80・接触

 ダニーとレナの研究室は、実に忙しなかった。

 時間感覚を無視するように、次々に依頼のメールやロボット便があちこちの研究室から届き、彼らはその度に仮眠から覚めてごそごそ動く。ソファで寝起きし、自分たちには休息など無いとぼやきながらも、彼らはその仕事に誇りを持っている。

 壁一面にべたべたと貼り付けられた無数のメモには、依頼の納期が書いてあった。早いものから順に貼っているつもりのようだが、まるで統率は取れていない。彼らの頭の中は部屋同様ぐちゃぐちゃで、だが、それをどうこうしようなどという気持ちは微塵もないらしい。

 白いのは土台の壁だけで、あとはとにかく生活感、ずぼらさが目立つ室内。決して清潔だなんて言い切れないこの医者風情の男と、頭のネジが一本どころか何本も吹き飛んだような女。彼らの余裕の原因は一体何なのだろうとさえ、ジュンヤは思い始めていた。

 あれから全く眠れずに、ジュンヤはじっと、彼らの寝息と自分に繋がった点滴の音を交互に聞いている。

 時々あちこちがズキズキと痛んだ。


「身体が必死に自分を治そうとしている音だよ」


 ダニーは笑うが、冗談じゃない。治癒促進剤とやらが効き過ぎて、身体中、必要以上に熱を帯びている。

 医者だなんて口ばっかりだと、ジュンヤは思っていた。

 しかし、彼ら以外に頼る物がいない以上、どうすることが出来ない現実がある。

 話してはいけないと思っていたことを全部話してしまった手前、簡単に場を離れることはできなくなった。

 もし仮に、彼らが上辺だけでジュンヤと話をしていて、実は政府総統の手の者だったとしたら、完全に分が悪い。なんてったって、こっちは怪我人、武器も無し。パメラとやり合ったときよりもずっと、状況が悪化しているのだ。

 ひっきりなしに出入りするのが幸いロボットくらいなのがいいことで、もし生身の人間なら、即、拘束されてるはずだ。ロボットにしたって、搭載されたカメラやセンサーで部外者だとバレたら不味いに決まってる。

 だのにダニーは、


「絶対大丈夫だから」


 根拠なく鼻歌を始める。


「この研究室を二人だけで?」


 ジュンヤが尋ねると、レナが言った。


「前はもっといたんだけど。あまりに劣悪な環境でしょ。忙しすぎて狂っちゃって、結局二人しか残らなかったんだ」


 確かに、こんなデータと機械の山の中で、まともにいろって方がおかしい。二人のテンションが高いのは睡眠不足も関係してるんじゃないかと、どうでもいいことを考えてしまう。

 けれど彼らは、穏やかさを保っている。

 例えば本当に彼らを信頼するとして、この先どうやってエスターを助けに行ったらいいのか。詳しくは朝になってからと話をはぐらかしてみたものの、具体策を提示できなければ、彼らだってどう手助けしたらいいのかわからないはずだ。

 壁に掛けられた時計の針が、カチカチと音を立てながら進んでいく。午前二時だと言われてから、もう四時間が経過してしまった。そろそろ周囲が活動を始める時間だ。そうなると、自分がベッドで寝ているところを他者に目撃される確率はますます高くなる。

 平静を保ってられるような状況にない。身体中に嫌な汗が染み出してくる。だが、体力が回復するまでは下手に動かない方がいい。せめて彼らが本格的に動き出すまではと、ジュンヤは一人無意識に追い詰められながら、目の前の男女を警戒し続けた。

 ――カチッと、何かの音が鳴った。

 それから立て続けに、室内のあちこちから音、音、音。六時半、起床時間なのか、タイマーで目覚ましが一斉に鳴り響いた。

 ソファからむくっと起き上がり、一つ一つ目覚ましを止めていくダニーと、デスクに伏したまま腕の届く範囲をガンガンと叩きまくるレナ。やっと全ての音が止まった頃に、


「起こした、ゴメンね~」


 軽い口調で謝られても、ジュンヤからはため息しか出てこなかった。


「うるさくして悪かったね。七時半頃、食事が運ばれてくる。今日は三人分頼んであるから安心して。大丈夫、ロボが弁当運んでくるだけだよ」


 寝ぼけ眼を擦りながら、ダニーがベッドを見下ろしている。脂ぎった肌に、くっきりとついた目の下の隈、明らかに寝不足だと見て取れる。


「点滴で、随分良くなったと思うけど、どう」


 頭をもしゃくしゃとかきむしり、ジュンヤの右手首で脈を取り始めるダニーを見上げた。


「まあ、それなりに」


「熱、少し出たかな。着替えを用意しておくよ。これから先、日中帯は俺たちだけではどうにも出来なくなることも考えられるから、いつでも身動き出来るよう、管は外そうか。でも、無理は禁物だ。あくまで怪我人だからね」


「わかってる」


「促進剤効果があったとしても、通常の回復スピードを二倍程度に出来るだけ。個人差もあるから、確実じゃない。身体にも負担が掛かるし、本当は避けたいんだけどね。大丈夫だとは思うけど、万が一、万が一を考慮して、速めに回復した方がいい」


 絶対大丈夫と言っておきながら、焦りも感じる。ここでずっと隠れ続けるのは無理なのかも知れないと、ジュンヤは唾を飲み込んだ。

 手早く処置をし、聴診器をあて、触診、それから追加で一発、回復促進剤の注射を打つ。カルテにペンで走り書きし、


「よし、オッケー」とダニー。


 やっと普段のニヤけ顔に戻った。


「レナ、そっちはどう。上層部に動きは」


 ダニーが声を掛けると、顔を洗ってサッパリしたレナが、ブラシで髪の毛をとかしながらフラフラと端末の起動ボタンを押す。


「ちょいと待ってね。立ち上がりに時間かかるんだ」


 ジュンヤの目を全く気にする様子もなく、彼女は突然、着替えを始めた。無頓着、いや、恐らく二人はそういう関係なのだろう。

 次いで、彼女はフンフンと何かの歌を歌い化粧をする。

 デスク周りは彼女の部屋と化していて、よく見渡せば、女性用の小物や雑貨、化粧品に脱ぎ捨てた洋服まで無造作に置いてある。

 目のやり場に困り、反対の壁へと視線をそらしても、気配というものは感じられるもの。何となく気まずい。本当に、こんな場所でこんなことさえしていなければ彼女も普通の女性なんだ。

 成り行きとは言え、二人の日常に割って入ってしまった。協力してくれると言っても、やっぱり長居するわけにはいかない。


「あ」


 レナがふいに変な声を出した。


「どうした」


 ダニーが反応してサッと側に寄る。


「見覚えのないヤツから、ダイレクトメッセージ。……mather? 何これ」


 レナの手が止まっていた。画面上に呼び出されたウインドウ、メッセージ欄を見つめたまま静止している。

 二人の様子がおかしいのに気がつき、ジュンヤもよいしょと重たい身体を起こした。ベッドから半日ぶりに立ち上がり、足を引きずりながらレナのデスクへ。


「マザーって言ったら、マザー・コンピューターしか思い浮かばない。他に何かある?」


「さあ、レナがそう言うんだったら、そうなんじゃない」


 件名、『DNA分析室へ、協力依頼』。メッセージのみ、他に添付されたファイルはない。だが、妙に嫌な予感がした。


「気持ち悪いな、なんだろ。見てみたら?」


「いいけど。いくら公表してるアドレスとはいえ、こういうのはちょっと。普通は研究室番号と依頼人名が添えられてくるはずなんだけどな」


 メッセージを開く。


「何々、『先日、あなた方が保護したジュンヤ・ウメモトと連絡が取りたい。コード廃止論について、あなた方が熱心に研究をしているのは知っている。悪いようにはしない。これは、ディック・エマード博士からの依頼だ。至急連絡を』……え、これって」


 読み上げたレナも、ダニーも、ジュンヤも、互いに顔を見合わせた。思いも寄らぬ内容、全て見透かされている。


「レナ、どっかにジュンヤのこと書き込んだりしたか」


「し、してないよ、失礼だな。そういうダニーだって、弁当注文、安易に数量変えたでしょ」


「そんなの、来客や臨時の助手が来たら、しょっちゅうやってたろ」


「そんなことより、差し出しは。どこから発信されてるか、特定できないの」


 ジュンヤが慌てて割って入る。

 我に返って、レナが発信元を探り出した。


「待っててよ……、どのドームから送ってきたのか、どの端末から送ってきたのか、大体わかれば」


 それまでゆるゆるとしていた研究室内の空気が、ピンと張り詰めた。

 レナもすっかり仕事人の顔になっている。


「こういうのはね、いたずらかどうか、きちんと判断しないと、後々大変なことになるんだから」


 高速でキーボードを叩き、画面を操作する。数分、作業をしたところで、


「EUドームだ」


 レナが呟いた。


「爆破事件があったところだ。エマード博士もそこにいる。信憑性は高いな」


「だとしても、ダニー、簡単に信じちゃいけないよ。廃止論についても知ってると書いてある。これって、ウチらの動きを全部見てるってことでしょ。そんなこと」


 ありえない、そうレナの口が動くか動かないのとき、突如画面が切り替わった。どこかの施設、長く伸びた管と、監視モニターだらけの室内が映し出されたのだ。当然、レナにもダニーにも、見覚えがない。ジュンヤにも、それがなんなのか、全く見当が付かなかった。


「な、誰、勝手に」


 ポカンと口を開け、事態を飲み込めぬレナ。


「お前が何かしたんじゃないのか」


「違う、誰かが端末に侵入してきてる。操作されてる。――乗っ取られた」


 両手を挙げ、操作してないことをアピールする彼女に、ダニーも驚きを隠せない。そんな簡単に、政府ビル内にある端末をハッキングできるもんかと、常々話していた。まさか、それが現実になろうとは。

 画面上、フルフェイスのヘルメットを被った黒服の何者かが見切れ、それから白衣の人物が現れた。中央に用意された椅子に腰掛けた白衣の男は、何度か位置を確認するようにキョロキョロと周りを見回したあと、黒服の人物の合図で襟を正す。


『……博士、うん、その位置で』


『映ってるのか。本当に大丈夫なんだろうな』


『大丈夫大丈夫。博士の名前入れて、協力してくれってメッセージ入れたから、安心してよ』


『信用できんな』


『そう言わずに』


 音が漏れ出した。若い男と、中年男の会話だ。


「――ディックだ。何してんだ、一体、何が」


 身を乗り出し、痛む腹を擦りながらジュンヤが声を上げた。

 そこに映っていたのは、紛れもない、ディック・エマードその人だったのだ。

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