66・緩衝材

 頭に血の上ったハロルドは、おさまらない怒りを拳に込めて、何度も床に打ち付けていた。指の骨に固い床材が当たっても関係なく、ガンガンと何度も床に拳を落とした。


「あンのバカヤロウ!」


 まるで感情のコントロールが効かない十代の子供のように憤る姿を見て、アンリは涼しい顔でハハッと笑う。

 ムッと、ハロルドが怒りで引きつった顔を上げた。


「何がおかしいんだよ」


「いやぁ、対照的だなと思って。前から思ってたけど、ハルはあんまりにも真っ直ぐすぎるんだよ。自分の考えに合わない人の気持ちや考えを受け容れるって言う度量が足りないって言うかさ。博士は博士で、全てを割り切って考えるような人間だろ。利用できるものは全部利用するし、それによって誰かに迷惑を掛けたとしても、だからどうしたって言い切るタイプ。二人が同じ組織の中でよく共存していけてたなと感心してるんだ。それって、丁度いい緩衝材があったってことじゃないの」


 緩衝材と言われ、ふとハロルドの脳裏に、メイシィの顔が浮かんだ。

 言われてみれば、ディック自身に用があるときも、いつだってメイシィを介していた。ウメモトの家主だから、とも言い切れない。

 シロウが死んでからは特に、ディック・エマードの秘書的な役割をすることが多かった。彼が口下手すぎて、交渉できないからだとも彼女は言ったが、どうもそれだけではない。同じ屋根の下で、血の繋がらない男女がずっと暮らしていれば何とやら、まさかあの二人に限ってそういう関係ではないだろうと思うが、それにしても彼女は執拗に彼をかばったり、彼の味方についたりする。

 ただ単に、追われる身をかくまっているという感じではなかった。もちろん、一緒に暮らしていたエスターの面倒を見ることも、彼女にとって重要な役割を占めていたはずだが、年頃の息子と同年代の娘と一緒に暮らし続けることに不自然はなかったのだろうか。

 考えを巡らせているうちに、ハロルドの中で『まさかあの二人が』の部分が強調されていく。

 じめっと手のひらが濡れた。額に嫌な汗を掻いているのに気がついて、思わず袖で拭う。


「何、女?」


 小馬鹿にしたようなアンリに、思わず目を見開いた。


「あのストイックな男に限ってそんなこと」


「無いなんて言い切れるの」


 また、アンリがニヤニヤ顔で急き立てる。


「――うるさい。むしゃくしゃするなぁ、チクショウ」


 ハロルドはその短い髪の毛を両手でぐしゃぐしゃにかきむしった。

 最後に一回、思い切り強く壁をぶっ叩く。監視室全体に振動が走って、作業中の技師たちは思わず手を止めた。


「いい年したおっさんとは思えないな」


 アンリが嘲笑っても、彼は言い返すことが出来なかった。





 ハロルドは大きな足音を立てながら狭い監視室から出て、通路を抜け、監視塔の出入り口をくぐり、ズンズン進んだ。

 隣接したドームの入り口でエアバイクに飛び乗り、エンジンを吹かす。自由に使っていいですよと、ドーム側から提供されたものだ。びゅんと風が車体から吹き出て、ゆっくりと前に進み出す。苛々をぶっ飛ばそうとアクセルをぐんと踏み込んだ。スピードを上げ、エアバイクは走る。

 バイク専用、通路の右側をビュンと進むと、その風圧に煽られて通行人がよろけた。


「危ないぞ!」


「スピード違反、止まれ!」


 物が投げつけられたり、罵言を浴びせられたりもしたが、ハロルドは気にもとめない。メイシィとディックの関係だなんて、考えても見なかったことをいきなり突きつけられ、動転していた。

 背の低い建物が連なる町並みの中を、エアバイクは進んだ。

 石畳を越え、煉瓦造りの古めかしい模造都市へ。かつて教会と呼ばれていた三角屋根の建物から、時刻を告げる鐘の音。市場の人だかり、政府に禁止されている民族衣装を堂々と着こなす人々。時代錯誤に陥りそうな景色に、もやもやした感覚が絡まった。すっきりしない頭を何度か横に振って、彼は何とか自分を保とうとしていた。

 町並みがやがて都会的なビルディングに変わっていく。そのなかに一際大きな白い建物が見えた。メイシィが入院している総合病院だ。

 心療内科を受診し、一時的なPTSDと診断された彼女は、症状が落ち着くまでの間入院するよう医師に勧められた。本人は「入院の必要はない」と言い張ったが、ジュンヤの変貌を目の当たりにし、エスターを失ったショックで明らかに情緒不安定になっていたのだ。彼女をそのままにしておくことなど、誰にも出来なかった。突然泣き出す、震え、食欲不振。それはとても、大丈夫の一言で済まされる問題ではなかった。入院に同伴をと、適任者を探していたところに、普段口数の少ないリザ・タナーが手を上げる。直接メイシィと絡むことの無かった彼女だが、他に頼みようが無く、付き添っている状態だ。

 エアバイクを所定の場所に駐車させ、病院に入る。

 早歩きで、メイシィの入院している八階へ。爆破事故で幾分か患者が多いと、看護師たちが口々に呟くのが耳に入った。医師たちも慌ただしく走っている。この原因が自分たちにあるのだと思うと、とてもいたたまれない。

 エレベーターに乗り込み、深呼吸して気持ちを整理する。

 ただでさえ不安定なメイシィと会うのに、自分が苛々してどうする。誰もいないエレベーターの中で、ハロルドは何度も自分の頬を打った。

 八階は殆どが個室だ。眺めのいい大きな窓が全ての病室にあり、そこから町並みが一望できた。

 高い場所から覗くと、まるで違う景色のように見えるのは面白い。

 街の中を歩く人や路地を抜けるバイクや車がモザイクのようにぼやけて見える。空調に気を遣っているのか、空気も澄んでいて、まさにメイシィの療養にはうってつけの場所だ。

 病室に辿り着いたハロルドは、開口一番、彼女に問いただした。


「ディックとは、ホントはどういう関係なんだ」


 まるで病室の壁と同じように真っ白になったメイシィの頭、そんなことも知らずに目をぎらつかせて「どうなんだ」と更に迫るハロルド。


「リザが一緒だと話せないのか?」


 付き添いのリザ・タナーはびくっと肩をすくめ、ベッド隣の椅子から勢いよく立ち上がった。


「今、退きますから」


 小さな声で言い残し、時間潰しに読んでいた膝の上の携帯端末文書を閉じると、リザは黒い頭を何度も上下させて、そそくさと病室から出ていった。

 それまでゆったりとした気分でベッドに横になっていたメイシィだが、普段と違ってそわそわしているハロルドに言い寄られ、仕方なく身体を起こす。


「無神経ね、ハル」


 細くため息をついて、寝間着姿のメイシィは、汗だくのハロルドを見上げた。


「私が何で入院してるか知ってるでしょ。安静が必要だって、お医者さんにも言われたわ」


「それはわかってる、わかってるから、そのことには触れないよ。その代わり、答えて欲しい。ディックとメイは、本当はどういう関係なんだ」


 馬鹿馬鹿しいと視線を一旦下に落とし、それからもう一度、ハロルドに目をやった。

 リザから奪った椅子に腰掛け、鼻息を荒くしたままの彼は、とても冷静に話を聞けるようには見えない。それでも、話さない限り帰ってはくれないのだろうと、メイシィは覚悟を決めた。


「彼は私の父の敵よ」


 ――メイシィはふと、出発前のあの日に、ディックがジュンヤに話していたことを思い出す。

 あの時、なぜディックはあの場に来たのだろうと、聞くタイミングをずっと逃している。やはりあの時も彼は何か覚悟を決めていたのだろうか。メイシィがぼうっとそんなことを考えている間に、ハロルドは絶句して、せっかく座った丸椅子から立ち上がってしまっていた。


「え、今なんて」


 あの時のジュンヤと同じように、ハロルドも驚いている。当然と言えば当然の反応だ。


「じゃあ、何であいつと一緒に住んでたんだ。そういう関係じゃ……。そんな、ありえない」


「どうして」


 彼女は静かに返した。


「どうしてって……、つまり、あいつがメイの親を殺したってことだろ。それでよく、一緒にいられたな。俺なら間違いなく殺して――」


「殺そうと思ったこともあったわ」


「じゃあ、何で」


 ベッドに身を乗り出して、ハロルドは執拗に迫った。

 その真剣すぎる顔があまりにも滑稽で、メイシィは思わず笑いを堪えた。含んだ息をゆっくり吐き出し、唾を飲み込む。


「彼の悲しみに比べたら、私の苦しみなどちっぽけだと思ってしまったからよ」


 それは、ハロルドにとって全く思いも寄らないセリフだったに違いない。拍子抜けしたようにポカンと口を開け、目をしばたたかせた。


「それ、だけ?」


「それだけよ」


 ああっと、彼は額に両手を当てて、身体を反り返した。

 何を勘違いしていたのか、そのままぐったりと床に座り込む。


「俺はてっきり、メイとディックが男女の関係なのかと」


「馬鹿ね、彼はそういう人間じゃないわよ。それに、彼自身の秘密を考えれば、ますますありえないことだわ」


「――そうか、メイは、知ってたのか」


 ハロルドはそのままベッドの縁によりかかり、身体を任せた。自分の質問の愚かさに気付いたのだろう、少しだけ、笑みをこぼす。

 ふと、彼の目に窓からの景色が映った。

 鈍い青色の天井に吊された人工太陽が、眩しく輝いている。彼はその光から逃れるように、頭を両手で抱え込み、ベッドに伏して長く息を吐いた。


「ハルも知ってしまったんでしょう。だからこのドームに誘導して、彼に人を引き合わせたりしたのね」


「まあな。だけど」


 そこまで言って、ハロルドは黙り込んだ。

 メイシィも、敢えてその先のセリフを求めない。


「ハル、信じてあげてよね。彼はただ、幸せになりたいだけなのよ」


 背中で聞こえた優しいセリフに、ハロルドはこくりと首を前に倒す。いつの間にか、彼の心は凪いでいた。


「緩衝材、か」


 ぽつりと呟いた言葉は、メイシィには届かなかった。

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