69・コード廃止論
見覚えのない天井に、思わず飛び起きようとして失敗した。まだ、身体が思うように動かない。全身が鉛のように重く、腹部がズキズキ痛む。
「まだ無理しないで。すごい怪我だったんだからさ」
若い男が言う。
腹は包帯でぐるぐる巻きにされ、体中に管が繋がっていた。血だらけのシャツはいつの間にか脱がされ、病衣のような物を軽く羽織らされている。
そこは、病室のような場所の、ベッドの上だった。病院ではないとジュンヤがとっさに感じたのは、まともな医療具が点滴、酸素吸入器のみで、本来病室にはあり得ないようなガラクタや端末、衣類や本がごっちゃになって視界に入ってきたからだ。
「ホントなら、まともなところで治療した方がいいんだけど。あれだろ、お前も色々訳ありなんだろ」
自分を見下ろすブラウンがかった金髪の癖毛、丸い眼鏡と無精ひげの男。胡散臭いと言わず、なんと言うべきか。
「最近、特殊任務隊のヤツらが妙な動きをしてると思って張ってたんだ。なかなか、面白いことになってんだな」
頬を緩ませ、ジュンヤの手首を掴んで脈を取る。清潔そうに糊の効いた白衣を着て、聴診器、腕時計を見て真剣にカウント、カルテと思しきものにメモ――医師に間違いなさそうだ。
「正常っと。いいねぇ。あり合わせの道具と薬だけだったけど、順調だねぇ。俺、天才」
割に、軽い。
無造作に医療具の散らばった机に、彼はポンとカルテとペンを放り投げた。どうも今まであまり出会ったことのないタイプの人間らしい。
「お前、誰だ」
治療をしている、というのはわからないでもない。が、それにしたって、ちょっと前まで確か必死に血だらけで逃げていたはずの見ず知らずの男を、簡単に保護するだろうか。言葉を口にした途端、ジュンヤの脈は早くなった。
「ヤブ医者」
男は白い歯を見せる。
「――嘘だよ。いや、嘘でもないか。免許は持ってる。でも、別に治療のために持ってたわけじゃない。研究のためだな」
はぐらかす男を、ジュンヤはギッと睨み付けた。
「冗談通じないヤツだな」
男がつまらなさそうにため息をつくと、奥から女の声が聞こえてきた。
「ダニーは緊迫感が足んないんだよ。彼が今置かれた状況を考えなよ。私らが置かれた状況もね」
「そうそう、バレるのは時間の問題だった」
朦朧とした意識の中で聞いた、あの二人の声だ。
確かに、手術をされたような覚えはある。男は医者、女は何だ。ジュンヤは記憶の糸を手繰った。そう、確かDNA――“ウメモト博士の近親者”と。
「『ウメモト博士』って、誰」
少し、間が空いた。
ゆっくり、足音が近付き、若い女が視界に入った。
「……聞いてたんだ」
ジュンヤと同じ、アジア系の顔つきをした黒髪の女は、それまでのテンションを落ち着けるようにして、ジュンヤの側で立ち止まり、視線を落とした。
「あんた、政府の人間じゃないんだろ。どうやって侵入したの、“ウメモト”君」
――思わず、目を見開いた。喉が渇く、汗が一気に噴き出す。
「そんな言い方ないだろ、レナ。ほら、見てみろよ、萎縮してるじゃないか」
「……あー、悪い。そんなつもりじゃなかったんだけど」
見下したかと思えば、今度は慌ててフォローする。
なんだ、この二人は。何者なんだ。
ベッドの上、動くことも出来ず、ただ目の前で起きていることを一つ一つ理解するしかない中で、ジュンヤは与えられた情報を処理していくのがやっとだった。まして敵の本拠地、政府ビルで事件を起こしたというのに、目を覚ましてこんな状況なら混乱しないわけがない。
「ゴメン、こっちだけわかってればいいって話でもないか。ゆっくり説明するよ」
男は手で合図して、自分の隣に女を呼び寄せた。ベッドの脇にある丸椅子に二人並んで腰掛け、
「さてと」
襟を正し、気を落ち着かせるようにして長いため息をついた。
ジュンヤは首をゆっくりと右に動かして、彼らの顔を初めてまじまじと見た。柔らかい顔つきをしている。特殊任務隊のヤツらとは明らかに違う。
「俺はダニー、で、こっちがレナ。ここは俺たちの研究室。表向き、ここではDNAの採取とその分析をしてる。あちこちの研究室や研究所から実験体や病原体の細胞が送られてきて、それを俺がまずDNA分析機にかける。そこから取り出したデータを、レナが政府のデータベースと照らし合わせて、結果を依頼主に提供してるんだ。――でも、それはあくまで表向きの話。実際に研究してるのは“コード廃止論とその問題点”あ、これ、内緒ね。見つかったらホントにヤバいから」
「補足するとね、この政府ビル内にはコード所有者とNO CODEが入り交じってる、その問題点の追求が課題なんだ。市民にはコードを一元的に付与させているのに、なんで政府機関にNO CODEが交じっているのか。そもそも、コードは何のためにあるのか。それを知るために、あちこち違法にデータベース探りまくってるってわけ」
「で、何で俺を助けた」
「――そこなんだけど」
レナはにやっと嬉しそうに笑って、話を続ける。
「実は、さっきダニーも言ってたように、特殊任務隊の動きを追ってたんだ。ヤツらは政府総統の直轄だから、その動きを追ってけば、政府の真意がわかるんじゃないかと。そしたら、噂で任務隊のメンバーが一人増えたような話を聞いてね。外部の人間だ、とか。興味が湧いて、小型偵察ロボ巡回させてたんだよね。やっと見つけたと思ったら傷だらけ、その上、パメラが死んだとか言うじゃない。これは面白いことになったな、こいつは何者なんだろうって。いやぁ、苦労したわよ。見つからないように浮遊担架引っ張ってさ。周辺のセキュリティは切らなきゃならないし、重傷ですぐに手術が必要みたいだし。ウチらが見つけなかったら、多分あんた相当やばかったよ。その後警備員が駆けつけて、血の跡が途切れてるってえらい騒ぎになってたみたいだしさ」
「だからって、勝手に人の遺伝子解析するってのは」
「――それに関しては、ゴメン。研究の一環っていうか。正体を探ろうって思ったらすぐにデータベースと照合するのは、もう、研究者としてのサガと言いますか。……でも、おかげであんたの正体わかったしね。“コード廃止論者ウメモト博士”の近親者、恐らくは孫、かな。息子は確か、反政府組織のリーダーだったはずだから、覚えはあるよね」
「いや、初めて聞いた」
ジュンヤはそっと、枕の上で視線を天井に戻した。
また、知らないことが一つ判明した。どこかで取り残されてしまったような疎外感が、また胸の中にくすぶり始めた。
父方の祖父が政府の人間と思しき研究者、母方の祖父はディックに殺された。……訳がわからない。一体過去に何があったのか、順立てて説明してくれる人など、誰もいやしない。
「親父が、自分の家族のことを話した事なんて、一度もなかった。俺が生まれた頃には、その何とか論について語る人間なんか、周りには一人もいなかったよ」
目を閉じて、ゆっくり息を吐き出した。
祖父に当たる人物がもし、本当に“コード廃止論者”なのだとして、その発覚を恐れ、シロウが何も語ろうとしなかったというのは想像に難くない。メイシィも、あの時たまたま耳にするまでは、父親をディックに殺されたことなど話してはくれなかった。時間の問題というヤツなのか、それとも信頼されていなかったのか。後者だったとしたら、どう受け止めればいい。
そうやって、ジュンヤはまた、自分の中で答えをどんどん悪い方向へと持って行ってしまう。
「でさ、そのウメモト博士のことも、私らは研究してるわけよ」
レナはジュンヤの憂いに関係なく、また話を進めた。
「彼はね、論文を直に政府総統に渡したらしいんだ。普通、そういうのはきちんと文書受付されて、政府のメイン・コンピューターにデータ登録されるはずなんだけど、それがどこにも見当たらない。形跡のない論文が原因で、ウメモト博士は流刑された――妻と幼い息子を残して、ね。私らとしては、そんな数奇な運命を辿ったウメモト博士の血縁者が目の前にいるだけで大興奮なんだよ。しかも、特殊任務隊絡みで政府に乗り込んでくるなんて! ねぇ、どうやって政府ビルにやってきたの。理由は、方法は」
彼女の目は輝いていた。無邪気な子供のように、自分の好奇心に忠実なのだ。
自分より恐らくは十以上離れているだろう、この二人。怪我の手当、祖父の存在、コード廃止論。知らないことを丁寧に教えてくれる彼らを、信用してみようかと、ジュンヤは思い始める。
リーのように、何かを求めるでもない。自分を助けたところで、リスクばかりで全く利点のなさそうなこの男女はどこまで情報を握っているのだろうか。
「話してもいいけど、俺のこと、動けるようになるまでもう少しだけ、かくまってくれるかな」
申し訳なさそうに呟くジュンヤに、ダニーとレナは「喜んで」と満面の笑みを浮かべた。
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