67・変化
位置情報が記録されたエアバイクの操作パネルを取り外し、分析用端末と繋ぐ。相対的位置情報、つまり、定点からどの方角にどの程度離れたか、それのみを記録している簡素な装置だ。
人工衛星を使用して絶対的位置情報を得るシステムは大戦後についえたため、ドーム外ではこの方法でしか位置を探ることが出来ない。飛空挺には運行記録を保存できる航空システムが搭載してるが、それも大戦前、つまり何世紀も前のデータが残っていたのを、がらくたの山から発掘して復元しただけ。現実には、飛空挺自体の相対的位置情報記録を過去の地図と照らし合わせている。
エアバイクの位置記録と飛空挺の運行記録、それらを、マザーが持っている大戦前の絶対的位置情報と照合して、より正確な位置を割り出す。
かつては当たり前のように使われていた緯度や経度といったものも、長年のドーム生活では無用なため、すっかり廃れてしまった。辛うじて残るマザー内のデータが唯一の手がかり。大戦前の地図と飛空挺が航行中に記録した現在の地図に、殆ど歪みのないことを確認すると、狭いEUドームの機械室で作業していた面々から、やっと安堵のため息が漏れた。
冷凍庫を探れ、そんな曖昧な指示をどうこなしたらいいのか。
ESとEUドームの技術部門スタッフたちは協力して、何とか位置を割り出そうとしていた。破壊されたトリストの修理と同時進行の位置分析、急ぎ行わなければ意味がない。分析は粛々と行われた。
ハロルドがメイシィの病室を経由して機械室に向かったのは、分析も終盤になった頃だった。バースから携帯端末にメッセージが入り、慌てて現場へと向かっていた。
『ドームの機械室で、エアバイクの位置情報を読み込ませてる。もうすぐ分析終了するからすぐに来て』
バースのメッセージには肝心なところが抜けている。即ち、何をしようとしているのか。慌てて返信したが返事もない。音声通話しようと回線を繋ぐが、ビジーのままだ。結局向かって確かめるしかない。機械室、アンリが常駐している場所へ。ハロルドはまたエアバイクに飛び乗って、ドーム群の最北にある機械室へと向かっていった。
飛空挺が到着した地点からほど近い場所にある機械室には、五、六人の技師たちがひっきりなしに出入りしていた。中からは慌ただしい掛け声、電子音。最北のドーム入り口にエアバイクを乗り捨てて内部に入り、通路を抜けた先は、まさにパニック状態だ。
「あ、ハル! 何してたの、遅いよ」
汗だくのバースが、首に巻いたタオルで汗を拭きながら、機械室の入り口で手を振っている。ハロルドは慌てて、バースに駆け寄った。
「ディックから指令が来たんだ。飛空挺のエアバイクの位置情報記録を分析して、座標を割り出してくれって。確定したら、そこに飛ぶよう、転移装置のプログラムもいじってくれるってさ」
身振り手振り、早口で説明するバースの台詞を聞き漏らさないように、ハロルドは一つ一つの言葉を噛みしめた。
「で、どこに飛ぶんだ」
「島の施設って言ってたよ。冷凍庫がどうの」
なるほど、と感嘆した。そういえば、昼飯を食いながらそんな話をしていた。
「ディックは?」
「転移装置の修正プログラムを端末で送るって言って、そのまんま出てったよ。飛空挺に行ってフレディの改造をするとか言ってたかな」
話の大筋は掴めた。飯時の話がそのまま行動に表れているわけだ。
うんうんとうなずきながら、ハロルドは頭一つ背の低いバースの側をついて回る。ふと気がつくと、当初向かおうとしていた機械室ではなく、今ハロルドが来た道を逆走していた。あれ、と立ち止まり、バースの腕を引く。
「――で、どこ行くんだ。機械室じゃないのか」
「転移装置の方だよ。修正プログラム受信して、そろそろ飛べる準備が整ってるはずなんだ。ディックに言われて、ロックはドームの人たちと一緒に、冷凍貯蔵庫用の作業着と武器を用意してる。とにかく急がないと、間に合わないよ」
話途中で内部監視室からいなくなったと思ったら、あちこち指示を回してしっかりとやることはやっている。ディック・エマードという男が、ますますわからない。ハロルドは心中複雑だった。例え彼が否定したとしても、自分の目的のためだけに動いているとは、とても思えない。信じるべきなのか、メイシィが懇願したように。――答えは簡単には出そうもない。このままモヤモヤとした気持ちのまま、一緒に活動を続けるべきかどうか、彼は迷っていた。
「ねえ、ハル。聞いてんの。行くよ、もたもたしてらんないんだからさ」
バースの声で現実に引き戻される。いつもは誰かの後ろをついて回るだけの彼も、ここに来て成長してきていた。
受動的でなく、能動的にならなければ、確かに出来ることも出来なくなる。
ディックもアンリも、その辺の割り切り方は上手い。自分は、とハロルドは思い返した。
誰かのためになるのならばと動いているのは違いないが、それが独りよがりなのだと言われたら、その通りかも知れない。確固たる信念もなく――持っていたつもりになっていただけで――組織の内側にぶら下がっているだけの存在になっていなかったか。誰かが道筋を立ててくれなければ、自分がどこに進むべきかもわからない、愚かな人間に過ぎなかったのでは。
別人のようにキリッと構えたバースは頼もしかった。自分が動かなければ何も変わらないと、心に誓っているのが伝わってくる。まだ年端のいかない少年さえ、迷わず自分のすべきことを見つけようとしているのに、中年オヤジが迷っていてどうする。
ハロルドは意を決したように、両手で頬を思い切り叩いた。
「よっしゃ、行くか! 転移装置から、冷凍庫だな!」
パチンと小気味いい音が、殺風景な通路に響いた。
*
ドーム群の最北に位置する機械室から一番近い転移装置は、そこから西方向へ二つ小さなドームを挟んだ先にある。いくつものドームが連なったドーム群の中で、様々な工業製品、農産物、加工品等を生産し、各ドームへと送っている。輸送時は各所に配置された空間転移装置を利用、瞬時に大量の物資を輸送することが出来るため、もっぱらこの方法をとっているが、転移装置が開発されるまでの間は、各ドームを繋ぐ地下通路で運んでいた。
バースの話によれば、水産物養殖場の並ぶ北部ドーム群の輸送拠点内に一基ある空間転移装置、そのプログラムを一時的に書き換えて、島へ飛ぶ。その後、ディックも別の装置を利用して、改造したフレディを政府ビルに飛ばすのだという。
だだっ広い輸送センターのあちこちで、フォークリフトやトラックが動き回り、作業ロボットが積み荷を積んだり下ろしたりしている。輸送センターの中央より少し奥側に、埋め込み型の転移装置が一基。操作パネルの側に、キースがいた。先回りし、ディックから端末を通してデータを受け取り、プログラムを読み込ませていたのだ。ハロルドがバースと共にエアカーでセンターに辿り着いたときには、既に作業の殆どが終了し、作業員や戦闘員らとともに、ハロルドの到着を待ちながら作戦会議を開いているところだった。
「今さっき、武器と防具が届いた。後はインストールが終わるのを待つだけだよ」
数人の作業員と操作パネルと睨めっこしていたキースは、ハロルドたちの姿を見つけると、手を止めてゆっくりと振り向いた。
「プログラムは無事届いてるし、行き先の座標も確定した。僕は完全に博士のことを誤解していたのかも知れない。彼は間違いなく必死に、みんなを救うため動き回ってる。――それだのに、あんなに責めてしまった。あとは、行動で返すしかない。島へは僕が行く」
キースもまた、吹っ切れたように涼しい顔をしていた。マザーにアクセスし、苦しむディックの姿を見て、考え方が変わったのだろうか。
何はともあれ、自分以外の誰もが少しずつ変わってきていると、ハロルドは悔しいくらいひしひしと感じていた。特に若い連中は頭の切り替えが早い。それは、言い方を変えれば流されやすいということ。口車に乗せられれば、ジュンヤのように危険な行為も確信犯的に冒してしまう。しかし、柔軟に対応させることで、物事にしっかり食らいついていくことも出来るのだ。
ディックもティン・リーも、互いにその善し悪しを理解した上で行動しているのではないかと、ハロルドはふと考えた。自分がどう動けば相手がどう反応するか、本能的に知っている。だからこそ、“天才”だなどと冠を付けて呼ばれるわけだ。本人が身に覚えのないカリスマ性も、こうした無意識的な行動が産むものであって、闇雲に生きているような人間が同じようなことをやろうとしても、簡単に出来ることではないのかもしれない。
第一、ディック・エマードの考えや生き方は常識を逸脱していて、共感するには苦労する。死ぬことの出来ない身体、老いはあっても、たちどころに修復してしまうその恐ろしい力は、彼を何度も押し潰した。それでも、そこに何かを見いだして必死に生きていく。“生”というものに対する執着心は、命をもてあそばれていた分、異常に強いように感じられた。
そう考えると、自分はどうなのだろうかという疑問が、否応なしにハロルドに襲いかかってくる。あちこち点々と放浪を続けた日々、やっと掴んだ幸せと家族。後ろ髪引かれながら、妻と生まれたばかりの子供に分かれを告げた日。ハロルドも決して平坦とは言えない人生を過ごしてきたつもりだったが、ディックの過去には圧倒されてばかりだった。
誰かの役に立ちたいというのも、もしかしたらただの偽善かも知れない。そうやって、何か目的を持ち続けなければ、自分という存在に価値を見いだせないから、仕方なくそうしてきただけなのかも知れない。
上の空で話を聞いていたハロルドに構わず、キースは順を追って何かを説明していた。目の前に積み上げられるたくさんの荷物や機械、武器類にも反応せず、ただぼうっと虚空を見つめるハロルドに、キースはムッとして声を上げた。
「ちゃんと聞いてるのか」
項垂れていた頭をゆっくり戻し、ハロルドはキリッと襟を正す。
「聞いてるさ」
自分の不甲斐なさに落胆し、そう答えるのが精一杯だった。
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