70・誤解

 医療具が散らばった机の引き出しから、ダニーは一本の注射器を取り出した。ビニルをビリビリと破ってそれを取り出し、針を上に向ける。


「かくまってやるのはいいとして、居場所がバレたとき、君が動けないのは困るからな。注射、打っとくよ。治癒促進剤。――大丈夫、正規ルートじゃないけど、真っ当な物だから。政府お墨付きの製薬会社で作ってるヤツ。横流ししてもらってんだ」


 アルコールを染みこませた脱脂綿で、ジュンヤの右上腕部を拭き取り、一刺し。


「これで大丈夫。少ししたら身体が楽になってくるはずだ」


 ベッドの上に横たわったまま、ジュンヤは大きく瞬き、深呼吸した。頭上の照明は、眩しすぎない程度に明るく、室内を照らしている。


「今、何時。俺、あれからどれくらい気を失ってたの」


 そうだなあと、ダニーは使用済みの注射器を医療用と書かれたゴミ箱に捨て、白衣の袖をまくって、腕時計をじっと眺めた。


「あれから、十時間は経ってる。今は夜中の二時だ。何、心配することはないって。政府のヤツらも夜中は動かない。俺たち研究者は昼夜関係無しだけどな。――名前、ちゃんと聞いてなかったよな」


 ジュンヤの顔からゆっくりと人工呼吸器を外し、腕に刺していた点滴をそっと抜く。絆創膏で止血し、腹部の包帯に緩みがないかを確認しながら、ダニーは優しそうな大きな目をジュンヤに向ける。


「……ジュンヤ。ジュンヤ・ウメモト。その、ウメモト博士の孫かどうかは自信がないけど、恐らくそうなんだろうなっていうのは、流石に話の筋から大体推測できるよ。こんな俺でもね」


「推測できる、じゃなくて、間違いないから。データがそう言ってる」


 横からレナが口を出した。


「それにしてもさ、ホントにどうしてあんたがここに? 普通に考えたら簡単に侵入できるわけないよね。確かウメモトの息子の方はネオ・シャンハイにいたはずだけど」


 スッと立ち上がり、ごちゃごちゃに物が詰め込まれた棚の中から、レナは無造作にガムの容器を取りだした。眠気覚ましのミントガムを口に入れ、むしゃむしゃと噛みながら、彼女は定位置、端末が置かれたデスク前の椅子に、でんと腰を下ろす。端末のディスプレイには、ジュンヤのDNA解析結果画面が映し出されていた。


「――ジュンヤ、か。変な名前。ウメモト博士もキョウイチロウとかいう、独特な名前だったな。日系人の名前は理解できないや。……まぁ、それはさておき。ね、教えてよ」


 視界から外れた彼女の、ジュンヤのことを考えてか興味本位でか、嫌味無く訊いてくる声に、ジュンヤはため息混じりでゆっくりと応えた。


「俺は、廃止論とやらで政府をどうこうするためにここに来たんじゃないよ。結果的にそういう立場になるわけだけど、――元はと言えば、俺は単に、騙されたんだ」


「騙された。誰に」


「ティン・リーだよ」


 ダニーとレナの顔色が変わった。


「リー? 聞いたことない名前だな。何者なの」


「政府の……まさか、知らないのか」


 首を傾げあう二人の様子から推測するに、リーは自らの正体を公表していない。自分が自由に動き回るためなのか、正体を知られて狙撃されるのを恐れてなのか。その後、どう話すべきか少し考え、ジュンヤは話題を切り替えた。


「今、ビルの外でどういうことが起こっているか、情報網は」


「メディアはもちろんだけど、メイン・コンピューターにアクセスして、各ドームの裏情報を個人的に引っ張ってきたりはするよ」


「じゃあレナ、ここ数週間、どこで何が起こったか、大体掴めてる?」


「まあね」


 キーボードをカチカチと叩き、レナは画面の端に別ウインドウを立ち上げた。


「ネオ・シャンハイでの反政府組織の暴動、それから、昨日のEUドームでの爆破事件。特に爆破事件はあちこちで話題になってる。なんてったって、生活に直結してくるからね。爆破自体、誰が行ったのか不明。あそこは反政府組織の巣窟だから、政府側の攻撃ってのも考えられるけど、それは今までだってそうだったわけだし、なぜ今なのかという点においては、生産拠点であるEUドームを攻撃する理由に欠けるんだよね。……ジュンヤはまさか、事情、知ってんの」


 ギイと椅子を鳴らす音。二人の身体が、自然にベッドの上のジュンヤに向けられる。

 しんと狭い室内が静まりかえり、端末の起動音と、点滴の落ちる音が響いた。ゴクリと、ダニーが唾を飲み込む音がして、レナのガムを噛む音が止まった。

 ジュンヤは、思い立ったようにこれまでのことを話し始めた。


「ドームを襲撃したのは、特殊任務隊だ。標的は、一人の科学者とその娘。――俺は、その本当の目的を知らないまま、事件に巻き込まれたんだ。爆破の混乱に乗じて、彼女を政府ビルに連れてくるように指示された。それが彼女を救うのだと、信じ切っていたんだ。だけど、結果は……」


「――ねぇ、その科学者って、ディック・エマード博士?」


 またレナが口を挟む。


「ウメモト博士の息子はネオ・シャンハイで反政府組織を立ち上げた。指名手配中のエマード博士が、その組織にいたらしいことが最近明らかになって、それで暴動が起きたんでしょ」


 正確には暴動ではないがと、ジュンヤが口出しするまもなく、


「で、その後何らかの手段を使ってEUドームへ渡り、そこでも事件が起きた。……そういうことだよね」


 レナは興奮気味で、またフラフラとベッドの側まで歩いてきた。何度も嬉しそうにうなずき、両拳を上下に振って、にやにやと顔を綻ばせる。


「繋がった、繋がった。いい感じ、いい感じ」


「何がだよ」


「ダニー、あんた、理解度が足りないね。いい、繋がってんだよ。全ての事件が繋がってる。ね、ジュンヤ、あんたと一緒にいたエマード博士、何者だか知ってるよね」


 唐突に質問を振られ、ジュンヤは目をパチクリさせる。

 そんなの知っているわけない。秘密主義のあの男が、自分の正体について口をついたのは、後にも先にも一度しかない。出発前の飛空挺の食堂で、たまたま立ち聞きしてしまったあの時だけだ。

 寝たまま口をもごもごさせるジュンヤに、レナは嬉々として両腕を広げて見せた。


「彼は“NO CODEの星”と密かに呼ばれていた人物だよ。NCC出身ながら、機密プロジェクトに参加、その頭脳は政府内でも群を抜いてたって聞いたこと、あるでしょ。結局は政府を裏切る形でいなくなってしまったけど、今でも結構尊敬してる人がいるくらい、偉大な人物なんだから。その彼が起こしたことなら納得も出来るな。――そうだよ、だから政府は攻撃を仕掛けたんだ。エマード博士がEUドームに行ったから。繋がった、繋がった」


 声が大きいぞとダニーが注意するくらい、レナのテンションは上がっていた。しきりに手を上下させて、まるでアルコールが入ったように、酷く興奮しているのがわかった。

 ――それにしても、意外だ。

 ジュンヤはレナとは裏腹に呆然としていた。尊敬、偉大、そんな言葉がディックに対して向けられていたなど、思いもしない。寡黙で冷酷で、得体の知れないだけの男だったはずだ。政府では天才と呼ばれていたらしい、そうシロウに聞いたことはあるが、それだけだ。


「俺は、彼のことを、残忍な悪魔だと、殺人鬼だと」


 ゆっくり身体を起こした。重かった身体が、注射の効き目が出てきたのか、少し軽かった。


「誰が? エマード博士が?」


 眉をひそめるダニーに、ジュンヤは強くうなずく。


「それは誤解だよ。彼はそういう人間じゃない。少なくとも、理由無く誰かを殺すなんてありえない。NCC、No Code Children養成施設では特殊部隊にいたそうだから、一部で噂があるだけで。まあ、何件かNCC以降にも事件を起こしていたらしいけど、そんなことで人を計るのはどうかと思うよ。第一、ジュンヤ、君は長い間一緒に暮らしていたわけじゃない。それでも彼が悪魔だと言い切れるの」


「それは」


 また、ジュンヤは口を濁す。


「彼は不運なだけだよ。詳しいことは知らないけど、政府総統に目を付けられる理由があったらしいんだ。もしかしたら、その理由の一つに、コード廃止論があったかもしれないって、……これは憶測だけどね」


「――ちょっと、いいかな。さっきから廃止論、NO CODEって。もしかして、ディックにはコードがないってこと? 政府の人間だったんだろ。なのにコードがないって、どういう」


「ジュンヤ、これは一般市民には内緒のことなんだ」


 顔の前に人差し指を立て、反対の手でポンとジュンヤの肩を叩いて、ダニーは声のトーンを少し低くした。誰もいないなと、廊下の気配を覗った後で、ジュンヤだけに聞こえるよう、耳元でそっと囁いた。


「政府組織の中には、コードを持たない人間が紛れ込んでる。彼らは、君みたいに反政府的な立場からコードを持たないんじゃない。コードを持てない存在なんだ。エマード博士もその一人ってことだよ。そういう子供たちが戦闘員として訓練されていた組織に属して頭角を現し、科学者として研究に参加することになった。だから、相当辛い思いもしたし、相当苦しんできたはずなんだ。俺たちも、たまたま廃止論を研究していく中で見つけた事実なんだけど、エマード博士の義父は、コード廃止論を唱えたウメモト博士の弟子に当たるらしい。博士自身がそのことを知っていたかどうかはわからないけど、政府を抜け出して君の父親の所に逃げ込んだのも、そういう理由があったのかも知れないよ」

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