Episode 13 幕間

63・休息

 中央監視ドームから東に通路を抜けると、様々な料理店の連なる風情ある町並みに出た。二十世紀をモチーフにした建物たちは、ドーム群の中でも異色を放っている。

 人工太陽の下、それがドームの中だとはとても思えぬほど自然に朽ちた煉瓦や土壁、どの店もひさしをぐいと伸ばしてテーブルを出し、道行く人が自然と席に腰掛けてウエイトレスに注文を出す姿や、昼間っからビール片手にワイワイと騒ぎ立てる中年男性の姿がごく当たり前に見受けられた。

 二階建てから三階建ての背の低い凸凹雑居ビルに、色とりどりの英字看板。人なつっこい呼び込みの店員がすがすがしいほどの笑顔で対応しているのに、メニューよりも店員の品定めをする男ら。広場では、大道芸人が芸を披露し歓声を浴び、大喝采が巻き起こっているのが見えた。

 人工物だろうが植え込みや花壇はきちんと整備されていたし、規模は小さいが噴水まである。とにかく、手が込んでいる。

 トリストをぶっ壊しボロボロになった身なりを整えた後、ハロルドに引っ張られ、まずこの辺りで飯でもとやってきたはいいが、ネオ・シャンハイやネオ・ニューヨークシティにはなかった営みに、ディックは正直戸惑った。

 ネオ・シャンハイあたりはどうも治安が悪く、確かにこぢんまりとした屋台街のような物はあったが、常にEPTの警官隊が巡回し、丸腰で足を踏み入れるのが危険な状態だった。ネオ・ニューヨークシティに至っては、まず屋外で飯を振る舞う文化そのものがなく、デリバリーか、どこかのレストランやカフェ、バーで腹を満たすかだった。

 要するに、EPT政府の監視の目が皆無に等しいというのは、こういうことだ。自由に、開放的に、飯さえ食える。

 よくよく考えれば、時間や使命に追われ、ディックはまともに飯なんぞ味わったことがなかった。ただ胃の中に放り込み、腹が膨れればいい、その程度にしか思っていなかったのだ。

 ESに来てからだって、メイシィに作ってもらいながら「美味い」の一言もないくらい食い物に執着心がなかったが、これだけ様々な食べ物の匂いが一度に嗅覚を刺激すると、流石のディックでさえ出来る限り味のいいものにありつきたいと思ってしまう。

 すっかり腹も減った、身体もふらふらだ。ともなれば、身体が一番欲している物を口にすべきだ。


「運び屋の時かなり通ったんだ。それでも、どの店で食うかまだ迷うよ」


 ハロルドが言うのもうなずける。

 まあ座れと、彼はディックを適当な丸テーブルに着かせると、自分もよいしょと向かいの椅子に腰掛けた。


「お姉さん、注文注文」


 眼鏡を失い焦点の合わないディックが、メニューボードを前後にずらして必死に目を凝らしている隙に、ハロルドが地中海ピザとチキン、ドリンクを勝手に注文する。


「地中海って言うけど、海で漁なんかしてるのか」


 第一この時代に海なんてあり得ないと、飯を選び損ねたディックが悔しそうに突っかかった。


「でもホラ、『地中海』って入ってた方が美味しそうじゃない。実際ちゃんと海老や貝はのせてますよ。ドーム養殖だけどね」


 ウエイトレスはにこっと笑って見せる。


「……呆れた。どうも俺には合わんな」


 ウエイトレスが注文のメモを厨房に持って行くのを見送りながら、ディックは大きくため息をついた。

 とにかく、人の往来が多い。その上やたら陽気にガヤガヤと。他人の目が気になって仕方ない。とても飯を食う雰囲気じゃない。


「まあ、そういう所だと思って諦めるんだな。偶には開放的な気分になるのも悪くないと俺は思うけど」


 苦笑いして、ハロルドはキョロキョロと辺りを見回した。何年ぶりかなと言っていた、以前と変わったところがないか、何か面白そうな物はないかと、懐かしい物を見る優しい目で探っている。

 そもそもハロルドがESに来た経緯など、ディックは詳しく知らない。

 以前はEUドームのどこだかに住んでいて、そのときは結婚して子供もいたなどと小耳に挟んだこともあったが、ディックが自分のことを語りたがらなかったように、ハロルドにだって人に言えないことがあるに違いないと敢えて訊くこともなかったのだ。


「ところでさっきの続き。トリストが完全に修理されるまでには数週間かかるらしいが、接続が可能になるには、そんな時間かからないって言ってたよな。アンリにはそっちをしてもらうとして、俺たちは」


「おい、こんなところでやめろ」


 人通りが多すぎる、ディックが小声で注意するも、


「他人の話に興味のあるヤツぁいねぇよ」


 隣のテーブルまで数メートルしか離れていない、通行人も少なくないのにハロルドは続けた。


「お前が見てきたファイルに、何か敵を倒すための手がかりがあるのだとしたら、そっちも同時進行でやらないと。タイムリミットはダウンロード開始までってことなんだろ」


 重要な語句は伏せて話せということか。

 確かに、辺りをこっそりと見回しても、他人に興味を持つような人種は見当たらない。それぞれがそれぞれ、好きなように騒ぎ、食い、歌っている。眼鏡がなくてもそれくらいはよくわかった。

 彼なりに気を遣ってか、ハロルドはテーブルに肘をつき、いつもよりトーンを落としている。それならばと、ディックも話に乗っかった。


「実際どのくらいの時間が必要なのかは、接続してみてからだが。まず、いくつかのグループに分かれて行動すべきなのは確かだ。一つはここ、もう一つは敵の所に、あともう一つ、できればあの島に戻って冷凍庫を探りたい」


「冷凍庫?」


「詳しくは後で。敵の動きを探る一番いい方法があればと思ったんだが、接続を待つまでの間に出来そうなこと、何か思いつくか」


 そうだなぁと、ハロルドが首を捻っていたところにドリンクが届いた。さっきのウエイトレスがにこやかに、ジンジャーエールのグラスを二つ、テーブルにそっと置く。


「難しい話、してるの? ピザとチキン焼き上がりまでもう少し待っててね」


 どうもと手を動かし、ハロルドは早速渇いた喉に液体を流し込んだ。ぐびぐびと一気に半分以上飲み進めるのをぽかんと見ていたディックも、やはり喉の渇きに耐えかねて、自分のグラスを手に取った。

 ひんやりとした感触は、疲れた身体に丁度いい。一口、二口、炭酸が渇いた喉の中を踊りながら通り抜ける。疲れていた身体の隅々までビリビリが伝い、上手い具合にシャキッと目が覚めた。


「ジンジャーエールも悪くないな」


 また二、三口含み、胃に流し込んだ後で、ディックはふぅと長く息を吐き、グラスをそっとテーブルに置く。


「転移装置には弱点がある。あらかじめ登録された座標にしか飛べないってことだ。お前も知っての通り、通常は装置間移動。動かせる物質の量も限られている。だが、現状を考えれば、装置を使う以外に有効な手立てもない。あっちの座標を知る必要があるんだ。そうすれば、ピンポイントに飛んで攻め入ることが出来るんだが」


「つまり誰かが先行して潜り込み、エスターの場所を特定しろってことか」


「まあ、そういうことだ。ハロルド、お前運び屋やってただけあって、経路に関しては少しは詳しいだろ」


「ビルの内部に関してはそっちの方が詳しいだろ」


「俺は、ビルしかわからない」


「……そうだなぁ」


 ボリボリと白髪交じりの短い髪をかきむしり、さてどうしたことかとまた首を捻る。

 ディックに期待されているというのは悪い気分じゃないが、ハロルドにとってそれはあまり嬉しいプレッシャーではなかった。


「EUドームからターミナルを通さず直接搬入してるのがひとつ、あったはずだ。朝晩二回、食料と実験材料を運んでる。俺は担当じゃなかったから、実際行ったことはないけどな。それに一緒に乗っかっていくというのは」


「政府側に監視員は」


「ああ、何人かいる。監視員の他にロボを使って荷運びするらしい。内容物のチェックもそいつらが行うから、ちょっとでも手違いがあると大変なんだと。で、搬入路の入り口にはコード読み取り機設置、そこをすり抜けれることができれば、何とかなるんだろうけどな」


 つまり、登録されたコードの人間しか受け付けない仕様というわけだ。コードのないESの人間が侵入するのはまず不可能、そういうことらしい。


「ところでディック、座標を知るって、どういう方法を考えてる。何か端末を持たせて発信させる方法か」


「まあ、そんなところだ」


「それは人間じゃなくても、出来る仕事だよな。ロボットとか」


「フレディか」


 ディックの目が鋭く光った。

 ハロルドも大きくうなずく。


「あの犬、何のために作ったんだよ」


 言うとディックはハロルドから少しだけ目をそらした。また、長いため息を一つ。


「俺は、恐らく殺されるんじゃないかと思っている」


「は? 死なない身体のくせにか」


「頭を吹き飛ばせば死ぬさ」


 人差し指と親指を立て、ディックは自分の頭に銃を当てる仕草をする。口元は歪ませていたが、眉間のシワと頬を伝う汗が、本気さを覗わせた。


「あの男が本気で俺たちを狙ってるのは間違いない。そう確証したとき、俺は何とかしてエスターを守りたいと思った。いざとなったら俺の代わりにと思ったが、実際は思ったほど役に立たないもんだ。所詮、廃材から作った子供だましのおもちゃ、誰かのために何かしようと思ったところで、それがそのときの需要と同じ方を向いていなければ、意味がない。俺はただ、自分のエゴで昔なじみのロボットを作った、それだけだったということだ」


 自嘲気味のディックの話を聞きながら、ハロルドは唸った。果たしてそうかなと前置きし、


「奴らがお前を本気で殺そうと思ってるなら、いつでも殺せたんじゃないのか。俺はまだお前を利用しようと思ってるからこそ、殺せないんだと思うぜ」


「仮にそうだったとしても、すっかり年をとった実験体のどこに魅力がある。俺が逆の立場なら、用済みはすぐに始末するがな」


 まだ言うかと、ハロルドは呆れ顔でため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る