62・まだ、間に合う

「まるで物語の主人公になったみたいにいい気分だったでしょう。彼女を救うだなんて、閣下もいいシナリオを作ってくださったもんだわ。あなたがどんな性格をしているのか、計画の成功率を測る意味合いも兼ねて島へ赴いたそうよ。予想以上に純粋で、一途で、こんなに可愛いなんて罪ね」


 パメラはあくまで綺麗な顔のままで、たっぷりの皮肉をジュンヤに浴びせた。

 ティン・リーに近い人物だという彼女の態度は、とても許容できるものではなかった。激しい屈辱感は、次第に彼の中の喪失感を怒りに変えた。

 何も知らずに踊らされていた自分に対する怒り、何食わぬ顔で演技していたリーに対する怒り、そして、目の前にいる女が自分を子供扱いすることに対する怒り。

 抑えていた右手が、ぐいと振り上げられた。そのまま、彼女の顔面へ――ピタリと動きを止める。

 彼女の構えた小型エネルギー銃が、ジュンヤを狙っていた。どこに隠し持っていた、全くわからなかった。真っ赤な髪の毛が踊り、スリットの入った白いスカートがフワッと舞った。


「可愛いから見逃してあげようと思ったけど、やっぱり閣下の仰る通りにするしかないみたいね」


 黒光りした銃口の下、グリップ部エネルギーボトルの中で真っ赤な液体が揺れる。

 相手の武器を見て、ジュンヤは自分がすっかり丸腰なのを思い出した。勝ち目など、ないに等しい。

 目線を反らすと、今度はパメラのはだけた胸元から、これでもかというくらい大胆な胸の谷間がくっきり見えた。彼女はぺろんと誘うように舌なめずりし、目を細めた。


「閣下はこう仰ったわ。『E回収後、ジュンヤは殺せ』あなたの出番は終わったのよ」


 真ん前に突きつけられた銃口から、逃れる術などない。

 ジュンヤは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。

 最初から、捨て駒だった。真実がわかればわかるほど、なぜか頭は冴えていく。ここまでズタボロにされて、もうジュンヤには失う物などなくなっていた。


「終わり、かな。果たして」


 銃口まで三十センチ。それでも彼はにやっと笑って見せた。

 パメラはジュンヤの態度をフンと鼻で笑い、カチッと安全具を外した。


「丸腰のあなたに、何が出来て」


「――さあ、それは、やってみなきゃわかんないよ」


 腰を、落とした。パメラの視界から一瞬、ジュンヤが消えた。かと思うと、白い大きな物が彼女に被さった。ベッドシーツが彼女の視界を塞いだ。思わぬ重みで手元が狂い、エネルギー小銃がカラカラと床にこぼれ落ちるのを、ジュンヤはすかさず奪い取る。

 必死になって体勢を立て直し、パメラがシーツをはぎ取った頃には完全に形勢逆転、今度はジュンヤがパメラに銃口を向けていた。


「ほら、やってみなきゃ、だろ」


 一か八かの賭けで、ジュンヤの心臓はバクバクと壊れそうなほど大きく動いていた。肩で息をするジュンヤを、彼女はまたフンと笑う。


「銃を奪い取ったくらいで、何を粋がってるの。相手がどんなだかも知らず、武器さえあれば勝てると思うなんて、可哀想に」


 セリフが終わるか終わらないかのうちに、彼女は半身を捻り、大きく足を蹴り回した。左からのハイキック、脇腹を直撃し、ジュンヤはベッドに叩き付けられる。相手はハイヒールにスカートで動きにくいはずなのに、隙を突かれた。攻撃を、思って立ち上がろうとした瞬間、今度は右肘が胸板に打ち付けられる。弾力のあるベッドのマットレスが、ベゴンと大きく凹んだ。気道を狭められ、息が止まる。一撃一撃が重い。女の動きじゃない。

 転げたベッドの上、ジュンヤはこぼれ落ちそうな銃を両手で必死に握りしめ、がむしゃらに数発撃った。壁や家具、テーブルに椅子、かすめはしたがパメラには当たらない。素早い動きでかわされてしまう。

 体勢を変え、ベッドから距離をとった。足場が悪く、パメラの攻撃をかわしにくいからだ。

 室内を右へ左へ、障害物を乗り越えなぎ倒し、パメラを撃った。その度に彼女は、枕を撃ち落とさせて中の人工羽毛を飛散させたり、シーツや掛け布団を翻したりして、視界を覆う。まるで幼子のようにくるくると踊りながら室内を自在に逃げ回るパメラに、苛々が募った。こうなったら、撃ちまくって何とか当てるしかない。


「あはっ、ホント可愛いわね。いつになったら当ててくれるのかしら」


 攻撃していたつもりが、ジュンヤは部屋の隅に次第に追い詰められて、逃げ場を失っていた。

 パメラは片手でひょいと椅子を持ち上げ、ジュンヤの足元に叩き付ける。合金パイプ製の脚がぐにゃっと曲がり、フローリングに傷がついた。


「女だてらになんて、思ってるんでしょう。可愛い子。残念ながら私は、か弱くないの。強化筋肉ってご存じ? 人工筋肉の中でも特に筋力に特化したものよ。私の中にそれが埋め込まれていると言ったら、どう? 申し訳ないけど、普通の攻撃じゃ、この身体はびくともしないわよ」


 身体は女だが、中身は違う。ジュンヤは咄嗟にそんなことを考えた。

 性別の問題じゃないかも知れない。明らかに見た目にそぐわぬ力、肉体改造してあるのか。特殊任務隊に所属しているのだと言っていた、だとすれば肉体を弄っていても何らおかしくはないと思わなかった自分に非がある。

 彼女はにやりと笑みを浮かべ、片手でテーブルを持ち上げた。決して軽くはない、やはり合金パイプ製の脚に厚いガラス板、明らかに危険な代物を、ジュンヤ目掛けて放り投げる。咄嗟にガラス天板を数発狙い撃ち、ガラスの割れる高い音が一つしたかと思うと、それらはあっという間にパメラの全身に降り注いだ。被害の及ばぬベッド上に土足で待避する。また足場の悪い最悪の状態に逆戻りだ。


「往生際の悪い坊ちゃんね」


 彼女の白い肌は所々赤く傷ついていた。顔をかばった両腕に、ガラス片がいくつも刺さっている。


「あーあ、酷ぉい。女性に対して最低ね。どう責任をとってくれるつもり」


「誰が、――女だ」


 虫酸が走った。恐ろしさのあまり照準の定まらない銃口をパメラの心臓に向けた。


「あら、失礼ね」


 冷たく笑い、パメラは血だらけの両腕から腕を交差させ、ガラス片をぐいと引き抜いた。滴る鮮血、傷はそう浅くない。大きめのガラス片を一つ、握りしめた右手のひらに血が滲んでいる。


「死ね!」


 横に一閃、ガラス片の先がジュンヤの胸元をかすめた。赤い物がばっと視界を埋め尽くす。その一瞬、パメラの懐に隙が出来たのを、ジュンヤは逃さなかった。胸目掛けて一、二、三、四、五発。エネルギー弾が彼女の身体を突き抜け、壁面を血色に変えていく。ジュンヤ自身にもパラパラと血の雨が注いだ。


「そんな攻撃で、倒せると思って」


 パメラはまだ、動いている。振り上げたガラス片を一気にジュンヤの胸元目掛け――振り下ろす。ベッドに転がり身体を捻ってかわすが、背中を切られた。じわっと痛みが伝い、ジュンヤは苦しそうに顔を歪める。

 赤い髪を振り乱し、鬼の形相で執拗に刃を向ける彼女に、最早色気などなくなっていた。

 肩で息をし始めたところを見ると、明らかに五発の銃弾は彼女の体力を奪っているようだ。動きも格段に鈍くなっている。もう少しだ、もう少し。ジュンヤは自分に何度も言い聞かせた。

 ふと目にするエネルギーボトルの残量、撃ってあと数発。早く決着を付けなければ。焦り始めたとき、突然照明がちらつき、アナウンスが響いた。


『1208号室、異常を察知、警備員が駆けつけます。繰り返す、1208号室、異常を察知……』


 派手に動いて室内を荒らしたのが裏目に出た。


「このまま食べてしまおうかしら。ベッドの上で殺すってのも悪くないわね」


 この期に及んで、パメラは余裕の笑みを。彼女はベッドの上でジュンヤに馬乗りになり、左手で彼の右手首を押さえつけた。そして無理矢理銃を落とそうと、腕を捻り上げてくる。腕が、千切れる、筋肉が、悲鳴を上げる。パメラの右手に握られたガラス片が、仰向けになったジュンヤの腹部に突き刺さった。ぐりぐりと内蔵を掻き回すように刃を動かされると、彼は断末魔の叫び声を上げてのたうち回った。


「そろそろ観念なさい、坊や。あなたにはもう、何の希望も残されてないんだから」


 パメラは一段と力を入れて、ガラス片を何度も突き立てた。気が遠くなっていく、大量の血が奪われていく。叫び声を上げる力も失われ、ついに呻き声を上げるだけになってしまった。

 もう、お終いだ。ジュンヤ自身もそう考えていた。このまま尽きてしまえば、苦しみから解放されるのだと。



 ――薄れていく意識の中で、エスターが泣く。

 背中を丸めて声を殺す彼女を、ぎゅっと抱きしめたことを思い出す。



「まだ、終わりじゃ、ない」


 振り絞って出した声、口から溢れる鮮血をベッドに吐き捨てた。

 空いていた左手をパメラの右腕に伸ばし、抑えられていた右手首を軸にして、叫び声と共に半身を起こす。身体を揺らし、全体重を載せた頭突きを一発。体力を失ってきていた彼女はベッドから真っ逆さまに転げ落ちていく。ガラス片を落として、頭を抱え苦しむパメラに、ジュンヤはベッドの上から銃口を向けた。身体がダメなら――頭に。数発の銃声が、室内に響いた。

 エネルギー残量、ゼロ。

 使用済みの小銃を床に投げ捨て、血だらけのお腹をかばうようにしてドアを開けた。まだ、誰もいない。警備員が来る前に、とにかく逃げるんだ。

 ジュンヤの赤い靴跡が、廊下に続いていた。

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