしいにも程がある。そうやって一人、もやもやと思いを巡らせるジュンヤには全く気づかぬ様子で、ダニーたちはまじまじと、画面の中のディックを目で追い続けている。

 上半身にカメラがズームし、よりいっそう彼の表情を詳細に捉えると、レナはキャッと黄色い声を上げた。まるで有名人扱いだ。そんな二人の様子が、いっそうジュンヤの心を掻き立てていく。


『こっちの声は聞こえてるはずだよ。でも、向こう側の声は……どうかな。マイクでも差してれば音を拾ってくれると思うんだけど』


 若い男が言うのに慌てて、レナが手元にあったピンマイクを端末に差し込んだ。


「差したよ、マイク。聞こえる?」


『ああ、聞こえる聞こえる。もしかして君が、レナ・ニコラ?』


「イエス、あなたは?」


『アンリだ。よろしく。悪いけど、君らの個人情報は色々調べさせてもらったよ。エマード博士からの依頼でね。……カメラはある? 画像欲しいんだ。いいかい』


「ええ、いいわ。アンリ」


 彼女は慌てることなく椅子に座り直し、しゃんと背筋を伸ばした。その上で、いつもはデスクに投げっぱなしの小型カメラを端末に繋ぐ。正常にカメラを認識、作動したことを知らせるチャイムが鳴ると、ダニーはレナのすぐ後ろに屈む。ジュンヤは二人から少し距離を置いて、じっと様子を窺っていた。

 画面の中、正面を向いたエマードが視線を斜めに落としたまま、腕組みをしているのが見える。


「やっぱ、存在感あるな、エマード博士は」


 ぶるぶるっと、背筋を奮わせてダニーが言う。

 コクンと、レナはうなずき、嬉しそうに笑みを浮かべる。

 それにしても、この見たこともない若い男は何者なのか。自分より親しげに、対等にディックと話している。

 記憶をたどったが、ジュンヤに覚えはない。恐らくはEU ドームで特殊任務隊の連中が起こした爆破事件、あのときに手を貸した人間なんだろう。自分がいない間に何があったのか、考えるとモヤモヤする。


『あまり時間がない、手短に説明するよ』


 ジュンヤの心中など無視するように、アンリが淡々と話し始めた。


『EUドームのある場所から、僕と博士は君らの端末にアクセスをしている。無論、真っ当な方法じゃない。媒介してくれているのはマザー・コンピューター、さっきも言ったけど、エマード博士からの依頼で協力してくれそうな人を探していたところ、マザーが君らをピックアップした。君らの経歴、研究についてや、性格まで、マザーは詳しく分析している。廃止論を研究してるなら尚の更、僕らに協力してくれるだろうとこっちは踏んでるんだ。ところでさっき、ウメモト博士のDNAデータを漁ってただろ。ってことは、そっちに彼の孫が行ってるはずだ。――この読み、合ってる?』


 たたみかけるようなアンリの言葉に、三人は圧倒された。レナとダニーは互いに目を見合わせ、息を飲む。ジュンヤは胸を貫かれたような痛みを感じ、数歩後退った。彼は一体何者なのか、いよいよ恐ろしくなってくる。


「……一つ、訊いてもいい?」


 沈黙が何分か続いたあと、意を決したようにレナが切り出した。極度の緊張で声は上ずっていた。


「もしかしてあなたが、噂の“意識を電子化してデータベースに侵入できる”タイプの人間なわけね」


『当たり。よく知ってるね』


「私もよくハッキングするからさ。にしたって、とても普通じゃない。よっぽどイカれてる」


『それは褒め言葉ととっておくよ』 


 画面からはいなくなった若い男の、いかにも状況を楽しんでいるような場違いな台詞。


「ところで、どうしてそこまで詳細な情報が? 第一、マザー・コンピューターに一般人がアクセスするなんて不可能じゃないの」


『それは企業秘密。まあ、通常の方法でネオ・ニューヨークシティのメイン・コンピューターにアクセスしても、得られる情報は少ないからね。侵入できるところまで侵入しないと、本当に欲しい情報は手に入らない。僕なら、マザー経由でどんな情報だって入手することが出来る。と言っても、肝心の総統付近の情報は入手不能なんだけど』


『――そこまでにしろ』


 流暢に話し続けるアンリを静止したのは、ディック・エマードだった。やっと和んできたはずの空気が、またピンと張り詰めた。


『アンリ、お前はもう休め。意識を半々に置いたまま、これ以上作業を続けてみろ。廃人になる』


『いやぁ、興奮しすぎた。ゴメンゴメン。博士に譲るよ』


『当然だ。ところで、ジュンヤ、いるんだろ』


 画面の向こうでなにやらやりとりが行われ、ガサゴソと背後で物音がしたあと、若い男の気配が完全に消える。ディック・エマードだけが画面の中に残されると、ジュンヤは渋々、カメラの視界に入っていった。


「……いるよ」


『すまんが、そこの二人、席を外してくれないか。二人で少し、話をしたい』

 


 *



 ダニーとレナを端末から離し、一人、レナの指定席に腰掛けるジュンヤの顔は強張っていた。目も合わせたくない、話したくない。だのに、二人で話がしたいだなんて、ディックはどうかしている。

 思えば、旅立ちの日に祖父とのことを聞いたあとも、彼は何事もなかったように振る舞っていたし、あの雨の日にリーを撃ち抜いてからも、普段通りに――いや、普段以上に動き回っていたようだ。

 自分自身があまりに軟弱なのか、神経質なのか。それとも彼が恐ろしく冷徹なのか。ジュンヤは悩んだ。悩み続けて結論は出ず、リーに心を奪われてしまった。その結果がこれだ。

 ディックを目の前にして、ジュンヤはますます自分の愚かさが身に染み、どう接したらいいのか目を泳がせてしまう。


『俺が、怒っているとでも思っているのか』


 だが、聞こえてきたのは思いもよらぬ台詞だった。


「え?」


『お前を、俺が怒っているとでも。俺がお前を責め立てると思っていたのか』


 画面の中のディックは、どこか寂しそうに眉をひん曲げている。

 ジュンヤはまた、どうしたらいいかわからずに、デスクの上、端末付近に転がるレナの私物に視線を移し、彼女の使った化粧水の瓶やアクセサリー、ハンカチが無造作にあるのを興味無しに見つめていた。

 返す言葉がない。だって本当に、そう思っていたのだから。


『――俺には、お前を責める資格など無い。お前が悪意でエスターを連れ去ったわけじゃないのはわかってる。だから、俺は何も言わない。お前はただ真っ直ぐに、自分の愛する者を救いたいと思っただけなはずだ。それが結果、敵の思うままになってしまっただけのこと。……俺にだって経験がある。お前のように、俺もかつて正義のようなものを持っていたんだ。抵抗し、足掻き、唯一愛した女を必死に守ろうとして、結果、見殺しにした。取り返しが付くはずもない。だが、まだエスターは無事らしい。希望はある。だのに、何故お前を責める必要がある』


 ディックの声は、あくまで落ち着いていた。それはかつて、自分の父親に感じたのと同じような、どこかしっかりとしていて、だけれども温かさを含んだものだった。


『エスターは待ってるはずだ。こんなところで立ち止まってる場合じゃない。わかってるな』


 太い、強い声だ。ぐったりとした外見からはとても想像が付かないくらい、力強い。

 膝の上でジュンヤはぎゅっと拳を握った。ふがいない。小さすぎる。そして、自分は、愚かだ……。

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